かぜねこ花鳥風月館

出会いの花鳥風月を心の中にとじこめる日記

ふたりの巨匠を聴きながら2020を終える

2020-12-31 15:31:01 | 日記

2020年、今年は1930年生まれの指揮者、カルロス・クライバーの生誕90年、彼より10歳先輩1920年生まれのピアニスト、アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリの生誕100年という記念の年であった。

*クライバー 1930.7.3~2004.7.13(73才)

*ミケランジェリ 1920.1.5~1995.6.12(75才)

 

 

先日NHKFMが「ミケランジェリ変奏曲」と題して四夜にわたり特集番組を放送していたので、スマホに録音して聴いているが、あらためて、彼が打つ鍵盤が醸し出す音の美しさと豊かさに驚き、そして彼によって生み出された音楽作品が別次元空間を流れているような不思議な感覚に囚われた。「これは、すごいピアニストだったんだ。」。学生時代、ジャズやクラッシックに異様なほど詳しかったH君が「すごい、すごい」と絶賛していたが、ミケランジェリの顔が「きざな詐欺師」のようであったし、そのころは好きになれなかったドビュッシーやラヴェルを得意としていたようだったので、敬遠していたが、いまにして聞き直すとほんとに「すごい、すごい」という気持ちになった。

 

番組では、同じミュンヘンで活躍されていたカルロス・クライバーとのエピソードが紹介されていた。1970年代、ベートーベンの「皇帝」を録音中、ミケランジェリがコンサートマスターとおしゃべりをしていたことが気に食わないのか、クライバーが練習会場をプイと去っていって二度と戻らなかったというのだ。だから、両巨匠の共演したレコードは1枚もない。なんとも残念ではないか。「繊細でキャンセル魔」の異名を持つ両巨匠が、うまくいくわけがなかったのだろうが、録音の前に「皇帝」のコンサートを1度成功させているというから残念な話ではある。

 

しかし、2020年の今、「繊細なキャンセル魔」のお二人のそれぞれの録音、映像は相当に残されていてCDやDVDだけでなくYouTubeなどのネット動画にたくさん投稿されているので、パソコンやスマホとイヤホンがあれば、居ながらにしてお二人の音楽に接することができる。しあわせなことではないか。

 

で、2020年の大みそか、TVは、朝からバラエティーばっかり流して医療現場や年越しテント村への気遣いを忘れているようだし、人生の6割くらいは漫然と見てきた「紅白」は、カタカナ・アルファベット星のからやってきた宇宙人たちに乗っ取られたかのようで、まるでつまらなそうなのであるから、1年の最後の日は、この両巨匠の音楽を聴いて終えることにしよう。

そして、あすの2021年1月1日は、ウィーンで行われる「ニューイヤーコンサート」の日。いまや巨匠となったリッカルド・ムーティが振るのだというが、コロナの影響で初めて無観客で行われるというのだから2021年もなんとも暗くさみしい幕開けだ。

「ニューイヤーコンサート」といえば、クライバーは1989年と1992年の2回振っており、オイラは89年のDVDと92年のCDを購入しているが、この89年のDVDは、選曲の良さといい、もちろん演奏の良さといい、会場からあふれる巨匠へのリスペクトの雰囲気といい、オイラがもっとも愛してやまない媒体で、宝物だ。

この89年のニューイヤーでは、彼のお得意なヨハン・シュトラウスの喜歌劇「こうもり」序曲が演奏されて、これはこれで素晴らしいのだが、たまたまYouTubeで、彼がバイエルン国立歌劇場管弦楽団と1986年に来日した時にアンコールで演奏されたものがアップされているものを聴いて、さらに感銘を受けた。彼の棒にかかるバイエルンの力量は当時の世界一ではないかとも思われ、ライブ演奏の熱に圧倒される。「ああ、あの会場にいたヒトビトは幸せの絶頂だったろうな。うらやましいな」と羨望することこの上ないが、それでも、投稿されたユーチューバーには感謝したい。コタツに居ながら、何度でもアンコールを再現できるなんて、しあわせすぎる。

そうなんだ、音楽には鬱屈としたものをうっちゃつて、しあわせ感をどこからか届けてくれ、天上に漂っているような心地にしてくれる魔法のようなものが潜んでいるんだ。

「ミケランジェリ変奏曲」という番組で、ゲストのピアニスト伊藤恵さんは、ミケランジェリ演奏会を何度か聞いていて、彼の雰囲気が魔術師のようだったと述懐していたが、いま映像をみると、ミケランジェリもクライバーもまるで魔法使いで魔術師のようである。

そういうことで、すこし魔法にかかって、溌溂となって、2020年の午後を過ごしていたが・・・

今入った速報によると、「今日の東京の感染者は1300人を超える」とのこと。もう、目も当てられぬ状況下に入ったのか・・・

 

・・・・・

しっかりと、両巨匠の奏でる魔法の音楽を焼き付けて、いつでも天上に持っていけるようにしておこうっと。

 

 

      

        1989年ニューイヤーのDVDは宝物・あの世に持っていくべき1枚

 


