一度読んだことがあるが、この続編と言われる「エクスタシーの湖」を読みたくなり、復習のため再読。ところが全く覚えていない。初読と言ってもいいだろう。まあ丁度良かった。1回目は20040906に旭屋書店京都店(今はない)で購入していて、20010420に出版されているので3年後に買ったのだ。恐らくすぐに読んだだろう。一度は処分してしまっていたが、また欲しくなり20151114に丸善広島店で改めて購入。20020420の第2刷が残っていた。買ったものの、結局8年積んだままだった。
クリスティンはホテル・リュウというメモリーホテルで働くメモリーガール。週に何度も通ってくる博士という老人。老人の記憶(という思出話のようなものか?)を聞く替わりに、自分の記憶の話をするという仕事。ある日博士が客でやってきた。全く挨拶をしないことに腹を立てたクリスティンだが、博士は息を引き取っていたのだった。博士との取り決めがあるので、自分の記憶を話し始める。
カルト教団から脱出してきた。その集団はミレニアムに大波が襲ってくるとし、1000年には1000人を船に乗せ脱出する計画。2000年にクリスティンは脱出する2000人の中にいたが、教団に興味がなく逃亡したのだった。途中でイザベルとシンダという女性二人組の車に拾われる。金もなく行くあてもないから、すがるようにその二人と同行する。しかし二人は殺人をおかし、その被害者の家に住んでいるのだった。それを察知し、わずかの金をもって再び放浪する。レストランで見た不思議な広告に応募し、男と生活するようになる。男は自称、黙示録学者(アポカリプトロジスト)。しかし余計なことを何もしゃべらず、自分の素性に繋がるものの何一つ部屋に置いていない。クリスティンにも余計なことはしゃべらせない。奇妙な共同生活を過ごす。
男(居住者という)はほとんど地下に閉じこもっている。ある日男が留守の時にそこへ入るクリスティン。すると壁一面のカレンダー。ただ月日が連続したものでなく、無秩序に並んでいる奇妙なもの。そのカレンダーはアポカリプスのカレンダーとのこと。真のアポカリプスの新世紀は1999年12月31日ではなく、もっと以前に始まっているのだった。正確に言えば1968年5月7日午前3時2分。アポカリプティックな事件とは理由なき事件。つまり1968年4月のアメリカ合衆国で最も偉大な公民権運動の指導者の暗殺(とだけ書かれているが、キング牧師の暗殺のこと)は理由があるためアポカリプティックではない。それに対して1974年6月30日、その指導者の母が暗殺された。これは理由もなく起こったという意味で現代のアポカリプスというべき出来事なのだ。日本の誇大妄想的な小説家(第3年目、1970年11月25日)、東京の地下鉄でのサリン事件(第27年目、1995年3月20日)、気のふれた韓国人の牧師が、一方的に配偶者を決めて四千人の集団結婚式をとりおこなった事件(第15年目、1982年7月16日)など日本人にも馴染みのある出来事が出てきて面白い。第32年、北カリフォルニアで2000人の女や子どもが断崖から身を投げる事件。これはクリスティンが当事者であり、生存者であるため、実際は1999人だったと親切心から居住者に教えてやった。様々な出来事が居住者の中でアポカリプティックな出来事と認識されている。そしてクリスティンの体から脾臓のあたりにある個所を見つけ1985年4月29日と書き入れる。アポカリプスのカレンダーは静的なものでなく動的にそして1次元的な方向でなく立体的に位置を変えるのだった。クリスティンはカレンダーの中心なのだ。クリスティン自身を配置し、カレンダーの日付との位置関係がどう変化するのか調べだす。クリスティンを部屋の中のあらゆる場所、または外に配置して、そこからカレンダーがどう変化するか見るのだ。
このカレンダーらしき描写にはかすかに記憶がある。男が秘密の部屋で壁に写真か何かを張り付けているような映像が頭に残っていたが、カレンダーだったのだ。主人公がいたのは思い出せなかった。完全にクリスティンが主人公だ。2度目にして理解しながら読むことができそうだ(いや、本当の意味で理解できているかはわからないが)それにしても、つくづく訳者によって雰囲気が違うと思う。本作は越川芳明であり、柴田元幸もエリクソンのいくつかは訳しているが、柴田のエリクソンの翻訳における暗さ、吐き気を催すような寂寥感というものがなく、どことなく明るい。こちらの方が好みかもしれない。何か今回の読書はワクワクする。読み進めるのが楽しみだ。
