かぜねこ花鳥風月館

出会いの花鳥風月を心の中にとじこめる日記

還るべきところは山上の楽園

2021-07-30 16:21:45 | 日記

白馬周辺の山旅から戻って、専門家の予想以上に、コロナの感染拡大が日本列島に広がってきていて、山バカのオイラにとって一番心配されるのは、全国的な「緊急事態宣言」が発令されて、全国的な「不要不急な外出自粛」が要請され、山小屋やキャンプ場、夏山運行バスなどが「営業停止」になることだが、杞憂なのだろうか。

だが、なにかおそろしい事態が近づいているような気がして、そうならない間に、2021年の夏山は、「早め」に出かけておくべきだろう。

白馬を下りたら続けて登ろうとしていた「加賀白山」。時間的なこと、経費的なこと、石川にまん延防止措置が出されそうなことなどを「総合的に検討」した結果、2021年は断念して、来年じっくりと相対することにしたい。

であれば、代替的にどこに出かけようか・・・・・。

こないだの白馬周辺の山域、とくに蓮華温泉から風吹大池周辺の高層湿原を歩いて改めて際認識したのだが、オイラは20代という若いころから、槍穂といった急峻な岩山よりも、尾瀬や八甲田といった雪解けの平坦な地形に現れる高層湿原や池塘といった風景の中に包まれること「幸福」かんじていたんだ。きわめて女性的というか、母性的な山域を好んでいrた。

蓮華温泉から風吹大池までの数時間、突然現れた風吹天狗原や風吹大池の神ノ田圃といった高層湿原。今の時期ワタスゲ以外は花が少なく、あまり興味のないヒトビトからみればただの原っぱに見えるかもしれないが、深い森林を歩き続けてから突然開けた湿原地帯に到ると、いいようもない心の静けさを感じるのだ。周囲でウグイスやルリビタキのさえずりを耳にし、吹きゆく風にワタスゲのタネを抱いたワタがゆれるのを目にすると、「ああ、オイラの臨終の際に閉じたまなこの奥に開ける風景というものはこのような風景なんだな」と、つい思ってしまう。

 

目を閉じると、北から「大雪の五色ヶ原やトムラウシ周辺の湿原」、「八甲田や八幡平の点在する沼と湿原」、「飯豊や朝日の稜線上の小さな湿原と池塘」、「鳥海や月山の山腹の湿原」、「尾瀬とその周辺鬼怒沼、田代山、平が岳山上の湿原」、「上越・苗場山山上」、「北アルプス、黒岩平や雲の平」、などがこの50年間に歩いた母のような山岳地帯が次々思い出される。

「ああ、オイラはこのような風景にもう一度還ろうじゃないか、そこが山岳人生の帰結というものではないか」

来週から・・そんな場所をめざして、計画を練りなおそう。(ただし、9月初めの富士山だけは、なぜかはずせないんだよな。卒業なんで。)

 

     

     湿原の草原を行くひとすじの道。むこうはガスにけむる。人生の行き先とは、こういう風景なのだろう。

 

 

 

湿原で出会った草花

 

       

       ワタスゲ

 

         

       ギボウシ

 

 

       

       ミヤマダイモンジソウ

 

 

       

       コバイケイソウ

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山頂を踏まない5日間の山旅

2021-07-28 15:21:39 | 日記

蓮華温泉の二日目になって、50リットルザックの再度ポケットにねじり込んでいたシナノ製ダブルストックを入れた袋が見当たらないことに気づいた。あるいは糸魚川からのバスで落としたかもと思ったが、蓮華温泉一帯は携帯の電波が届かず、風吹大池まで歩いた四日目の山歩きまで、問い合わせができなかった。

が、電波が通じてバス会社に連絡できても、ストックの落とし物というものはなかった。泊まったホテルなら、連絡があるだろう。なかった。あとは、在来線社内か。あきらめた。四日間の山歩きは、落ちていた木の枝を拾って杖にして歩いたが、山行の最終日に、白馬山頂から祖母谷温泉までの高低差2000m・8時間を要する長大な坂を下る自信がなかった。

そんな弱気になっていたとき、「ちょうどいい具合に」台風8号が近づいてきたので、躊躇なく風吹大池~白馬大池~山頂~祖母谷の残り三日間の行程を変更して、五日目に風吹大池のキャンプ地から栂池まで行ってロープウェイ・ゴンドラで下界に降りた。

