かぜねこ花鳥風月館

出会いの花鳥風月を心の中にとじこめる日記

午前4時に寝床で追った流星

2021-12-15 11:28:19 | 日記

午前2時ごろにはいったん目覚めたが、また眠りに落ちたようだ。再び目覚めた時刻はもう4時。あわてて起き上がり・・・・ではなくYoutubeにライブされている「ふたご座流星群」の映像を探し出す。南木曾天文台の映像がよかったので30分ぐらいはみつめていたが、長く尾を引く流星は1回限りで、あとは瞬時に点滅して消え去る流星が7,8回程度、布団の中で確認された。

最初に目覚めた2時ごろだったら60個/時間ぐらい出現されると「天体観測手帳」に書いてあったので悔しい思いをした。午前4時30分を過ぎると天文薄明の頃合いか高感度のカメラ映像は少し白けてきたので、ここで観察?は終わりにした。

このような天体ショーは、三脚をもって戸外に飛び出さなければならないのだが、何しろ今朝は最低気温0℃を示しているので、その気にならなかった。

つくづく星の観察なら南の島に限ると思った。石垣島ならば、1月の未明だって躊躇なく暗い海岸に歩いて行けたものだが。ただし、冬になると南西諸島は曇りの日が多いので、今朝のふたご座流星群はどうだったか・・Q

A:晴れ時々曇り 最低22℃ 最高26℃ と・・・(泣)

     

  2019.1.15.5:41 石垣島宮良海岸  南十字星に落ち流星  左手に輝くのは金星、木星、アンタレス


深田日本百名山登頂の思い出    99 開聞岳(かいもんだけ・924米)

映画だったかもしれないが、何かの映像で薩摩半島の知覧空港から飛び立った特攻隊員が操縦席から開聞岳に手を振り、日本に、この世にお別れの挨拶をして、沖縄の海に飛び去った光景を思い出している。特攻隊員にとっては、開聞岳は冨士のような存在だったのだろう。とにかく海岸線からスックとのびる円錐形は、付近の海上や地平線からひときわ目立つ秀麗な姿でそびえている。

深田さんは、百名山で「終戦後、中国で俘虜生活を送った私が、上海から帰国した時、船が日本に近づいて、夜のあけぎわにまず眼にしたのがこの開聞岳であった。その整った美しい山容を見て、とうとう内地に戻ってきたという万感のこみあげてきたのを忘れない。」と綴っている。

オイラは、深田さんとは異なる感情だったかもしれないが、2019年3月の末、足掛け11年に及んだ沖縄での生活に別れをつげた北帰行の旅のはじめに、南西諸島を転々と北上するフェリー乗っていて、鹿児島に近づいたあけがた甲板にでたときの冷たい風と北の海上に姿を現した開聞岳の姿を見て、「ああ、また寒い内地に戻ってきてしまった。」というある種の寂寥感が込み上げたのを思い出している。

     

開聞岳には、1998年11月末、屋久島から鹿児島に戻った後にレンタカーを借りて、高千穂峰と併せて登っている。地図でわかるように北の登山口から時計回りに1周回る様に登っていく道で,また北方向に戻ったあたり山頂となる。ごつごつとした岩の山頂で、居合わせた人は地元か九州のヒトばかりだったようで、仙台から来たと言ったら驚かれた記憶がある。頂上のニコリとした写真を誰かに撮っていただいたようだが、あの写真どこに行ったのやら。(アルバムを持たない性格ゆえ)

2019年、北帰行の旅で、指宿の砂むし風呂で火照った体のまま、佐多岬をめざした大隅半島行きのフェリーに乗ったオイラは、甲板の心地よい風に吹かれていつまでも開聞岳を眺めていたな。

    

    

     

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