1Q84 BOOK1〈4月‐6月〉前編 (新潮文庫) 価格:¥ 620(税込) 発売日:2012-03-28 |
1Q84 BOOK1〈4月‐6月〉後編 (新潮文庫) 価格:¥ 620(税込) 発売日:2012-03-28 |
1Q84 BOOK2〈7月‐9月〉前編 (新潮文庫) 価格:¥ 620(税込) 発売日:2012-04-27 |
1Q84 BOOK2〈7月‐9月〉後編 (新潮文庫) 価格:¥ 578(税込) 発売日:2012-04-27 |
1Q84 BOOK3〈10月‐12月〉前編 (新潮文庫) 価格:¥ 662(税込) 発売日:2012-05-28 |
1Q84 BOOK3〈10月‐12月〉後編 (新潮文庫) 価格:¥ 662(税込) 発売日:2012-05-28 |
今まで(よくあるように)あえて村上春樹を避けてきた。しかし今回はオウムを取材して以降の小説であること、「1984年(ジョージ・オーウェル)」「謎」などキーワードから、読んでみようと思った。初の村上春樹となった。
最初青豆は普通のOLだと思わせられた。商談に向かうかのごとく。ところが次の登場で全然違うことが判明する。暗殺者だったのだ。さらに次の登場でとても苛烈な感情を持つ事がわかる。
対する天吾は地味な青年である。
まずは二人の話が交互に現れる。この前に読んだ八犬伝と構成は似ている。どちらも前章の余韻を残しながら読むと混乱しそうになる。
村上春樹は初めて読むが、どう言えばいいのだろうか、軽い文体ではある。バブル期のちょっとポップな洒落た文調だ。登場人物は作者の願望が前面に出たオタク的なキャラクターとも取れる。これが何故多くの人に読まれ、好まれているのか?売り方が巧みなせいもある、しかし、ともすればオタク的で都合良く展開する事に軽蔑されかねないのだが、不思議だ。オタク一歩手前のおしゃれ感、読みやすくすぐに読めてしまう、あとは全部読んでないからわからないがストーリーが面白いのだろう。謎が現れ、それが解かれていく。
だんだんストーリーが見えてきたが、コミューンの話が出てきた。この内容で多くのひとに読まれていると言うのは、みんなこういうことに関心があると言うことなのか?ただ読ませる何かを持っているのか?
ジョージ・オーウェルの1984年と言う名称が直接出てくる。自分で考えることを禁止され、ロボット化を推進という、この本によって本家の内容の解説がなされる。そういうことだったのか。
ある政治家がワインを出され、クレームをつける。自称ワイン通らしく、取り敢えず一本目は何かとクレームをつけて交換させ、そうすることで自分に箔をつけようとする。よくあることだ、自称できる営業マンによく見られる。取り敢えずクレームをつける。私が同席していたら、そいつをすごいとは思わないだろう。せっかくの楽しい雰囲気をぶち壊した無粋な奴、と思うだろう。
何か新しい事をするとき、これは正しいことか間違っているのか迷う。それは誰にもわからない。だから一歩踏み出さなければ何も始まらない。そこでまず人は断念するか、行動するか道が別れる。恐らく踏み出す人は、断念したらうまく行くか失敗するか自体わからないではないか、ならばせめて行動して、うまくいけば成功するかもしれない。もし仮に失敗してもその時はその時で、逃げも隠れもせず正直にその時の状況に対応すればいい。と思うのだろう。始めはそんな動機だ。ところが、結果は後からついてくる。中にはとんでもない結果になった、つまり社会的にも重大な結果を招くこともある。始めに結果を想像できなかっただけに、とんでもなく社会的批判を受ける事になるとは思いもよらなかっただろう。社会的犯罪も後で文句を言われるが、始めた当初は当人もこうなるとは予想もせず、将来批判するであろう周囲の者でさえ予想できない。周囲の者も同じくらい罪深い。
教団のリーダーは悪いいことをしようと意図してしているわけではない。思い込んでいるのだ。それを責めることができるのか?極めて真摯にそれに忠実である。客観的に見れば異常ではあるが本人には正常であり、一対一で話を聞くと異常とは感じない(そう錯覚しているだけか?)。結局そのように人々は宗教にはまっていくのかもしれない。いい宗教かよくない宗教かはあとになって、その時の社会情勢に基づいて、他者から決めつけられるだけである。評価は受け身なものである。
青豆は思った、この世界は張りぼての作られた世界なのではないかと。そこまで深い意味はないだろうが、仏教的な無常感や自分の存在、他社の存在、それが実際にあるのか?
