かぜねこ花鳥風月館

出会いの花鳥風月を心の中にとじこめる日記

荒魂(あらみたま)と和魂(にぎみたま)

2020-01-30 14:52:17 | 日記

未明、宗教学者正木晃先生の「宮澤賢治はなぜ浄土真宗から法華経信仰に改宗したのか」というテーマのご講義をYoutubeで90分間拝聴。さまざまな、示唆を受ける。

法華経が、現世の生き方も大事にする浄土真宗やキリスト教と近しいものであると述べられながら、決定的に異なるのは、アニミズムへの親近性なのだという。草木の類、石の類、森羅万象に霊魂が宿るという考え方が、阿弥陀信仰の浄土真宗や一神教のキリスト教には、ほとんど見受けられないとのことである。なお、明治以降の近代化で、仏教が抑圧される中で、浄土真宗や法華経は昭和初期まで何とか生き延びてきたが、アニミズムに親近をいだく修験道は、徹底的に抑圧されていたとのことだそうだ。

幼いときから山野を駆け回り、石っこを集め、農学校で専門分野にいそしんで、立派なアニミストたる賢治が法華経に傾いたのは、さもありなんと思うのであるが、このアニミズムにちなんで興味ある事例が紹介されている。

 

以下、概略。


「あの、那智の滝を目の当たりにして、フランスの作家で、文化相だったアンドレ・マルローは、何でこの滝に神がいるのが分からないと反応したそうだが、日本人は何を感じて、この滝に神が住んでいるというのでしょう。」

「滝のエネルギーに、生命力を感じるからですね。」

「荒々しいは、古代、生ら生らしい、と書いていたそうです。」

「ヨーロッパでは、古来、森や山には悪魔が住んでいると信じていたが、剣岳から昔の仏具などが見つかったことなので分かるように、日本人は古来から森や山に神仏がいるのだと信じていましたよね。」

「仏教だけでなく、神道は、自然を荒ぶる神である荒魂(あらみたま)と平和の神である和魂(にぎみたま)の二面性でとらえています。滝の神様は荒魂の方でしょうね。あの東日本大震災も、荒魂のエネルギーが行き過ぎたもので、自然は、概ね和魂の支配して私たちに平穏をもたらしてますね。」


そうなんだよね。自然は、森も川も、山も海も、和魂の微笑みで、われわれに長い時間(90%以上か)恵みと平和をもたらしてくれるが、荒魂が時に過剰なエネルギーとなって、地震、津波、火山爆発のごとく、われわれに大きな痛手をもたらす。

有史以来、こんなに痛いめにあっても、自然を恨まず、呪わず、敵とも思わず、災害さえも神々の仕業として畏れ、鎮護の祈願を続けてきた日本人には、ある意味で「アニミズムに魅かれる素地」はあったんだなと、いまさらながら思う。

ただし、これは手つかずの自然現象になのであって、ヒトが自然現象に畏れ多くも因果もわきまえず手を加えたもの、一例として原子力発電の災害や、化石燃料使いすぎによる温暖化や森林火災などは、恨んで、憎んで、敵とみなして完全克服の相手方とすべきなのだろう。

 

Wikipedia

 

星空や滝をみながら、神々を感じていたいな。

 

 

 

 

 

 

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星にまつわる物語

2020-01-27 15:05:00 | 日記

このところ、ずうっと賢治のフォローが続いているし、2019年1月の石垣島での星たちを回想することも続いている。そのことが、賢治というシンフォニーの終楽章ともいえる「銀河鉄道の夜」につながり、青風さんの「睡眠用」とされる、心地よい朗読のお声を聴きながら、夢見心地で、その銀河のお祭りという一夜だけの物語を反芻している。

今日は、賢治の「経埋ムベキ山」32座をつなぐと美しい星座になるとの「星座説」を説いた故畑山博さんの「美しき死の日のために 宮沢賢治の死生観」(Gakken)を借りてきて読んでいるが、流し読みの段階だが、本作品第六章「銀河鉄道の夜」の項で、以下の記述があり、なるほどなと思った。


