かぜねこ花鳥風月館

出会いの花鳥風月を心の中にとじこめる日記

週休4日制の1年が始まる

2018-03-31 10:18:43 | 日記

3日働いて4日休む、週休4日制が昨日から始まった。就職して、はじめて休日が労働日を上回ることに。

金曜日から月曜日までの4日間、さて、どのように過ごすべきなのか、当面は、4月に行われる最後のトライアスロンやトレールランに向けた調整ということだろうが、実は、この週休4日制は、この1年限り。来年からは、まったく働かない週休7日制となるのだから、人生において、貴重な1年となることは自覚しなければならない。

週休7日制となれば、鉄砲玉のように、玄関を出たら「戻ってこない」可能性もあるのだが、週休4日制は、「戻らなければならない。」

昨日は、1日、図書館から借りてきた本を読みふけった。どうやら、感受性において、今後、師と仰がなければならない兼好法師の徒然草解説本。図書館には、山ほど読みたい本があるのだが、「古典」と「歴史」を片っ端から借りてきて、1日はその「斜め読み」に費やす。家では、青空文庫も読み放題であり、今朝は、泉鏡花の「高野聖」を「青空文庫読み手」というアプリを開きながら、スマホで少し音読した。

4日の休みのうち1日は「教養の日」と位置づけて、この人生に置き忘れてきた本を読む。これは、これでいいのだが、後の3日は?

あとの3日は、「書を捨てよ、街に出よ」ではなく、「書を捨てよ、野に出でよ」なのであって、オイラの場合は、南西諸島最終年と位置づけて、その思い出の「絵を切り取る」作業に精進しようと言い聞かせている。「いい絵」の収集といこう。

月に1度はテントかついで、出かける。昼も夜も大事な時を過ごしている。ただし、戻ってくる。


 


昨日の月


今朝の日

厳かなる循環

 

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幸福を呼ぶオレンジ鳥

2018-03-30 09:02:18 | 日記

野鳥のことだが。富士登山競争に現を抜かしていた2006年から2008年のころだったろうか、オイラは、富士吉田での大会を終えると、そのまま南アルプス登山に行くほどの元気があった。

目的は、最南の百名山光岳(テカリダケ)。静岡駅からの畑薙ダムまでのバスが不通になっていたので、中央線から長野側に回って、平岡駅から遠山郷までのバス。そこから、登山口となっている易老渡というキャンプサイトまでの20kの長い道のりを歩いた。だが、道のりは、退屈にさせなかった。遠山川の谷間に沿った里山の風景と全山鳴り響くひぐらしの合唱の中を歩いたから。

ツェルトとシュラフカバーのみの仮眠を終えて、翌朝未明に易老渡を出発し、ジグザクの登り道をヘッドランプだけを頼りに進むこと2,3時間。薄明かるくなってきた針葉樹の森のどこかしらから、甲高い二拍子の音。その日の快晴を約束させるようなミルク色のガスを纏った森にあって、天地も分からぬどこからか響く野鳥の美声に、オイラは「永遠なる天上世界に舞い上がるような夢見心地」でいた。

その美声の主は、帰って、調べて、「アカハラ」だったことが分かった。南アルプス山上の夜明けの「アカハラ」のことは、それ以来忘れることはない。

その「アカハラ」だが、昨年3月26日、この石垣島で確認することができた。越冬のため北の国からやってきて、いよいよ北に帰るよと挨拶でもしにやってきたのだろうか。しばらく、隣の家のアンテナに寛いでいた。

そして、本日、昨日の飲みすぎにほてった顔を涼ませようと朝のベランダに出てみると、また彼がやってきていた。もちろん去年の彼ではないかもしれないが、すぐ近くの電線にしばし寛いでいた。今年もこれから「南アルプス」に飛び立つのだろうか。10年前のように鳴いてはくれなかったが、あの時の夢見心地の「キョロン キョロン」という二拍子は、いまでも鳴り響いている。

「晴れ」を約束させる幸せの鳥。今朝の空色のように、幸せのオレンジ色なのだ。

 

 

                     この日の朝

 

 

 

 

               どこからかやってきた彼。。足もわき腹もくちばしもお目眼の周りもオレンジに輝いていました。

 

 

 

 

 

 

 

                 昨年の3月にやってきた彼。今年の彼ですか。

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世界遺産「吉野」から「熊野」への道

2018-03-28 21:25:10 | 日記

 

 

 