暇なモリンガさん提供のYouTube 1986.5.19 昭和女子大学人見記念ホールでのアンコール j.シュトラウス「こうもり」序曲

 

 


 

ミケランジェリ 1920.1.5~1995.6.12(75才) 1962 ショパン「子守歌」

Daniele Derelli 提供YouTube 

 


ミケランジェリのショパンを聴きながら、この夏の花畑を彷徨おうぜ。

 

 

立山花図鑑①

 

 

 

立山花図鑑②

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巣ごもり訓練

2020-12-30 18:50:21 | 日記

2020年も、明日で終わろうとしている。

菅首相は、今日の対策会議で、ようやく「不要不急の外出自粛」を言い出したが、年末の警告級の大雪のことを言っているのか、誰に向かって(国民の前ではなく会議メンバーに向かってのような場面)原稿を読んでいるのか、さっぱり分からんので、街にヒトはあふれているし、年末のTVはTVで、お笑い芸人の「食べ歩き」や「旅番組」を垂れ流しして、GOTO批判のワイドショーと相矛盾するメッセージをコクミンにあてがっている。

今日は、TBSの「報道の日」特集ばかりが、いやにまじめで、すっかり見入ってしまったが、国もマスコミもコロナの危機意識を本気になって伝えようとはしていないので、感染拡大は当面続いていくのだろう。

年明けの「緊急事態宣言再発令」を予測して、Amazonに注文し、この年末にわずか2日で届いたメスティン(アルミ製飯盒)で飯を炊いたり、パスタをつくる訓練を始めた。ガスカートリッジ以外でも料理ができるメタノールの固形燃料とこの燃料用の小型ストーブも購入した。

もちろん、このさきの山岳シーンでの活躍を意識してのことであるが、

コロナ緊急事態宣言による巣ごもり以外でも、このところの日本列島のあちこちでの地震や噴火情報の多発から「何かしらの不安」が生じ始めていることも事実。

心配性すぎるか。

 

 

 

 

            

 

YouTube公開レシピのお世話になり、100gのパスタを、わずか200mのお水でつくったペペロンチーノ。Youtuberは「これはうまい!」と豪語していたが、はっきり言ってアルデンテには程遠い。が、まあまあ食べられる。今後火加減、水加減、パスタ茹で時間などを研究しながら、最良のレシピを考えていこう。家での時間は「死ぬほどある」巣ごもりの年始になりそうなので

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大掃除と断捨離とダイエットで「軽み」の歳にしていこう

2020-12-28 14:53:36 | 日記

先週の土曜日からの不調。まず目がチカチカしてくる。パソコンやスマホ、そしてTVの画面を見るといけない。じっと目を閉じる。血圧を測ってもそれほど高くはない。熱はない。そのうち喉の奥に鈍痛が生じるが、耐えられない痛みでもない。そのうち悪寒が走るが、耐えられない苦痛でもない。食欲がないが少し食べて、鎮痛剤や葛根湯を飲んで半日ほど横になると、次第に回復してくる。熱がないので、今はやりの疫病ではないのが分かるし、この症状は、年に数度同じように起こるのだが、悪化の自覚はないので医師には相談したことがない。

土日はそのようなことから、安静にしたが、酒量はへらないし、運動不足で、また体重増が気になる。

そして、今朝は、これも年に数度起こるのだが、左目の裏がゴロゴロして白目が次第に赤くなってくる、結膜炎かと思い二、三日目薬を差し続けるとそのうち回復する。血圧は高くないし、網膜剥離のような悪化はみられないので、これも眼科医に相談したことはない。

昨年、苦悩したG病は、今年は何ともなかったが、酒量が減らないし運動不足という因子は消えていないので、「休火山」のようにいつまた噴火するのか不安だ。この病気の治療で専門病院に行くことは「イヤだ。」。漱石の最後の小説「明暗」の冒頭のように、専門医にケツアナをまさぐられたくない。

ということで、健康不安と運動不足による体重増のまま2020年の幕は閉じようとしている。

「去年今年貫く棒の如きもの」(虚子)

2021年、何一つ変わらないものかもしれないが、このままだと「老い」だけは早めに進行するし、生活習慣による健康不安はさらに増してくるのだろう。その結果、あれこれ描いている甘美な山岳旅行が台無しになるのかもしれない。

今朝たまたま目にしたYouTubeの「パソコン重い」という画面に教わって、余計なゴミを削除したら、お陰様で、思いのほかパソコンがうんと軽くなった。このブログもサクサクとタッチが進む。

 

 

パソコンのプロG株式会社様のYoutube

 

 

2021年、わがぜい肉もこのようにそぎ落とされて、身軽になったら、「コロナに打ち勝ったころあいに」楽しい山岳旅行が、まだまだ続けられるだろう。

パソコンだけでなく、ダイエットで体を軽くし、大掃除と断捨離で身持ちを軽くし、サクサクと野山に(あの世ではない)出かけられますように。(幸先参りでの祈願のつもり)

 

     

     

      2020のこの1枚  奥大日岳最高点より剱岳(46年ぶりの風景に再会)

 

 

 

 

 

 

 

