白馬周辺の山旅から戻って、専門家の予想以上に、コロナの感染拡大が日本列島に広がってきていて、山バカのオイラにとって一番心配されるのは、全国的な「緊急事態宣言」が発令されて、全国的な「不要不急な外出自粛」が要請され、山小屋やキャンプ場、夏山運行バスなどが「営業停止」になることだが、杞憂なのだろうか。
だが、なにかおそろしい事態が近づいているような気がして、そうならない間に、2021年の夏山は、「早め」に出かけておくべきだろう。
白馬を下りたら続けて登ろうとしていた「加賀白山」。時間的なこと、経費的なこと、石川にまん延防止措置が出されそうなことなどを「総合的に検討」した結果、2021年は断念して、来年じっくりと相対することにしたい。
であれば、代替的にどこに出かけようか・・・・・。
こないだの白馬周辺の山域、とくに蓮華温泉から風吹大池周辺の高層湿原を歩いて改めて際認識したのだが、オイラは20代という若いころから、槍穂といった急峻な岩山よりも、尾瀬や八甲田といった雪解けの平坦な地形に現れる高層湿原や池塘といった風景の中に包まれること「幸福」かんじていたんだ。きわめて女性的というか、母性的な山域を好んでいrた。
蓮華温泉から風吹大池までの数時間、突然現れた風吹天狗原や風吹大池の神ノ田圃といった高層湿原。今の時期ワタスゲ以外は花が少なく、あまり興味のないヒトビトからみればただの原っぱに見えるかもしれないが、深い森林を歩き続けてから突然開けた湿原地帯に到ると、いいようもない心の静けさを感じるのだ。周囲でウグイスやルリビタキのさえずりを耳にし、吹きゆく風にワタスゲのタネを抱いたワタがゆれるのを目にすると、「ああ、オイラの臨終の際に閉じたまなこの奥に開ける風景というものはこのような風景なんだな」と、つい思ってしまう。
目を閉じると、北から「大雪の五色ヶ原やトムラウシ周辺の湿原」、「八甲田や八幡平の点在する沼と湿原」、「飯豊や朝日の稜線上の小さな湿原と池塘」、「鳥海や月山の山腹の湿原」、「尾瀬とその周辺鬼怒沼、田代山、平が岳山上の湿原」、「上越・苗場山山上」、「北アルプス、黒岩平や雲の平」、などがこの50年間に歩いた母のような山岳地帯が次々思い出される。
「ああ、オイラはこのような風景にもう一度還ろうじゃないか、そこが山岳人生の帰結というものではないか」
来週から・・そんな場所をめざして、計画を練りなおそう。(ただし、9月初めの富士山だけは、なぜかはずせないんだよな。卒業なんで。)
湿原の草原を行くひとすじの道。むこうはガスにけむる。人生の行き先とは、こういう風景なのだろう。
湿原で出会った草花
ワタスゲ
ギボウシ
ミヤマダイモンジソウ
コバイケイソウ