かぜねこ花鳥風月館

出会いの花鳥風月を心の中にとじこめる日記

さらば彩りの季節

2022-11-30 15:00:27 | 日記

11月の終わり。

愛用していたキヤノン製カメラG3Ⅹくんは、ズーム異常などの不具合があったのでドックに出す。

ひと月ほど時間を要するのだという。

それではと、こないだフィルムカメラやレンズたちを売りに出して得たお金で、気になっていたニコン製カメラクールピクス950くんを注文したが、あいにく品切れで入荷待ちとなった。どうやらコロナ禍や世界的な半導体の不足などの諸要因で、海外生産のニコン製品は在庫ぎれになりつつあるようだ。

しばらくは、コンデジ持参の野外観察はお預けである。次々やってくる冬鳥たちの観察は双眼鏡持参で行おう。

ちょうど森の彩りの季節は終わりを告げようとしている。冬型の高気圧が北日本に張り出してきた。赤や黄のカラフル世界は、まもなく墨絵の世界に移り行くことだろう。

G3Ⅹくんに収まったこの秋最後の映像をみながら彩りの季節を惜しもう。

 

 

   

   ミズナラの茶を帯びた黄

 

   

   ハリギリのレモン色

 

   

   ハウチワカエデの朱を帯びた赤

 

   

   カエデたちの赤、コナラやアオハダたちの黄

 

   

   コナラの茶にくすむ金

 

   

   キタキチョウの黄

 

   

   タカノツメのレモン色

 

   

   燃え盛る森よさらば

 


日本百名山MYSONG   23 会津駒ケ岳

 

【深田百名山を読んで】

日本百名山から抜粋

「私が初めてこの山を親しく望んだのは、尾瀬の燧岳の頂上からであった。北にあたって長い山稜を持った山が見える。一頭地を抜いた俊抜な山の形には見えないが、その尾根の長いおだやかな山容が私を魅惑した。そこで私は会津駒ヶ岳へ向かった。昭和十一年(1936年)六月のことである。

(中略)

頂上は、私が今までに得た多くの頂上の中でも、最もすばらしい一つであった。どちらを向いても山ばかり、その山々を名指すことで一時間は素早く過ぎた。六月半ばの快晴の日、ただ一人この山に在るという幸福感が私を恍惚とさせた。少し有頂天になりすぎたのかもしれない。下山に際していい気持ちで残雪の上を駆け下っていくうちに、登山道に移る接続点を見失ってしまった。」

   ただひとり この山に在るてふ恍惚に 道失いし 会津駒かな

 

【深田日本百名山登頂の思い出抜粋】

「山と渓谷誌本年1月号の会津駒ケ岳の解説を現在の駒の小屋管理人の三橋一弘さんが書いているが、晴天の夜空であれば、駒の池に満天の星が映るのだという。

三脚を担いで、駒の小屋に泊まり、「満天の星が映る池のバックに駒ヶ岳の山影が映っている」写真を撮りに行こうか。中門岳往復の花園コースにも行けていないし。宿題が残る。」

 

 

           

       キンコウカやワタスゲが風にそよぐ8月の会津駒。「またくるよ~!」

 

     

             山頂付近からの駒の小屋と駒ノ池

 

        

         登山者でにぎわっていた駒ノ池のほとり

 

   ワタスゲを 揺らかす風の凪ぐる夜に 銀河映せる 駒ノ池かな 

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気分の浮き沈み

2022-11-28 15:03:32 | 日記

夕べは、ひさびさの「やけ酒家飲み」で目覚めたら毎朝聴いているNHKFM「古楽の楽しみ」や「中学生の基礎英語」の時刻は過ぎていた。

それだけサッカー日本の敗戦は、心を痛くした。

数日前のドイツ戦の勝利で体感した、なにか遠い時代のニホン人と共通するような国民的高揚感が一気に奈落の底に蹴落とされたような気分だ。

こういう気分を、「愛国心」と呼ぶのだろうか。

この高揚感は、もしかしたらマスコミによって煽られたものかもしれない。あの時代と同じように。

ドイツに勝ってから、毎日、「モーニングショー」、「ひるおび」、「ミヤネ屋」などの番組の大騒ぎを見続けたものだから、あたかも町のスポーツバーやパブリックビューイングで歓呼するニホンジンと同調させられたのかもしれない。

