かぜねこ花鳥風月館

出会いの花鳥風月を心の中にとじこめる日記

2か月半ぶりに走ってみる

2019-05-30 17:32:13 | 日記
さわやかに晴れているので、青葉城まで走ってみる。引っ越す前の3月10日ごろに石垣島で走って以来、じつに80日ぶりだ。大峰、船形山と重い荷を背負ったせいで、やや膝に違和感があったが、問題なし。ゆっくり走って青葉城の坂道も歩かずに登ったが、問題なし。息もさして苦しくはない。トレランをやっていた頃とさしてかわりなし。

からだの重さは、相変わらずだが、重い荷の山歩きを再開したことで、心肺機能が回復して来たものと思われる。

昔のように、毎日、青葉城まで走らないでも、出かけない日は、2日に一回でも走ってみよう。ゆっくりの走りは、体の異常を察知するのに最良の運動である。

まもなく、6月だが、4月に帰還してからまだ1か月ちょとなのに、随分と時が経過したような感覚である。やはり、旅へのときめきと実践は、子供心に帰えらせ、時計の針を遅らせてくれる効果があるようだ。

6月には、みちのく潮風トレイルを再開し、6月中に福島相馬と宮城の気仙沼までは線で結びたい。月末には、富士山山開きのため、一年ぶりに河口湖に出かけるので、スピードハイクで急ごう。(少し、走ってみたいが、カメラ持参なので歩きに徹しよう。)

梅雨の季節となるが、潮風トレイルは、命の危険はないのだから、UV反射の兼用傘を持参して、炎天でも雨でも歩いて進捗しよう。

P900君のバッテリーを変えたら調子がいいので、バードウォッチングをしながら、歩くのも楽しくなってきた。(なので、進捗しないことも。)
北国に帰って、楽しみにしているカッコウやホトトギスをいまだ聞かないが、そろそろだろうか。先週の山でも聞かなかったし、あす、3時頃から耳をそばだててみよう。



青葉城址からは、左の奥が先週登った母ちゃんの山、後白鬚や三峯



この写真では分からんが、七ツ森の奥に故郷の栗駒山が白く輝いている。



この写真でも分からんが、左のビルの奥に、こないだ初登頂した金華山も見えているのだ。




追伸
5/31午前2時半。家の周りでホトトギス鳴いていました。嬉しい。




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2020東京五輪のチケットを申し込んでみる。

2019-05-29 20:20:27 | 日記
すっかり忘れていたオリンピックのチケット予約、じつは、昨日が締め切りだったが、本日まで延長されていたと報道で知って、朝食後、サイトにアクセスしてみる。最初「1時間待ち」の表示で、この手のクリック合戦ではいつも苦い思いをしてきたので、ダメもとで待機を続けていたら、ほんとに、1時間後、チケット購入コーナーに入れた。

まず、ID登録せよとの案内。実は3月に登録を済ませていたのだが、引っ越しのバタバタで、パスワードなどすっかり飛んでしまっていたので、一からやり直し。


時刻は、11時にせまり、焦りもあって、なんか要領がわからないまま、何とか言われるままに進めて、スポーツクライミング男女の決勝と予選、都合4日間の日程分を申し込めた。
抽選に当たれば、このうち、3日分のチケット購入をVISAカードでのクレジットで義務づけされているようだ。(胡散臭い)


まあ、マラソン、トライアスロン、競歩など沿道無料観戦できればよしとするのだが、どれか一種目だけは、参加選手を研究し、彼ら彼女らの鍛え抜かれた肉体を目の当たりにし、ヒトの能力に驚き、あわよくば、日の丸掲揚と君が代斉唱の場に立ち会えれば、思い残すことなく、脱世間という本格的「森の生活」に入ることができるのだろう。


鳥の世界は、そんな、あほくさ社会にソッポを向けるかのように、光のなかをみな必死に真っ直ぐに進んでいる。

今日の広瀬川河畔で、オオヨシキリ、カワウ、チュウサギ、ゴイサギ、モズの飛翔など






























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無人小屋のひとり泊は好きですか?

