かぜねこ花鳥風月館

出会いの花鳥風月を心の中にとじこめる日記

それでも孤独で無骨な生きざまを選択する

2019-12-31 08:48:16 | 日記

 

40年間続けた宮仕えの仕事も一切やめて、初めての年の暮となる。労働日と休日、仕事始めと仕事納めという言葉は、もういらない。これまで当たり前のように組み込まれてきた勤労社会という一つの社会システムから逸脱した眼でみると、正月休みという概念は払拭されており、TVの帰省・渋滞報道やバラエティの年末年始番組が空騒ぎにしか思えない。紅白や箱根駅伝といった恒例番組からも、そろそろおさらばしたい。年賀状も今年からスルーだ。おせちも、酒のあてに、紅白の板わさと伊達巻といったかまぼこがあればよい。TVという社会システムの広告塔に年末年始の作法を押し付けられ、薄っぺらなお笑い芸人たちの飽食やおしゃべり、セレブ気取りの旅番組なんかに付き合わされるのはごめん被る。

しかし、年の暮れや新年の感慨を否定するものではない。宇宙には、天体の運行とそれによる四季がある。農家には、豊年の歓びと五穀豊穣への祈りがある。生者には、齢を重ねる苦悩と煩悩からの解脱、被災者には一陽来復への祈りがある。季節の底で、新たな年の光を希求するのはヒトの本来だ。そのようなヒトの一員として暮れ行く空と明ける空を静かに感じていよう。今日は、あいにくの暴風と山沿いは雨か雪、年が明けたら、雪国の新年行事を訪ね、雪の森を歩いてこよう。

 

新しい年に向けて、気負った抱負というものは何もないが、四国、中国、九州のどこかのお花見輪行、初夏の屋久島、大峰、夏のアルプス、北海道の山行、そしてイーハトブ紀行と、資金と体力の続く限り、今までどおり孤独を愛し、無骨に生きていこう。

 

 

 

 

 

 

 

 

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蕪村の四季を旅する

2019-12-30 05:01:23 | 日記

 家の壁に掛けたカレンダーも12月の1枚を残すだけとなった。この1枚も、あと3日で用済みとなりごみ箱に捨てられる。2019JALカレンダー12月は、与謝蕪村の「松林富岳図」。松林の向こうに真っ白な富士山が、デーンと構えている。松はアカマツなんだろう、三保の松原とか海岸沿いに生える鬱蒼とした松の針葉と幹を異常なほどシンボリックに太く描いており、その右手向こうに富士が、その白さと勾配からして五合目以上の山体を切り取ったのだろう。

 

図書館から、集英社版日本美術絵画全集(昭和55年)「与謝蕪村」という大型の美術本を借りてきて確認したらカレンダーの絵は、原図の右半分だけ。実際は、富士の向かって左にも霞むほどの松林は広がっている。

 

どう見ても、写実にかけ、位置的に見ても、写真家が海上に浮かべた船の上から超望遠レンズで撮影したような絵。地理的には、東から西にそびえる富士を望遠レンズで見ないと、このような構図は生まれない。そんなセットはこの時代許されないから、まさに、蕪村は、心で松林の向こうの富士を見ていることになる。

カレンダーに触発されて、美術全集で彼の描いた絵をみて、晩年を中心にいくつかの作品に心があったまり、ついでに、本棚に眠っていた岩波文庫の蕪村俳句集を取り出して、冬の部、春の部、夏の部、秋の部、と読み進めた。好きな俳句に赤丸をして各季節から10句づつを選んでみたが、まだまだたくさんのお気に入りがあり、手元に置いてじっくりと味わいたい。彼の句も、絵画と同じように、心があったまるのは、蕪村という天才が心でスキャンした日本の四季折々の風景がどうしようもなく懐かしいからなのだろう。

 