死後の世界を考えるとき、人びとはまず宗教と思ってしまいます。でもその他に、哲学、科学という方法があります。その他に、もう一つ「物語」という方法があることを、うっかり人は忘れがちです。「宗教は信じないけれど、死んだら天の星になる。お母さんも死んで星になったのだから、私も並んで星になる。」物語というのは、たとえばそんなふうに思って、ずっと信じていくことです。

(中略)

賢治の『銀河鉄道の夜』はそうした物語の中の大きなものだと思えばいいのです。


畑山さんは、賢治は、晩年(妹トシの死以降)には、宗教よりも物語により死生観を構築したと力説し、終生のバックボーンといわれる宗教=日蓮宗(法華経)は、賢治を完全には救済はしなかったと、ここでは考えている。畑山さんのお考え、今後あれこれ彼の著作を読んで、解明していこう。

ただ、オイラにとっても、この歳になって、解読さえも困難な経典や宗教書、そして100人いれば100とおりの難解な哲学書に安住の場所を見出そうとは思わないし、科学の進歩を思うと、不安こそ募れ、決して安息の地を得られそうもない。だとすると、オイラも、物語派かな、物語によって「死後の世界」というより「晩年のこころを落ち着かせる術」を見出していくしかなさそうだ。オイラも、このところ、生き物は月や星から生まれ、月や星に帰っていくという物語に取り込まれている節があり、それで、賢治に惹きつけられているのかもしれない。もしかしたら、畑山さんの、いい読者にもなるのかもしれない。

 

2019年1月15日の、石垣島の南の空の夜明け前の1枚の写真を見る。

① サザンクロスに落ちていく流星

② 水平線を行く赤や青の船の灯り

③ さそり座の赤いアンタレス

④ サソリに寄り添うビーナスとジュピター

⑤ 数知れぬ大小、明暗の恒星たち

⑥ 海岸の潮だまりに映る星影

⑦ 流れ行く雲と環礁の静かな波音

これだけの素材でも、銀河鉄道とは異なる物語がぎっしりと詰まっていそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

大好きなラヴェルの「マ・メール・ロア」(マザーグースを題材にしたバレー音楽)で真央ちゃんが滑っていた。星空の物語の素材ともなろう。

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銀河鉄道ステーション入り口にある天気輪の柱のこと

2020-01-26 07:30:16 | 日記

またまた、1年前の話。2019年1月25日の朝6時ごろ、石垣島アパート三階のベランダから撮影した東の空に、わし座のアルタイルが見えたことに感激している。1月中に、全一等星21の撮影に取り組んで、アルタイルが最後の星だったからである。

撮影したのは、朝6時29分、当日の夜明け1時間前ということで、東空がどんどん明るくなって星が消えていく状況の中で、スレスレセーフだった。1年後に、当時の写真を見て、あらためて当時の歓びがよみがえった。あらためて、写真を取り出して、ささやかな幸福をかみしめたい。

国立天文台「今日のほしぞら」石垣島2019.1.25午前7時 もう明るい。

 

 

 

あらためて星図を引いて、アルタイルであることを確認。

 

昨年来、宮沢賢治にはまり、関連する書籍や動画などを毎日のようになぞっているが、昨日、Youtubeで青風マヲさんの素晴らしい朗読動画「銀河鉄道の夜」を楽しんでいたら、【5.天気輪の柱(てんきりんのはしら) 】で止まった。

「ええと、てんきりんって何だっけ てんきりん、てんきりん」。天気輪が、賢治の造語であって、現実の固有名詞でないことは知っていたが、これほど国民的ファンタジーの地位を占めた作品であることから、すでに研究者により解明され、意味するところが定説としてゆるぎないものと思っていた。ところが、原子朗著「定本宮澤賢治語彙辞典」2013年初版(筑摩書房)を引いたら、驚いたことに「諸説紛々」だった。

① 仏教の五輪塔(有力説)

② 極地の太陽柱(根本順吉説)

③ 法華経による宝塔賛美(斎藤文一説)

④ 人間の死に至る回路のシンボル(別役実説)