その反動は大きく、今朝はニュースやワイドショーは、どの放送局でも「敗戦報道」をやっていたので、見たくもないからすぐにTVを消した。冷静に敗因を分析するという気にはまったくなれない。

すごく落ち込んでいるが、これは報道によってつくられた「にせもの」感覚だと意識して、NHKFM「(かける)クラシック」聞き逃し版を聴きながら、奈落から這い上がろうぜ。

次の日曜は、この番組の公開放送があるので、山形に行こう。蕎麦を食べて、いい湯に入り、いい気になって帰ってこよう。そのころには、もう「森保ジャパン」のこと忘れているだろう。(非国民)

 


日本百名山MYSONG   22 磐梯山

【深田百名山を読んで】

(日本百名山抜粋)

「明治二十一年(1888年)七月十五日の朝、磐梯山は大爆発をした。(中略)爆発箇所は、主峰の北にあった小磐梯山で、その山形は吹っ飛び、溶岩は北に向かった。桧原村の部落はその下に埋没し、死傷五百余人、(中略)山北数理の地は変じて高原となり、川が堰かれて幾つかの湖を生じた。そのため今までに顧みられなかった土地が裏磐梯という名称をもった観光地となり、国立公園に数えられるほど著名になった。(中略)磐梯山は表から見たのと裏側から見たものとは、大変趣が違う。(中略)景色の感覚にも時代の感覚のようなものがあって、シンメトリーよりむしろデフォルメを好む傾向を近代的とすれば、たしかに磐梯山の表よりも裏にそれがある。」

 

村びとは 眠りけるかも みずうみの 底にて夢見 磐梯(いわはし)のゆめ

 

深田日本百名山登頂の思い出から抜粋】

「深田さんが書いているように、磐梯山の山容は、表の猪苗代側から見るのと、明治の大噴火で様相が一変した裏磐梯側から見る磐梯山は、まったく姿かたちが異なっていて、表がシンメトリーで、裏がデフォルメされた磐梯山。

なんたって、地球の力を感じる荒々しさと再生していく森の中を行くデフォルメされた裏側の風景がいいに決まっている。表からのシンメトリーは、たしかに会津富士の名にふさわしい、秀麗なスタイルではあるが、スキー場開発の爪痕が生々しく、鉄道の窓から眺めるたびに心が痛むのはオイラだけだろうか。

新緑の季節か、錦秋の頃合い、いずれ裏磐梯のキャンプ地を転々としたいが、その日数の中の1日、またオイラは弘法清水に立ち寄って冷たい水をゴボゴボといただいてから磐梯山頂にたつのであろう。」

 

     磐梯を過ぎる列車の窓辺より山の哀しみ幻に聴く

 

     

           磐越西線の車窓からの磐梯山を絵画風にアレンジ        

 

        

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「温泉百名山」という生き方

2022-11-26 13:58:52 | 日記

今朝のNHKR1「石丸謙二郎の山カフェ」に「温泉百名山」を上梓した温泉紀行ライターの飯出敏夫さんという方がゲスト出演していた。オイラも大の「山と温泉セット(+ビール)?」好みであるため、飯出さんのやさしそうなお声を聞きながら、飯出さんがどんな百名山を選んだのか気になった。深田さんの百名山とは、50座程度異なる山が選択されているという。まずご本を買って確認すべきだろうが、下記のようにネットに公開されているのでちらりと眺めたら、東北の温泉と山が30も選定されていてうれしかった。

オイラも数えてみたら、半分以上はその湯に浸かり、その山を歩いているが、この老い先、未湯、未踏の山に出かけようかと思っている。飯出さんは、1947年のお生まれとか、オイラよりずっと先輩だ。先輩の今の年齢までには、「温泉百名山」も完湯・完踏できそうである。

また、生き甲斐が増えそうだ。

 

飯出敏夫さんの「温泉百名山」

 


日本百名山MYSONG  21 安達太良山

【深田百名山を読んで】

(日本百名山抜粋)

