かぜねこ花鳥風月館

出会いの花鳥風月を心の中にとじこめる日記

灼熱の真夏にバッハを聴いて涼む

2023-07-30 20:19:34 | 日記

どうして若かりしときから真夏にバッハが聴きたくなるのであろう。

まあ、厳冬にも聴きたくなるのだが、こういった季節の極端の位置に立つとどうしてもわが耳奥がバッハを求める。

それにしても、暴力的な日盛りだ。この太陽光は、かつて初めての沖縄滞在地となった宮古島で経験している。

太陽の光が「痛い!」と感じた。

あの時の肌感覚が今の仙台やきのう立ち寄った盛岡の街の太陽にも感じた。

デジャブなのだが、35度の高温は.宮古島でもほとんど経験していない。だから、いまの東北の夏は宮古島を越えて暴力的なのだ。

だが、昨日の盛岡行きはこうした暴力を徹底して回避した。

朝の気温がさほど上がらぬうちに冷房のガンガン効いたバスに乗って仙台駅へ行った。

みどりの窓口で「18キップ」を12,050円で買い求めた。

在来線を乗り継いで3時間30分かけて盛岡まで行った。さすが半ズボン姿はちょっと寒いと感じたが、日の当たる席に座ってなんとか「寒さ」をしのいだ。

盛岡駅の地下食堂で冷麺の一番辛いのを注文して、冷房で冷えた体を熱くさせよう試みたが、さほど辛くなく、汗ばむことはなかった。

駅から暴力的な太陽の攻撃を受けたが三分ほどで「盛岡市民文化ホール」のあるビルへ入る。

そこの小ホールでバッハ弾きのレジェンド小林道夫さんのチェンバロ演奏でバッハの「ゴールドベルク変奏曲」コンサートを2時間ばかり堪能する。

演奏前に調律される小林さんの弾くチェンバロと小ホールに設置されたパイプオルガン

 

 

小林さんは1933年生まれの御年90歳。あのバッハ弾きの鬼才で昨年没後40年を迎えていたグレングールドが1932年生まれだから、グールドより1歳しか違わなかったのだ。

オイラが若かりしとき日本の演奏家のバッハ弾きの第一人者は小林さんだったが、「グールド時代のヒト」と認識していたので、失礼だがまだご存命で現役だとは、この演奏会の情報を耳にするまで知らなかった。

だが、演奏を聴いて、90歳で小林さんが、こんなにも元気にチェンバロが弾けているとは思わなかった。小林さんすみません。ゆっくりと丁寧な美しいチェンバロの音、バッハの調べにもう夏の暑さを忘れ聴き入りました。

終わって、また3時間30分の在来線、冷房の効いたバスを乗り継ぎ家に戻り、シャワーを浴びる。

こうしてオイラは、7月最後の土曜日、この夏の太陽の暴力をしのいだ。

帰りの電車で、オイラはYoutubを起動させ、小林さんがアンコールで弾いたバッハのシンフォニア5番をさまざまな演奏家で聴いた。

やはり、グールドの演奏には格別な余韻を感じた。

だが、どなたの演奏でも素敵だが、「夏はバッハだ!」とまるで枝豆やトウキビを戴くように、バッハをつまみに電車内で缶チューハイをこっそり飲んで過ごした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ますむらひろし「グスコーブドリの伝記」を開いて梅雨明ける

2023-07-22 18:35:44 | 日記

関東甲信・東北の梅雨が明けたとみられるとの報せ。

確かに、今後1週間晴れマークが続いている。例年とあまり変わらない宣言日なのだが、今年は梅雨前線と思われる長い前線が日本列島の南にまだ長く伸びていて、九州地方だけが未だ梅雨明け宣言が下されないのが何かしら奇異な感じがする。異常気象の一環なのだろうか。

「銀河鉄道の夜」の二冊に続いて、ますむらひろしさんの「賢治に一番近いシリーズ」(朝日ソノラマ)から、残りの

「グスコーブドリの伝記」

「風の又三郎」

「雪渡り・十力の金剛石」

「猫の事務所・どんぐりと山猫」

を一気に借りてきた。例のとおり文庫版のテクストと読み比べしながら、ますむらワールドを楽しむこととする。ただ、ますむらさんの作品のセリフは、ほぼ原文どおりであるのであまり読み比べる必要がないのかもしれない。

まずは、「グスコーブドリの伝記」だが、こちらも先駆形といわれる「ペンネンネンネン・ネネムの伝記」や「グスコンブドリの伝記」があるので、それらのテクストをちらちら眺めながらブドリのますむらワールドに飛び込もう。