蓮華温泉についてから下山するまで五日間は、以下のように過ごした。

初日:テントを張って露天風呂「仙気の湯」でまったり。

二日目:ウェストンの歩いた鉱山道をたどり2000m地点で引き返し。露天風呂「三国一之湯」でまったり。

三日目:朝日岳に到る五輪尾根を途中の「花園三角点」という魅力的なポイントをめざしたが、「あと2時間の急登」を登る元気がなく「白高地沢出会」という休憩地点まで行って引き返す。露天風呂「仙気の湯」でまったり。

四日目:蓮華温泉から風吹大池に移動しテント泊。大池1周遊歩道散策。

五日目:風吹大池から栂池天狗原経由で栂池ロープウェイ駅に「退散」

五日間も白馬岳周囲を歩いたというのに、山頂や顕著な三角点というものを踏まなかった。そういうことで、山頂などからの大展望やご来光などを楽しむことはできなかったが、ぞっこんほれ込んでいる蓮華温泉の露天風呂を三日間も堪能し、風吹大池周辺の静寂に包まれた高層湿原と出会えたのは幸いとしたい。

それに、1894年にウエストン一行が大蓮華(白馬岳)登降のためにたどった「蓮華鉱山道」の探索という目的も果たせた。蓮華温泉ロッジの管理人から「数日前に遭難騒ぎがあったので鉱山道はお勧めできない」との指導もあったが、「危険だと思ったら引き返します」と返答しておいた。このコース、歩いた日は下ってくる人も数人いたし、ガスったら迷いそうな上部の雪渓を朝日岳小屋のオジサンがスコップをもって整備をしてくれていたので、今の季節、晴れていたら問題なく歩けるだろう。

それよりも何よりも、ウエストンたちが130年ほど前にコース途中にあった蓮華鉱山を通過した際、鉱山監督者と出会って坑道を案内されたり、銀を含有した鉱石の産出量や粗末な鉱夫たちの宿舎に驚いたというその銀山跡が坑口も事務所跡も跡形もなく、ただ事務所跡といわれる平坦地にポツンと放置されていた錆びた機械の残骸さえなければ、誰もこんなところで坑口が三つもあった銀山があったなんて信じられないだろう。100年という歳月は、山の植物たちがヒトの生きた痕跡を無に帰すには十分すぎる時間なのだろう。「夏草や 兵どもの 夢の跡」か。

◎鉱山の事務所跡とされたわずかな平坦地

三日間お世話になった蓮華温泉を出発する朝、ウエストンの文庫本に載っていた、明治のころの蓮華温泉の写真の場所を特定しようとまわりの風景を眺めたら、背景の山並みから「ああ、この位置に湯小屋が並んでいたんだ」とすぐに分かった。今のロッジ前の道路付近に、あの湯治客らの歌声でウエストンが眠られなかったという宿と浴槽が立ち並んでいたんだ。

◎ウエストンの文庫本に載っていた宿の風景

◎現在の風景と重ねたら、山並みが一致した。(ロッジ前の道路から北の山並み)

◎現在の蓮華温泉ロッジ


山から帰って、次から次に展開される「オリンピックメダルショー」を、初めてテレビに接した子供のように見続けている。早く、静かな世界に舞い戻りたいと思った。

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わが車窓(まど)は、緑なりき

2021-07-21 12:00:13 | 日記
ことしはじめて18キップを使って磐越西線経由で日本海側にぬける。予定では、夕刻直江津駅で降りる。
在来線といっても快適で、約8時間の道中全線エアコンが効いていて、いまだエアコンさえもないわが家から比べたら、ガラガラの車輌で、前席に脚を伸ばしてまどろめる環境というのは、この炎熱地獄の季節、みほとけに抱かれている心地である。加えて、新しい車輌の大きな窓からは、会津の山々や夏色の深い緑に染まった南東北の田園風景が一望である。ときどき耳にする地元のオバァの方言も心地よい。


グループで劔岳に向かうために乗った40年ほど前の新宿発富山行き23時○○分発の夜行列車の車内を思い出す。季節は今ごろ。席という席は登山者で埋めつくされ、われわれは、みなと同じように床に横たわって寝た。あの当時の鈍行にはエアコンなんてあるわけもなく、開けらた窓から届く風に、わずかな涼を求めた。
快適になった2021年の鈍行列車。もう、夜行列車という言葉は死語。で、あのあふれかえっていた登山スタイルの青年たちは、今ごろどこで何をしているのだろうか。夢だったのか。