「二本松から眺めた安達太良山、それを歌った高村光太郎の詩が、この山の名を不朽にした。(中略)

智恵子は東京に空がないという、

ほんとうの空が見たいという。

・・・・・・・・・・・・・

智恵子は遠くを見ながら言うふ。

阿多多羅山の上に

毎日出ている空が

智恵子のほんとの空だと言ふ。

 

そしてこの詩人夫妻が二本松の裏山の崖に腰を下ろして、パノラマのような見晴らしを眺めた時の絶唱「樹下の二人」の一部に、

 

あれが阿多多羅山、

あの光るのが阿武隈川。

・・・・・・・・・・

ここはあなたの生まれたふるさと、

あの小さな白壁の点点があなたのうちの酒蔵。

それでは足をのびのびと投げ出して、

このがらんと晴れ渡った北国の木の香に満ちた空気を吸はう。

・・・・・・・・・・

あれが阿多多羅山、

あの光るのが阿武隈川。

 

この詩と同様「ただ遠い世の松風ばかりが薄みどりに吹き渡っ」ている秋の末、私もその丘へ上ってみた。そしてそこから、ようやく雲の取れた安達太良山を眺めた。それは代赭色に枯れた広い丘陵の起伏の彼方にあった。それは一つの独立峰の形ではなしに、いくつかの峰の連なりの姿で立っていた。(中略)

山へ登る前にその山を望見するのは、登頂を終えて振り返ると同様、心ときめくものである。」

少し長い引用だったが、深田さんのロマンあふれる一面を見る思いだ。オイラは未だその丘に上っていない。また立寄り予定ポイントが増えた。

 

松風の 樹下のふたりの丘寄るや 阿多多羅のそら 青ふかみゆくかも

 

【深田日本百名山登頂の思い出・全文再掲】

安達太良山に最初に登ったのはいつだったか。光太郎さんの「智恵子抄」の「ほんとうの空」が念頭にあったので、昭和50年代初め(1975年ごろ)には、塩沢温泉ルートから登っていると思う。くろがね小屋でもテント泊でも記憶がないから日帰りで登ったのだと思う。

その後90年代に、三脚担いで勢至平ルートからウラジロヨウラクなどの花の写真を撮りに行った記憶。

2000年代に、トレラン練習を兼ねて、東北本線杉田駅から表登山道という長いルートで山頂を目指し、岳温泉に走って下った記憶。

2015年に、安達太良トレイルというイベントに参加し、完走こそできなかったが奥岳~山頂~和尚山~銚子大滝~船明神山~沼尻登山口~胎内岩~笹平~塩沢温泉(ここで制限)と、安達太良の魅力を存分に味わった記憶。

2019年、塩沢温泉ルート経由で初めてくろがね温泉に宿泊し、湯を楽しみ、勢至平のレンゲツツジを撮った記憶。

‥など、走馬灯のように安達太良の記憶が脳内を回転している。

来週には、吾妻小舎のオヤジさんが縦走コースの起点である野地温泉まで浄土平から送ってくれるという。

晴れて、紅葉真っ盛りの安達太良の秋,、2021年の安達太良の記憶をまた脳内チップに埋め込もう。

 

阿多多羅の勢至平の花の名を裏白瓔珞(うらじろようらく)と知りし霧の日

 

 

 

      

            安達太良山頂の空が、ほんとうの空だ。

 

      

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山に持ってこうか サーモマグ

2022-11-24 15:17:16 | 日記

モンベルのふた付きサーモマグカップがお気に入りで、熱いコーヒーも焼酎の氷割にも愛用している。ただ、容量が200mlなので、たとえば、ゴミの軽減化と嵩張りの抑制という観点からカップ麺の容器から中身だけとり山に持っていき、熱い湯を注ぐだけですぐに熱いラーメンを食べられるような、もう少し容量の大きなサーモマグはないかと思案していた。

モンベルにも350mlがあるが、少し細長く、重さが200gと重いので、ほかにないかネットを見ていたら、重さは200gではあるが、サーモスの450mlというのが蓋を合わせても2000円未満で売りに出されていて、これならカップ麺やアルファ米の食器にしてもおかしくないと判断して、一昨日注文したら昨日の午後にはもう届けられた。