「そういえば、」と昔読んだ萩原朔太郎の蕪村論を読みたくて、青空文庫から引っ張り出してきて、冒頭部分を少し読んでみたが、蕪村のポエジイの実態は何かという問いに、魂の故郷に対する「郷愁」だと答えている。

「やっぱり、そうなんだ、」風景を心で通して表現する絵と句、その魂ともいってよい心の奥底にはノスタルジーがあったんだ。朔太郎に言わせれば、時間の遠い彼岸に実在している魂が。

「あれ、どっかで似たような気持ちが、何だっけ。」という問いに、ああ、つい最近見てきたゴッホか。ゴッホの晩年の風景ではないか。フランス印象派や浮世絵の影響を受けた明るい光彩を放つ、ゴッホの風景や花の絵に似たような気持ちを感じるな。

蕪村は、ゴッホや賢治の生きた100年以上前の1784年に没している。モーツァルトの生きていた時代だ。「時間の遠い彼岸」の感覚からすれば、100年という時間は、瞬きのようなものだ。ゴッホ、賢治、蕪村、2019年の暮も押し迫って、オイラの中では、三人が手をつないでいる。2020年、時空を旅しながら彼らに逢いに行こう。

 

 


蕪村 冬の句10選

 

① 炭(すみ)売(うり)に日の暮れかゝる師走(しはす)かな

② 斧入れて香におどろくや冬木立

③ 落葉して遠く成けり臼の音

④ こがらしや何に世わたる家五軒

⑤ 凧(いかのぼり)きのふの空のありどころ

⑥ うづみ火や我かくれ家も雪の中

⑦ いざ雪見容(かたちづくり)す蓑と笠

⑧ 宿かさぬ火影(ほかげ)や雪の家つゞき

⑨ 霜百里舟(しう)中(ちゆう)に我月を領す

⑩ 水仙や寒き都のこゝかしこ

 

蕪村  春の句10選

 

① 二もとの梅に遅速を愛すかな

② 高麗舟のよらで過ゆく霞かな

③ 春雨や小磯の小貝ぬるゝほど

④ 春雨やものがたりゆく蓑と傘

⑤ 畑うつやうごかぬ雲もなくなりぬ

⑥ 遅き日のつもりて遠きむかしかな

⑦ 春の海終日(ひねもす)のたり〱 かな

⑧ にほひある衣も畳まず春の暮

⑨ 菜の花や月は東に日は西に

⑩ 歩き〱 物おもふ春のゆくへかな

 

蕪村 夏の10句選

 

① 衣更野路の人はつか(わずかの古語)に白し 

② 御手討の夫婦なりしを衣更

③ 牡丹散て打かさなりぬ二三片

④ 夏河を越すうれしさよ手に草履

⑤ 花いばら故郷の道に似たる哉

⑥ 愁いつゝ岡にのぼれば花いばら

⑦ さみだれや大河を前に家二軒

⑧ 行々てこゝに行々夏野かな

⑨ 涼しさや鐘をはなるゝかねの声

⑩ ところてん逆しまに銀河三千尺

 

 

蕪村 秋の10句選

 

① 四五人に月落ちかゝるおどり哉

② 白萩を春わかちとるちぎり哉

③ 朝がほや一輪深き渕のいろ

④ もの焚て花火に遠きかゝり舟

⑤ 初汐に追れてのぼる小魚哉

⑥ 月天心貧しき町を通りけり

⑦ 三度啼きて聞えずなりぬ鹿の声

⑧ 門を出れば我も行(ゆく)人(ひと)秋のくれ

⑨ 道のべや手よりこぼれて蕎麦(そばの)花(はな)

⑩ 小鳥来る音うれしさよ板

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「お帰り 寅さん」 涙がにじんで笑っていられない

2019-12-27 17:33:09 | 日記

本日封切りの松竹映画「男はつらいよ お帰り 寅さん」を早速駅前のTOHOシネマで鑑賞す。座席もスクリーンも音響も、立派すぎて隔世の感がするが、初日とはいえ午前の興行なので、広い会場に高齢者中心に30人程度だったかな。大スクリーンなので、空いてるときは、いつものように最後方付近、中央ブロック左端に席を確保。これが落ち着く。

