路隘庵日剰

中年や暮れ方近くの後方凡走

若い父よ腰手拭の青田風

2024年04月29日 | Weblog
 春がゆく。
 またしても。

 花盛りも知らず。
 花かげに立つこともなく。

               

  生きがたき此の生のはてに桃植ゑて死も明からせむそのはなざかり    岡井隆

               

               

 もはや言葉は虚言でしかなく、なにが嘘なのかもわからない世界に住んでいる。
 春がまたたくまに過ぎ去って、その過ぎ去ったものしか信じられない。

                

                

 「こうして私は時代に対して完全に真正面からの関心を喪失してしまった。私には、時代に対する発言の大部分が、正直なところ、空語、空語、空語!としてしか感受できないのである。私はたいがいの言葉が、それが美しく立派であればあるほど、信じられなくなっている。」

                            林達夫「歴史の暮方」

                 

 そんな時代は、とうの昔に終わっているはずではないのか。

                 

 先生に、久しぶりにオンラインでお会いした。
 ますます闊達、ますます自在。
 通史を完成させて、ひとまずは達観かと思いきや、実は多くの上梓前の達成がおありになるらしい。
 この知的活力の逞しさの風に吹かれることの、その心地よさに酔いしれるばかり。

                 

 「ところが、一般に学問的研究はさらにこういうことをも前提する。それから出てくる結果がなにか「知るに値する」という意味で重要な事柄である、という前提がそれである。そして明らかにこの前提のうちにこそわれわれの全問題はひそんでいるのである。なぜなら、ある研究の成果が重要であるかどうかは、学問上の手段によっては論証しえないからである。」

                            マックス・ウェーバー「職業としての学問」

                   

                   

 知性が他者を豊かにするものを、功利によって計ろうとするこの国に、もはや完全に未来はない。

                   

                   

 そういえば、森内俊雄も死んでしまった。
 「桜桃」のような神品だけを遺して。

                    

 私といえば、いまだに深夜、燃え盛る火炎のみ見つめている。
 たった独りで。
 飛び散る火の粉を。
 「フォーム」に飛び散るサクランボのように。

                    

                    

  ぼくはでてゆく
  冬の圧力の真むかうへ
  ひとりつきりで耐えられないから
  たくさんのひとと手をつなぐといふのは嘘だから
  ひとりつきりで抗争できないから
  たくさんのひとと手をつなぐといふのは卑怯だから
             
                    吉本隆明「ちひさな群への挨拶」抄

                     

                     

 独りでゆくことの哀れさ、そんなものを嘲笑しようとしたこともかつてはあったかもしれない。
 図書館の独学者に対するように。
 でも、今は憧れが勝つ。
 それはいったいどういうことなのか。

                      

                      

 「突然、彼が最近参照した書物の著者の名が、記憶に浮んだ。ランベール、ラングロワ、ラルバレトリエ、ラスッテクス、ラヴェルニュ。私は忽然と悟った。独学者の方法を発見したのだ。彼は書物をアルファベット順に読んでいる。」

                                     J・P・サルトル「嘔吐」

                       

                       

 書物をアルファベット順に読んで何がいけないのか。
 その愚直な勇気に渇仰せよ。
 もとより、憧れを知らぬものに苦悩はない。

                       

                       

 「それはつづめていえば「言え、お前は何者であるか?」という、倫理ないしスタイルに関連した問いである。(中略)甚だ煩わしい問いであるが、そうした好事の人々の安心のために、著者はG・ソレルの大変明快な答えを、そのまま本著における著者自身の立場として、提示できるように思う。
  「私は、私自身の教育のために役立ったノートを、若干の人々に提示する一人のautodidacteである。」」

                              橋川文三「増補 日本浪漫派批判序説」

                        

                        

 かくして、このようにして私は生きてゆかねばならぬのであるが・・・。

                       

                       

  名もしれぬちひさき星をたづねゆきて住まばやと思ふ夜半もありけり   落合直文

                       

                       

  雲がゆく
  おれもゆく
  アジアのうちにどこか
  さびしくてにぎやかで
  馬車も食堂も
  景色も泥くさいが
  ゆったりとしたところはないか
  どっしりした男が
  五六人
  おゝきな手をひろげて
  話をする
  そんなところはないか
  雲よ
  むろんおれは貧乏だが
  いいじゃないか つれてゆけよ

                谷川雁「雲よ」

                       

                       

 つれてゆけよ



  

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