かぜねこ花鳥風月館

出会いの花鳥風月を心の中にとじこめる日記

二月から始動します。

2023-01-31 12:10:51 | 日記

思い出したように「岳人」2021年9月号の特集「登山の効用」を棚から引っ張り出す。

「登山のためのカラダ作り」が特集されているためだ。

冒頭「加齢とコロナ自粛の運動不足で体力は日に日に低下します。快適で安全な山歩きのためには、

日頃のトレーニングは欠かせません。」とある。

① 登山ボディチェック

② バランス力を高めるトレーニング

③ 柔軟性を高めるトレーニング

④ 持久力を高めるトレーニング(踏台昇降運動・スロージョギング)

⑤ 膝と腰を強くするトレーニング

⑥ 登山時に効果的なストレッチ

をしっかり読み直して、実践しよう。

特に④の持久力を高めるトレーニングを明日、二月から再開しよう。(今日からではない。)

踏台昇降運動は、ザックを12kg(2L水を入れたペットボトル×6本)でテレビを見ながら30分。

スロージョギングは、1日10kmを90分程度の時間をかけて。

今年は、

5月に、大峰山奥駈道前期踏破5日間

6月に、霧ヶ峰~美ケ原ロングトレイル5日間

7月に、南アルプス南部縦走10日間

などハードなスケジュールを立てている。(といってもSlow&Lightスタイルに徹して)

そろそろこれらに向けたトレーニングを始動しないと、計画は画餅に帰すだろう。

そして、ダイエットだ。この冬2~3kg、腹回りは3cm以上「成長」しているものと自覚している。

荷を削っても、体を重くすれば結果は同じ。

すこし、修行僧や高齢ランナー、金時山・高尾山・金剛山などへの毎日登山者などの暮らしぶり、生活態度

を見習いながら、やっていこう。

 


日本百名山 MY SONGS   96 祖母山(そぼさん・1756米)

 

【深田日本百名山登頂の思い出・再掲】

先に記したように、祖母山には阿蘇山・九重山とともに、レンターカーを足として1999年の11月ころに登っている。一番、距離の短い竹田市の神原登山口から往復している。

が、東北に在住するものとして祖母山という名はマイナーで、登る前にこの山の良さを研究したわけでもなかったので、当時は「深田百名山に選定されているから」という理由だけで登ってきたと記憶している。休日だったのか、やけに登山者が多かったのを思い出す。山頂にもおおぜい休んでいたので、大した展望を楽しむわけでもなく、山頂の標識にタッチする程度で折り返したようだった。

それで、何年たっても百名山登頂の中で、祖母山は、オイラの中では影薄い山として存在し続けていた。

2019年4月1日、北帰行の途中、立ち寄った竹田市の岡城址の高台から東に目を向けると他の山域から抜きんでたようなおおらかなピラミダルを描いている山が目に入った。展望案内板が祖母山だと教えてくれた。あんなに形の立派な山であったのか。マイナーなイメージでいた祖母山には申し訳ないという気持ちでいっぱいだった。

2019.4.1岡城址から祖母山

 

 

あらためて深田さんの百名山を読んでみた。そしてあらためて深田さんの山を愛する心根の深さを感じた。

深田さんは、祖母山に登る2年前、九重山から祖母山と傾山(かたむきやま)の山容を眺め、「あれに登らねばならぬ。」と決意している。

そして深田さんの祖母山を評する、以下のくだりがいい。

「たしかに祖母山は一瞥直ちに人を引きつけるという際立った山容ではない。ケレンもなく、奇抜さもない。しかしその滋味はみつめるに従ってじっくりと来る、といった風の山である。こういう山は流行には乗らないが、不易の命を持っている。」と。

深田さんは、1962年、まだ登山者がいない早春の3月を選んで祖母山に登り、1時間も山頂にいて展望を楽しんでおり、翌日には傾山にも登っている。

深田百名山「祖母山」を読み直し、フカダイズムとは、このような山への向き合い方と行動であると、あらためて教えられた。「そんな気持ちで登ったのか、バカモン!」と叱咤を受けた気持ちになった。