この作品は、昭和7年に「児童文学」という専門誌に投稿・発表されたというから完結版であり、「死」を意識し始めた晩年の賢治さんの公への遺言書のような作品になっていて、手帳に記された「雨ニモ負ケズ」や絶筆となった下記の二つの短歌に相通じる内容となっている。

 

 方十里稗貫のみかも 稲熟れてみ祭三日 そらはれわたる

(花巻地方の豊作を祝う鳥谷ヶ崎の祭典が行われ空が晴れわたり清々しい、の意か)

 病(いたつき)のゆゑにもくちんいのちなり みのりに棄てばうれしからまし

(私の命も病でまもなく終わろうとしているが 人びとの豊作の歓びを願い力を尽くしたのであるから、かなしいのではなくうれしいのだ、の意か)

 

 

「グスコーブドリの伝記」は、第一章の「森」の序盤で人々の「ほんとうの幸い」という姿が示されているような気がする。

①ブドリはイーハトーブ大きな森で生まれた②父も母も健康で、木こりの父や家族は森の恩恵により飢えることなく楽しく暮らしている。③ブドリと妹のネリは毎日森で遊んで、鳥や花たちと交歓し歌うように過ごしている。

この①~③までの幸福感は、家族が元気であり、自然の恵みをうけながら、自然の生き物と共生できているという私たちの誰でもがもっている縄文人のDNA(幼少期の幸福感)からやってくる感覚なのであろうか。たしかに、オイラも貧しくともそんな遠い幼少時代を思い出すとあのときがいちばん幸福だったといえる。

この物語は、繰り返し発生する冷害をはじめとする自然災害により上のような幸福が失われる危機を、火山局に象徴される「科学の力」や、最終的にはブドリの「犠牲的精神」により救おうという物語なのであるが、物語の結びで

「そしてちょうど このお話のはじまりのようになる筈の たくさんのブドリのお父さんやお母さんは たくさんのブドリとネリといっしょに その冬を暖かいたべものと 明るい薪で 楽しく暮らすことができたのでした」

と語っていることから、やはり賢治さんの幸福感は、①~③の「自然からのゆるぎない豊かな恩恵を受けるヒトの営み」だっただろう。

ただこの物語で気になるのは、当時の自然科学の考え方の現われなのか、人為によって火山を引き起こし、炭酸瓦斯(今話題の地球温暖化の原因とされる二酸化炭素)を大気に放出し地球を暖めて冷害を防いだことだ。確かに、火山ガスが温暖化の一因にもなっているのだろうが、現代では悪い冗談かもしれない。ファンタジーとして受けとめよう。

そういえば最近は冷夏や冷害という言葉を聞かなくなったが、没後90年、賢治さんが現代に生きていれば今の温暖化やこれを原因とするさまざまな災害にどんなファンタジーを紡ぐのだろう。

 

ますむらさんのブドリを拝読して、一番気に入った絵がある。第七「雲の海」で火山局が火山のガスを人工的に操作して窒素肥料や雨をイーハトーブの沼ばたけ(水田)に降らせて、オリザ(米)の収穫を増やそうとした時、農民たちの喜ぶ姿を想像したブドリが、イーハトーブ火山(たぶん岩手山)山上で眼下の雲海と雲に浮かぶ月を眺めながら「ブドリはもうじぶんが誰なのか 何をしているのが忘れてしまって ただぼんやりそれをみつめていました」という忘我のシーンである。見開き2ページにわたる印象的な絵だ。

農芸化学者として生きた賢治さんが、病床で目を閉じながら思い描いた光景だろうか。ますむらさん、よく絵にしてくれた。

ひさびさに「グスコーブドリの伝記」に接し、もしかしたら、あのブロカニロ博士に「ほんとうの幸福」を探すと誓ったジョバンニの生まれ変わりがブドリなのではないだろうか。と思いはじめた。

 

 

    

 

 

 

 

 

 

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梅雨前線北上中 野草園でニイニイ瞑想

2023-07-14 17:44:49 | 日記

昼からポツリポツリと雨が落ちてきた。西日本や北陸に線状降水帯による人的被害を生じせしめた梅雨前線が週末にかけて北上中である。

この梅雨前線がもっと北に伸び、消失すると梅雨明けである。関東北信はそろそろであろうか。

ニイニイ、カナカナ、ジリジリ(アブラ)に続いてミンミンが鳴きだしたと思ったら、厚い雲が空を覆うとすぐに鳴きやんだ。

雨が降る前に2時間ばかり野草園を歩き、ベンチに腰を掛け、目を瞑りニイニイに聴き入った。曇天であるからこそ日中にカナカナも鳴いている。

ニイニイとカナカナは、まさに瞑想のバックサウンドとして最適。梅雨明けの炎天とともに、ニイニイもカナカナの二重唱もあっという間に地上から途絶えるだろう。はかないのだ。

