かぜねこ花鳥風月館

出会いの花鳥風月を心の中にとじこめる日記

蔵王初夏 2023年 アオモリトドマツの再生を祈りながら

2023-05-30 15:24:57 | 日記

先週末、蔵王ロープウェイが夏の営業を開始すると聞いて、山形側の蔵王温泉をスタートし、熊野岳の熊野神社と刈田岳の刈田嶺神社にお参りし、今シーズンの山での無事を祈ってから、蔵王古道を下る。

ロープウェイの窓越しに、地蔵岳のアオモリトドマツ(オオシラビソ)の枯れ死した痛々しい姿を見るのは辛いけれど、山形新聞の記事によると、約2割の害をもたらしたガの仲間やキクイムシの被害も収まって、「樹氷再生会議」なる人為により再生が図られているということで、とてもオイラの目の黒いうちに再生の森を眼にすることはできないのだろうが、地蔵岳がこんもりとしたシラビソの緑に包まれて周囲がフィトンチッドの香りに包まれる日を夢見たい。

山形新聞5月26記事

 

例年よりずっと雪が少なくて、5月末の登山道にもはや残雪のなごりさえ見つからなかったが、熊野岳避難小屋の下にだけ、わずかな雪渓を眺めることができた。

    

 

遠くにカッコウの声を聞き、鳴きながら飛翔するホトトギスの姿をみたが、目の前には現れてくれなかった。標高を下げるにつれブナの森からエゾハルゼミの声も聞こえだしたが、カッコウもホトトギスもハルゼミもまだまだ「本格的」な音響にはいたらない。六月になって暖かい日が続くと、皆が彼らの再生のために懸命な日を送るのだろう。

カッコウやホトトギスの主なる托卵相手となるウグイスにはいささか同情しちゃうが、野鳥のさえずりでは、圧倒的にウグイスを耳にするので、個体数は多いのだろう。わずかな家族が、カッコウの仲間の犠牲になるのは、神様も許してくれるているだろうか。あくまでも、自然界のバランスをくずさぬように、カッコウたちも考えているはずだ。托卵相手が滅亡したら、かれらも滅亡の道をあゆむんだから。

 

山上にはビンズイ、標高を下げた高原にはホオジロさんたちが例年通り杭やマツのてっぺんで爽やかな歌を歌う。高音域で清らかなさえずりだ。

 

道端には、これも今の季節の花々、ミネザクラ、ムシカリ、サンカヨウ、ミヤマスミレ、ツマトリソウたちが清楚な花を開かせている。

サンカヨウにツマトリソウ、「白い花が好きだ」といっていた新田次郎さんの気持ちが分かるようになってきた。純白な花弁と中央の蕊の黄だけのシンプルな奇をてらわないコントラストが、オイラも好きになってきた。そういえば青葉の森のエゴノキも同じような白い花。

「白い花図鑑」作ってみようか。

もう五月も終わるが、山は本当にいい季節を迎えている。晴れてくれれば北海道の六月と同じように、山は一年で一番いい季節。

六月に入るや尾瀬に栗駒に八甲田、キャンプを計画していて、ゆっくり高原の初夏を楽しみたいところだが、今年は、六月早々から台風2号やそれに刺激される前線の影響で、お天気がすぐれない予報ばかり。

どうなるか、2023年の夏。刈田嶺神社からいただいた蔵王大権現の御朱印には「令和五癸卯(ミズノトウ)歳」と記載されている。干支のことは分からないが、60年に一度のこの歳はどんな歳となっているのだろうか。「コロナは終わってめでたい」だけの年でないことを祈ろう。

 

     

        ビンズイ

 

     

         ホオジロ

 

      

         ミネザクラ

 

      

        ムシカリ(オオカメノキ)

 

     

      サンカヨウ

 

     

        ツマトリソウ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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青葉の森にホトトギスやって来た

2023-05-25 20:17:49 | 日記

なぜ、初夏にカッコウやホトトギスの初鳴きを聴くとうれしくなるのだろう。

ウグイスやほかの夏鳥の初鳴きを聴くのとうれしさの質が異なる。だが、その理由を説明できない。

今日、青葉の森で、そのホトトギスの初鳴き(あくまでオイラの耳での話)を聴いた。

いつものように姿は見えない。カッコウならば低い木立のてっぺんなどで目にする機会が多いというのに

同じ仲間のホトトギスやツツドリの姿を肉眼で、あるいは望遠カメラを通して目にしたことがない。

よほど警戒心のつよいヤカラなのだろうか。

青葉の森には、ホトトギスとツツドリはやって来ている。彼らの姿を映しだすことも今夏の目標にしようかな。

ホトトギスは、ウグイスの巣に托卵するというが、ツツドリはセンダイムシクイだそうだ。

ツツドリは、すこしハードルが高いか。センダイムシクイの鳴き音をまだ聴いていないのだから。

 

