上野の森美術館で開催されているゴッホ展を青春18きっぷを利用して日帰りで観覧に行く。
午前6時の郡山行始発に乗って、午後11時23分に仙台駅に降り着くまで、ほとんど、電車に揺られていて、上野滞在時間は3時間程度という「強行軍」ではあるが、座りすぎで、やや尻が痛くなった程度で、長時間の在来線車両滞在はちっとも退屈ではない。むしろ、「安らぎのとき」なのだ。
毎日新聞東京本社版土曜日発行のクロスワードパズル、図書館から借りてきた問題集形式の「論理学トレーニング101」などを解きながら、活字に疲れた目を休ませたいときは、乗っては降り、降りては乗ってくる「若い女性」など「地域のヒトビト」を、ちらほら眺めながめる。さらに、車窓から見える西の方向に鮮明に現れ、流れ、消えゆく吾妻、安達太良、那須、日光の白い山々を眺めて、なかなか出てこない山の名前などを思い出していれば、時間はあっという間に過ぎていく。
帰りは帰りで、黒磯駅のNewDayzなどで購入したワンカップなどをたしなんでひと眠りすれば、次の乗換駅にいともたやすくワープできたりして、時間はあっという間に過ぎていく。(東北線は黒磯駅以北だと、何となく首都圏を離れ、ワンカップも気にならない)スマホに録りためていた石丸謙二郎の山カフェやふかわりょうと遠藤真理のきらクラなどをイヤホンで聞いたりするのも、在来線長距離移動の有効手段である。
それはさておき、何年ぶりのゴッホなのだろう、国立西洋美術館でやってた時以来だと思い、美術館のHPで調べてみたら1985年の記録があり、その時以来なのではないか。昔と違って、今回は明確な目的意識をもって出かける。それは、ゴッホと宮沢賢治との「重なり合い」を確認すること。
周知の共通点は、
① フィンセント ファン ゴッホ 1853年生まれで1890年(明治23年)没、宮澤賢治 1896年(明治29年)生まれで1933年(昭和8年)没と同じ37歳でこの世を去っている。(ゴッホが、賢治の43年前に生まれて、賢治の生まれる6年前にすでに死んでいるが、日本でいう明治期、二人は、ほぼ同時代を生きている。)
② 二人とも、生きている間は、ほとんど作品が日の目を見なかった。が、死後、爆発的に評価が高まった。
③ 二人とも、(日本の)浮世絵にぞっこんであり、例えば安藤(歌川)広重を鑑賞し、何らかの影響を受けている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8D%E6%89%80%E6%B1%9F%E6%88%B8%E7%99%BE%E6%99%AF
④ 本格的な絵を描き始めたハーグ時代を中心に、ゴッホは農民の生活や姿を描くことに集中した。賢治は、言わずもがな、農民の生活と文化向上に「後半生」の人生を費やした。
というところか。
もちろん、ゴッホは賢治のことを知らないが、大正時代に、ゴッホは日本でも注目され、雑誌白樺などにもゴッホの絵が紹介されたということで、賢治は、ゴッホの絵、「ひまわり」や「糸杉」をモチーフとしていた作品を見ていた。賢治は、ゴッホを知っていた。賢治はカラーかモノクロかは不明だが、たしかにゴッホの「糸杉」を見ていて、影響を受けたのではないだろうか。。
「糸杉」=Cypress(サイプレス)ドイツ語でZypresse(ツィプレッセン)は、日本にはないヨーロッパのセイヨウヒノキともいわれる樹木であるが、賢治の代表詩の「春と修羅」にも何度か登場している。
ZYPRESSEN いよいよ黒く
雲の火ばなは降りそそぐ
では、賢治は「糸杉」の何に魅かれ、インスピレーションを得たか。
今回、オイラのゴッホ展覧会で確認したかった目的は、「賢治の詩あるいは心象とゴッホの絵の符合するところはないか」なのであったが、今回の展覧会でよく分かったのだが、ゴッホは1881年~1890年という10年間の画家としての人生のうち、後半の85年のパリ生活からモネらの印象派やスーラらの新印象派に影響を受けて画風がガラッと変わった。光は明るく、風景は生気に満ちている。
専門家でもないのに偉そうなことは言えないが、オイラなりに見立てると、絵の対象=この目で見える世界=光と影、をつぶつぶに分解し、そのつぶつぶらにつながりを持たせること。点描で描かれた糸杉や、空や雲、月の光は、すべて、絵筆によって描かれた点という筆致によってつながっている。しかも、筆致は力強く、迷いがない。晩年の作品数から推して、ものすごいスピードで絵を描いていたのではないか。
ゴッホの場合、最晩年に描かれた「糸杉」の何枚かの絵には、そのつぶつぶが嵐のようなエネルギーとなって絵なのに動画のように流動化している。それを観ているほうは、パワースポットに立ち尽くしたかのような得体のしれないエネルギーを授かる。ゴッホの晩年の絵は、そういうものだ。
と、展覧会で改めて体感した。なお、今になって知ったのだが、ヨーロッパでは「糸杉」は、墓地などに植えられる死と悲しみの象徴とか。ゴッホは、天に向かって突きたててるオベリスクのような聖なるものとみなしていたようだ。ゴッホは糸杉が天に伸び行くのを祈りのような気持ちで眺めていたのではないか。
宮沢賢治というヒトは、白樺に載ったゴッホの「糸杉」絵を見ただけで、画家のエネルギーが自らの霊感に響き合うのを体感したのではないだろうか。科学者の賢治は、この世で見える世界=光と影はすべて元素によって構成されて、つながりを持っていることを知っており、さらに、仏教者としての賢治は、それら、つながりを山川草木悉皆仏、色即是空、空即是色、万象融合のという世界観が現れたものとして、この絵を見ていたのではないだろうか。
彼の詩は、ゴッホ晩年の光と影やエネルギー、そして祈りに重なり合うことが、少しわかった。
展覧会に展示された、一枚の「糸杉」という作品に出会うために、青春18きっぷの1日を、多少の尻の痛みに耐えながら過ごした2019年(令和元年)の暮れ。悔いはない。
展覧会場の人いきれで汗ばんだ体を冷ますために、不忍池に立ち寄る。仙台にはいまだ姿を見せないユリカモメが、老婆の餌やりに騒いでいた。ギャーギャーとうるさいが、このカモメは可愛いので好きだ。枯れた蓮に埋め尽くされ、池のようではなかった。レンコン、採らないのか。