等々。

「そうか、ならもっと自由にイメージしても、だれにもとやかく言われないんだよね。」という気持ちになっていたところ、今読ませていただいている「宮沢賢治 イーハトヴ自然館」の(異稿 童話『ポランの広場』)の「天の川がXという字にぼんやり白くかかっていた・・」というくだり、が閃いた。天の川に交錯するXについて、写真の解説では、それが日没に西の空に現れることがある黄道光(こうどうこう)という光の柱であるとのことであった。

北から南に流れる天の川には、西から黄道光が天頂に伸びていけば、到達することができる。別役説の回路のイメージだ。

それと、年末に展覧会で観たゴッホ晩年の「糸杉のある風景」の糸杉(サイプレス)。あの絵画の説明でも、糸杉のシンボルとするところはイメージしていたが、ちょうど、加入したばかりの「宮沢賢治学会イーハトーブセンター会報 第59号」にSさんという方の投稿エッセイには明確に、ゴッホの「星月夜」は、「ジョバンニが天気輪の丘でみた心象風景と同じ星空だ。」との記載があった。さらに、キリスト文化で、「生命、豊穣、死、死後の生命、不死、復活」の象徴とされるサイプレスが、賢治の心象で「天気輪の柱」と姿を変えたとしている。

そういうことなんだよね、天気輪の柱とは、天文的には黄道光、西洋的風景ではサイプレスをイメージした賢治の心象風景にあるピラー。天気輪の柱とは、「地球(気層)と天空(宇宙)、生と死、今と永遠、現実と夢というステージを自由に行き来できるエレベーターのようなもの」と考えればいいんじゃないか。

さて、そんな何となくのイメージで、青風さんの、Youtube朗読、後半にまいりましょう。

黄道光Wikipedia

青風マヲ さんの朗読作品

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宮沢賢治 イーハトヴ自然館 走り読み

2020-01-25 09:37:16 | 日記

素敵な写真がいっぱい満載されている「宮沢賢治 イーハトヴ自然館」(東京美術)という本を借りてきて、そこに抜粋引用されたたくさんの童話や詩を、スマホに登録されている青空文庫からその作品を引っ張り出して、寝っころんだり、ラジオを聴いたり、トイレにうずくまったりしながら走り読みする。

生きもの、大地、気象、宇宙の写真を眺めながら、BGMのように賢治を読むのか、賢治を読みながら車窓からの風景を虚ろに眺めるように写真を眺めるのか、どちらでもいいような気がするが、賢治を一層深みや高みに連れて行ってくれる。

さらに、そんなことをしながら、シューベルト、ドビュッシー、ラヴェルたちのピアノ、バッハやヘンデルたちの(なんでもいい)小品をYoutubeなどから引っ張り出して、Bluetooth専用卓上スピーカーやイヤホンで聴きいていると、賢治は、さらにきらびやかに響いてくる。

欲すれば、詩や童話の朗読やテロップがゆっくり流され、これにマッチした森羅万象の動画や次々現れる静止画などの映像、併せて静かで美しい音楽が流れてくるような作品が欲しいな。賢治を「最高の高み」に誘ってくれそうな気がする。Youtubeには、すてきな作品がいっぱい公開されているが、写真や動画なら拙いなりにオイラでも集められるので、少し、自分で作ってみようか。音楽は、著作権があるので公開がむつかしいだろうが、大方は自分で楽しむとして、すこし自作してみよう。外食はやめて自炊するようなものだ。

作品のみを読みながら、映像や音楽が脳内を勝手にめぐらせる行為が「文学鑑賞」というものだろうが、宮沢賢治の詩や童話は、前述のような「ながら・BGM族」を笑って許してくれそうな、ふところの深さがあるようだ。そんな不思議さがある。

 

天の川の真っただ中のはくちょう座は、北十字。 銀河鉄道の白鳥停車場の近くの白い十字架と設定されている。(夏油温泉)

 


東京美術 ネイチャー・プロ編集室「編」 宮沢賢治イーハトヴ自然館 掲載作品

 