ダイヤモンドトレール(以下「ダイトレ」という。)の稜線から東の方向に、ひときわ高い峰々がかすんでいた。大峰山脈の山並みに違いない。中央の、雲に閉ざされているのが最高地点の「八経ヶ岳」あたりか。ダイトレより1000mは高く、先週の土曜日は雪も積もっていただろう。

30年以上前に歩いただけだが、その後の情報でも、このダイトレの整備状況や人工林とは異なり、今でも神々の御座す原生の峰々。原生の木々の根が縦横に張り巡らし、苔、羊歯、地衣の深緑が地を覆い、遠近の水脈の音響が木霊して、峨峨とした巌が累々と連なり、鎖場もあちこちに張り巡らされた生死紙一重の修験の峰。

その神域に、オイラは来年の5月から6月の「オオヤマレンゲ」の緑風のころあいに、いよいよ入り込む。

吉野の世界遺産「金峰山寺」をスタートに、熊野の世界遺産「熊野大社」までの約100k、1日20kでも4泊5日以上を要するのだろう。たった一泊の荷の重さに根を上げつつあった今のオイラは完踏できるのか。

東の青黒い山並みを垣間見ただけで、背筋が震えたっていた。


 

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高野山に追い返される

2018-03-26 04:00:04 | 日記

 春の関西の旅の終わりは、高野山を歩いてこようというものだったが、空海さんが歩いたとされる町石道(ちょういしみち) 約20kは、完璧な登りの道で、前日までの疲れと筋肉痛の身にとって、それも昼までには九度山の駅に戻らなければとの時間制約も兼ね合わせれば、無理難題、とてもかなわん夢ではあった。

朝5時までに宿を出たが、行程の四分の一ほど登った六本杉で折り返した。それでも、晴れ渡った朝、道沿いの春の花を愛で、展望台からは、紀ノ川の向こうに昨日まで登った ダイヤモンドトレールを遠望できたし、行く手の高野山の山影も拝ませてもらったので、有難し、ありがたし、ありがとうという心持で愉快に下ることができた。

が、実のところ、空海さんのことをほとんど学ばずして、この山に登るべきではないのではという自制のこころも働いていた。他力という考えでいうと、高野山の仏さまに追い返されたといってもいい。まだ、まだ早いと。

何ゆえ、あんな高いところに、真田父子も根を上げるような寒いところに数多くの堂宇を建てて、暮らしたのかさえ、分かっていない。考えてもみよ、重機も車両もヘリコプターもチェンソーもない時代、深山に道を開いて、木を切って建材にしてその道から運び入れ、木や草を刈って敷地を作り、名高い棟梁と人夫を集めて寺や宿坊をこさえ、仏像や曼荼羅画を設え、何度も遭難の危機を乗り越え中国から持ってきた漢字ばかりの難しい書物を集めて、訳も分からない念仏を日夜唱え、ただひたすら国家と民衆の安寧を祈った僧たちのこころ、というものが何一つ分かっていない。

まだ、まだ、早いと跳ね返されて帰ってきたような「安易な計画」ではあった。

空海さんを学んでから、町石道を完踏し、奥の院まで辿り、宿坊に泊まり、写経や観仏し、最高峰の揚柳山から弁天山も踏んで山を自力で下る、二泊三日ぐらいの余裕を持って、今度は挑もう。

 

 

 町石道は、女人高野山の慈尊院から登る。

 

展望台からダイヤモンドトレール。右奥が金剛山

 高野山、最高峰の揚柳山、右の谷間に奥の院があるという

 

 

慈尊院の観音様と紅梅

 凍えていた野の草

ふきのとうに彩られた卒塔婆石、一町(109m)ごとに建てられていた

道端でであった ショウジョウバカマ

  

 

 タチツボスミレの仲間かな

 

 町石道案内、読んで歩いた気持ちになりましょう

http://choishimichi.com/choishimichi06.html

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ダイヤモンドトレールの二日間で己を知る

2018-03-25 15:35:23 | 日記

お彼岸の四日間、関西で遊んできた。1日目は、移動とモンベル店での買い物で終わる。飛行機にガスカートリッジを持ち込めないから、着いたら近くの山道具店などで購入することにしている。大阪で知ってる山の店は、大阪駅近くモンベルだけなので、奈良の宿には遠回りと思うが、地図などの購入にあわせ確実なそちらに行く。

かつて、南アルプスに羽田から直行したとき、登山基地や尾根上にある山小屋でガスカートリッジが置いてあると高を括っていたところ、売っていないので、下山する登山者にいちいち声を掛けて「余っていたカートリッジ」を譲ってもらった恥ずかしい経験があり、その時から街でしっかり購入しておかねばと学習する。東京駅なら、大丸にあるICI石井など。

