秀吉は5歳の豪姫を養女に迎える。ねねとお松は昔から親しくしている。豪の乳母のわくりは前田又左衛門(利家)の家臣であったが浅井朝倉との戦で戦死した未亡人だ。それが豪共々羽柴家へ入ることになる。
秀吉の豪姫への溺愛ぶりが気持ち悪い。大体どの小説を読んでもこの時代の秀吉は同じように書かれている。
第一章は豪姫が幼いため、秀吉と又左衛門の友情が中心である。豪姫の場面は、乳母の視点で書かれている。まつの場面もまつの視点で書かれている。それ以外は三人称。
第二章は宇喜多家のこと。もちろん豪姫の夫が宇喜多秀家なのだが、宇喜多氏の発祥から直家の梟雄ぶりなどから書かれる。直家の話も多く書かれている。おじの中山備中守を殺害する話は木下昌輝「宇喜多の捨て嫁」でも書かれている内容と一致する。なのに内容を覚えていなかった。それもあるし描かれ方が全く異なるのだ。
秀家と秀吉との出会いは、本能寺の変のあとの中国大返しの際である。今日に戻る途中で備前岡山城に寄りそこで11歳の秀家(当時は家氏と称していた)とあうのだ。あまりの立派な振る舞いに、豪姫の婿にしようと思わせたのだった。それがなければ秀吉に無視されていたかもしれないし、滅ぼされていたかもしれない。また、その日はそこで宿泊するわけだが、直家の未亡人であるたまに夜の伽をせよと言う。しかし、大返しの途中にそんな余裕があったのだろうか。
柴田勝家を討ち、大坂城を普請し始める。大坂城はそもそも石山本願寺だったという歴史も詳しく書かれる。大の秀吉派である前田又左衛門と息子の孫四郎はどんどん出世していく。
第三章
秀家の元服までの場面。秀家はまだ幼いため戦には出られない。少し年上の家臣たちが秀吉の出陣に従い、出世していく事が歯がゆく思っている。秀吉が四国の長曾我部を討伐に向かった頃、秀家は岡山城で元服の儀を執り行う。そのときに正式に秀吉から一字もらった秀家と名乗る。元服を迎えると同時に侍女たちから夜の時間の手ほどきを受ける。その場面は生々しい。
前田又左衛門の二女のお摩阿が秀吉の側室となり加賀局と呼ばれ聚楽第に住む頃、秀家は初陣を迎える。
第四章
豪姫と秀家の婚儀。秀家は宰相と呼ばれるようになる。宇喜多家は長船越中守、豊臣家は浅井弾正(長政)が取仕切る。作者の特徴として、服装や品物の描写が詳細だ。風流な文体。井上靖の詩情のあるというのとは違う。また小説というより歴史書を読んでるようでもある。
第五章
秀吉の北条攻めと豪姫が細川ガラシャに倣いキリスト教を学ぶ。花房職秀のエピソード、戦場で能を楽しむ秀吉に不遜な態度を取り、一度は処刑されそうになったが、逆に取り立てられた話。これは秀家の家臣だったのだな。北条を破り天下を統一する。やがて天正少年使節の4人が帰ってきたり、豪姫が妊娠したり、利休が切腹を命じられた時期に男児を出産し、宇喜多家ゆかりの八郎と名前をつける。その後間もなくして秀吉の子である棄君が夭折する。最後は秀家と豪姫に数奇な運命が待っていると不安を煽る言葉。
第六章
秀吉は朝鮮出兵を計画。秀家も出兵。豪姫は八郎が生まれたところなのに、秀家が戦死しないだろうか不安。名護屋城から戻った淀君が拾(秀頼)を出産。やがて秀家も朝鮮出兵から大坂へ引き上げてきた。岡山での国政は家臣たちに任せていたが、長船綱直とその他の家臣とに溝ができてきた。綱直は父から引き継いだばかりで秀家寄りであるが、他の家臣たちは直家の代から仕えていたこと。また綱直はキリスト教信者だったのが理由とされる。それと同じころ、秀吉と秀次の関係も悪化してきた。秀頼が生まれたため秀次が目障りになってきたのだろう。結局秀吉は無理やり口実を作り、高野山へ蟄居させ、さらに切腹を命じた。さらには秀次の妻子供をみな処刑した。その場面が残酷だ。これを聞いた秀家とお豪は、養子でさえ粛清されるということに背筋を凍らせたのだった。