自分の想像の産物なのではないだろうか?意識だけが存在するのか?そんなことも連想される内容。
BOOK3に入ると、雰囲気はガラリと変わり、ファンタジーになる。1984年から平行世界である1Q84年に移動してしまったのだろうか?牛河の章が加わり、さながら探偵小説のように牛河が推理していくのだが、さすがに推理小説専門の作家が書くようには上手くない。ちょっと展開に無理があるのではと思えてしまう。しかしこれは推理小説ではないのだからよしとすべきか。
対する天吾は地味な青年である。
まずは二人の話が交互に現れる。この前に読んだ八犬伝と構成は似ている。どちらも前章の余韻を残しながら読むと混乱しそうになる。
村上春樹は初めて読むが、どう言えばいいのだろうか、軽い文体ではある。バブル期のちょっとポップな洒落た文調だ。登場人物は作者の願望が前面に出たオタク的なキャラクターとも取れる。これが何故多くの人に読まれ、好まれているのか?売り方が巧みなせいもある、しかし、ともすればオタク的で都合良く展開する事に軽蔑されかねないのだが、不思議だ。オタク一歩手前のおしゃれ感、読みやすくすぐに読めてしまう、あとは全部読んでないからわからないがストーリーが面白いのだろう。謎が現れ、それが解かれていく。
だんだんストーリーが見えてきたが、コミューンの話が出てきた。この内容で多くのひとに読まれていると言うのは、みんなこういうことに関心があると言うことなのか?ただ読ませる何かを持っているのか?
ジョージ・オーウェルの1984年と言う名称が直接出てくる。自分で考えることを禁止され、ロボット化を推進という、この本によって本家の内容の解説がなされる。そういうことだったのか。
ある政治家がワインを出され、クレームをつける。自称ワイン通らしく、取り敢えず一本目は何かとクレームをつけて交換させ、そうすることで自分に箔をつけようとする。よくあることだ、自称できる営業マンによく見られる。取り敢えずクレームをつける。私が同席していたら、そいつをすごいとは思わないだろう。せっかくの楽しい雰囲気をぶち壊した無粋な奴、と思うだろう。
何か新しい事をするとき、これは正しいことか間違っているのか迷う。それは誰にもわからない。だから一歩踏み出さなければ何も始まらない。そこでまず人は断念するか、行動するか道が別れる。恐らく踏み出す人は、断念したらうまく行くか失敗するか自体わからないではないか、ならばせめて行動して、うまくいけば成功するかもしれない。もし仮に失敗してもその時はその時で、逃げも隠れもせず正直にその時の状況に対応すればいい。と思うのだろう。始めはそんな動機だ。ところが、結果は後からついてくる。中にはとんでもない結果になった、つまり社会的にも重大な結果を招くこともある。始めに結果を想像できなかっただけに、とんでもなく社会的批判を受ける事になるとは思いもよらなかっただろう。社会的犯罪も後で文句を言われるが、始めた当初は当人もこうなるとは予想もせず、将来批判するであろう周囲の者でさえ予想できない。周囲の者も同じくらい罪深い。
教団のリーダーは悪いいことをしようと意図してしているわけではない。思い込んでいるのだ。それを責めることができるのか?極めて真摯にそれに忠実である。客観的に見れば異常ではあるが本人には正常であり、一対一で話を聞くと異常とは感じない(そう錯覚しているだけか?)。結局そのように人々は宗教にはまっていくのかもしれない。いい宗教かよくない宗教かはあとになって、その時の社会情勢に基づいて、他者から決めつけられるだけである。評価は受け身なものである。
青豆は思った、この世界は張りぼての作られた世界なのではないかと。そこまで深い意味はないだろうが、仏教的な無常感や自分の存在、他社の存在、それが実際にあるのか?
自分の想像の産物なのではないだろうか?意識だけが存在するのか?そんなことも連想される内容。
BOOK3に入ると、雰囲気はガラリと変わり、ファンタジーになる。1984年から平行世界である1Q84年に移動してしまったのだろうか?牛河の章が加わり、さながら探偵小説のように牛河が推理していくのだが、さすがに推理小説専門の作家が書くようには上手くない。ちょっと展開に無理があるのではと思えてしまう。しかしこれは推理小説ではないのだからよしとすべきか。
結局村上春樹とはどういう作家か?また、なぜここまで社会現象を起こすのか?まではわからなかった。熱狂的なファンを作るほど凄い内容でもストーリー展開でもない。もっと他に文章を書く作家もいるだろう。また出版されるまでのものすごい話題性、新作が出る(しかしどんな内容か全くわからない)でも話題になる。周辺で読んでるという人をあまり聞かない。出版者の宣伝から、どんな凄い内容かと、実際読んでみると宣伝ほどはすごくはない。話題になっている間、巷には全く内容のネタバレが出てこない。何故ブームになったかわからないままブームが去っていく。まあ出版社の持ち上げ方が尋常でないということかと思った。
内容だが、全体的にはバブル時代のおしゃれでトレンディな文章。ここが今、かえって懐かしく現代人が実はあの頃は良かったと懐かしく思えるのがいいのではないか。謎解きに関しては、他にもっと壮大な謎解きを提示する作家はいるのと思うので、その点に関しては取り立てて、のめり込むという事はない。この謎解きがいいという人は、宣伝効果に惑わされているとしか考えられない。
結局2人の恋愛を、宗教や異世界(ファンタジー的な)、どす黒い陰謀を絡めて壮大な回り道をして描いたものだということだ。オウム取材を経た宗教、ハードボイルド小説の翻訳から得た表現法、それは最新のものであり、それを取り入れて単調で平凡になる恋愛小説を、目新しくアレンジした。いずれも恋愛小説のただの状況設定のネタに過ぎない。それぞれに意味があるわけではない。ということに思えた。そんな今までにない恋愛小説に世間は感動したのだろうか。
個人的にはもっと、宗教の深層やファンタジー(小人や2つの月などの)の作者なりの考えを今後は知りたいと思った。