やがてクリスティンの語りから、居住者の主体に変わる。男の過去が語られ始める。どうやら、1968年5月7日というのは、母親の故郷であるフランスに家族ともに移住していたとき、両親のへやから発砲音が聞こえ、女子大生の死体を見つけた日。同じ時、学生運動が盛んで、学生対警察で抗争があった時期。母親は群衆のなかに消え父親は女子大生を殺害したという疑いで刑務所に入れられる。当時11歳だった男は、言葉を発することをやめ、友人の家を転々とするのだった。スターリニストのジュナという女性と出会い、チグハグな関係が始まる。カール・マルクスとの三角関係。これぞ幻視か?全く、男の狂った思考が続く。
マクシー・マラスキーノという女性と知り合う。しかしマクシーに監禁されてしまう。7ヶ月が過ぎる、その間ずっと頭痛に悩まされる。ある日鍵が開けられていて脱出する。舞台はパリに移る。男は25歳になっている。アンジーという19歳の少女と知り合う。例の韓国の指導者の合同結婚式の話。
よくわからない描写が続いたが、情熱的ではあった。アンジーとは親密になったように思える。過去について彼女は話さなかったが、自分は11歳の時の出来事を話した。青いカレンダーの原型はできていた。
二人は別れる。アンジーはロスに去ってしまった。それまで6年付き合っていたのだ。そして妊娠していた?男はもう一度会いたいとロスに向かう。一方のアンジーは疎遠にしていた自分の親に会おうとする。過去を回想する。父親は日本人で物理学者。核科学者。母親は放射線の影響で既に死んでいた。アンジーは小さい頃はサキと呼ばれていた、というセンテンスがあった。父親が日本人だから日本名のサキだったことがわかる。アンジーは子供の頃窓から暗くなりつつある景色をみるのが好きだった。遠くにラスベガスの明かりが見える。それは熊本に住んでいた父親が1945年8月に長崎の方に見た原爆の明るさに重ねる。
サキは子供の頃父親に期待されていた。成長すると肌身離さずにいた熊のぬいぐるみを取り上げられた。サキは非凡な才能を持っていたが、ピアノ以外は飽き性で学校の成績も平凡なものだった。母親は戸惑い、父親は憤慨する。反抗したサキは熊のぬいぐるみを探しだしそれを連れて家出する。そしていかがわしいバーで働き出す。よくかかっていたロックバラードから取ってアンジーと名乗るようになる(ローリング・ストーンズの「アンジー」らしい)。そのうちにマクシー・マラスキーノという女性と知り合い、その部屋に転がり込む。マクシーはパンクロックの歌手をしているようで、酒やドラッグでヘロヘロになったロックミュージシャンやアーティストも転がり込んでいた。マクシーの紹介で映画に出るようになる。年齢(17歳)がばれマクシーの部屋を出ることにする。荷物を取りにマクシーの部屋に行くと、部屋の奥で暴力的な男が閉じ込められて、外から鍵をかけられている。荷物を取りたいが怖くて中に入れないアンジー。差し鍵をそっと開け、去る。中の人物こそ、居住者だ。ここで繋がる。
アンジーは最後の映画に出演して辞めようと思う。マクシーと会い、ミッチ・クリスチャンという男は危険だからやめた方がいいとアドバイスされるが、アンジーはマクシーが仕事を独り占めしようとしているのではないかと疑心暗鬼になり(妄想思考?)反対を押しきって事務所に行く。現場に入ろうとするところで黒い革ジャケットの女に止められるが無視。しかし現場をみて現実に戻されたアンジーは逃げ出す。そのまま飛行機に乗りロンドンへ行く。9ヶ月後パリのサンジェルマン通りのカフェに座っていて、居住者に会った。
黒い革ジャケットの女はルイーズといい、かつてミッチと結婚していた。少し話が進み、新聞記事に(実は前のページにも出てきていた)車がトンネルに入った時、出っぱりで頭部が引っ掛かりスライスされた男の事故の記事。その衝撃で車はトンネルの壁にぶつかり運転していた女も死んだ。男はミッチで、女はナディーン・センケヴィッチ、芸名はマクシー・マラスキーノだった。