1969年夏の第1作より50年、1995年最終48作「紅の花」より24年。渥美さんも、おいちゃん下条さんも、おばちゃん三崎さんも、タコ社長太宰さんも、この24年の間に逝ってしまった。50年の間には、マドンナでいえば、新珠三千代さん、池内淳子さん、八千草薫さん、太地喜和子さん、京マチ子さん、大原麗子さんがいなくなってしまった。第1作目からのマドンナたちが「トラちゃん」、「トラさん」と囁くときの笑みが一人一人、フィルムのままで目に浮かぶ。

なので、

映画のラストあたりに、そのマドンナたちがすべて、次から次へと登場してくれた暁には、目頭が熱くなって笑ってはいられなくなった。(一番美しいときに、フィルムに残ってくれてありがとう)

倍賞千恵子さんも、前田吟さんも、もちろん若く輝いていたころのフィルもいっぱい出てきたが、親父とおふくろとして元気に、いい「老け方」をしてくれて感激したな。親のやさしさも、あのときのままで、おいちゃん、おばちゃんのいなくなった「とらや」の後継者として、板についていた。

 

でも

何と言っても、満男の吉岡秀隆さんと泉ちゃんの後藤久美子さんが、24年の成熟を感じられて、いい大人になっていたてくれた。国民的美少女として美貌と清新さにみちていたゴクミもスイスに行っちゃって、もうスクリーンには現れないのかと思っていた。映画でもオランダから24年ぶりにやってきたという設定が、何かフィクションなのか現実か分からなくなってしまったが、山田監督の懇願で、この50作のためにわざわざ出演してくれたということで、感謝せざるを得ないが、また成田空港から飛び立っていってしまい、切なくなってしまった。再会したのに、たった3日間で別れを告げた満男に被さってしまい、泣けた。なぜ24年前満男と泉ちゃんは一緒にならなかっんだろう。(映画では、語られない)

で、フィクションに戻ると、

寅さんは、まだどこか旅していることになっている。「とらや」の2階も空けて、寅さんのふとんもたまに干しているし、永遠の伴侶リリー浅丘るり子さんもジャズバーのママでずうっと待っていてくれている。泉ちゃんと再び分かれた満男は、また寅さんに相談したそうな目で、虚空を見つめている。

もう、続編はありえず、寅さんは、このまま永遠に旅をしている。この、50作目で「時間よォ 止まれ!」でいい。山田洋二監督、この作品残してくれてありがとう。山田監督にも、「時間よォ 止まれ!」だ。

 


 

2019年春 北帰行の途次、寅さんのロケ地に立ち寄った。

45作 寅次郎の青春の飫肥城。この階段に寅さんとゴクミと風吹ジュンも立っていたんだ

 

 

19作 寅次郎と殿様 愛媛県大洲城

 

 

19作寅次郎と殿様 予讃線下灘駅のホーム

 

 

 

48作冒頭シーンのロケ地。美作滝尾駅舎。あ、奥に寅さんがいるよ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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賢治とゴッホの縁(えにし)

2019-12-26 11:54:21 | 日記

上野の森美術館で開催されているゴッホ展を青春18きっぷを利用して日帰りで観覧に行く。

午前6時の郡山行始発に乗って、午後11時23分に仙台駅に降り着くまで、ほとんど、電車に揺られていて、上野滞在時間は3時間程度という「強行軍」ではあるが、座りすぎで、やや尻が痛くなった程度で、長時間の在来線車両滞在はちっとも退屈ではない。むしろ、「安らぎのとき」なのだ。

