昨夜の20時30分前後の1時間、ベランダに出たり入ったりして、雲の切れるのを待った。20時05分頃と55分頃にほんの僅か雲が切れて上弦の月が輝いたので夢中で数枚撮ったら、そのうちの四、五枚に、「月面X」が浮かんでいた。一番鮮明なものが下記の写真。
ヤッター!、月の女神さまは微笑んでくれた。
でもXはエックス、不明、予測不能ということ。あるいは、2023年は「不明」で「予測不能」ってことか、といつもながらマイナスイメージでことのありようをとらえてしまう体質。
「ウクライナに一刻も早い平和を!」
「イラン、ミャンマー、アフガンをはじめ世界中の人権蹂躙の国に人々に回復を!」
「大災害が起きませんように!」
「ミサイルが飛び交う地球になりませんように!」
「鬼はされ!」
今夜、もう一度、月の女神さまにお願いしてみて、2022年を締めよう。
日本百名山 MY SONG
54 槍ヶ岳(やりがたけ・3180米)
55 奥穂高岳(おくほだかだけ・3190米)
56 常念岳(じょうねんだけ・2857米)
57 笠ヶ岳(かさがたけ・2898米)
58 焼岳(やけだけ・2455米)
【深田久弥・日本百名山から】
(槍ヶ岳)
「私たちがどこかの山に行って、『あ、富士が見える!』と喜ぶのと同様に、『あ、槍が見える!』と叫び声を聞く。実際そのユニークな岩の穂は見紛うことはない。ひと眼で認め得るのである。どこから見てもそのそのするどい三角錐は変わることがない。それは悲しいまでにひとり天をさしている。」
「槍見える!」悲しいまでに天をさす文太郎の山墓標のごとく
(奥穂高岳)
「穂高に登った最初の人は、明治二十六年(一八九三年)の夏、嘉門次を連れたウェストンであった。もっともそれより二週間前、陸軍省の視察員がやはり嘉門次を連れて登っている。しかしこれらのパイオニアの登頂したのは、今の前穂高であって、当時これが最高峰と思われていた。明治の末年頃から、日本山岳会の先輩たちが相ついで登り、それまで一括して穂高と呼ばれた岩峰群に、北穂高、奥穂高、涸沢岳、前穂高、西穂高、明神岳という風に、それぞれの名称が与えられるようになった。」
*深田さんの百名山には「穂高岳」と記されていて、奥穂高岳に限定していない。また、百名山には深田さんの穂高岳登頂の記載がないが、年譜を見ると、昭和26年9月22日~29日穂高岳から槍ヶ岳に縦走しているとのことである。前穂、奥穂、涸沢岳、北穂を踏んで、大キレットから槍に向かったのだろう。
三千の穂高の峰に茜さし白き世界も燃えいづるかな
(常念岳)
「評論家臼井吉見氏が書いていた。松本の氏の小学校の校長はいつも窓から外を指して『常念を見よ』と言ったが、その言葉だけが今も記憶に残っている、と」
「六十年も前にウェストンが言っている。『松本附近から仰ぐすべての峰の中で、常念岳の優雅な三角形ほど、見る者に印象を与えるものはない。』と。ウェストンもやはりその美しい金字塔に惹かれて登ったのだろう。彼がその頂上に立ったのは明治二十七年(一八九四年)の夏だった。」
「常念を見よ」と誰かが囁ける振り放けみれば風の音かな
(笠ヶ岳)
「北アルプスに行って笠ヶ岳を見落とした人はあるまいが、その頂上に立った人は案外少ないようである。それは普通の縦走路から外れているからであろう。私が行った時には、幹線の双六小屋は満員であったが、笠ヶ岳の支脈へ入るとほとんど人影がなかった。双六からは気持ちのいい静かな道で、深い谷を距てた向こう側には、槍から穂高に続く三千メートルの山なみが、大自然の壁を作っていた。これだけの大規模な壁は日本には例があるまい。」
双六を立ちて槍穂と別れるも槍穂の壁は笠まで立てり
(焼岳)
「焼岳は附近の群雄に比べたら、取るに足らぬ小兵かもしれぬ。だがこの小兵は他に見られぬ独自性を持っている。まず、日本アルプスを通じて唯一の活火山である。頂上から煙の上がっている山はほかにない。それから小兵の分際で、梓川の風景を一変した。その爆発で大正池を作りあげたのである.人はよく『国破れて山河あり』という文句を引いて自然の普遍を解くが、一挙にしてあの変貌をおこした焼岳の潜勢力は偉大である。」
アルプスにひとり煙吐く焼岳の風景見てよ いま・ここ・の景
【深田日本百名山登頂の思い出・再掲 】
槍ヶ岳は、大学の山岳同好会のグループと1975年の盆過ぎに初登頂している、たしかグループをオイラが参加した「雲ノ平・裏銀座コース班」のほか「読売新道・裏銀座コース班」、「表銀座コース班」などに分かれて、それぞれのグループが槍ヶ岳で合流するというもので、その夜は、槍のテント場でにぎやかな打ち上げを行った記憶がある。残念ながら同好会は、その秋に退会しているが、続けていたら、もっとたのしい学生生活が送られたと想像する。(タラレバの世界)
その後、1900年代の後半、職場のⅯ君と上高地~常念岳~大天井岳~槍ヶ岳~大キレット~北穂高岳~涸沢~奥穂高岳~前穂高岳~上高地と三泊四日の山小屋利用で歩いたが、その時に槍ヶ岳再登頂と常念・奥穂の初登頂を一度で行っている。当時の山小屋は予約不要ということで行き当たりばったりだったが、暗くなって着いた常念小屋は文句も言わず夕食を出してくれたことや大槍ヒュッテの豪華な食事には驚いたことをよく覚えているが、初めての涸沢だったのに涸沢ヒュッテの印象がないのはどうしてなんだろう。大キレット歩行による心身の疲れで爆睡したのかもしれない。
焼岳と笠ヶ岳は、2003年頃だと思うが、沖縄本島の宜野湾市に1年だけ暮らした時代に、当時愛用していたKHS製折り畳み自転車(オリーブ号と命名)で出かけた「百名山4座登頂サイクリング旅行」で、御嶽山、乗鞍岳とともに登っている。
焼岳は、新穂高の中尾温泉の舗装道路をオリーブを引きながら登り、オリーブを登山口に留めて日帰りでピストンしている。焼岳を下り先の新穂高温泉に当時開設していたキャンプ場に二泊して、地図で見たら往復15時間は要する笠新道コースを日帰りでピストンしている。雨の1日で、笠ヶ岳頂上をさみしく去ったこと、笠の小屋で体を温めようとカップ麺とワンカップをいただいたことを昨日のように覚えている。
今年計画していけなかった折立~太郎平~黒部五郎~双六~笠~新穂高の山旅はぜひとも遅からず実践したい。それだけ、笠には未練が残るし、小屋のワンカップは笠のテント場でしみじみといただきたい。酒飲み登山は、たとえ下りであっても厳に諫められるべきである。(寒かったので許して・・)
「槍見える」天狗原(てんぐっぱら)の大岩でキジを打った日還らざる時
(涸沢ヒュッテの朝)
涸沢に並んだ写真井上靖相手の女の名が出ず登る
暗がりの常念小屋に着きたれば小屋のスタッフ笑顔で案内す
雨降りの頂下りて笠の小屋ワンカップの味カップ麺の味
入口に自転車寝かせ焼岳を行き来した日は煙臭わず
2019年9月乗鞍への登り道で仰いだ笠ヶ岳の秀峰