かぜねこ花鳥風月館

出会いの花鳥風月を心の中にとじこめる日記

開戦80年目の雨の日に

2021-12-08 19:19:39 | 日記

2021年12月8日、あの軍人・民間人合わせて、日本人300万人以上のヒトビトが命を奪われた太平洋戦争の端緒となった真珠湾奇襲から80年が経つのだという。

今日は、1日中冷たい雨が降っていたので、先週土曜版の朝日新聞で紹介されていた吉村昭さんの「大本営が震えた日」を図書館から借りてきて読み進めていた。

記録文学といえば、眠くなりそうであるが、当時の大本営首脳陣や関係した軍人の胸の鼓動が聞こえるような緊迫した心地に囚われた。吉村さんの力量であろう。

「なぜ、日本人は無謀な開戦に踏み切ったのか」、開戦80周年の節目にNHKがいろいろ特集番組を組んでいるし、当時大本営発表を鵜吞みにして日本人の国威発揚意識に「貢献」した朝日新聞も控えめながら80年前のいくさに紙面を割いている。

もう80年、ではなくたった80年、と思いたい。ロシア×ウクライナ、中国×台湾となにやらきな臭い匂いがしている。

為政者の机上の皮算用による庶民の現場における不条理な不幸という現実は再現してもらいたくない。

稔も安子も、NHK朝ドラのみんなも被害者だ。

   

     


深田日本百名山登頂の思い出    94 石鎚山(いしづちさん・1982米)

クルマを登山口に駐車させて山に登るのは嫌いだった。理由は二つ、同じ道を下って来なければならないこと、下山してすぐにビールが飲めないこと、である。

四国の山にマイカーで出かけたのは、日程的にバスや鉄道でいくのは厳しいと判断したのだろう。

四国最高峰の石鎚山には、南側の面河渓(おもごけい)から登ったのは、剣山との行き来がしやすかったからだろうが、メインの登山コースである登拝道を選ばなかったのは、あの度胸を試されそうなクサリ場の連続を嫌ったからかもしれない。が、今となってはどちらか判断に苦しむ。

でも、結果として、面河渓コースでよかった。深田さんも歩いたということだし、面河渓の原生林は新緑のまっさかりで、あの美しい風景はいまでも消えていないのだから。

     

コメント