医療裁判傍聴記

傍聴した観想など

高岡典子医師 医師法違反 診療報酬詐欺事件 第3回公判

2018-06-21 22:20:10 | 傍聴記
802号法廷(岡田健彦裁判長)午前10時から午後5時まで4人の方の証人尋問がありました。検察側の証人尋問の立証趣旨で、夫である利昌被告との共謀の有無及び詐欺における欺罔行為の故意性に争いがありますので、そちらにも注目をして傍聴しています。

午前中は、高岡医院(高岡西洋医学東亜医学医院)で平成28年3月から4月(高岡典子医師の医業停止期間 平成27年10月15日から平成30年10月14日)まで管理医師をされていたA子医師の親しいお知り合いの方が証言されました。
その方の証言によりますと、A子医師には、認知症の疑いがあったのですが、H医師の仲介により高岡医院に勤務することになったようです。しかし平成28年4月28日には、主に仕事が忙しいという理由で船橋の自宅へ逃げて帰って来ました。勤務日が月水金だけの約束が毎日、医院の近くのアパートに住み込みで働かされて嫌になってしまったようです。しかし、高岡被告夫婦が船橋の自宅まで「患者さんが医院で待っているので戻ってきてください」と連れ戻しに来てA子医師は困っておられました。A子医師と以前から親しく付き合っていましたので、代わりにお断りの連絡をする事になり電話をしましたら高岡先生が感情的になって「何を言っているの、あなたに話すことはありません」などと怒鳴られました。
その後もA子医師のところには何度か高岡医師から復職を希望する電話連絡があったようです。あまりにしつこく言われたので、A子医師はまた戻ると言ってしまったようです。
その事をH医師に相談すると、辞めるのなら認知症の診断書と退職願いの提出をしたらどうかとの助言を頂いたので、A子医師と近隣の病院にかかりましたところ認知症に間違いないと診断を受けてすぐに入院することになりました。入院中の5月下旬から6月初旬まで毎日、高岡先生からは電話があったようです。7月には病院を退院して老人ホームに入られました。
(A子医師は裁判所に出頭できないようです)高岡被告側の弁護士からは証人の証言が伝聞証拠になる可能性があると指摘があり裁判所、検察側に何度か注意が入りました。

つづいて午後からは高岡医院に勤めていた方の証言になります。
>平成28年6月頃にA子医師が診察しているのを見たことがありますか?
ありません。しかし診断書、レセプトにはA子医師の名前を使っていました。
そうするように言われていました。
>A子医師の事で他に何か指示されていた事がありますか?
外部からの対応で、誰が高岡医院で診察していますかと聞かれたら高岡医師でなくA子医師がしていますと答えなさいと言われていました。なんで医院を開いているのかと不思議だと思っていました。以前も同じ犯罪で捕まって有罪判決を受けているのに、また同じことをやってしまって犯罪の片棒を担いでいるようでした。患者さんからも苦情が来ていて、保健所に連絡して医院を指導して欲しいと頼みました。
保健所は来てくれて指導はしたのですが、高岡先生は反省をしませんでした。保健所が置いて行った文書も破いてゴミ箱に捨ててしまいました。それ以上保健所が動いてくれないということで、警察に連絡することになりました。1回目は匿名なので警察が動きませんでしたが2回目は氏名を名乗ると警察が調べることになりました。
>リハビリ計画書は、誰が書いていましたか?
オーナー(利昌被告)だと思います。
>誰の名前で書いていましたか?
リハビリを勤めていたKさんの名前です。
Kさんは目が不自由で、診察をすることや病名を書くことは出来ません。
>なぜ医院を続けていたのでしょう?
跡継ぎの為のようです。
>高岡医師と利昌被告との力関係はどうでしょう?
オーナーが上のようでした。

つづきまして、高岡医院に10年ぐらい来ていらっしゃる主婦の患者さんの証言です。
薬を貰いに医院に通院していました、高岡先生は気さくな先生です。以前の詐欺事件の件では迷惑を掛けましたなど謝られました。そんなに悪い風には見えませんでした。
ただオーナーは喜怒哀楽が激しく穏やかでない時にはスタッフや患者さんにも荒く指示をする事がありました。平成28年10月ぐらいまで医院には行っていました。

