四国遍路の旅記録 二巡目 第4回 その5

平成20年3月31日   新しいへんろ小屋には大うなぎがいた


宿を出てまもなく右手に喫茶「磯」があります。ここは、遍路道の維持保全にも尽力されている、てんやわんや王国大統領の居城と聞く。できれば拝謁の栄誉に浴したかったところだが、残念ながらまだ開店前。
平成18年11月に復元された宇和島松尾峠遍路道に入ります。

「道しるべ」  宇和島松尾峠遍路道
遍路道の始まり

道標

へんろ小屋

この道の入口は国道56号のトンネル入口の手前、右側の道から入り、トンネルの上を越える・・と聞いていたし、へんろ地図もそうなっています。
しかし実際は、国道の左側をそのまま上がってこの道に合流する道が出来ていました。歩道が国道の左側にあり、交通量の多い国道を横断しなくても遍路道に入れるよう、きめ細かい配慮であると感じました。

実は、この道独特の遍路道標識が随所にあり、まず迷うことはない道ですが、一応辿っておきます。
トンネル入口の上を越え、この道唯一のやや急な道を上ると舗装林道と交差。ここに旧い遍路標石があります。
標石の記述、「右岩松町一里 四十番八里・・ 左宇和島 四十番奥の院二里・・」とあります。
四十番奥の院とは龍光院のことでしょう。
やがてなだらかな峠の最高点220mに達し、立派な新しい遍路小屋があります。
天井には津島名物大うなぎがデザインされています。
あとは緩い下りで舗装道に出、砕石場があります。
道は山裾の狭い道に寄り道しますが、やがて旧国道の広い道に出ます。
全長3.7k所要時間1時間でした。

馬目木大師

龍光院

龍光寺

龍光寺

仏木寺

国道56号に戻った所で、前日同行した所沢のMさん、それに御荘の宿で同宿だった神奈川のMIさんと一緒になります。
馬目木大師、宇和島城、龍光院(別格6番札所)と同行。
私は龍光院で納経するため、二人には先行してもらう。
二人は歯長峠手前の宿まで、わたしは歯長峠を越えた宿なのです。

宇和島から第41番札所龍光寺までの道は、やたらと長く感じます。
門前のうどん屋の昼食で気を取り直し、龍光寺にお参り。勢いで2.6k先、第42番札所佛木寺にお参り。
突如、風が吹き雨が降る。このすぐ先の宿にすればよかったと悔やみながら、雨の止むのを待つ。

歯長峠の上り道のきついこと。それにも増して下り道の悪いこと。
この下り道、おそらく今回通った遍路道では、最悪の道だと思う。長くはないのでまあ我慢できるということですが。
でも、峠の前で私をパスした若者は、1回の休憩も取らず越えたといいます。同宿の宿で聞きました。

歯長峠遍路道(登る若者)

歯長峠から      

     本日の歩行: 53655歩   地図上の距離: 32.1k


平成20年4月1日     大先達登場・・


明石寺

明石寺

明石寺山門

卯の町、旧い街並み

早朝、第43番札所明石寺にお参りします。
へんろ地図にある寺の裏山を越える遍路道、行きつ戻りつしたがついにその入口は見つかりませんでした。

1巡目の時と同じ、卯之町の旧い街並みを見て通ります。歴史を感じさせる旧い旅館があります。女将さん風の人が奥から声を掛けていただく。
いつか、こういう旅館に泊まってみたいものだと思う。

前回は、お迎えいただいた地元のHさん。腰がお悪いと聞いているので、今回は知らせていません。
「こんどはゆっくり酒でも飲みましょうや・・」という言葉忘れてはいないのですが・・。

国道56号を行き、やがて鳥坂峠。
前回は雨の日でトラックが肩を掠める怖いトンネルを通ったが、今回はしっかり峠道を通ります。
鳥坂峠番所跡の立派な家の前を過ぎると、道は本格的な山道。
気持ちがいい道です。50分程で標高470mの峠に達します。
峠には立派なお顔の地蔵がおられる。その前で昼飯のおにぎりを食う。

鳥坂峠道


鳥坂峠から宇和町方面を眺める

峠からは国道56号を見下ろす道。
旧国道とも林道ともつかぬ不思議な道、人も車も通らない、これがやたらと長いのです。
へんろ道を下ったところが札陀懸寺(札掛大師堂)。
以前はゴミ置き場の様相でしたが、きれいに片付いています。軒は崩れかけているが、ガラス戸が入っています。堂守さんが住みつかれたのかもしれない。

国道56号を横目に

札陀懸寺

大洲の城と肱川

おそろしく立派な教会の建物が見えてくると、大洲の街。
肱川の傍、大洲城が見えます。「おー桜が満開じゃが・・」

JR伊予大洲駅に近いときわ旅館に入ります。
若い夫婦が仕切っている。洗濯もしてくれる。親切で気持ちのよい対応。

夕食には何と、所沢のMさん、神奈川のMIさんが顔を出す。
「何だかそんな気がしたんだ・・」
「大先達、お元気で・・」
3人のMが集まり盛り上がる。(私も本名はM)
お二人は初巡目、私は2巡目、たいして変わりはないのだが、風格から言って?私は冗談半分の大先達ということになっているのです。楽しい夜でした。

