gooさま、10年間ありがとうございました。
「gooblog」から「はてなブログ」への引っ越しデータ移行もうまくいったようだし、今日から日記の書き込みは「はてなブログ・かぜねこ花鳥風月館」に移行します。
数少ないながら読者の皆様ありがとうございました。ひきつづき「はてなブログ」もよろしくおねがいします。
gooさま、10年間ありがとうございました。
「gooblog」から「はてなブログ」への引っ越しデータ移行もうまくいったようだし、今日から日記の書き込みは「はてなブログ・かぜねこ花鳥風月館」に移行します。
数少ないながら読者の皆様ありがとうございました。ひきつづき「はてなブログ」もよろしくおねがいします。
gooblogの指南に従って、引っ越しデータ作成などを試みたが、いまいちしっくりこないので、間違いなく作成されているか確認できるまでには、まだ時間を要するようだ。きょうから「はてなブログ」にも「かぜねこ花鳥風月館」を作成して公開してみたが、いまいち要領を得ない。
人生で何度も引っ越しをしたが、それと同じように環境になれるまでに時間を要するようだ。焦らないでいこう。
2019年に北八で撮影したカモシカ君(♂♀不明だが)の写真だけはしっかりプロフィール写真として「はてなブログ」に持って行きたい。
「gooblog」からサービス終了を通知され、本年10月1日に投稿ができなくなるとのことで、これに合わせてオイラのブログも終わりにしようかとも考えたが、つたない言葉と映像ながらオイラの唯一の「生きているという証」でもあるのだから、脳細胞と手指が機能する間、もうすこしブログを続けることを決めた。
データ引っ越しが旨く行き次第、10月といわず来月までには、ブログを引越ししようか。引越し先は、ランニングコストの安そうな「はてなブログ」への予定だが、使い勝手をもう少し見極めてから決めることにしよう。
思えば「ブログ」という行為を始めたのも、この「gooblog」であって、今映像で調べたら2015年9月からだ。この時期は、石垣島に人生で二回目となる暮らしを始めた年だ。ちょうど10年になるか。感慨深いものがあるな。
2015年9月ころは、昼の暑さと違って朝夕がよっぽど涼しくて気持ちがよかったのか、星空の写真ばかり撮っていたな。
記念すべき第1回目の映像は、白保海岸からの、天の川にかかるさそり座や夏の大三角形(もちろん織姫と彦星もいるよ)などだ。
そのころ、顔面に発症し始めた異変(帯状疱疹)にものとせず、車を走らせて白保の夕涼みを楽しんでいたんだな・・・バカだな…ブログを読み返すのもおもろいわ、おのれの愚かさを回顧できるので・・・
北から冷涼な空気が流れてきたので、曇りの天気予報だったけれども、山の空気が吸いたくて、家の前6:24分の始発バスに乗って、泉ヶ岳に向かう。バス~地下鉄~バスと乗り継いで、都合1時間30分、泉ヶ岳ふれあい館の終点に降り着いたら「霧雨」。
この日、トレーニングはもちろん、「夏キノコ」の出回り具合の観察目的だったが、目的のキノコたちはさっぱり見当たらず、加えて「霧雨」は一向に止まないため登高意欲をそがれ、わずか3時間ばかり歩いて昼前のバスで帰る。
朝、出発前にトイレに立ち寄ったら入り口のドアノブの真下にチャッカリとモリアオガエル君(♂♀並べた大きさの比較ができないため、仮に♂とみなす)が張り付いてくつろいでいた。どうしてこんな場所にいるんだろう。ノブをひねってトイレに入ろうとしても、全く動じない。眠そうな眼をして、微動だにしない。死んでいないかと、お腹を少し触ったら、変温動物なりに温かな体温を知らせてくれた。
それにしてもこんなにまじかにモリアオ君を眺めることができたのは初めてだったかもしれない。美しい。愛らしい。思わずカエルという生き物に、言いようのない愛着を感じた。
3時間の歩行を終えて、またこのトイレに立ち寄ったが、あのモリアオ君の姿はもうなかった。自力で雨の草むらに消えていったのだと思いたい。間違っても、オイラのような「愛」を感じたヒトに連れ去られたということはないように、祈る。
雨に濡れたエゾアジサイが美しい
バス停近くに群生していたセイヨウクサレダマの愛らしい花とまん丸ツボミ
33℃ほどあった昨日までと打って変わって、今日の最高気温は26℃ほど、もしかしたら今年の梅雨入り後に初めて体験する「梅雨空の心地よさ」だったかもしれない。思わず、広瀬川沿いのウォーキングコースを歩いてくる。
どれくらいの予算が使われたかわからないが、河川の土手がすっかり仮払われていて、あの3月に今年はじめていただいた山の幸「野カンゾウ」の群落も跡形もなくかたずけられていた。野生とはいえ、「野カンゾウ」や「オオマツヨイグサ」は、河川に咲く宝石のような存在だ。せっかくの開花期に茎元から刈られた花の命たちはさぞや無念であろう。ただ、1年草でもないかぎり来春にはまたしっかりと芽吹いてくれることを祈る。毎年歩いているが、刈払いは年中行事ではない。今年何らかの関係で予算がついたのだろう。今年の花は、運が悪い。
橋を二本ばかり超えた別の河川敷の草むらに、その「野カンゾウ」の一団が紅いオレンジの花が鮮やかに川岸に近い薄暗い木立の下に咲いていた。ここは間違っても仮払い予算のつく場所ではない。しっかりと子孫をつなげてもらいたいが、周りはセイタカアワダチソウが生い茂る。製造競争でかなう相手ではないが、思わずエールを送りたい。
「野カンゾウ」にかぎらず、こないだ秋田駒に咲いていたニッコウキスゲなどユリの仲間の花は、朝開いて夕には萎む「一日花」多く、「野カンゾウ」も夕方までには花の役目を終えるだろう。しっかり受粉しただろうか。そのはかなさと花の色の艶やかさの対比が、また好きにならずにいられない。
食べてよし、眺めてよし、想ってもよし。「萱草の花」は夏の季語。思わず歌いたくなる。
曇っても 萱草の花 咲き萎む