毎日新聞東京本社版土曜日発行のクロスワードパズル、図書館から借りてきた問題集形式の「論理学トレーニング101」などを解きながら、活字に疲れた目を休ませたいときは、乗っては降り、降りては乗ってくる「若い女性」など「地域のヒトビト」を、ちらほら眺めながめる。さらに、車窓から見える西の方向に鮮明に現れ、流れ、消えゆく吾妻、安達太良、那須、日光の白い山々を眺めて、なかなか出てこない山の名前などを思い出していれば、時間はあっという間に過ぎていく。

帰りは帰りで、黒磯駅のNewDayzなどで購入したワンカップなどをたしなんでひと眠りすれば、次の乗換駅にいともたやすくワープできたりして、時間はあっという間に過ぎていく。(東北線は黒磯駅以北だと、何となく首都圏を離れ、ワンカップも気にならない)スマホに録りためていた石丸謙二郎の山カフェやふかわりょうと遠藤真理のきらクラなどをイヤホンで聞いたりするのも、在来線長距離移動の有効手段である。

 

それはさておき、何年ぶりのゴッホなのだろう、国立西洋美術館でやってた時以来だと思い、美術館のHPで調べてみたら1985年の記録があり、その時以来なのではないか。昔と違って、今回は明確な目的意識をもって出かける。それは、ゴッホと宮沢賢治との「重なり合い」を確認すること。

 

 

周知の共通点は、

 

① フィンセント ファン ゴッホ 1853年生まれで1890年(明治23年)没、宮澤賢治 1896年(明治29年)生まれで1933年(昭和8年)没と同じ37歳でこの世を去っている。(ゴッホが、賢治の43年前に生まれて、賢治の生まれる6年前にすでに死んでいるが、日本でいう明治期、二人は、ほぼ同時代を生きている。)

② 二人とも、生きている間は、ほとんど作品が日の目を見なかった。が、死後、爆発的に評価が高まった。

③ 二人とも、(日本の)浮世絵にぞっこんであり、例えば安藤(歌川)広重を鑑賞し、何らかの影響を受けている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8D%E6%89%80%E6%B1%9F%E6%88%B8%E7%99%BE%E6%99%AF

 

④ 本格的な絵を描き始めたハーグ時代を中心に、ゴッホは農民の生活や姿を描くことに集中した。賢治は、言わずもがな、農民の生活と文化向上に「後半生」の人生を費やした。

 

というところか。

もちろん、ゴッホは賢治のことを知らないが、大正時代に、ゴッホは日本でも注目され、雑誌白樺などにもゴッホの絵が紹介されたということで、賢治は、ゴッホの絵、「ひまわり」や「糸杉」をモチーフとしていた作品を見ていた。賢治は、ゴッホを知っていた。賢治はカラーかモノクロかは不明だが、たしかにゴッホの「糸杉」を見ていて、影響を受けたのではないだろうか。。

 

「糸杉」=Cypress(サイプレス)ドイツ語でZypresse(ツィプレッセン)は、日本にはないヨーロッパのセイヨウヒノキともいわれる樹木であるが、賢治の代表詩の「春と修羅」にも何度か登場している。

ZYPRESSEN いよいよ黒く

雲の火ばなは降りそそぐ

 

では、賢治は「糸杉」の何に魅かれ、インスピレーションを得たか。

今回、オイラのゴッホ展覧会で確認したかった目的は、「賢治の詩あるいは心象とゴッホの絵の符合するところはないか」なのであったが、今回の展覧会でよく分かったのだが、ゴッホは1881年~1890年という10年間の画家としての人生のうち、後半の85年のパリ生活からモネらの印象派やスーラらの新印象派に影響を受けて画風がガラッと変わった。光は明るく、風景は生気に満ちている。

専門家でもないのに偉そうなことは言えないが、オイラなりに見立てると、絵の対象=この目で見える世界=光と影、をつぶつぶに分解し、そのつぶつぶらにつながりを持たせること。点描で描かれた糸杉や、空や雲、月の光は、すべて、絵筆によって描かれた点という筆致によってつながっている。しかも、筆致は力強く、迷いがない。晩年の作品数から推して、ものすごいスピードで絵を描いていたのではないか。