 

   

深田さんは、登山の後、岡城址に立って祖母山(右)と傾山(左端)を目を熱くしながら眺めた。

    

 

(2019年4月1日、新年号を「令和」と訊いた日に)

深田氏が眼を熱くした古城より祖母を望んだ令和の早春

 

早春の静かな山が好きだという深田イズムの足どり軽く

 

 

 

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遍路ごはんの研究

2023-01-30 15:14:36 | 日記

四国遍路のモットーは食料の日々の現地調達とし、ザックに余計なものを入れずに、ひたすら軽量化を図りたい。

お米は、自分で炊いたものが一番うまいと確信しているが、1キロ、2キロのお米を背負えば1キロ、2キロの荷重がかかる。まあ、たまにコンビニに1キロ入りのお米を眼にするので、1キロ程度だったら買ってもいいだろう。

が、どこのコンビニやスーパーでも調達できるその日のお米といえば、「サトウのごはん」に代表されるレンチンごはんだろう。

コンビニ、スーパーのある街に立ち寄る場合には、このレンチンごはんを確保して、レンチンではなくクッカーでの「湯煎」か「水蒸気炊飯式加熱」によって温めよう。

どちらが合理的か家で試してみたが、湯煎可能なポリ袋で湯煎するよりも、例のダイソーの折り畳みシェラカップをクッカーに入れて、水蒸気炊飯式で温めたほうが簡易だろう。

と、アルコール25mでやってみたら、十分おいしいが、ふかしすぎで少し柔らかすぎた。

20m以下で大丈夫だろう。燃料の節約にもなる。試行錯誤を重ねよう。

 

 

 


日本百名山 MY SONGS  95 九重山(くじゅうさん・1791米)

 

【深田久弥・日本百名山から】

「しかし何よりも私が打たれたのは、あちこちに拡がる原であった。山上にある、東、西、北の千里浜、南国の山というのにそこにはコケモモが敷いていた。尾瀬を小さくしたような美しい湿原の坊ヶツル(ツルは山間の平坦地の意)、ひっそりと山に包まれた佐渡窪、そんな原を横切らずにはどこにも行けないとは、何とたのしい山であろう」

 

共和国と呼びたき九重の山々は高原の空に屹と立ち並ぶ

 

深田日本百名山登頂の思い出・再掲

九州の深田百名山は六座。オイラは、この六座を二回に分けて三座ずつ登った。1998年11月に、宮之浦岳・開聞岳・霧島山の高千穂峰と九州南部の山々、1999年11月に阿蘇山・九重山・祖母山と九州中部の山々。屋久島にある宮之浦岳を除いて、どちらも鹿児島市・大分市という起点の街でレンタカーを借りて足早に登ってきた。

九重山は、長者原からあの坊がつる賛歌で名高い坊ガツルを経由し最高峰の中岳(1791m)と久住山(1787m)を登ってきた後、大船山(ダイセン・1786m)にも登ってきたと記憶している。1日で長者原に戻るのはかなり強行軍だったかもしれないが、長者原に車中泊して早朝軽装で出かけたのではなかったか。

だが、九重といえば、沖縄滞在中の2005年頃までに、もう一度大船山に登ってミヤマキリシマに魅せられた記憶の方が鮮明である。あれは、6月の初めに「阿蘇スーパーカルデラウルトラマラソン」に出かけ、走った翌日、ランナー仲間数人と熊本のKさんの車のお世話で長者原まで行き、北大船から大船山を周遊して、あちこちに点在する満開のミヤマキリシマの群落に歓声をあげた。本州のツツジではお目にかからないローズピンクともマゼンタとも表現しえない鮮烈な赤紫のツツジだ。本州だと、秋田駒のエゾツツジに近い色かな。