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ウェストンが大蓮華(白馬岳)に登ったころ

2021-07-20 03:27:08 | 日記

きのうの仙台は日中30.2℃、明日からの山旅に向けて2キロちょと先の仙台駅に「青春18きっぷ」、隣接するヨドバシカメラに「携帯シェーバー」を買い求めるために歩いて往復してきただけでも、クラクラするほど暑いと感じてきて、「やはり熱中症予防のために、これからはバスにするか」なんて弱気になっているオイラを発見したが、この日の東京は、33℃を越えていたという。

コロナ、コロナとばかりTOKYO2020の危うさを嘆いてきたが、よくよく考えてみれば、この暑さの中で、トライアスロンや陸上競技などの屋外競技を行うということは、炎熱地獄に選手を投げ落とすという残虐至極な行為なのであって、コロナ以上に選手に命の危険をさらすもので、まったく「お・も・て・な・し」になっていない。

環境省の暑さ指数(WBGT)からしても、東京は、連日「原則運動中止」の指数31を超えているのであって、国がやめろと言っている運動会を、よりによって1年で最も危険な時期にやらせるのであって、「アクセルとブレーキを一緒に踏む」というこの国の支離滅裂さは、コロナ以前から存在していたのだ。

そもそも、莫大な放送権料という大国放送局のエゴに屈したIOCのいうがままに、わが国の一番運動に適した10月や5月を除外したことからして、この五輪は、はじめから「悪魔に魅入られていた」といえ、バブルという空想により、いまや燎原の火のごとく広がろうとしている大会関係者のコロナ感染と相まって、この大会は「〇〇」に終わるものと断言したい。敗戦は目に見えている。

なにやら、若者などの間でも、戦時下の東京から疎開するがごとく、五輪の期間東京を脱出して、東北などに避難するものが増えているのだというが、彼らもオイラと同じ「五輪を気持ちよく見ていられない」ヒトビトに属するのだろう。


そんなオイラの明日からの第一次疎開先?として、新潟側から北アルプス北部の山旅を計画しているが、その間、「日本アルプスを世界に紹介して、日本アルプスの父といわれる登山家ウェストン(1861-1940)」が、今は白馬岳2932.3m(しろうまだけ)と呼んでいる大蓮華(おおれんげ)に登ったルートを麓の蓮華温泉から同じように日帰りで歩いてみようと思っている。

ウェストンの記録「日本アルプスの登山と探検」(岩波文庫)によると、彼は同僚の宣教師らと1984年(明治27年)7月のちょうど今頃、新潟県の親不知(2019年下った栂海新道の起点で、アルプスの尾根が海に沈む地点)をまず見物してから糸魚川経由で湯治客でにぎわっていた蓮華温泉に登り、翌日朝4時に起きて、当時銀を採掘していたといわれる蓮華鉱山を経由して大蓮華を往復している。

このルート、すでに鉱山は廃坑となっていて、いまや「葉のついた生木の枝で作った小屋とは呼べない鉱夫たちの宿舎」や事務所や精錬所などはあとかたもないようで、昭文社版「山と高原地図」によると「鉱山道は、歩く人が少なく経験者向き、また大雨時は利用不可」と記されていて、歩くヒトの稀な難コースみたいだが、逆に言うと人でにぎわう白馬のメインコースから外れて静かな山旅を味わうことができ、目を閉じるとウェストン一行や鉱山関係者のにぎやかな声も聞こえてきそうなので、ぜひ途中まででも歩いてこよう。

 

なお、深田久弥さんの「日本百名山」の記述によると、白馬岳がいつごろから「しろうま」と呼ばれるようになったのかは明らかではないようだが、白馬岳は、越中・越後側では古くから「大蓮華山」と呼ばれていて、日本海側から見るその山は、雪で白く輝いて蓮華の開花に似ているからその名がついたのだという。なお、深田さんは、ウェストン一行が「大雪渓」を下っていると記しているが、ウェストンの上記著書によると、どうやら元来た道を蓮華温泉に戻って、今の大糸線にそって徒歩で長野県に大町向かったのではないかと思われる。大雪渓を下ったにしては、立ち寄った村里の地名が合わないので、そのように考える。