つづきまして、高岡医院と取引があった金融機関の方の証言です。
平成27年4月から平成29年3月まで取引先としてお付き合いをしていました。
高岡医院は、グループ企業4社がありまして、貸付金が1億円あります。
その毎月の支払の事で時々、医院に伺っていました。
平成28年の1月の事ですが、最初に管理医師をお願いしていたK医師が患者さんから苦情が多くて困っている、医院のために辞めてもらう、次の医師を探しています。と言われたので、こちらとしては返済が滞ると困ります早く医師を探して下さいと言いました。
その後、3月に新しい医師としてA子医師が見つかり、すぐに来てもらうことになりました。それで4月からは返済額を毎月10万円から15万円にする合意をオーナーと致しました。
しかし、6月頃からA子医師が体調を崩していて、非常勤の医師を日当1万円で雇っていると聞きましたが、その医師とは一度も会っていません。12月頃に来年の4月には娘さんが医師として戻ってくるのでそれまでは頑張っていきますと言っていました。
平成29年の1月に警察から調査依頼が来ました。


また7月中に裁判があります。

慶応卒「野村グループ」エリート社員CAを監禁・暴行の非道

2018-06-21 22:15:56 | 慶応大学
《トイレに行きたいという申し出を許さず、男は自分の目の前で小便をするように強要した》
《髪を引っ張り、殴る蹴るの暴行を加え、調教しようとした》
《男が眠るまで起きているよう求め、屈辱的な日課リストの実行を命じた。その中には彼に性的満足を与えることや、就寝前のセックスを求めているかを女性から質問することも含まれていた》

 2013年、英国で発生した監禁レイプ事件は、被害者である客室乗務員(CA)の女性がロンドン中心部、パディントン・ポリスステーションに駆け込んだことで発覚した。

 女性は2013年9月13日から16日までの4日間にわたり、性的強要を受けた時間・日付、暴行を受けた際の傷を携帯カメラに記録しており、証拠写真が交際相手の男を逮捕する決め手となったという。英国では、男が前述のような疑いで裁判にかけられていると報じられている。そして事件から5年ーー。

「Rapist banker(強姦魔の銀行家)」

 英国の大衆紙「デイリー・ミラー」に煽情的な見出しが躍った。2018年3月23日、英国で開かれていた事件の裁判にようやく審判が下されたのだ。

「被告人を11年の禁錮刑に処す」

 罪状は、前述のCA女性に対する性的暴行。異常な内容もさることながら、このレイプ事件が注目を集めたのは、荻原岳彦被告(40)が「ノムラ・インターナショナルplc」に勤める日本人であったこと。

 同社は野村證券をはじめとする金融最大手の野村グループの英国現地法人であり、彼はそのエグゼクティブディレクターの地位にあったのだ。

 現地では、「世界的な影響力を持つ自国企業が関わる事件のため、日本大使館からも裁判を傍聴に人が来ていた」と報じられている。

 傍から見れば順風満帆のエリート人生を送ってきた荻原被告という男は、どういう人物なのか。千葉県にある彼の実家近くで、中学までの荻原被告と接してきた近隣住民によれば、元気なリーダー的存在の少年だったという。

「たーくん(荻原)は昔から明るくてユニークな子供でした。へんな言葉遊びで皆を笑わせる人気者でしたよ」

 ところが難関を突破して進学した開成高校では評価が一変。開成といえば、東大進学者数日本一を記録し続ける神童揃いの高校だが、同級生たちの荻原被告に対する印象は総じて薄い。

「僕も高校からの入学組だけど、(荻原被告は)暗い顔をしていたという印象しかない」
「彼はサッカー部に入部していたはずだが、同じクラスだったサッカー部員もその存在を覚えていない」(ともに高校時代の同級生)

 高校卒業後、慶応大学・同大学院に進学した荻原被告。
 判決を言い渡された際、傍聴席で泣き崩れる妻に「グッバイ」と別れを告げたという。裁判では性的暴行容疑を終始否認し、被害女性の訴えを架空のものと退ける主張を貫いていた。

 曲がりなりにもキャリアを積み上げてのエリート人生だったが、元社員に対する会社の反応はそっけない。

「本件に関しては、コメントは差し控えさせていただいております」(野村ホールディングスのグループ広報部)

 11年の実刑は、長いのか、短いのか。

「今回の刑を日本の罪名に置き換えるなら、暴行罪、傷害罪、監禁罪、強要罪、強制性交等罪。11年という量刑は妥当でしょう」(佐々木好一弁護士)

 荻原被告が高校の卒業文集に寄せたタイトルは「Cherish the day.(一日一日を大切に)」。異国の法廷で、元エリートはこの言葉をかみしめたに違いない。

週刊FLASH 2018年6月5日号