二度ばかり九重に行って、標高は中岳に譲るが、山容の風格から、九重山の盟主はミヤマキリシマにも彩られる大船山だと思っている。機会が許せば、坊ガツルの一角にある法華院温泉に泊まって、ミヤマキリシマの花咲くころ、みたび大船山に登り、夜は原の上に広がる星空を眺めたいものだ。

 

    

          竹田の岡城から間近に眺められた九重の山々(2019.4.1)

 

坊ガツル ミヤマキリシマ 法華院 時空は経るも 美(うま)し言の葉

 

 

          

        ミヤマキリシマ咲き誇る大船山より九重共和国

 

 

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四国お遍路の「順打ち」と「逆うち」

2023-01-28 14:14:15 | 日記

四国お遍路道の歩き方として、1番札所から88番札所までを時計回りに周る「順打ち」と、その反対回りに周る「逆打ち」があることは知っていたが、それがどういう意味を持つのよく分からなかった。

下記のサイトなどで、教えられやっと分かったのだが、

① 弘法大師さまは、いまも「順打ち」で巡礼されていて、「逆打ち」だとお大師様に会えることからご利益がある

② 伝説では、最初にお大師様に会いご利益のあった方が「逆打ち」をした年がうるう年であったため、うるう年に「逆打ち」をすると3倍(3年分)のご利益があり、うるう年は、「逆打ち」をするとよい、とされる

③ ただし、「逆打ち」は標識が「順打ち」仕様となっているので、歩きにくく初心者には薦められない

とのことであった。

オイラは、今年中に大峰山奥駈を済ませば、来年には四国巡礼をと考えていたが、来年は、パリオリンピックのうるう年となっている。

「逆打ち」は初心者なので不安なのと、それでも「順打ち」お遍路さんが圧倒的に多いのだろうけれど、どちらを歩いてもお遍路さんにすれ違って、いちいち挨拶するのはめんどうだ、などとどうでもいいことまで憶測してしまう。

ということもあり、来年2024年はやめておこうかな。

今年と来年二回に分け、大峰を落着いてゆっくり歩き、その翌年でもいいか・・・・・。

 

うつ女子のためのお遍路から


 日本百名山 MY SONGS   94 石鎚山(いしづちさん・1982米)

 

深田久弥・日本百名山から

「一九四二年十月半ばのある晩であった。私は四国道後温泉の共同浴場に浸かりながら、浴槽の中の装飾の円塔に刻んである、山部赤人の『至伊予温泉作歌一首並短歌』を眺めていた。眺めていたというのは『皇神祖之神乃御言乃・・・』という万葉仮名だったから、難しくて読めなかったのだ。ただその中に『伊予能高嶺』という文字を見つけ、うれしくなってそこばかりみつめていた。その翌日、わたしはその伊予の高嶺に登ることを決めていたからである。伊予の高嶺とは石鎚山のことである。」

 

うれしかり 「伊予の高嶺」と刻まれし赤人の歌 湯舟に見つけ

「北側から登るのが表参道であろうが、私は南の裏側面河(おもごう)渓から登った。こちらの方が原始的な自然の姿を残している。」

 

「天は青く澄み、風もなく、この秋の好日に、ただ一人、四国の最高の地に立っているのだ。四国一円がわが眼中に収まっているような気がした。」

 

「伊予小松駅へ出るため乗ったバスが、大きなジグザグを描いて黒瀬峠の上まで登った時、ふと見ると、たそがれの空に、ぼかしたような石鎚山の姿が遠く浮かんでいた。ほんの一刻の眺めであったが、感動した。それは今日、あの頂上に立ったとは思えない、遥かな崇高な姿であった。」

 

振り返り 今日登りける石鎚を 未踏の山かと 遥けくも仰ぐ

 