 

青葉の森の入り口で、地面に落ちている「落とし文」をいくつも眼にした。あのエゴノキの「揺籃」と同じ格好の葉っぱの半分をぐるぐる巻きにしたのと同じ姿だ。

きっと、エゴノキとは異なるオトシブミのせいだろう。地に落としたら、葉はまもなく枯れてしまうだろうに、生れ出る幼子たちは、枯れ葉を内部で食べて育つのだろうか。

サラダを食べるエゴノキのオトシブミの子等、ホシグサをたべるエゴノキ以外のオトシブミの子等、ともに生きて地上に現れんことを祈る。

 

     

 

 

     

 

まだ咲いている青葉の森のエゴノキの花。五枚の花弁と薄黄色の蕊たち。一個の花を見つめても清楚で美しいと感じる。やはり、エゴノキひいきになろう。

 

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天上から降る花~エゴノキ礼賛

2023-05-24 19:33:17 | 日記

青葉の森のエゴノキや同じエゴノキ科のハクウンボクは花の終わりを告げているけれど、昨日お詣りした近所の観音堂や今日訪れた野草園のエゴノキは、満開の季節を迎えていた。

 

   

 

真っ白な小さな花が数えきれないばかり咲いていて、樹下は落ちた花弁で真っ白の彩られている。

木の下に赴くとなんだかいい匂いがして、とてもいい気持になってくる。

さまざまな種類のハチがやって来て花の蜜を求め頻りに飛び回っていた。これだけ花があると、もう選り取り見取り、ハチたちもうれしくてたまらないのだろう。

花の蜜はハナバチたちにくれてやり、葉の幾枚かはエゴツルクビオトシブミたち甲虫のゆりかごとなってあげ、秋までに熟すたくさんの実は、果皮にサポニンという毒素があるもののヤマガラやキジバトの好物なのだという。また、冬芽にはエゴノネコアシアブラムシが寄生しネコアシのような虫エイも作ってあげるのだという。

美しく、清楚で、匂やかで、あらゆる生きものに生を恵むような広い心を持ち合わせたかのような小高木。エゴノキの花は、あの法華経序品に登場するマンダラゲ(曼荼羅華)のように天上から雨のように降る花のように慈悲に満ちた花を咲かす菩薩様のような木ではないか。

この歳になってエゴノキ科のエゴノキやハクウンボクが好きでたまらなくなった。もう、バラ科のサクラやウメを凌駕しているのかもしれない。

花のあと、初夏から冬にかけて、この木に身を寄せるさまざまな生きものたちを観察して、この木の慈悲の深さを教えてもらおう。

 

      

         マルハナバチだろうか黒い真ん丸ハチがやってきていた

      

                ソフトフォーカス編集

 

               

 

今週もう一度野草園に行って、もっとピントの効いた写真を撮ってこようぜ。

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エゴノキのゆりかご

2023-05-22 21:47:38 | 日記

青葉の森でエゴノキやハクウンボクなどエゴノキ科の白い美しい花が終わる季節、エゴノキはそろそろ白いまんまるな実をつけようとしている。

 

     

      ハクウンボクの花(先週)

 

     

      花が終わると実がふくらみ始め

 

     

      白い実が垂れ下がっている今日のエゴノキ

 

 

ハクウンボクは、ブドウの房のようにたくさんの実をつけるのだというが、エゴノキはサクランボのように一個から数個の身をたらしている。

そんなエゴノキを下からのぞいていると、なにやら葉っぱが半分から切り取られ、切り取られた葉っぱがくるくると葉巻状に丸められブラブラと釣り下がっているのを散見できる。

 

    

 

     

 

ちょつと調べてみたらオトシブミという甲虫のなかまで、この虫は種類によっていろいろな木の葉をこのように丸めて中に卵を産みつけ、孵化した幼虫はこのおうちのような葉を食べながら成長するのだという。

そして、今日出会ったエゴノキやハクウンボクにあの葉巻のようなおうちを作るのは、首がツルのように長い「エゴツルクビオトシブミ」という仲間によるものらしい。

今日は、そのおうちの周囲を少し調べてみても、その昆虫は見つからなかったが、なんでも♀は「花が咲く前に」はやくもこのおうちを作って中に卵を産みつけているのだという。

