四国遍路の旅記録 二巡目 第4回 その6

平成20年4月3日     水戸森峠を越えて出会えた大師堂


朝の道

永徳寺(十夜ケ橋)

少し肌寒いくらいの朝の空気、十夜ケ橋に向います。
別格第八番札所 十夜ケ橋 永徳寺。
「大同2年(807)、弘法大師がこの地方を通られた際に、一夜の宿を求めてまわった。宿をかしてくれるところなく、寒き中、橋の下で野宿したが、あまりの寒さに一夜が十夜にもまさる思いであったという。いつからか、杖の音で、橋の下に休まれる大師の睡眠を妨げてはならないという心遣いを、遍路の戒めとして「橋の上では金剛杖をつかない」ならわしとするようになった。」(以上、四国遍路ひとり歩き同行二人(解説編)より引用) 十夜ケ橋の下、お大師さまは今も休んでおられます。

(追記)「十夜橋」の由来について
上記、日記本文に引いたことは、まさに十夜橋の名の由来であり、江戸期に至るまで伝えられてきたものと思われます。(澄禅、真念、寂本は記録せず、少し後の「四国遍礼名所圖会」に採録される。)
また、橋の上では杖を突かぬことは、その後の弘法大師への尊敬の深まりにつれて生まれた遍路の風習と思われます。
十夜ケ橋(永徳寺)の縁起には、この橋の名の由来に続いて「このような艱難をうけられるについても、大師は六道輪廻の世界を行き悩む衆生を常楽の彼岸へ渡そうという衆生済度の思いを強くし「ゆきなやむ 浮き世の人を渡さずば 一夜も十夜の橋と思ほゆ」との歌を詠まれた・・」といった宗教的意味付けがなされていると言われます。

旧い新谷の街を抜け、休憩所、神南堂で休憩すると、お接待の伊予柑が置かれていました。
五十崎(いかざき)の駅を過ぎると、道は国道を離れ、内子に入るまで地道となります。
1巡目の時より忘れはしない、私の殊の他お気に入りの道なのです。
昔の農村の道を思わせる、それは懐かしい風景が広がります。
田圃もまだ空で、緑の展開も遅れてはいましたが、しっとり湿った草の道を踏み、清々しい気持ちに浸ることができました。

内子の旧い街並みは、けっこうな観光客で賑わっていました。欧米系の外国人の家族連れの姿も。
そんな場所で、現れる遍路姿は、旧い家並みと同様に観光客の興味の対象と化すのです。

五十崎の桜

内子への道

内子の街で

この先、私は通常の遍路ルートを通らず、インターネットの遍路サイトで紹介されていた、昔の遍路道「水戸森峠越え」に向います。
ここより恒例により「道しるべ」に欄を譲ります。

「道しるべ」    水戸森峠越え遍路道

内子の旧い街筋をそのまま進んでいると、いろんな人が声を掛けてきます。
「おへんろさん、道ちがう・・、づっと手前を右に曲がらないと・・」
「ありがとうごぜーます。ミトモリ峠に行くもんで・・」
でっぷりしたおっさんの登場。
「うん、ありゃ昔の遍路道だ・・、だけど行かんほうがええ・・」。
どうして・・と聞き返さないのが礼儀、とにかく道順を教えていただき、お礼を言って発つ。

水戸森峠への道

峠の桜

へんろ道標石

岡町を過ぎ、国道56号と交差します。そのまま進み橋を渡ると、「水戸森峠1.4k」四国の道の標示。
標示に従い、急坂のコンクリート道を上ると、松山自動車道が見え、その側道と思われる道に出ます。
それを左折、自動車道の下を潜ると、前方に自動車道のパーキングエリアが見えます。ここまで来ると、峠の所在が想像できます。

道傍に住宅がある所、折れて上る地道の坂が見える。登り切ったところが水戸森峠、休憩所があります。
(この峠直前の道、後に、ある方から指摘を受けたので、付記しておきます。
住宅に至る前に、右に上る擬木欄干の道があり、少し迂回して峠に通ずる。私の通った道は、いかにも私道風な畑中の道であり、ご指摘の道の方がよいと思う。)

峠は桜も満開。うーん、よきかな・・ のどかな春の気配。

休憩所の手前に、へんろ道標石があります。
あとは下り、標石から左に新しそうな林道が拓かれていますが、そちらに行かず、真っ直ぐ下に向う感じ。やがて舗装道に交差、ここにも標石があります。
これまた直進、(何方か、竹に「下に→」の書き込み)
しばらく行くと、私にとっては感動の瞬間、西光寺大師堂に出会えることになったのです。

この先はもうへんろ地図にある国道379号沿いの福岡商店が目の前です。

要は、水戸森峠から、東へ真っ直ぐ国道379号まで下るのが、ルートイメージです。
入口から福岡商店まで、私の足で45分、2k強です。



私は、東国の農村に今も残されている素朴で美しい観音堂や阿弥陀堂、こういったお堂が何故この四国には残されていないのか、かねがね残念に思ってきたものですが、このお堂には「やっと、出会えた」という感動を覚えました。
屋根下の桁が太い独特な造りで、そう旧いものではなさそうですが、木組み、彫刻のすばらしさ、何といっても空に向って羽ばたかんとするような雄大な屋根の形。
唯一の不調和は後に掲げられたと思われる寺名額と私には思えましたが・・。
お堂に向って、暫しの至福の時間を過ごすことができました。感謝、合掌。