ルイーズの過去の話になる。ミッチェル・ブルーメンサルとルイーズの夫婦は映画制作をしていた。ミッチが監督で、ルイーズはルル・ブルーの名前で脚本を書いていた。そこにルイーズの兄のビリーが加わり3人で仕事をしていた。3部作を予定していた映画制作が最後の1作で行き詰まっていた。ルイーズはスナッフフィルム(殺人ポルノ映画)を計画した。勿論本物ではなく作り物で。ミッチは盛り上がる。偽物と言う点ではガッカリしたが。女優としてミネアポリス出身のマリーという18歳の少女を見つけてきた。真実味を出すため撮影の一日前に呼び出し、目隠しをして裸にし24時間宙吊りにし、横で殺した後の始末をどうするか3人で話し合う振りをした。撮影後マリーは錯乱し行方不明となる。映画は公開されると警察が真に受け2人は逮捕された(ビリーはその前に逃亡)。マリーは行方不明のため殺人はしていないということが実証されない。しかしマリーが見つかる。ただ拷問をしたり精神的に追い詰めたという行為に対しては追及される可能性があった。しかし、マリーは精神がおかしくなっていたため実証不能として罪は免れた。
しばらくすると、同時多発的にハンブルク、ブエノスアイレス、メキシコシティ、東京、ロサンジェルスでルイーズたちの映画を真似て、実際に5人の少女が殺される事件が起きた。それ以来ルイーズはおかしくなる。ルイーズはミッチとの間に子どもを妊娠する。産もうとするとミッチは大反対。ミッチと別れる。兄のビリーの行方が分かり、会いに行くとそこにはマリーがいた。ビリーは逃亡するときにマリーも一緒に連れ、ダヴェンホール島に来てバーを経営していたのだった。既に正気に戻っているマリー。逆にルイーズの方が精神的に病んでいた。なぜか優しく介護するマリー。反発するルイーズ。ルイーズは毎晩自分の作った映画によって死んでしまった5人の少女の夢を見て苦しむ。一方のマリーはあの撮影の時、光に包まれ突ききってしまい、それ以来夢を見なくなった。
ルイーズは赤ん坊を産むと決意する。マリーに付き添ってもらう。ミッチに似た男の子や、ルイーズに似た女の子は産まれてきてほしくない。自分達に似て欲しくない。ルイーズはある考え、マリーに産まれてくる子の面倒を見てもらえないか相談した。それはできない、と断られる。かつて非道なことをした自分なのだから当然だと思ったが、そうではなくマリーは自分は死ぬからというのが理由だった。そして出産。疲労のため赤ん坊と添い寝して眠ってしまうルイーズだが、目が覚めたら赤ん坊がいなかった。気が変わったマリーが赤ん坊を連れて去っていったのだった。それから3年間、サンフランシスコで一人で過ごす。マリーから手紙が来たりしたが開封せず、読むこともなく返事も書かず。やがてビリーからの手紙が来たとき、中は読まず、島に帰ると返事だけ出して、島へわたる船着き場に向かう。対岸にビリーと手を引かれた自分の娘の姿を見つける。船は着岸したがそれには乗らず、サンフランシスコに帰る。それからも娘に会わない。耳の奥で銃声が鳴り続ける限りは(幻聴)。マリーにしたことの償いとしてあらゆる映画のフィルムを盗み出す。そのフィルムを焼きその灰を家々のパラボラアンテナに塗り黒く染めていく。そしてそのパラボラアンテナを日本人の少年が白いパラボラアンテナに交換していく(このシーンは前の方で出てきた。何のことかと思っていたが、ここで繋がる)1999年のことだ。ルイーズはもう54歳。窓際に映る裸の少女が目に入る。
それはクリスティンだった。居住者のタイムカプセルと金を盗んで家を抜け出す。パラボラアンテナを取り替える少年のトラックに乗せてもらう。少年は黒い時計墓地(「黒い時計の旅」の黒い時計のことか?)の中からタイムカプセルを掘り出し、日本に送っていた。墓地で少年は落雷に会い、少年から鍵を奪い、少年の家で寝る。夜中に侵入者があり、日本に送るための無数のタイムカプセルが盗まれた。クリスティンが持っていた居住者のカプセルも一緒に持っていかれた。その事実を知った途端、自分が遂に孤独になったことを自覚する。自分が3、4歳の時のことを思い出す。この世界に欠けているものはなn?という問いを叔父に投げかけ、それ以来叔父が機嫌を損ねた。ダヴェンホール島でバーの経営をしている叔父、つまりビリーだ。ここでまた繋がる。
クリスティンは居住者の家に戻る。居住者は不在。クリスティンがトラックを走らせていると故障したカマロに乗るルイーズと知り合う。居住者の家に連れ帰る。親子の対面か?
