日々雑感

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インド巡礼 

2011年08月23日 | Weblog
インド巡礼          2007-05-16 18:53:18

ここまで生きてきた。よたよたとしながら人生旅をして今日(63歳)まで生きてきた。
 月並みだが、それはそれはいろんなことがあった。山あり、谷ありが人生だとは頭では分かっていても、目の前で生起する日常の出来事に一喜一憂しながらここまでやってきた、というのが実感である。
 
ひとり旅
 
定年を過ぎてからを海外旅行に出掛けるようになった。10キロの荷物を背負い、言葉をはじめとして事情を知らない東南アジアをひとり旅することはかなりの勇気と忍耐のいることであった。
 もの珍しさから、どこをうろついてもそれなりの面白さはあったが、何か目標や課題を持って旅をすれば何かがわかってくると思い、旅のテーマを設定することにした。いろいろ考えてみたが、やはり人生どう生きるのが1番良いのかという問題が心の底で渦巻いている。そこでとりあえず過去の人々の生きざまを調べその中から人生のエッセンスみたいなものを抽出してそれについて考えてみようと思った。特に関心があるのは、お釈迦様である。ということで、佛蹟めぐり、つまりインドの佛蹟巡礼から始めることにした。
 
 お釈迦様が難行苦行の後に悟りを開かれたといわれるブッタガヤを手始めとして近くのラージギル、ナーランダなどをみて、それからバラナーシーに出てガンジス川で沐浴し、日本から持ってきた写経を丁寧に読経したあとで一枚ずつ流した。
 バラナーシーから北に向かって約10キロほどのところにあるサルナートへ足を延ばし、広い境内に敷きつめられた、青々とした芝生に目と心を休めた。
 涅槃の地クシナガラと、出生の地ルンビニは次回まわしにして、とりあえず関係の深いところから巡礼して回ることにした。
        
ブッタガヤ(ボダガヤ)
 
 ガヤから10キロほど南へ行ったところにブッタガヤはある。村に入ると左手に大塔が見える。これがマハボーデイー寺院である。塔の高さは52mあるとか。青いというよりは紺のかかった青黒い空に突き刺ささっている。
 難行と苦行の後にここにたどり着き、偉大な悟りの瞬間を迎えられたのがここ、この地、そう思うだけでも気分が高揚した。

 お釈迦様は人生の苦悩を痛感し、解脱への道を求めて、厳しい修行を続ける。それでも回答は得られずこの塔の裏側にある大きな菩提樹の下で深い瞑想に入られた。瞑想のさなか暗い夜が明けようとしていたときに悟りが釈迦さまの心にを訪れたのである。ここに至って謎は解け全宇宙に満ちる真理の意味が、彼によって理解され、悟られたのである。宇宙の真理が発見されたのである。発明されたのではない。菩提樹の大木、明けの明星のみがそれを知っていた。
 ものの本によってこのぐらいの知識しか持ち合わせていない私ではあったが、当時を想像するだけでも、感激のために心臓は早鐘のように激しく波打った。
 
 方形の広い境内はもえ立つような深いに緑と静寂に包まれている。裏手に回ると大きな菩提樹があった。樹齢は何百年かたっていると思われるが、大きな枝には緑の葉っぱが重なり合って緑の山をなしていた。ここには金剛法座があって、私は日本から持ってきた写経の束を菩提樹の根もとに供えて、般若心経を心ゆくまで唱た。
 
バラナーシー
 
バラナーシーで沐浴するならば日の出のころがよい教えてもらって、私は午前3時すぎに列車で到着した。駅の待合い室でしばらく休憩してガンガーに出向いた。あたりはまだ薄暗いというのに大勢の人がガンジス川につかり、沐浴している。私は少し遠慮して上流の人気の少ないところでガンジス川に入った。水中に完全に身を沈めると夏のせいか水温は生温かく、私は母の胎内にいるような平安を覚えた。そして心は落ち着いた。
 しかし川の流れは表面とは裏腹に深いところでは流れが速く足を取られそうになった。川の中に体を半分沈めながら、30枚ばかりの写経を1枚1枚読経しては両親の菩提を弔い、また先祖の、そしてこれまでお世話になった人達のめい福を祈った。
 バラナーシーはヒンズー教の聖地と聞く。しかし考え方や作法を見ていると日本仏教と実によく似ているところがある。

 バラモン教の中からヒンズー教と仏教が生まれ、それが中国を経て日本に伝えられたのだから似ていても何ら不思議ではない。しかし、いま私とこの川の中で沐浴している人たちとの間には大きな隔たりがある。それはかカースト制度の有無に代表される社会制度や生活習慣だ。もしインド人の80%が仏教徒ならば、私はどれほどこの人たちに親しみを覚えたことだろう。宗教が似ているとはいえ生活実感は違いすぎるので彼らの信仰を容易には受け入れる事が出来ない。
私は先ほど日本仏教といったけれども、詳しく言えばこのヒンズー教は特に密教、真言宗に似ていると思った。
 インドの神々は呼び名を変えて日本人には随分なじみの深いものもある。例えば水の神様サラスバテイは日本名で弁天さまと呼ばれている。
     
室戸岬にて
私は今はるか太平洋を見下ろす室戸岬の最先端に立ち、思いをインド巡礼にはせている。インド巡礼はインドと日本の違いが際立って現れ、それはそれはきついものがあった。
自然環境が違う。例えば気温。日本では到底経験できない暑さである。また人情も違う。底に流れる宗教観は似ているとしても現実生活には大きな差がある。ライフギャップといってもよいだろう。そのギャップが旅の負担となって物心両面にのしかかってくる。
 だが片やインドで釈迦の聖地を巡礼し、一方ここ四国では弘法大師の足跡をたどる。こんなことが出来るのは幸せの極みであると喜んだ。
求めるものが同じであったとしても両者は全く違った経験として体に刻み込まれた。やはり両方の巡礼をして良かったとつくづく思う