サッカーw戦のTVを見ながら、まずこのサーモマグで焼酎の氷入りハイボールを作って飲んだが、蓋があるので氷が溶けにくく、450mなので、酎ハイのロング缶程度もあってなかなかのものであった。

サッカー日本の勝利したころ、小腹がすいたこともあるが、ためしにと山に持っていこうと買っておいたカップ麺から中身を取り出して八割ほどお湯を入れて3分ほど待って食べてみたが、麺が驚くほど柔らかくなっており、スープの濃さも問題なく、食べてる間冷めにくいという「高性能」を体験できた。これなら、油あげ麺ではなく、健康に少しだけよいノンフライ麺も十分柔らかくなりそうで、「調理時間と燃料を節約しながら山で使える」と思った。

ただし、少し重いので、荷物の軽量化にはならんのでテント泊時の持参には躊躇するが、他の食器や食材の軽減で工夫しながら、できれば連れて行きたい。。

山装備軽減の達人たちをネットで拝見すると、カップ麺を中身だけにすると驚くほど小さくなり、アルファ米も中身だけ持っていくヒトがいるので感心したが、ゴミと質量の軽減にこのサーモマグ200gながら貢献してくれそうである。

今夜はこのマグカップでストックしているアルファ米を作ってカレーでもいただこうかな。どんな塩梅か。

しかし、山で食べるカップ麺って、どうしてああもうまいんだろう。スープも全部飲み干せる。家ではねえ。

 

 

     

 

     

     最近は、低糖質、高たんぱく、食物繊維たっぷりという山向きでヘルシーなカップ麺も発売されている。

     

     このあと激辛の唐辛子をいれすぎて、熱くて辛くて、スープの半分捨ててしまった。

 


日本百名山MYSONG  20 吾妻山(あずまさん・2035米)

【日本百名山を読んで】

(深田百名山抜粋)

「一口に吾妻山と呼んでも、これほど茫漠としてつかみどころの山はあるまい。福島と山形の両県にまたがる大きな山群で、人はよく吾妻山に行ってきたというが、それはたいていこの山群のほんの一部にすぎない。

(中略)

この膨大な山群には、渓谷あり、高原あり、湖沼あり、森林あり、しかもこの山群を巡ってあちこちに温泉が湧いている。包含するところの景勝ははなはだ豊富であるが、それを極めつくすのは容易ではない。」

 

茫漠(ぼうばく)といふ言の葉の山群(やまむら)に景勝散り交ふ吾妻の山は

 

【深田日本百名山登頂の思い出から抜粋】

その後、富士登山競争はじめ全国のトレランにチャレンジするようになってからは、高所訓練と早歩きの修行場所として主に奥羽線峠駅を基点に日帰りで、白布温泉方面や福島側の高湯温泉を下山口として何度かたどった。

そんな忙しない歩き方から卒業し(高齢でできなくなったのが本音)、こないだ初めてテントを担いで吾妻を歩いた。オイラの好きな高層湿原と小さな沼が点在する瑞々しいところで、逍遥するには最適な場所。コロナが明けたら、テントは重いし、テン場もないので避難小屋を転々として、春といい夏といい秋といい逍遥したい、家からほど近い茫漠とした山域である。

 

   山小屋を繫ぎて行かむ吾妻やま登山計画ゆるるかにして

 

 

      

              東吾妻山から釜沼方面を望む

 

 

       

             山のスケッチ「一切経山と五色沼」

          *実はヤマケイからいただいた写真をスケッチ風に編集

 

 

 

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レンズのみなさまともお別れ

2022-11-22 12:29:47 | 日記

先週、ドライボックスの中に長いこと眠っていた、フィルムカメラ35m&中判、望遠ズームレンズを専門店に買取を依頼したら、想像以上の買取金額となり、あっという間に買取金額が振り込まれた。ネットと宅配業者の驚くほどのスピード感に戸惑う。

フィルムカメラは、いまだクラシック器機好みの若い女性やハイエンドユーザーなどに需要があるとかで、ちなみに、並品相当として2万円で買い取られた35mのニコンFMチタンが6万円台で、良品相当として5万数千円で買い取られたフジフィルムの69版は9万円台で販売されているのを、別の業者だがネットで確認した。