来週、梅雨明け前の曇天をみて、あのベンチに座ろう。瞑想もいいが、読書もいいな。お弁当もいいな。サーモボトルに氷をいれた緑茶をザックにいれて。

1年で、この季節だけの神様の贈り物。

 

 

 

野草園、この季節の贈り物

 

ユキノシタ科ハンゲショウ

 

ユリ科ヤマユリ

 

ミソハギ科ミソハギ

 

 

ナデシコ科フシグロセンノウ

 

 

バラ科ハマナスの実

 

 

マメ科ネムノキ

 

 

ツツジ科ツルコケモモの実

 

 

キキョウ科ソバナ

 

サルトリイバラ科シオデ

 

 

サルトリイバラ科シオデ

 

キキョウ科キキョウ

 

 

ナデシコ科カワラナデシコ

 

  隠れ身の術   どこかな?  ショウリョウバッタさんか

 

 

 

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ますむらひろし 「銀河鉄道の夜-初期形- ブルカニロ博士篇」を読みながら

2023-07-13 19:51:51 | 日記

日中の外気温は32度を示しているが、窓を開けて、旋回する扇風機の「弱」の風を受けていれば、汗ばむこともなく本を開けられている。

二日前の未明にカナカナを聴き、昨日はジリジリ(アブラ)も聴いたが、まだうるさいほど音を立ててくれない。北国に生まれた彼らには、音を出す適温というものがあって、熱帯夜や猛暑日などの異常な高温は受け入れられず、そのため元気がないのかもしれない。

 

さいわい、市の図書館には、ますむらひろしさんの蔵書が何冊もあって、賢治さん没後50年となる1983年に世に出した「銀河鉄道の夜」(第四次稿をもとにしたもの)と、その2年後に出版した「銀河鉄道の夜-初期形-ブルカニロ博士篇」を借りてきて、文庫のテキスト、初期形(第一次稿・二次稿・三次稿)と第四次稿を読みくらべしながら眼を通している。

テキストの初期形には終わりの方にブルカニロ博士なる学者が現れて、ひとりぼっちとなったジョバンニにさまざまな啓示めいた言葉を発するのだが、現在私たちが「銀河鉄道の夜」として読んでいる第四次稿に博士は登場していない。ここが、初期形と四次稿と決定的に異なるところだ。

また「銀河鉄道の夜」にはどの稿にも天の川のプリオシン海岸に「ボス」というウシの仲間を発掘する地質学者が登場するが、ブルカニロ博士も海岸の地質学者も大学士たる「宮沢賢治」そのもののようだ。なお、プリオシンとは地質年代で新生代>第三紀>新第三紀>鮮新世を言うのであって200万年前から530万年前の年代をいうのだという。農学校の賢治さんや生徒たちが北上川のイギリス海岸で古代ゾウの足跡を見つけて狂喜したその化石類もプリオシン時代のもので、作品のくだりはイギリス海岸から発想されたものだと言っていいのだろう。

 

恥ずかしながら、オイラはますむらさんの作画と絵に添えられたテキストによって、今回初めてブルカニロ博士の言葉をちゃんと読み、それを確認するように文庫のテキストも読んだ。また改めてプリオシン海岸の地質学者の発する言葉もなぞってみて、これら二人の学者の言葉に疑問を感じ、さらに想像力をかきたてられた。

 

気になった台詞と疑問点を以下にメモしておこう。

【プリオシン海岸の地質学者】

ジョバンニ(発掘中の化石に)「標本にするんですか」

学者「いや証明にするんだ」「ぼくらからみるとここは厚い立派な地層で」「百二十万年前にできたという証拠もいろいろあがるけれども」「ぼくらとちがったやつからみても」「やっぱりこんな地層に見えるかどうか」「あるいは風か水やがらんとした空かに見えやしないかということなのだ」

⇒ 地層は、地球時間で堆積しているが、地球時間と異なる時間を生きている異星人がいるとすれば、地層の重なりはまるで水や空気や宇宙を構成する元素のようにしか見えてくれないのだろうか。地球の生滅も一瞬の出来事としかとらえられないのだろうか。あの時代にこんな発想力があった賢治さんには驚きである。

 