その後、宇喜多家の内輪揉めが表面化する。あの花房職秀も反秀家派だったのだ。秀家は切腹を申し渡そうとしていたが、石田三成を通じて秀吉に相談すると、秀吉は花房を佐竹義宣に預けよとしたのだった。花房にそんな運命があったのか。
秀次たちの処罰をきっかけにお豪は頻繁にひきつけを起こすようになる。トラウマになったのだ。お豪の心の中では秀吉に対する不信感が大きくなりつつあった。2度目の朝鮮出兵がうまく行かなかったとして、秀家がその責めを負うことになったらどうなるだろう。秀次の幼い子どもたちのように、自分の息子の八郎も殺させてしまうのではないか。しかし、頻繁にひきつけを起こすお豪を一番心配したのが秀吉だったのだ。秀吉を疑ってしまったことを反省するお豪。
第七章
急に衰えを見せ始めた秀吉。醍醐の花見を催す。やはりこの小説、この作家の特徴は、まさにそこで見てきたかのように、女たちの衣装のデザインを細やかに描写する。また歌もよく出てくる。
秀吉が死んでから、石田三成が出しゃばってきて、加藤清正たちから命を狙われ、家康のもとに逃げ込む話。など、関ヶ原に出てくる話が出てくる。
宇喜多家であるが、朝鮮出兵からの撤退後、内輪揉めが再燃する。秀家を中心とした、比較的新しい家臣のいわばキリスト教派と直家の代から仕える古い家臣の日蓮宗派。秀家派の家臣が毒殺されると、秀家もここで直家ばりの謀略(暗殺)を企てる。大谷刑部と親しい関係で、大谷の屋敷に反秀家の家臣を呼び出し底で暗殺しようとしたのだ。この騒動に対しても家康が仲裁する。岡山の政治をするものがいなくなり、ここで明石全登が登場する。司馬遼太郎「城塞」で印象的だった明石はここで登場する。元々直家が仕えていた浦上の出だったらしい。国許はこの明石全登に任せることにした。
関ヶ原が近づく。家康は上杉に因縁をつける。
秀家は兵を出そうとするが、意外と少ない。お家騒動で兵が減ったのだ。
こうしてみるとお豪と宇喜多秀家が共に暮らした時間は少なかったのだ。秀吉の養女となったお豪、そしていつか秀家と結婚するのだと待ち続ける。結婚したと思えば朝鮮出兵やお家騒動などでほとんど一緒に過ごすことがない。その挙句、関ヶ原で負けたため、自害したと見せかけ島津に匿われ離れ離れになり、島津が徳川に恭順したら今度は息子ともども八丈島に流罪。小説の中では関ヶ原で敗北して、一度大坂でお豪と会ったようになっているが定かではない。そう考えると、関ヶ原以降お豪と秀家は会ったことがないのではないか。八丈島で秀家は長生きしたとのことだが、逆にお豪とはその長い間会うことができなかったのだ。
宇喜多秀家という人物は興味深い。当時の権力者である秀吉に養子として迎えられ、他のメンバーと比べ何の実力もないのに五大老に列する。要はおぼっちゃまなのだ。朝鮮出兵ではそれなりに戦果を挙げたと思われる。関ヶ原では秀吉の養子だから当然西軍に着くわけだが、敗北し、悪者扱いとなる。面白いのは、そこで自害するのではなく、逃亡することだ。島津に匿われても生き延びようとする。かつての荒木村重とよく似ているが、ちょっと違う気がする。そして噂程度ではあるが、薩摩で再起を図り、琉球を攻めて宇喜多家を再興しようとする。結局それはかなわなかったのだが、島津が家康に屈服した際、助命を条件に家康に突き出される。命は助けられた秀家だが、ほぼ死を宣告されるに等しい、八丈島へ息子ともども流罪となる。武士の美徳としては自害しそうなものだが、八丈島に渡りそこでそれなりに生き続ける。武士としての誇りも構わず当地で生き抜く。この小説にはないが、現地の人から恵んでもらったり、福島正則の部下が漂流してきた際に酒をもらったなど、プライドなど何もなく生きていた。また現地では息子より長命だったという。本当に興味深い。