ダイヤモンドトレール、主峰金剛山の「金剛石」にちなんで、奈良の屯鶴峰から日本三百名山の大和葛城山と二百名山の金剛山を経て、大阪の槇尾山まで辿る45kのロングトレール。京都1周。六甲山縦走とならび、いまどき関西のトレランのメッカとなっている。

六甲山と京都1周は、すでにトレールしているので、未体験ゾーンの山域に、今年のお彼岸を利用して入り込む。当初、登山基地の駐車場にテントを張ってスタートする予定だったが、寒冷前線通過の雨もよいだったため、4000円の旅館に宿を取る。78歳の女主人がひとりで切り盛りするこぎれいな宿。二階から、「寅さん」が声を掛けてきそうな古い宿。

翌日、未明の当麻寺駅を、ダイヤモンドトレールの起点にする。二上山はすでに何年か前に登って、下山に当麻寺を詣でたことがあるから、今回は、はしょって平石峠というところから実質コースに入る。二日目も、バス時刻の関係で滝畑ダムで終えているので、最後も少しはしょった。全体で、40k程度か。

1日目、小雨のち曇り、当麻寺~平石峠~大和葛城山~金剛山~ちはや園地テント泊、行動時間12時間。

2日目、晴れ時々曇り、朝氷点下3度、 ちはや園地~紀美峠~岩湧山~滝畑ダム、行動時間10時間

3年ぶりとなるテントを背負っての22時間は、「応えた」。いかに、重い荷を負っての山歩きをしていないか。衰えは顕著である。加齢による体力低下と、歩荷(ぼっか)トレーニングを怠っていることの相乗効果によるダメージ。

が、一人だったため、ところどころ立ち止まり息を整えながら、マイペースで歩いた。つくづく「一人はいいな」と感じた二日間。麓に都会が控えているというのに、二日間で出会ったのは6・7人と犬一匹。

ウグイスやシジュウカラといった早春の早鳴き小鳥と風に呼応するヒノキやスギ木立。オイラのお供はこれだけで十分だった。

これじゃ、この夏や秋に予定している1週間程度のテントアルプス山行は、思いやられる、無理かも。とも、暗い心地も潜ませた1日目ではあったが、2日目は、午後4時19分のバスに間に合わせようと、山と高原地図や看板の標準時間に合わせながら「一所懸命」歩んだため、標準に遅れをとることがなく、つつがなく山行を終えた。体が、重荷に慣れてきたのかもしれない。

二日間で「己の立ち位置」を学んだ。この夏や秋は1週間分の食料と燃料を加算しなければならないので、体力強化に励もう。お腹も引っ込めて、体重も落とさないと。石垣島だと、外では場違いで恥ずかしいから、ザックに10k程度のペットボトル(2リットル×5本)を積んで、グレートトラバースやTJARの録画を見ながら階段トレか。

 

 

 

 

          当麻寺の三重塔(国宝)、一番好きな塔だから、ここを起点にしてよかった。

          名も知らぬ古墳(史蹟の丘)には、桜咲いていた

                

 

 

           コースの大半は、ヒノキとスギの木立。暗いが静かでした。とくに雨の1日目。

                      それと、丁寧に整備された丸太の階段。(応えました。)

                      どなたもいない、正午の葛城山頂。風をよけて冷たいおにぎりをほうばる。

          麓に、豆粒のような大和三山が望めた。 数年前、走って登ったな。ちっこいなあ。

          

           古代は、海に浮かぶ島と見えたのかな。「香久山」ではなく「香具山」。「耳成山」は

           万葉集では「耳梨山」とある。

 

 

 

              すぐに、名前が出てこない木の花も芽吹いてきたよ。

              金剛山頂(最高点)の葛木神社に、明るいうちにたどり着けた。二礼二拍一礼。

 

              翌朝は、熊笹の林にほっとする。すぐには、伐採されない証。

          紀美峠からほぼコースタイムどおり歩けた。三合目までの急登、止まってばかりいたが。

 

          岩湧山頂上から、歩いてきたトレールを遠望む。遠いな。辛かったな40k。

             岩湧山に登ってきた黒いワンちゃんと地元の兄貴。

          虐待されていた甲斐犬を 保護して育てているんだとか。いい主人でよかった、「すばる」と呼ばれてい

          たワンちゃん

 

 

            岩湧山から標準1時間40分のコースを1時間10分以内で「駆け下り」、なんとかバスに間に合った。 

          昔のオイラみたいで、ちょぴり自信がついた締めくくり。

 

 

 

                                           

 

 

 

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