【ブルカニロ博士

① ジョバンニ「ぼくはカムパネラといっしょにまっすぐに行こうと思ったんです」

博士「みんながそう考える」「けれどもいっしょに行けない」「そしてみんながカムパネラだ」(中略)「あらゆるひとのいちばんの幸福をさがし」「みんなと一しょに早くそこに行くがいい」「そこでばかりおまえはほんとうに」「カムパネラといっしょにいけるのだ」(中略)「おまえはおまえの切符をしっかりっもっておいで」

⇒ 列車に乗っていると、乗客が同じ時間を生きていると感じることがある。しかし時間の経過とともに降りる人、乗る人がいるので、じつは私以外のすべての人はすべて別人であり、気づいたら見知ったヒトが誰もいないという人生に似ているなと思う時がある。だが、「死んだらみんな神の王国や浄土に行けるから苦悩の人生を捨てよ」という教えはじつは正しい切符ではない。「おまえの切符」とは何か。(法華経が切符と安易に考えてよいかはまだわかっていない)

 

② 博士「おまえは化学をならったろう」「水は酸素と水素からできているということを知っている」「いまはそれをだれだって疑いやしない」「実験して見るとほんとにそうなんだから」(中略)「実験でちゃんと本当の考えとうその考えとを分けてしまえば」「その方法さえきまれば」「もう信仰も」「化学と同じようになる」

⇒ 実験で真偽を証明された信仰とは何か。化学(科学)的真実の追及の先に幸福や安寧が得られる神の国があるということだろうか。少なくとも現代はそうではない。苦悩しない、老いない、病気にならない、新死なない新薬や技術。将来人類はそのような新薬や技術を手に入れられるのだろうか。(たしかに、賢治の時代結核の薬ストレプトマイシンがあれば、賢治もトシももう少し長く生きていたろう)

科学者への道こそ信仰のありようなのだろうか。よく分からない。

 

③ 博士(紀元前二千二百年以来の地理と歴史の辞典を示して)「ぼくたちはぼくたちのからだだって考えだって天の川だって汽車だって歴史だって」「ただそうかんじているのなんだから」

⇒ 結局、今の時代に人類が感じている外界は、今の時代の認識にすぎない。二千年後の人類はこの世界や宇宙をどのように認識し、感じているのだろう。

 

④「さあいいか」「だからお前の実験は」「このきれぎれの考の」「はじめから終りすべてにわたるようでなければいけない」「それがむずかしいことなのだ」「けれどももちろんそのときだけでもいいのだ」

⇒ 地球生成以降の出来事を実証にできれば、この先の人類の生き方が分かるとでもいうことか。賢治さん何を言いたかったの?やはり科学的生き方こそ正しい生き方と言いたかったのかな。

 

⑤「ああごらん」「あすこにプレシオスが見える」「おまえはあのプレシオスの鎖を」「解かなければならない」

⇒ プレシオスは、賢治さんがおうし座のプレアデス星団(昴・すばる)を言い誤ったとされるが、この聖書ヨブ記の「昴の鎖」とされる。賢治さんがこの鎖を解くということを何を言いたかったか不明である。困難な謎を解くということか。「銀河鉄道の夜」の読後感は、登場人物や街の様子と相まって西欧的=キリスト教的雰囲気が漂うが、法華経者の賢治さんが何故このような舞台を設定したのか、「鎖を断ち切る」ことがキリスト教的世界観からの脱却を暗示したものなのか、もっと深く読み込んで、かつ研究者らの研究成果を伺ってみたい。

 

結局、第四次稿をもって、賢治さんは「銀河鉄道の夜」からブロカニロ博士を退場させたが、例のとおり第三次稿までの原稿は残したままでこの世を去った。そのため第三次稿以前で賢治さんが何を考えていたか私たちの目の前にわかるようにしてくれていた。

周知のとおり「銀河鉄道の夜」第四次稿をもってこのファンタジーが完結したのではなく、この作品は未完だ。

「永遠の未完成これ完成である」(農民芸術概論綱要)。

さて、ますむらひろしさんの新たな「銀河鉄道の夜・四次稿編」はどんな世界を見せてくれているのだろう。

1983年版「銀河鉄道の夜」114頁

1985年版「銀河鉄道の夜-初期形-ブルカニロ博士篇」198頁

に対して四分冊約600頁にわたる大作だという。たぶん原文テキストに忠実であろうが、作画が大幅に増えていて、私たちが「銀河鉄道の夜」によせるイメージを大幅に広げてくれているのだろう。本年中にぜひおめにかかりたい。まずは、この秋、原画展観覧のため花巻に行こう。

 

(下記は、オイラが撮ったプリオシン関連とスバルの写真)