お豪に洗礼をさせたのは内藤ジュリアだが、兄は内藤如安(ジョアン)という。松永秀久の弟である松永長頼の子とのこと。
秀家が八丈島に流されたあとは、豪姫の切支丹としての人生が話の中心となる。あの高山右近は、加賀の前田家、利家から2代利長に庇護されていた。しかし3代利常の時には家康による禁教令が発せられ、ルソンへ流される。やはりキリシタンであり、お豪に仕えていた浮田休閑も処刑や棄教を免れるため、ルソン行きを決める。これも一種の流罪だ。しかしそうすることでかつての主君である秀家の八丈島流罪と心を共有できると考えた。
八丈島へは前田家から毎年多少の物資が送られていたが、豊臣に近しい前田家が幕府から謀反を疑われやすい立場であり、それを取り繕うのに苦心していた、大坂の役の時には、ああぬ疑いをかけられないよう、お豪は3代利常(弟である)から棄教を迫られた。そうしなければ八丈島への物資輸送も止めるとまで言われた。夫と子供を飢えさせないためお豪は棄教を決断する。その後、福島正則の家中のものが八丈島に遭難したとき、秀家から酒を求められた話など出てくる。それを回り回ってお豪は聞くことになる。そうして秀家の無事を知るのだった。
秀家は八丈島で長生きしたし、二人の息子は現地で子供を作り、子孫も増えていった。多くの分家が八丈島でできており、明治に入って赦免となり一部は東京に移住した。こうやって宇喜多一族が残ったのは、お豪が物資輸送と引き換えに棄教したおかげであると、作者は考えている。
それにしても宇喜多家は波乱万丈だ。興味深い一族だ。木下昌輝「宇喜多の楽土」は宇喜多秀家を主人公としているようなので、これも読んでみたい。
お豪は前田利家の娘なので当然なのだが、この小説も石川が舞台の場面が多い。金沢に住み始めて3ヶ月、この巡り合わせが面白い。
20210228読み始め
20210323読了
注いだ時点でドイツらしい青い香りが漂う。
薄い琥珀色で、少し濁っているようにも見える。
味は、最近の日本のビールに飲み慣れた口からすると、少し薄いというのか、コクは少ない。
あっさりしているからこそ、本場ドイツではいくらでも飲めるのかもしれない。
食事を邪魔しない。
サラッとしているが、後味にはスパイシーさを感じる。
以前も飲んでいたか?ラベルの色合いが違うので、別のものか?
久米の井は愛媛県松山市にある後藤酒造の酒だ。
このしぼりたて生酒は通常は飲めないと、一応そういうことらしい。
原酒ではあるが、醸造アルコールが入っているので本醸造になる。
実は最近、後藤酒造が酒造りをやめるということを聞き、まさかそんなことがあるのかと思い慌てて石川県から松山に注文したのだった。
松山に住んでいたときは、普通に見てたので、まさかこれが無くなるとは思いもしなかった。つまり、一度も飲んだことがなかったのだ。
香りは日本酒っぽいが、フレッシュさがあるような気がする。
飲む。蜜のような甘さがある。日本酒っぽさはあまりなく、愛媛の酒らしく水のよう。酒自体の辛さはあまりないが、刺激感がある。サラッとしていて飲みやすい。
安い日本酒にありがちな甘ったるさがないのでいい。
これはいい。もっと早く知っておきたかった。
20210606追記
やはり柔らかい、という印象は変わらない。酸味はほぼない。ただ苦味が強くなってきた感じがする。
20220209追記
今になって愛媛の久米桜しぼりたて原酒生酒と合わせる。この時期(開封後1年以上?)になると、生酒とは言え、さすがに熟成感が出てきている。飲みにくい。
20220528追記。
老香がありつつ、濃厚な甘味を感じる。
あん肝と合わせる。
あん肝の味、酒の味は独立している。
混じり合わない。