深田日本百名山登頂の思い出・再掲

クルマを登山口に駐車させて山に登るのは嫌いだった。理由は二つ、同じ道を下って来なければならないこと、下山してすぐにビールが飲めないこと、である。

四国の山にマイカーで出かけたのは、日程的にバスや鉄道でいくのは厳しいと判断したのだろう。

四国最高峰の石鎚山には、南側の面河渓(おもごけい)から登ったのは、剣山との行き来がしやすかったからだろうが、メインの登山コースである登拝道を選ばなかったのは、あの度胸を試されそうなクサリ場の連続を嫌ったからかもしれない。が、今となってはどちらか判断に苦しむ。

でも、結果として、面河渓コースでよかった。深田さんも歩いたということだし、面河渓の原生林は新緑のまっさかりで、あの美しい風景はいまでも消えていないのだから。

 

     

 

石鎚の面河渓(おもごうけい)の山道を深田も選び 同行二人

 

青色のスバルジャスティ走らせて 四国登りき昭和の終わり

 

 

       

                       LF 

 

 

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四国八十八の歩き方

2023-01-27 16:44:28 | 日記

大峰山のところでも記したが、所期の計画では、まず2019年に大峰山奥駈をやってから、四国八十八ヶ所巡礼に挑もうと思っていた。

しかし、2019年の奥駈に頓挫してから、翌年からのコロナ禍が続いていることもあり、2023年に入っても、いずれの歴史的なロングトレイルは、果たされていない。なお、当初は、四国八十八は自転車を使って短縮化を図ろうかとも考えていたが、今になってはやはり「歩き遍路」でやろという気持ちになってきている。

大峰奥駈は、100kで十日を要するであろうが、難路のため二度に分けて計画することにしているので、早くても来年まではかかるのだろう。

だとすれば、四国は来年秋以降かとなるのだろう。季節は春か秋、暑くない季節を選ぶべきだろう。ネットで教わると1200kmを最低でも40日、1日30kmは要するとある。

下記事項を基準として、今から研究しておこう。ネットの提供者はテント泊でザックが20kgになったというが、オイラはその半分を基本としたい。基本食料はその日の分だけでいいだろう。

 

① 遍路費用は1ヶ月の生活費と同様、月10万円の予算(納経代等を入れて1日あたり3300円程度)

② 宿は、テント、無料宿泊施設を基本とし、ビジネスホテル等充電可能な有料施設は週1程度とする

③ 食料は、現地調達

④ 金剛杖はストックに、ワラジはシューズに替える以外は、できるだけお遍路ルックで

⑤ すくなくとも「般若心経」は諳んじよう

 

 

一社)四国八十八カ所霊場会

 

八十八カ所遍路の歩き方

 

 


日本百名山 MY SONGS    93剣山(つるぎさん・1955米)

 

【深田久弥・日本百名山から】

「剣山の頂上は、森林帯を辛うじて抜いた草地で、その広々とした原は、昼寝を誘われるよなのんびりした気持ちのいい所であった。すぐ真向いには、こちらよりわずかに低いジロウギュウがなかなか立派であり、北方には幾重も山を越えて瀬戸内海の方が見渡せた。ほとんど平野らしいものは見えないから、逆に人里から剣山を仰ぐことはできないのであろう。それほど奥深い山と言える。」

 

宝剣を埋めた大き草山を瀬戸内海より南に望む

 

 

             

                          LF

 

深田日本百名山登頂の思い出・再掲

四国の深田百名山二座も、和歌山県田辺市在住の1988年か89年に登っている。たしか、和歌山港から徳島港にフェリーが運航していて、愛車スバルジャスティを運転して、四国を代表する二つの山を登ってきた。5月のGWだったと記憶している。剣山と石鎚山のどちらを先に登ったか忘れたが、石鎚は南の面河峡から登ったので、四国の中央を結ぶ道路をうまくつないで、効率のいい往復をしてきたのだろう。観光といえば祖谷渓(いやだに)に立ち寄ったぐらいだから。あとは、四国の道路から見上げた集落に、「エッ!あんなに高いところに生活しているんだ」と驚いたこと。あまり見たこともない風景だったな。