2019-05-28 21:31:58 | 日記
大峰山の奥駆では、二蔵宿小屋と狼平小屋という無人小屋のお世話になったが、二蔵はひとりだった。
無人小屋の扉を開ける時、
誰もいないので、ほっとする人と、怖い人と、タイプが別れると思うが、オイラは、通常、前者のエゴイストなのであるが、さすがに、二蔵は、なんだか怖かった。

桧などの植林地帯にあり、暗かったこと、周りに不動明王の像や祠があって仏さまたちに監視されてある気配があったこと、やたら窓ガラスが大きく、外から覗かれるという邪智が働いたこと。

などなど、が絡んで、当初はびびったが、慣れてくると次第に恐怖心が鎮まり、ここは、修験
の人々の体を休めるありがたい宿なので、オイラは泊めていただく旅人にすぎない、ありがたや。と、安堵し、眠りについた。

小屋には、内鍵があり施錠できるのであるが、当初は怖いから掛けようという誘惑もあったが、旅人に開かれた万人の門戸、決して閉ざしてはならん、と言い聞かせた。

アルコールの世話にならずとも、達観して眠られる、そういう世代になりつつある。

年金登山家にとって、今後どれくらいの無人小屋のお世話になるのだろう!


南無神変大菩薩‼️(役行者さま)






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テント持参で四泊五日、飯豊と朝日も歩こう。

2019-05-27 17:13:04 | 日記
晴れ上がった船形山の山頂からは、月山の東隣に朝日連峰、その左奥に飯豊連峰が確認できた。いまだ、真っ白な雪を頂いていた。
東北アルプスと称される奥深く長大な山陵。

朝日を歩いたのは、主脈縦走が学生時代だから40年以上前になるか。大朝日の雪渓にトマトジュースを冷やしておいたのが、探せなくなり、悄然としたことを鮮明に覚えている。(このころは、ビールではなく、可愛い。)以東岳下りで、樹から落ちてきたと思われる巨大な蛭が首にまといつき、手のひら大に膨らんでいたのを悲鳴をあげてつかみ捨てたのを、こないだのように覚えている。
その後、小朝日から大朝日周遊、障子ケ岳と祝瓶岳にそれぞれ1回、もう10年以上歩いていないな。

飯豊は、高校の合宿で、石転大雪渓からつめて北股、大日、飯豊を歩いて川入に、南下したのがはじめて、生まれてはじめての森林限界超え、花と残雪の天上の楽園というものを垣間見させて頂いた原点の山。

しかし、その後、僅か縦走1回と杁差岳にしか登っていない。

飯豊と朝日、同じ、東北で愛すべき山域でありながら、遅くまで雪があり、アプローチの遠さから、サラリーマンのソロトレッカーには、なかなか足が向かなかった。

船形山頂から、そんな旧恋の山並みを眺めていたら、何だか無性に引かれ「よし!この夏いこうぜ」と気合いが入った。
昨年の北アルプスとこないだの大峰の経験から、テント持参では、四泊五日が今の体力の限界。

夏の飯豊と朝日なら、ピッタリと、その意に叶う。今年の夏は、白馬周囲徘徊と決めているが、合わせて10日ぐらいは、飯豊と朝日捧げよう。18キップのお世話にもなりながら。

朝日と



飯豊




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船形山頂に星撮りをもくろんだが

2019-05-26 02:38:37 | 日記
好天予報が続いていたので、山形との県境に位置する船形山(1500m)山頂の避難小屋に泊まって星撮影をしてこようとバス基地泉ケ岳から一眼レフ、交換レンズ、三脚をザックで担いでみたが、重い。小屋には水がないので、途中の水源で2リットルの水を汲んでザックに詰め込むと、さらに重い。
ゆっくり、ゆっくり歩いて標準タイム7、8時間のコースを10時間かけて、夕暮れ間近に到着。
夕日に月山、蔵王、鳥海などの山影が浮かび、夜も晴れが予想されたが、南西の風が強く、唯一風の当たらない小屋の北側に三脚を立て、東側の夜空を撮影しようとしたが、にわかに雲が現れ、企画倒れとなった。仙台方向の光が強すぎ、雲に光が反射し、星もほとんど目立たず。雲の切れるのを待ちたかったが、強風と寒さのため小屋に撤退。


小屋は、オイラだけ。アルコールを持参しなかったが、誰かが置いていった宮崎焼酎があり、嗅いでみたら、飲めそうなのでお湯割りにしていただく。ありがたや。寒さで土間に仰向けになり仮死状態のハエを見つめていたら、時たま足を動かして、生きようと必死。山頂小屋の生き物は、オイラとハエだけであり、妙に愛おしくもなる。ちなみに、朝になってハエのいた場所を見ると、いなっかった。

翌日は全くの晴れ。母ちゃんの山後白鬚(1420m)の山頂に憩い、8時間かけて、定義さんに下り、例の通り、あつあつの三角あぶらげ二枚を缶ビール、ワンカップでいただく。

無駄に重かった撮影機材のことも忘れている。


夕暮れの月山


南に蔵王連峰


後白鬚

船形

船形山頂避難小屋


定義さんから後白鬚ビュースポット、もう雪はなく、青葉旺盛。やはり5月上旬が、ベストか。
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