注文の多い料理店序

童話「鹿踊りのはじまり」

童話「若い木霊」

童話「おきなぐさ」

童話「いてふの実」

童話「朝に就ての童話的構図」

童話「やまなし」

童話「雪渡り」

童話「どんぐりと山猫」

童話「セロ弾きのゴーシュ」

童話「よだかの星」

童話「二十六夜」

童話「なめとこ山の熊」

童話「注文の多い料理店」

童話「祭の晩」

童話「狼森と笊森、盗森」

詩集「春と修羅 第二集」155「暖かく含んだ南の風が」

童話「グスコーブドリの伝記」6.サンムトリ火山

童話「グスコーブドリの伝記」9。カルボナード島

詩集「春と修羅」「溶岩流」

詩ノート 1070「科学に関する流言」

随筆風短編「イギリス海岸」

童話「楢ノ木大学士の野宿」

東北砕石工場関係稿「貴工場に対する献策」

異稿 歌稿 548

詩集「春と修羅」「風景とオルゴール」

短歌 歌稿 575

詩集「春と修羅」「オホーツク挽歌」

詩集「春と修羅」「ノクターン」

童話「銀河鉄道の夜」7.北十字とブリシオン海岸

童話「インドラの網」

童話「銀河鉄道の夜」9.ジョバンニの切符

詩集「春と修羅」「小岩井農場」パート7

詩集「春と修羅第二集」343「暁穹への嫉妬」

詩集「春と修羅第二集」358「峠」

童話「ひかりの素足」

詩集「春と修羅第二集」遺稿「種山と種山ヶ原」パート3

童話「風の又三郎」

童話「風野又三郎」

童話「蛙のゴム靴」

詩集「春と修羅第二集」409「冬」

童話「ガドルフの百合」

童話「マグノリアの木」

童話「十力の金剛石」

詩集「春と修羅」「永訣の朝」

童話「水仙月の四月」

童話「氷と後光」(習作)

童話「チュウリップの幻術」

童話「めくらぶどうと虹」「マリヴロンと少女」

詩ノート1003「ソックスレット」

詩集「春と修羅」序

童話「双子の星」

詩集「春と修羅」「東岩手火山」

遺稿 童話「ポランの広場」

童話「烏の北斗七星」

補遺詩篇「月天子」

童話「土神ときつね」

童話「よだかの星」

童話「シグナルとシグナレス」

詩集「春と修羅」「原体剣舞連」

童話「銀河鉄道の夜」1.午后の授業

童話「銀河鉄道の夜」6.銀河ステーション

童話「銀河鉄道の夜」9.ジョバンニの切符

「農民芸術論綱要」

 

 

銀河鉄道の終点は南十字。北十字と同じ20mレンズで撮ったので、その小ささ(遠さと考えよう)が分かると思う。(石垣島)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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暖冬に寄せて

2020-01-24 08:17:16 | 日記

ほんとうに、暖冬なのだとおもう。広瀬川河畔には、開花し始めたのはイヌノフグリばかりではない、カントウタンポポ、アカツメクサ、チョウセンレンギョウのたぐいが、春の彩りを垣間見せ始めているし、水が温み始め、小魚が浅瀬を行き来するのか、チュウサギくんが川面に待機し始めているし、この前やってきたばかりのホシハジロくんもエサをいっぱいたべたのか、青い水面にのんびりと寛いで、北への旅立ちのことを考えているようだ。青葉山は、どうなっているのだろう。何らかの春の兆しを見せ始めているのかもしれん。もしかしたら、1月だというのにウグイスがやってきているのかも。明日あたり、行ってみよう。全国的にも、菜の花や河津桜の開花が伝えられているし、今年は桜も早いのかもしれない。なにかしら、こころがウキウキソワソワしても来る。

ちっとも路面が凍らないから、しばらく畳まれて眠っていた折り畳み自転車アカンマくんを起こして、整備し、初漕ぎしてみよう。2月末からの四国周遊や雪解け後の賢治を巡るイーハトーブ探訪の友としてアカンマには、もっと活躍してもらわなければならない。

そして何よりも、旅を続けるには体が資本。このところの運動不足からくる腹のダボツキという「不調」の解消のため、朝のジョギングを始めなければならない。重い腰を上げるのだ。

酒を抑え、早起きし、運動し、体を整え、そのようなリズムを回復し、旅に出る。温かくなるということは、そのような向日性を精神に取り戻すことだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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