剣山登山は、その祖谷渓を流れる祖谷川上流の見ノ越に駐車をして登ってきたのだだろう。今、地図を見ると2~3時間で頂上に立つことができるようだが、登り下りの過程というものの記憶がない。記憶にあるのは広大でなだらかな草っぱらの山頂付近だけ。このまえ石丸謙二郎の山カフェに頂上ヒュッテのオヤジさんが声で出演していたが、遮るもののない山頂の星空がすばらしいとのこと。

山小屋に泊まって夜の星空を楽しむって発想がその時皆無だったのが悔やまれる。2、3時間だったら三脚も持参できたろうし。だが、もう一度登りなおすには遠くなってしまった山。

     

 

 

剣山 頂ちかくの木道は 草踏むように 柔らかき

 

 

 

 

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山小屋のいびき

2023-01-26 19:00:27 | 日記

昨夜は久々に酒をぬいた。雪が降っていて、歩いてすぐだがいつも酒類を買い求めに行くコンビニに行くのもはばかられたこともあったが、年末年始の酒量増加とそれにともなう内臓の不具合に不安を感じてもいことで、「少しの間アルコール控えようか」という前向きな変化もあったからかもしれない。。

で、いつものことだが、酒を抜くと眠れない。酒を飲んだ時のように眠くならない。いつまでも頭が冴え冴えとしている。それでも寝ようとして蒲団に横になって、YouTube朗読なども聞いてみたが眠れず、結局朝まで枕もとで本を読んでいた。

だが、読んだ本がいけなかったのかもしれない。山岳写真家田淵行男さんの山岳エッセイ「黄色いテント」だ。田淵さんは、写真家でもあるが、博物学を収めた博物学者でもあり、蝶や植物など対象に対する執拗な観察眼と洞察力、そのための行動力にはあきれ返るほどだ。「山頂の石」、「アルビノ遍歴」、「ゴゼンタチバナ」などをよむと、あまりの「凝り性」にあきれるほどだし、「霧の大キレット」では、大キレットの底で霧に濡れて弱っていたタカネヒカゲを保護し、なんとキャラメル箱に収納して、翌日仲間の多い蝶ヶ岳山上で放してやった話題が語られていて、とてもかなわないヒトだと笑ってしまった。

おもに彼の撮影の舞台である北アルプスで体験した石のこと、鳥のこと、蝶のこと、動物のこと、植物のこと、山道のこと、山小屋のことなど様々な話題を提供してくれる「黄色いテント」は、冒頭から引き込まれ、ますます眼が冴えて、つい夜のふけるのを忘れて読みすすめてしまった。

未明だったろうか、話が当時の(昭和40年以前か)の山小屋やテント場事情などを描いた「山の残酷物語」というあたりに来て思わず笑いが込み上げてきた。

とくに「いびきノイローゼ」というお題のエッセイには思わず声をあげて笑ってしまった。田淵さんの実体験だが、昭和の中頃は、今以上の登山ブームで山小屋は相当込み合ったみたいで、夏の双六小屋での話だが、同部屋の男性の高いいびきで一晩中眠られなかったというもの。よくある話ではあるが、やはり田淵さんは科学者だけあって、やや神経質なところがあって、いちど気になったら、いびきの強弱や調子に聞き耳を立ててしまい、ますます寝付かれなくなったとのこと。オイラが声をあげて笑ったのは、田淵さんが何とか寝ようとポケットのチリ紙を耳に詰めて耳栓にしたが違和感があり徹夜を覚悟した時のこと。

「その時、ふと私は、先ほど布団に入る時、掛布団一ヶ所の鍵裂きから綿がのぞいていたのを思い出し、紙に替えて入念に栓を作った。」というくだり。

結局布団綿は違和感こそなかったが、効果が少なく徹夜をしてしまったとのことで、ご愁傷様ですといいたい。どうやらこの部屋の住人は優しくて悶々として眠られなかった人は多かったみたいで、「犯人」に抗議するでもなく、フラフラと翌日の山行に出かけたみたいだ。日本の登山者はやさしいな。