西光寺大師堂

西光寺大師堂

ここより、国道379号、380号を辿り約17k、今日の宿小田のふじや旅館に向います。
1巡目は足を怪我し、引きずって歩いた所。
桜満開の大瀬小学校、以前に泊まった民宿来楽苦、遍路の間ではどういう訳か話題欠くことない徳岡旅館、・・・順調に過ぎ、15時15分宿に入りました。

     本日の歩行: 49885歩   地図上の距離: 31.5k


平成20年4月4日        へんろ道の変遷を想う


大瀬付近

 生活の橋

バス待合所


 菜の花に囲まれて

三島神社(大平)

この深い山に囲まれた小田では、街では見られない独特の生活を感じさせてくれる様々なものに出会うことができます。
川を渡る怖い橋、立派なバス待合所、ああ、これほどまでに菜の花いっぱいの畑。

国道380号の大平の三島神社から、県道42号の本成の三嶋神社を繋ぐ、畑峠遍路道。
国道380号は農祖峠に、県道42号は鴇田峠に繋がっている現在では、殆ど意味の無い道とも思えるのですが、真弓峠は壁のよう。
もしここにトンネルがなかったら・・と考えると、畑峠越えの道があった意味が分るような気がします。

「道しるべ」     畑峠遍路道

畑峠遍路道の始まり

崩落箇所

畑峠付近

大平の三島神社の脇から、所々コンクリートを流した狭い急坂が始まります。
国道を越え、急坂は続き、三度国道に至る。
おそらく、この部分がこの遍路道で一番急な部分。
国道に面した納屋の後ろを上る。この先、路肩が崩壊しています。注意して渡る箇所。旧国道(といっても、通行の跡はない、自然に還りつつあるような道・・)に出ます。ここを左方へ2、300m行ったところから始まるのが、平成18年10月復元されたという道。
5、600mで、いつの間にか緩やかな峠(標高640m)を越えています。
峠道から林道(畑谷高山線)に下りるところが、崩壊危険箇所、協力会の手でロープが張られています。
ここまで入り口から1.5k。
本成の三嶋神社まで、あとの2.6kは林道を歩く。木材の伐採、搬出が行われている。後半は舗装道。
私の足で、全行程、1時間30分でした。


三嶋神社(本成) 

菜の花の道を行く

下坂場峠の入口

ここより下坂場峠を越えて宮成に出ます。
通常、遍路は、ここから鴇田峠に向うのですが、私はこの度は農祖峠を越えてみたいのです。

宮成の電話交換局の前で、宿で作ってもらったおにぎりを戴いていると、先程通り過ぎた家の縁側にいたおじいさんが、わざわざ、よいしょ、よいしょと杖をついてやってきて、「あっち・・」と鴇田峠の方を指差す。
事情を説明しかけたが、おじいさんはもう、よいしょ、よいしょで引き揚げ開始。人の話は聞く気配もありません。有難くも困った話。

宮成から農祖峠の入口のある二名に向けて行く。
途中、道傍に旧い遍路標石があります。「左へんろ道」とある。どこから来てどこへ行く遍路道であったのでしょうか。現在の道からは想像もつきません。

この旧い遍路標石を見ながら、思いは少し飛びます。
1巡目に通った鴇田峠のお堂の傍に粗末な石碑があり、判読し辛いが次のように刻まれていました。
「ヒフ病ニテ此処ノ大師様ニオタノミシマシタラ オカゲデナオリマシタ オ願ホドキニコレヲタテマス・・」
若干の気味悪さを持って見たことを、今も覚えています。さらに思いは飛びます。
遍路を始めてから、私は自然に、遍路道に関する書物に多く目がとまるようになっています。
その中の一つ(服部英雄「峠の歴史学」)に次のような記述があったこを思い起こします。「昔、悪病を患った遍路を隔離し、宿泊させる施設としての「ヘンドゴヤ」という地名が、この二名に今も残る・・」
「当時にあっては、不治の病とされた結核やハンセン病の患者らが絶望の中に四国遍路の旅を開始したことも多かったでしょう。病気治癒の奇跡は起こらず、故郷に戻ることもなく、異郷の地のヘンド小屋に生涯を終えた人がどれほどいたことか・・」
ヘンド小屋への道は、還ることのない、また通り過ぎることのない遍路道として人里離れた山裾に残されたのでしょう。
この道、この同じ大地の上を現代からは想像もできぬような心が、歩き去ったであろうことを思います。


農祖峠越え。久万の街まで約3kの峠道。傍らにいつも清らかな水の流れがある、緩やかな気持ちのよい道です。
夏の暑い日には、何物にも代え難い慰めとなるであろう渓流。
鴇田峠の方が雰囲気という点では、優る道でしょうが、楽という点ではこちらが明らかに優る。

峠を下りたところで、農作業帰りのおばちゃんの笑顔とばったり鉢合わせ。
手を取らんばかりに「えらいのー、ほんにえらいのー・・」褒められている気分にさせられます。
(いやいや、この言葉、「偉い」ではなく、「疲れたのー」という同情の意であること、私は知っていますが・・。)

宮成と二名の間にあるへんろ石

農祖峠への道


農祖峠付近

久万高原の街を通って、第44番札所大宝寺にお参り。
伊予鉄バスの団体遍路と一緒になります。美人の添乗の女性と話をさせていただく。遍路姿の役得。

今夜は、どうしても1巡目思い出の笛ケ滝に泊まりたかった。でも団体が入っていてだめだという。仕方なく別の宿へ。

大宝寺 

大宝寺  

    本日の歩行: 40997歩   地図上の距離: 23.9k

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 四国遍路の旅... 四国遍路の旅... »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。