かぜねこ花鳥風月館

出会いの花鳥風月を心の中にとじこめる日記

花巻のジオラマ

2020-01-12 14:18:29 | 日記

花巻市の高村光太郎記念館の第二展示室の中央に展示されていたジオラマ。

戦後光太郎が花巻に生活していた当時の様子を再現したものとか。今のJR花巻駅の東脇に花巻電鉄の中央花巻駅があって、そこから西鉛温泉(今の新鉛温泉か)までの鉛線(延長約17k)という馬面電車が走っていた。一方JR駅西側より少し南下したところ、今の花巻消防署あたりに西花巻駅があって花巻温泉までの花巻温泉線(延長約8k)という馬面電車が走っていた。なお、昭和17年ころまでは、現JR釜石線の前進岩手軽便鉄道が、JR花巻駅の東脇を起点とし、花巻城址の敷地内を走って、現在の釜石線似内駅方向に向かっていた。賢治の銀河ステーション白鳥の駅モデル地である。なんと、戦前は、花巻駅付近から4本の路線が走っていたことになり、花巻の賑わいが聴こえてきそうだ。

ジオラマで見ると、空襲にも遭った花巻の戦後の荒廃した風景はなく、駅近くの街の中心部では鳥矢崎神社の祭礼か盆踊りのような様子や野球を楽しむ人や商店街(多分宮沢家もあったか)に買い物する人など、ほのぼのとした街の様子が描かれ、郊外では、里山奥の高村山荘や近くの分教場のようなところで遊ぶ子ら、豊沢川沿いの大沢温泉などの様子が描かれていた。

ここに、オイラが暮らしていたわけではないが、「ああこんな、場所に生きて暮らせていたら楽しかったろうな」と夢見心地になってくる。ちびまる子ちゃんではないが、永遠に子供時代のままで過ごしたくなるような風土。川も森も電車もお店もお祭りも温泉もあって、親も祖父母も、兄弟も友人も街の人もいてくれる原風景のような地方都市。今は、随分と変わってしまったが、花巻とその周辺には、そういう要素がまだ残っていて、宮沢賢治という存在は、DNAを騒がせる、何やらなつかしいこうした風土から生成されたのではないか。

光太郎の智恵子抄の一番最後、昭和27年11月の詩「報告」の最後の三行。戦後花巻の山荘住まいとなった光太郎は、昭和13年に逝った智恵子の幻影といまだ会話を続けており、貧しくも自然のうち暮らしていれば、智恵子が病むことはなかったと悔いていたようだが、そのような暮らしの場所を「清潔なモラルの天地」と表現している。昭和27年、十和田湖の塑像を制作するため東京に戻った光太郎は、制作後、また山荘に帰りたがっていたようだが、実現できずにこの世を去っているのだが、この「清潔なモラルの天地」というのも、都会育ちの光太郎にとってのなつかしの風土だったのではないだろうか。

仕事が出来たらすぐ山へ帰りませう。
あの清潔なモラルの天地で
も一度新鮮無比なあなたに会ひませう。

 

 

高村光太郎連翹委員会ブログ

鉄道歴史地図HP

岩手軽便鉄道(現釜石線)路線

 

 現在の花巻駅 柴又駅には寅さん 花巻駅には賢さん

 

花巻市内の賢治ゆかりの地には賢さんのハットと外套

 

 

 

 

 

 

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4 コメント

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ご記述下さり有り難うございました (高村光太郎連翹忌運営委員会代表)
2020-01-12 18:48:23
光太郎記念館、ジオラマ等につき、ご記述下さり有り難うございました。
また、数日前からのご投稿で、的確に光太郎を評して下さり、重ねて御礼申し上げます。
Unknown (kazenonekomata)
2020-01-13 13:53:27
ご連絡ありがとうございました。花巻時代の光太郎のこと、もっと学んでいこうと思います。
ありがとうございました。 (石井彰英)
2020-01-13 16:32:26
花巻ジオラマ制作者 石井彰英です。拙作を取り上げて下さり本当にありがとうございました。私は東京品川に生まれ育ちました。子供のころ、近所には智恵子が亡くなったゼームズ坂病院があったと微かに記憶しております。
3年ほど前に品川大井町のジオラマを制作した際にゼームズ坂病院も建てました。そんな経緯から高村光太郎連翹忌運営委員会、光太郎記念館から花巻ジオラマの制作を依頼された次第です。私のジオラマは、あまり実物には似ておりません。それよりも楽しい皆さんの遊び場を作れればと願っております。
 このジオラマと並行させてDVDも制作致しました。差し上げられる機会があればと願っております。
 現在、中原中也のジオラマを制作中です。          
Unknown (kazenonekomata)
2020-01-13 18:29:49
花巻人じゃないのに、どうしようもなく懐かし
りました。今後とも、日本の故郷再現に、ご尽力ください。ありがとうございました。

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