家の中を案内するクリスティン。地下でカレンダーを紹介。2.3.7.5.68.19と書かれた場所。1900年代の68番目の年の5番目の月の7番目の日。つまり1968年5月7日3時02分すぎ、そこが全ての始まりと説明する。
クリスティンがいなくなり、ルイーズはパラボラアンテナを乗せたトラックを使ってチャイナタウンのペントハウスに向かう。
また場面は変わり、20年後。カールという老人の話。相変わらずここへ来てまた新しい人物を登場させる。老人の幻覚。地図の制作をしてきた老人。例の数字は座標ではないか、と妄想する。中華街の青い目の4歳の少女が登場。過去に会った少女と重なる。
居住者はパリで売春婦を助ける事業に取り組む。一人一人?果てしない。不遇な女性たちを救出しホテルにかくまう。いつかそういった女性たちも去っていく。ブドウ畑を経営する老夫婦のところにいる。被害妄想的な幻想が続く。セーヌ川の埠頭で空を見つめ幸せな時間を味わう。この場面が癒される。
なけなしの金を使いブルターニュ半島のシュールレバトーという村のホテルに泊まり、そこで2.2.79と書かれたメモを見つける。それはマクシー・マラスキーノに監禁された日だが、関連が見つけ出せない。
眠ると夢を見る。赤ん坊(をつくったことはないはずだが娘)の夢だ。娘ということに執着しているような夢。結局この小説は、産んだことのない娘に対する愛情をずっと描いている。
クリスティーナという人物が登場。この女性はクリスティンと関係あるのか?娘?彼女は逆に父親が死ぬ幻想を見る。
クリスティンがまた登場。妊娠する。東京へ来てからの話に戻る。東京の場面が続く。帯の解説は安易にここだけをピックアップしたのではないか?クリスティンは叔父につれられダヴェンホール島の川の堤防にいる。対岸に母親を見る。
クリスティンの見る東京の風景。やがて日本人の女性と知り合い、それがホテルのオーナーであり、メモリーガールとして雇われることになった。冒頭に出てきたカイ博士。アメリカに何年も住んでいたが、日本に帰ってきた。娘のサキとは縁を切っている。とここで。アンジー(サキ)の日本人物理学者の父とは、このカイ博士だったと繋がる。
ミカからメモはクリスティンにふさわしいといわれる。水族館?に行きそのメモの番号を探しカプセルを見つける。その直後、爆発が起こり大量の水が押し寄せる。これが真夜中に海がやってきた、なのだろうか?
それからの幻想。クリスティンはお腹の子を流産する。苦しい描写が続く。しかし赤ん坊が座っている夢を見て、目覚めると、お腹に子が宿っている感覚を覚えるのだった。
途中まで読んで気づいたが、前回は途中で挫折していたのではないだろうか。今回は読了した。そして楽しめたと思う。
居住者(多分作者をあらわしているのだろう)の赤ん坊(特に女の子)に対する感覚が印象的。生まれているのか生れていないのか?生まれたとして急に成長し、ぶっ飛んだ少女(18歳くらい)に成長している。そうなってしまうことへの恐れ、そうなってしまって不幸な人生を歩んでしまうのではないかという不安。これはまさに作者の観る幻想だ。被害妄想的幻想。
20231022読み始め
20231103読了