結局、山小屋で大いびきをかくヒトは、横になるとすぐに寝付く楽天家か大酒飲みの種族で、オイラもこれまで山小屋で泊まっても、他人のいびきをあまり気にせず寝ていた「大酒のみの種族」にあたり、何人かに迷惑をかけたのかもしれない。それでも、一度、同部屋の後輩に「歯ぎしり」を注意されたことがあったくらいでイビキの非難はなかった。

この田淵さんの「いびきノイローゼ」では、二度あることは三度あるようで、秋の穂高小屋では夜になっても登山者が到着し、部屋の詰め替え調整するほどに登山者でギューギュー詰めとなり、あろうことか、後から隣の寝床に到着し横になった学生が高いびきをはじめ、近くでは歯ぎしりを立てる者までいて、田淵さんまた眠れなかったらしい。ご愁傷様。

あれから60年以上も経ったのだろうか、現在の山小屋は予約必要の定員制となり、昭和ほどすし詰め状態は起きないとしても、ほとんど相部屋で、あまり事情に変化はないだろう。寝つきの悪い人は大変だ。

一泊13,000円も支払って、イビキで眠れないなんて「令和版・山の残酷物語」だ。山小屋宿泊派諸子は、良質の耳栓にアイマスクなどの持参は必要だろう。オイラが山小屋の場合は、疲労+ワンカップ3杯もあればバタンキューなのだが、眠れないときには、星撮りにカメラと三脚をもって外に出ようか。


日本百名山 MY SONGS      92 大山(だいせん・1729米)

【深田久弥・日本百名山から】

「伯耆の国にありながら出雲冨士という名もあるのは、この山が整った富士山型に見えるのは、出雲から望んだ場合に限るからであろう。私は大山を、松江の城から、出雲大社から、三瓶山の頂から、望んだ。いつも一目でわかる。秀でた円錐形で立っている。しかし何々富士ならどこにでもある。大山がそれ以上に私を感動させたのは、その頂上の見事な崩壊ぶりであった。東西に長い頂稜は、剃刀の刃のように鋭くなって南面・北面へなだれ落ちている。まるで両面から大山を切り崩しにかかっているふうに見える。その北壁が夕日に染められた時の美しさは、古陶の肌を見るかのようであった。」

くづれては きえていくのか はうきふじ いはをのいのち もえわたりをり

 

        大山lf

 

【深田日本百名山登頂の思い出・再掲】

2004年か5年の秋だったか、広島での会合があった機会に米子までバスで行って大山に登った。ロングトライアスロンの聖地、皆生温泉に前泊し、翌日、米子から登山口の大山寺までバスで登った。今地図で見ると登頂が許されている弥山(みせん・1709米)までの夏山登山道は、ほんの2時間少しの登りだったのか。確かブナが繁っていた急登を少し登り、ダイセンキャラボクの茂みを抜けると、ウッドデッキのような木道が現れて、そこはもう山頂だった。ガスっていたのか、山頂からの展望の記憶はない。

下りは行者谷コースを歩いたんだと思う。振り返ると、ガスの晴れ間から崩壊が進むという北壁が現れだした。しばし、足を止めて大山の膨大なマッスと荒々しさに息をのんだことを鮮明に覚えている。

熊本地震のあった2016年4月、オイラは島根の奥出雲で開催されたウルトラマラソンに参加するために、大阪から松江行の高速バスに乗ったが、米子近くの車窓から雪を頂いた大山の姿をしげしげと眺めた。あの北面の荒涼とした姿が想像できないほどの秀麗な冨士の姿だった。

     

          

           行者谷方向からの大山lf   

 

崩れゆく 大山(だいせん)にみな立ちたるを 人新世(ひとしんせい・アントロポセン)の幸(さち) と思ふ

 

    

 

 

 

 

 

 

 


 

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