たぶん、深田さんは、ウェストンたちがハイマツの枝を払ったのを橇のようにして雪渓を下ったという件を読んで「大雪渓」と誤解したようだが、明治のころは、今と違ってまだ残雪も多かっただろうから、大蓮華から鉱山道に到る雪渓を橇で下ることができたのではないか、そのように考える。

こんど、鉱山ルートを歩いたら、そんな雪渓を写真に収められたらいいなと思うが、もう無理かな。ウェストンのあの時代、ハイマツを橇にして雪渓下りを楽しんだ時代、つくづくうらやましいな。今だったら、「森林法違反」、「自然環境破壊」で、お上からこっぴどくお叱りをうけるのだろう。

今回の山旅のお供に、このウェストンの岩波文庫持っていって、在来線に揺られながら開こうか。18キップは、ウェストン時代の旅の速度を共有できる大事なツールでもあるのだ。

 

 

 

    

 

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カナカナを聴いた朝の出来事

2021-07-18 12:41:24 | 日記

今朝、時計を見ていなかったが、日の出の1時間くらい前の天文薄明の頃合いに、近所の木立からだろうか、カナカナが鳴きだすのを聴いた。オイラなりの初鳴きである。二、三度大きく鳴いたきりで、そのまま止んだ。いくら耳を澄ましていても、それっきりだった。たぶん、未明にはじめて地上に現れた♂が、ためしに鳴いてはみたものの、誰も呼応する者がなく、♀も近づく気配がないので、次の夕暮れか、薄明のために体力温存を図ったのだろう。この日を境に、しばらくカナカナの蝉しぐれが朝夕の清涼剤となってくれるのだろう。


二日前に「試に」やってみたPCR検査の結果を首を長くして待っていたのだが、なかなかメールが届かないので寝てしまったが、今朝カナカナの声で起されてたので、枕もとでメールを確認したら昨夜21時57分にメールが届いていた。「この度○○○○様の新型コロナPCR検査の結果は、陰性となりました。」と記されていた。変な文章だと思ったが、少しは安心した。だが、ワクチンを二度打っても感染防止ということにはならないということだし、あした誰かと接近して感染するかもしれないと考えると、1回ごとに1900円を支払って、自主的に検査を実施していく意味があるのかどうか、ちょっと首をかしげたくなる。とりあえず、「ジブンは感染者じゃありません。ダレカに移す心配は当面ありません」といいきかせ、来週には県境を越えよう。

他人の唾液ばかり毎日相手にして、土曜日なのに21時57分まで働いている検査機関のヒトビトには頭が下がる。辛いだろうな。給料どれぐらいもらってるのかな。


パズルがいっぱい載っていて楽しい「毎日新聞」日曜版をコンビニで買ってきたが、内閣支持率やオリンピックに関する世論調査が載っていた。

設問のうち「五輪を楽しみにしているか」については、「楽しみにしている」は35%で、「楽しむ気持ちになれない」の48%を下回ったという記事が目についた。オイラの気持ちが、コクミンの多数派に属していることに安堵した。が、何かやるせない。

世論調査といえば、「固定電話」世代の高齢者の意見に偏っているのではと、あまり信用していなかったが、携帯(SNS機能)のCメール方式と固定電話の自動音声方式との組み合わせで、携帯746件・固定341件とあり、トシヨリのご意見ばかりではないのだと、少し納得。

「楽しむ気持ちになれない」のだから、オイラは楽しい山に行くのだ。(合理化)


梅雨も明けて、夏山もいよいよシーズンインといったところだが、来週歩く予定となっている北アルプス白馬界隈の人気テント場も、昨年から予約制となっていて、来週の4連休を中心に、テント場なのに「満室」表示が多いので慌てて電話する。稜線上のテント場の料金が「2500円」となっていて、2年まえの「倍以上」となっている。まるで昨今のオートキャンプ場並みの料金設定となっているが、コロナ禍と五輪禍の難民を温かく迎えてくれて、水とトイレとビール・ワンカップなどを提供していくれるオアシスのような山小屋とテント場の管理人に「ぼったくり」なんて、とても言えないだろう。


予定では、2週間の山旅。富山、長野、石川のやまふところで、登りはじめは、カナカナさんたちから大合唱の歓迎を受けるのだろうが、帰るころには、もうひっそりとしているのだろうな。

 

     

     今回の山旅では、ウェストン卿が初めて白馬に登ったクラシックルートを探索してみようぜ

         (栂海新道を下った親不知のウェストン像 2019.7)

 

 

 

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