「買い手があれば、売り手もある」

「捨てる神あれば、拾う神あり」

この20年間ほとんど手に触れることのなかった機材たち、もし、オイラが忽然としてこの世を去るようなことがあれば、何も知らない家の者に「家庭用ごみ」として整理されてしまう可能性もあったのだから、オイラの行為は、彼等の命をすくってやった「善行」なのだろう。と、言い聞かせることにしたい。

小人は、世間から言うとはした金かもしれないが、思いもよらない現金収入気を良くして、ドライボックスを点検したところ、この30年ほどまったく使用していないフィルムカメラ用マニュアルレンズや、この先あまり利用しないと思われるデジタルカメラにも使えるオートフォーカスズームレンズなど7点ばかりが、「値が付く」ことをネットで確認したので、彼等も売りに出すことにした。

ほとんど使用しておらず、長いことドライボックスに入れていたので、キズやカビがほとんどない良品か並品で査定されるのだろうし、またすこしのはした金が手に入れば、野鳥や自然観察に向いた新しいカメラ購入の一助にでもしよう。

それにしても、すべて新品で買ったこれらのレンズたち、オイラにはほとんど役に立ってくれなかったので、いらぬ散財だったし、彼等を使いこなしてやれずに悪いことをした。

この世のどこかに、彼等を拾ってくれる神さまがおられることを祈って、きれいにレンズを掃除してから、一個づつ緩衝材に丁寧に包んで買取専用段ボールに入れて「ありがとう」と言って送り出そう。

残るは、花と星空撮影用のÐ750くんと必要なレンズ数点、野外持ち出し用のコンデジのG3Ⅹくん、とスマホのカメラか。本当に必要なカメラとレンズたちを必要最小限手元に置くことにして、生きていこう。

 

      

 

 

      

       散歩をすれば、トチノキの下はトチの葉の枯れ葉に埋め尽くされていた。

      捨てられた葉っぱは、トチの根元を温め、微小生物たちの糧ともなってくれる。

     「捨てる神あれば、拾う神あり」か・・・

 


日本百名山MYSONG  19 飯豊山

 

【深田百名山を読んで】

(日本百名山から抜粋)

「飯豊という個性的な山名で、私は古くからこの山に心を惹かれていた。しかしそれは大変不便で、普通ではちょっと行けないように印象された。(中略)

東京の登山者たちの間に飯豊がしきりに口にされだしたのは、近年のことである。磐梯朝日国立公園の範囲の中にこの山塊が含まれて以来、急速に開けてきた。諸方から登山路がつけられ、山小屋が建ち、地元の宣伝も加わって、飯豊は魅力のある新天地となった。

その開発に力のあったのは、長年この山に入りびたっている新潟の住人藤島玄さんであろう。玄さんの言によると、日本のどの山もつまらない。飯豊のような山は他にないというのである。

夏の一週間、その玄さんの案内で私は飯豊の全主稜を歩いて、その言に偽りのないことを知った。大きな残雪と豊かなお花畑、尾根は広々として高原を称揚するように楽しく、小さな池がいくつも散在して気持ちのいい幕営地に事欠かない。ことに感服したのは、その主脈の峰々がいずれも堂々と独立して、まるで一城のあるじのように大きく見えたことである。」

 

     玄さんや家族と歩みし一週を楽園とせし飯豊の神々

 

深田百名山登頂の思い出から抜粋】

(前略)

飯豊本山、たしかにどっしりとした風格があり、本山とするに異論はないが、オイラの心の中では「飯豊いいで・いいとよ)と何だか分からない神さまの山よりも、大日如来を祀った大日岳のほうが「オシ」だ。主要稜線から離れ、すっくとそびえる孤高の山を愛す。

(中略)

夏のある日、再び孤高の大日岳の山頂に立って日本海に沈む夕日を眺めていたい。

 いいとよの だいにちほうにひとりざし ひをみおくらむ つきさえゆくまで

 

      

               安達太良の峰から残雪の飯豊連峰を望む

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