未明、宗教学者正木晃先生の「宮澤賢治はなぜ浄土真宗から法華経信仰に改宗したのか」というテーマのご講義をYoutubeで90分間拝聴。さまざまな、示唆を受ける。
法華経が、現世の生き方も大事にする浄土真宗やキリスト教と近しいものであると述べられながら、決定的に異なるのは、アニミズムへの親近性なのだという。草木の類、石の類、森羅万象に霊魂が宿るという考え方が、阿弥陀信仰の浄土真宗や一神教のキリスト教には、ほとんど見受けられないとのことである。なお、明治以降の近代化で、仏教が抑圧される中で、浄土真宗や法華経は昭和初期まで何とか生き延びてきたが、アニミズムに親近をいだく修験道は、徹底的に抑圧されていたとのことだそうだ。
幼いときから山野を駆け回り、石っこを集め、農学校で専門分野にいそしんで、立派なアニミストたる賢治が法華経に傾いたのは、さもありなんと思うのであるが、このアニミズムにちなんで興味ある事例が紹介されている。
以下、概略。
「あの、那智の滝を目の当たりにして、フランスの作家で、文化相だったアンドレ・マルローは、何でこの滝に神がいるのが分からないと反応したそうだが、日本人は何を感じて、この滝に神が住んでいるというのでしょう。」
「滝のエネルギーに、生命力を感じるからですね。」
「荒々しいは、古代、生ら生らしい、と書いていたそうです。」
「ヨーロッパでは、古来、森や山には悪魔が住んでいると信じていたが、剣岳から昔の仏具などが見つかったことなので分かるように、日本人は古来から森や山に神仏がいるのだと信じていましたよね。」
「仏教だけでなく、神道は、自然を荒ぶる神である荒魂(あらみたま)と平和の神である和魂(にぎみたま)の二面性でとらえています。滝の神様は荒魂の方でしょうね。あの東日本大震災も、荒魂のエネルギーが行き過ぎたもので、自然は、概ね和魂の支配して私たちに平穏をもたらしてますね。」
そうなんだよね。自然は、森も川も、山も海も、和魂の微笑みで、われわれに長い時間(90%以上か)恵みと平和をもたらしてくれるが、荒魂が時に過剰なエネルギーとなって、地震、津波、火山爆発のごとく、われわれに大きな痛手をもたらす。
有史以来、こんなに痛いめにあっても、自然を恨まず、呪わず、敵とも思わず、災害さえも神々の仕業として畏れ、鎮護の祈願を続けてきた日本人には、ある意味で「アニミズムに魅かれる素地」はあったんだなと、いまさらながら思う。
ただし、これは手つかずの自然現象になのであって、ヒトが自然現象に畏れ多くも因果もわきまえず手を加えたもの、一例として原子力発電の災害や、化石燃料使いすぎによる温暖化や森林火災などは、恨んで、憎んで、敵とみなして完全克服の相手方とすべきなのだろう。
星空や滝をみながら、神々を感じていたいな。