 

        

          300万年前のセコイア類の化石(広瀬川)

 

     

           500万年前のハマグリの化石 広瀬川支流

 

 

 

      

               プレアデス(昴・すばる)

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7月7日は「銀河鉄道の夜の日」

2023-07-07 15:39:11 | 日記

宮沢賢治イーハトーブセンターより、漫画家(といっていいのかな)ますむらひろしさんの『銀河鉄道の夜四次稿編』-複製原画展-を花巻の宮沢賢治イーハトーブ館で開催する、との案内が届いた。7月15日から12月27日までと期間が長いので、今年は花巻に行く機会を見つけて立ち寄ってみようと思う。

銀河鉄道の夜」は、賢治さんが終生推敲を重ねてきた未完の作品であって、現在私たちが普段読んでいる作品は、いわゆる「第四次稿」とされるものであって賢治さんがなおも生きていたら、また違った姿で私たちの目の前に現れていたのかもしれない。

ますむらさんは、あのおなじみのネコのキャラクターでこの「銀河鉄道の夜」をおよそ40年前1983年と1985年の2度ばかり漫画化しており、新たに2016年から現在まで「銀河鉄道の夜 四次稿編」の連載を始めてるといい、全4巻600頁もの大作で、この秋にに完結するのだという。

残念ながらオイラは、下記に貼り付けた映画のアニメしかますむらさんの銀河には接していなかったので、イーハトーブ館に立ち寄った際などを機にますむら作品にしっかり向き合おうと思う。

奇しくも今日は7月7日の七夕の日、これを機会にアニメを見ながら銀河鉄道の四次の一通りと一次稿から三次稿の終章部分を読み直した。(といっても、一次、二次は原稿の大半は欠損し終章あたりが残されているのみだが)

あらためて、何と美しく味わい深いファンタジーなのだろう。友情とは、愛とは、幸福とは、生とは、死とは、宇宙とは、時間とは、神とは・・・賢治さんが彼の人生観、宗教観、宇宙観を集大成しようとした意欲溢れた作品であり、言わずもがな四次稿をもって彼の最高傑作と言ってもいいのだろう。

カムパネラとの銀河の旅をカムパネラのお父さんブルカニロ博士の「実験」とした三次稿までの結論とは異なり、宇宙の旅をジョバンニの「夢」と書き直したことで、私たちの夢もさらに広がる。

 

下記に貼り付けた写真は、石垣島で撮影した2019年1月15日のサソリ座、ケンタウルス座、南十字座がともに写り込んでいる一枚であるが、これらはまさ銀河鉄道の終着付近の星たちで、タイタニックの犠牲者をはじめとする銀河鉄道の旅人たちは、ここで降りているし、川でいじめっ子ザネリを救うために死んだというカムパネラは南十字座の石炭袋・コールザック(暗黒星雲)の存在を唯一の生者ジョバンニに教えてから姿を消した。

暗黒星雲が、新たな星々誕生の元になるガスの集合だとすれば、星の生成と消滅はまさにヒトの生と死そして復活(仏教でいう輪廻転生)と重なる。そう、宇宙とはそもそも生滅の繰り返しなのだ。あの「春と修羅」冒頭で賢治さんが自らの現象を「明滅する因果交流電灯」表現したのがそれだろう。

ジョバンニの夢見の日は、街はケンタウルス祭でにぎわい、その祭でカラスウリの灯りを川に流そうとしてザネリとカムパネラが川に落ちた。そして、ザネリを助けたカムパネラが犠牲となったのだ・・

ケンタウルス座は南十字座の小さな十字架をやさしく包み込んでいて、まるで神さまのシンボルたる十字架の守護神であるかのようだ。南の星座を巡ってさまざまな物語が紡がれそうで、「銀河鉄道の夜」が未完であるのは、私たちにそれぞれのファンタジーの完成型を求めているようだ。まさに賢治さんが私たちに残した「書置き」(遺言状ではなく)といっていいだろう。

オイラは、「風の又三郎の日」を9月1日と勝手に制定しているが、今日7月7日・七夕の日を「銀河鉄道の夜の日」と制定し、夏の星の美しい夜は、もっともっとこの作品を読み込んでいこうと思う。

 

 

    

              (2019.1.15 5:57A.M  石垣島宮良海岸)

       

 

ますむらひろしさんの「銀河鉄道の夜」映画 神レトロゲーマニアさんYoutub

 

 

讃美歌320番(映画では306番)主よみもとにちかずかん(サウンドトラック) 加賀谷玲・トピックさんYoutub

 

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