そしてこのおうちのことを図鑑では「揺籃」と言っており、つまり幼子のための「ゆりかご」と表現している。なんともメルヘンチックな表現ではないか。まさに産み付けられた卵や孵化した幼虫は、この風が吹いたらゆらゆら揺れそうなゆりかごのなかで育つという具合だ。

なんでも、オトシブミの仲間にはこのエゴノキのように葉にゆりかごをくっけたままにしておく仲間と、ゆりかごを最後にはチョッキンと切って地上に落とす仲間があって、「オトシブミ=落とし文」という名は、後者の仲間の行動から名付けられたというが、絶対に前者の方が快適で安全そうだが、いかがなものか。

それにしても、「落とし文」といい「揺籃」といい、日本の(多分和訳ではないだろう)学者たちは文学的素養も備わっていたように思える。

 

ぜひ、このメルヘンチックなゆりかごの作り手の成虫たちに面会したいと思うのだが、成虫の命は1年以内だという。大方の昆虫のように、親たちは彼らの新しい命がこの世界に現れるころには、もうこの世界にはいないのだろう。そんなことを思うと、小さな虫たちにも世の儚さが思いやられ、憐憫の情というものがわいてくる。

 

 

今日の青葉山では、夏鳥たちには出会えなかったが、新しいチョウの仲間に出会った。

 

      

地味な翅裏で、「タテハチョウ科コジャノメ」とよく似ているが「タテハチョウ科クロヒカゲ」のようだ。食草と言われるササの葉にとまっているから、卵を産みたがっている♀なのだろう。

 

      

   ヒョウ柄の表翅でタテハチョウ科〇〇ヒョウモンのなかまだろうが、翅の下の黒さからツマグロヒョウモン♂と同定したい。

 

オトシブミWikipedia

森林総合研究所HPからエゴツルクビオトシブミ

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青葉の森の三貴公子たちの英語名について

2023-05-18 06:51:51 | 日記

青葉の森でオイラが最も意中なのは、姿かたちや鳴き声が美しいオオルリ、キビタキ、サンコウチョウのオスたちで、「青葉の森の三貴公子」とでも名付けたいのだが、かれらの英語名が興味深い。

オオルリ(大瑠璃)は、 Blue-and-white flycatcher  =青と白のフライキャッチャー

キビタキ(黄鶲)は、  Narcissus flycatcher =ナルシストのフライキャッチャー

サンコウチョウ(三光鳥は、 Japanese paradise flycatcher =日本の天国のフライキャッチャー

という英名が付けられている。

三羽とも「Flycatcher」、すなわち空を飛びながらムシをくちばしで捕まえることができる鳥ということだ。

図鑑で調べるとこの名前が付されている野鳥は、サメビタキの仲間

エゾビタキ(蝦夷鶲) Grey-streaked flycatcher   =縦じまのフライキャッチャー

サメビタキ(鮫鶲)Dark-sided flychtcher = 暗い側面のフライキャッチャー

コサメビタキ(小鮫鶲) Asian Brown flycatcher  = アジアの茶色のフライキャッチャー

ムギマキ(麦蒔)Mugimaki flycatcher =ムギマキ・フライキャッチャー

などであるが、英名はおおかた見た目を即物的に名付けているが、キビタキとサンコウチョウだけは特別だと思う。キビタキは、自分の美しさに酔うほど美しいからそう名付けたのだろうし、サンコウチョウは日本名が「月・日・星・ホイ・ホイ・ホイ」と聞こえるから「三光鳥」と名付けたことと関連し、天体=天国と解したのか、英名の名付け親に聞いてみたいところだ。

キビタキくんとサンコウチョウくんたちは、なかなか味のある名前をつけられているが、オオルリくんだけが単純な名前をつけられてちょっと可哀そうな気がする。日本語のオオルリくんの「瑠璃」は、仏教の七宝の一つであり、「青と白」よりずっとありがたい名前だ。

いずれにしても、三貴公子とも個性的な美しさを持ち合わせているが、フライキャッチャーでもあり飛翔能能力もツバメなみにすぐれているのだろう。

かれらの捕食のシーンはあまりにも素早いのでなかなか観察することはできないが、あと数か月青葉の森で輝いてほしい。観察と撮影を続けよう。

 

          

           2021.5.26 サンコウチョウ♂

 

きのうのオオルリくんとキビタキの動画は下のとおり。P950くんのファインダーをのぞきながら撮ったので、オイラの息づかいが入っているのが難点。今度はピントを確認したらカメラを離して液晶画面を眺めながら撮影しよう。

 

 

 

 

 

 

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