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Googl Earthのお世話で、昭和53年の場所にもどる

2020-12-25 09:52:50 | 日記
  • Googl Earthというアプリ。

じつは、使い方がよく分からないのだが、上越線の土樽駅を呼び起こして、山岳地図と見比べながら登山道らしき地形を進み、谷川連峰の蓬峠にコタツに入りながら容易に行きつくことができた。アプリの鳥観図を拡大していくと次第に3D写真となり、広大な笹原と蓬ヒュッテという山小屋のが見えてきた。「ここは蓬峠だ!」。

アプリの鳥瞰図を、さらに拡大していくと空から地上に舞い降りた感覚となり、その場に立っているようにパノラマ風景が見えてくる。方位を蓬峠から南の方向が見渡せる位置に調整してみる。

そしたら、昨日の写真で見たような風景。昭和53年当時のにやけたオイラの背後に見える大きな三山とおおむね重なってきた。

「ここだ!、あの山は蓬峠から南に見える山だ」

地図で確認すると、写真の大き三つの山は、手前が1460Mの武能岳、真ん中の大きな山が1978Mの茂倉岳、奥に見えるのが1974Mの一ノ倉岳だとほぼ同定できる。GooglEarthだとその奥にちらりととんがったピークが見えているがたぶん谷川岳主峰1977Mのオキの耳なのだろうが、写真はアプリの位置よりもっと低い位置から撮ったと思われ、オキの耳は見えていないが、あの写真は蓬峠からみた山々に「まず」まちがいないという結論に達した。

さらに驚くのは、このアプリ今見えている位置の緯度・経度と標高が示されている。画面は、標高が1541Mとあるので、地図を見ると蓬峠は1529Mであり、ほぼそのあたりに間違いないと裏付けができる。

ありがとうGooglEarthさま!昭和53年の場所に立たせてくれて。

さあ楽しくなってきた。STAYHOMEの日々、ヤマケイの百名山マップに蛍光ペンを入れながら、GoogleEarthを起動させ、この50年間の百名山をもう一度登り返して、登山道をたどってみよう。忘れていた登山コースがよみがえるやもしれないし、見えなかった壮大なパノラマ風景が見えてきて、「よしまた行こう!」という力がわいてくるかもしれない。

オイラは、コロナ明けの雪どけのころに、もう蓬峠に向かうことばかり考えている。

 

     

 

 

 

 

 

 

 

 

     

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思い出せない登山コース

2020-12-24 15:36:20 | 日記

その「山と渓谷2021年1月号」の付録としてついていた「日本百名山ルートマップ」にこの50年の間に登ったルートに緑色蛍光ペンを入れ始めたが、登ったコースが思い出せない山域が出てきた。山頂に行きつく一般コースが複数ある山。

例えば、北海道の後方羊蹄山(しりべしやま)。俱知安コースだったか、真狩コースかどうしても思い出せない。90年代.後半に職場の仲間とレンタカーを飛ばして登山口に行ってバタバタと山頂ピストン往復をしてきたこと思い出すのだが、地図で見るとどちらもただひたすらの登りであり、なんの記憶を呼び起こすようなポイントがないもんだから、どちらか断定できなくなった。

 

谷川岳にいたっては、「オキの耳」と「トマの耳」と「ノゾキ」というおっかないポイントはかすかに記憶があるのだが、どこから登ってどこに下ったか、全く映像が浮かばないし、地図を眺めても記憶を復元できない。

 

ボロボロになった新潮社「日本百名山(昭和50年刷)」を棚から取り出した。かつて、目次にある百名山の名前のところに登った年月を半分くらいまでメモしておいたので「谷川岳」のところを確認したら「53/7」とメモしてあった。昭和53年7月に登ったというのだろう。当時は、まだ学生の身分で、車はなかったから、上越線のどこかの駅で降りて登ったろうし、日帰りするような忙しさもなかったし、カネもなかったのでテントを担いでどこかに泊まって縦走したのだろう。

その「日本百名山・昭和50年刷」をめくっていたら古い1枚のモノクロ写真が現れた。

それを見て・・・・・「あっ、ここは谷川連峰の蓬峠付近からみた谷川主峰の山並みではなかったか?」

「そうか、たぶん上越線の土樽駅から連峰北部の蓬峠まで登ってテント泊し、翌日そこから南下して武能岳→茂倉岳→一ノ倉岳→谷川本峰に縦走したんではなかったか」とその写真1枚でコースを推定できた。ただし、それから、どこの尾根から下ったのか、誰と行ったのか、単独行で行って三脚で撮ったのか、思い起こせど、どうしてもつまびらかにならない。

ああ、老いるってこういうことか・・・・サ・ミ・シ・イ

 

自今、せめてこのブログにでも、登った山、コースを書きとどめようと今になって悔い改めようと思った日。

 

 

     

 

撮影ポイントは、蓬峠か、武能岳を下った笹平という地点か。それによって背後の三山が分かる。近いうちにこのポイント同定の山旅に出かけてみようか。それにしても髪がフサフサデで、ずうっと細かったな。ジャージ履いていたのか・・・

 

 

 

 

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