かぜねこ花鳥風月館

出会いの花鳥風月を心の中にとじこめる日記

最近仲間入りした道具でご飯を炊いてみる

2021-12-11 11:58:36 | 日記

ダイソーの店頭に並べられていた三合まで炊けるというラージメスティンと表面にこびりつき防止のためフッ素加工された黒メステインが最近仲間入りした。どちらも、百均では高価な税込み1,100円である。また、きのうは一合のご飯を炊いたらおいしいという土鍋が新聞継続購読さまへのプレゼントとして届いた。

ラージメスティンであるが、ソロ登山者にはあまり役立たない大きさなのだが、こないだ復活したコールマンの白ガスストーブの五徳が大きいので、幅の狭い小さなメスティンでは、吹きこぼれが五徳にかかる心配があったため、家での煮炊きにはいいのかなと思って買ってみたら、思った通りしっかり五徳をカバーしてくれた。これで、ためしに二合のご飯を炊いてみたら、沸騰した後、最少の火力にして10分ほどで炊き上がり、おこげもなくオイラ好みの固めのとてもおいしいごはんとなった。ガソリンの瞬発的な火力はさすがだと認識したが、このラージメステイン蓋がしっかりと閉まってくれるので煮こぼれもなく、圧力釜的効果もあると思われ、なかなかなのである。

 

    

それに、ラージメスティンは、幅が広く深さもあるので、専用のスノコを敷いて水をスノコの下まで入れて、レトルトカレーのパックを入れた上に通常の包装米飯のフィルムをはがしたものをのっけてもちゃんと蓋が閉まってくれるので、10分ほどふかせばすぐにカレーが食べられる優れものであることがわかった。袋入りラーメンやマルダイラーメンもすっぽり入り、野菜をいっぱい入れても気にならないので、この新人君いろいろと活躍してくれるのかもしれない。

次に、黒メステイン君だが、これも蓋がすっきりしまってくれて吹きこぼれがなく、ダイソーの固形燃料25gで完璧に一合の自動炊飯ができ、美味しいご飯ができて、ご飯が鍋にくっつくこともなく、洗わずともウエットテッシュでふき取り可能なので、ソロキャンプでは大活躍ししてくれそうだ。これからの、テント泊にはぜひ持っていこう。

 

そして土鍋の方であるが、25gの固形燃料で自動炊飯できるかどうか試してみたが、15分過ぎから少し焦げの匂いがしてきたので、まだ燃焼していたが、20分前には降ろして、20分ほど蒸らした後、蓋を開けてみたがナベ底の中央部分が焦げていて少し炭化していた。降ろすのが遅かったのか、ごはん自体は柔らかくおいしかったので、水不足ということではないのであろう。やはり火力調整ができない固形燃料との相性はよくないみたいなので、土鍋の方は、家庭のガスレンジで沸騰して蓋の穴から湯気が吹きだしたら、最少の火力にして10分程度たくのがよさそうだ。まあ、土鍋の方は山に持っていく道具ではないので、あまり気にすることはないのかもしれない。

 

新入りの仲間のラージ君とブラック君、ラージ君はベースキャンプ型登山や温泉の自炊部で、ブラック君はテント泊トレッキングでと、活躍してくれそう。この冬、さらに各種ストーブ、燃料との相性やレシピを研究し、来春に備えよう。

 


深田日本百名山登頂の思い出   96 祖母山(そぼさん・1756米)

先に記したように、祖母山には阿蘇山・九重山とともに、レンターカーを足として1999年の11月ころに登っている。一番、距離の短い竹田市の神原登山口から往復している。

が、東北に在住するものとして祖母山という名はマイナーで、登る前にこの山の良さを研究したわけでもなかったので、当時は「深田百名山に選定されているから」という理由だけで登ってきたと記憶している。休日だったのか、やけに登山者が多かったのを思い出す。山頂にもおおぜい休んでいたので、大した展望を楽しむわけでもなく、山頂の標識にタッチする程度で折り返したようだった。

それで、何年たっても百名山登頂の中で、祖母山は、オイラの中では影薄い山として存在し続けていた。

2019年4月1日、北帰行の途中、立ち寄った竹田市の岡城址の高台から東に目を向けると他の山域から抜きんでたようなおおらかなピラミダルを描いている山が目に入った。展望案内板が祖母山だと教えてくれた。あんなに形の立派な山であったのか。マイナーなイメージでいた祖母山には申し訳ないという気持ちでいっぱいだった。

2019.4.1岡城址から祖母山

 

 

あらためて深田さんの百名山を読んでみた。そしてあらためて深田さんの山を愛する心根の深さを感じた。

深田さんは、祖母山に登る2年前、九重山から祖母山と傾山(かたむきやま)の山容を眺め、「あれに登らねばならぬ。」と決意している。

そして深田さんの祖母山を評する、以下のくだりがいい。

「たしかに祖母山は一瞥直ちに人を引きつけるという際立った山容ではない。ケレンもなく、奇抜さもない。しかしその滋味はみつめるに従ってじっくりと来る、といった風の山である。こういう山は流行には乗らないが、不易の命を持っている。」と。

深田さんは、1962年、まだ登山者がいない早春の3月を選んで祖母山に登り、1時間も山頂にいて展望を楽しんでおり、翌日には傾山にも登っている。

深田百名山「祖母山」を読み直し、フカダイズムとは、このような山への向き合い方と行動であると、あらためて教えられた。「そんな気持ちで登ったのか、バカモン!」と叱咤を受けた気持ちになった。

 

   

深田さんは、登山の後、岡城址に立って祖母山(右)と傾山(左端)を目を熱くしながら眺めた。

    

 

 

 

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