ゴッホの場合、最晩年に描かれた「糸杉」の何枚かの絵には、そのつぶつぶが嵐のようなエネルギーとなって絵なのに動画のように流動化している。それを観ているほうは、パワースポットに立ち尽くしたかのような得体のしれないエネルギーを授かる。ゴッホの晩年の絵は、そういうものだ。

と、展覧会で改めて体感した。なお、今になって知ったのだが、ヨーロッパでは「糸杉」は、墓地などに植えられる死と悲しみの象徴とか。ゴッホは、天に向かって突きたててるオベリスクのような聖なるものとみなしていたようだ。ゴッホは糸杉が天に伸び行くのを祈りのような気持ちで眺めていたのではないか。

宮沢賢治というヒトは、白樺に載ったゴッホの「糸杉」絵を見ただけで、画家のエネルギーが自らの霊感に響き合うのを体感したのではないだろうか。科学者の賢治は、この世で見える世界=光と影はすべて元素によって構成されて、つながりを持っていることを知っており、さらに、仏教者としての賢治は、それら、つながりを山川草木悉皆仏、色即是空、空即是色、万象融合のという世界観が現れたものとして、この絵を見ていたのではないだろうか。

彼の詩は、ゴッホ晩年の光と影やエネルギー、そして祈りに重なり合うことが、少しわかった。

展覧会に展示された、一枚の「糸杉」という作品に出会うために、青春18きっぷの1日を、多少の尻の痛みに耐えながら過ごした2019年(令和元年)の暮れ。悔いはない。

 

 

 

 

 

 

 

 

展覧会場の人いきれで汗ばんだ体を冷ますために、不忍池に立ち寄る。仙台にはいまだ姿を見せないユリカモメが、老婆の餌やりに騒いでいた。ギャーギャーとうるさいが、このカモメは可愛いので好きだ。枯れた蓮に埋め尽くされ、池のようではなかった。レンコン、採らないのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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愛らしい野生たち

2019-12-23 10:47:11 | 日記

北海道に生息するシマエナガのかわいらしさが人気であるが、もちろん今まで出会ったことはなく、いつの日かご対面したいと思っている。

 

ライセンスフリーのシマエナガ

 

 

スズメ目エナガ科の仲間は、日本に4種類住んでいるといわれ、本州にいるのは、エナガ科エナガ属のエナガ。

こないだ県北伊豆沼のほとりで、はじめて写真に納まってくれたが、スズメよりちっこくて(尾の長さを入れれば大きいか)数匹の群れを成して枯れ枝の実なんかをついばんでいた。北のシマエナガよりもふもふしていないが、それでも十分に愛くるしい。すこしもじっとしていないが、つぶらな瞳はこの仲間特有のものなのだろう。シマエナガも、エナガも冬に多く見られるのは、越冬のため山から里に下りてくるからなのだろう。この仲間は、非繁殖期は、集団でおしくらまんじゅうのように肩を寄せ合って眠るのだという。目にしてみたいな。

 

 

 

伊豆沼のほとりにて

 

いま、近所にわたってきている水鳥の中でも、可愛い奴らがいる。なかでも、好きなのはキンクロハジロとカワアイサか。水に潜って小魚を餌とする肉食系ではあるが、おつむの後ろの伸びた毛(冠羽)が何ともおしゃれだ。

金色のまあるいおめめが愛らしいキンクロハジロ♂三兄弟

 

 

 

 

この子は美人系のカワアイサ♀

 

オオハクチョウの家族も30羽ほど来ているが、灰色の幼鳥だってかわいい。ちょつとみんなから餌をもらって餌付け状態になっているのが心配ではあるが、野生の食べ物をしっかり食べて元気に育ってほしいな。

 

この仲間は、いつも微笑んでいるような

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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