     本日の歩行: 44668歩   地図上の距離: 25.6k


平成20年4月2日   「道しるべ」   金山出石寺への道

別格7番札所金山出石寺への道、事前にへんろ地図を見ながら道定め・・。
へんろ地図によると、43番札所明石寺からのルートは、国道56号、鳥坂峠、札掛大師堂、国道197号を経て、JR伊予平野駅の前から上がる道と、寺から高山、阿蔵を経て大洲市街に下る道がはっきり区別されています。
宿は大洲市街にしかありません。大洲市街の宿に連泊して、荷物の大半を置いてお参りできるメリットは大きい。
そこで、省エネ?方法を採用。大洲の宿に連泊、朝、伊予大洲駅から伊予平野駅まで2駅、鉄道利用(7分)。

宿に着くと金山出石寺への歩きルート図が用意されていて、若主人が、高山、阿蔵ルートを「ぜったい、これが楽です・・」と推薦。ただし肱川から阿蔵に上がる山道は、崩壊危険区域なので迂回すべきという。
「ありがとうござんすが、決めたことですけー・・」
と、所期のルートに固執する頑固遍路。

沼田の標示に従う


段々畑の菜の花(沼田地区)

木材の搬出

地蔵道との合流点

丁石

翌朝、無人の伊予平野駅に降りたち、7時10分歩き開始。
沼田川に沿った県道を行きます。
やがて地蔵堂の集落、ここより右に「地蔵道」を分岐。私は「瀬田道」を辿ります。
最初に迷ったのは2.7k地点、舗装道が左に大きくカーブする所、「出石寺 保子野」の道路標示に惑わされて進み引き返す。ここは「沼田」の標示に従うのが正解。

3.4k地点、舗装道を離れ地道に入る。道はやや荒れた感じ、通る人は少ない感じ。舗装道を2度横切り、急坂となります。
やがて、民家の庭先のような場所に出ます。民家数軒、犬の声がけたたましい。左に行っても右に行っても民家の前。声を掛けても皆留守。ここは右に行く。
民家の直前で右に行く遍路道標示、すぐ舗装道に出ます。(へんろ地図、H280、10.1k地点)
ここは沼田の集落。見上げるばかりの段々畑、菜の花が溢れているところ。
14世紀、足利尊氏と戦った九州の菊池氏との親交と業績を称える不思議な碑があります。平成14年建之、歴史は生きている。

5k地点、再び地道となります。おっちゃんとおばちゃんが、伐採材の搬出中。おばちゃんの楫取りの巧まさに、ついつい「うまーい」。おばちゃん振り返りニッコリ。

道は荒れた山道、獣道風の何本もの分岐があります。一度上って、今度は下る。ここは、思い切り下るのが正解なのですが、私は心配となり少し上がる道を辿り民家の縁先に出てしまいました。
おばあさんがひとり、横になっています。挨拶して道を問う。口元は動くが言葉は出てこない、左手で下の方を指す。
「わかりました・・下に降りればいいんですね・・お気をつけて・・」
細い急坂を下って舗装道へ出ます。ここが瀬田の部落。
6.3k地点、再び地道。舗装道を横切った後、蔵のような建物の右横、山道を上る。間もなく6.9k地点、高山方面から上がってくる山道と合流します。
ここより寺まで1.7k迷うことのない一本道です。

この「瀬田道」と呼ばれる遍路道、遍路標識は、各分岐に基本的には設置されています。ただ、その位置が遅かったり、分り難かったりする所があります。少し進んで標識を確認する態度が必要。

沢山の奉納地蔵が見え、巨大な大師像に迎えられ、やがて出石寺山門。
伊予平野駅を出て、8.6k、3時間20分でした。

寺近くの奉納地蔵群

出石寺

出石寺

門前の広場には、タクシーがいたりして少々愕然とするけれど、参拝者も多く、立派な寺です。
標高812mからの眺め、朝の雲海が有名ですが、今は、全体が貌と霞んで展望はありません。
本当は、こういうお寺に泊めていただくと、いい経験が出来るのだろうけれど・・。

境内横に土産物とうどん屋があります。うどん400円を注文し、ストーブにあたりながら、おばちゃんと話しをします。
お店、年中開いてるんだそうだ。(ただし11月~3月は水曜が定休。今日は水曜、ぎりぎりOK)冬は、予想通り大変だそうだ。
甘酒300円の貼紙を声をあげて読んで、おばちゃんを期待させて、裏切った。

(追記)金山出石寺について
この山は古くは矢野々神山と呼ばれる霊山で、多くの人々の山岳信仰を集める場であったと伝えています。
また、長大な三崎半島を巡るこの地は古くから瀬戸内海南航路の要衝でもあって、阿波の焼山寺や大龍寺のように山頂に火が焚かれ、船からは灯台の役割を果たしていたと思われます。(火を焚くこと自体が宗教的修行の手段となったと・・)
「三教指帰」に言う金巖(かねのだけ)のひとつの候補地に挙げられるように、空海をはじめとする真言渓系の修行地として寺院の建立が為されたと考えられています。




延々と舗装道を下る(高山付近)

大洲の街を望む

桜の大洲城

下りは高山、阿蔵を通り、直接大洲に戻る道を行きます。
この道、寺より2.5kの山道が舗装道(車道)と合流した後は、3箇所ほど、ヘアピンカーブをカットする短い地道があるのみで、阿蔵まで5.4kの舗装道です。
林間の決して悪い道では無いのですが、何しろ足に厳しい道なのです。
阿蔵からの地道約1kは、宿の若主人の注意も忘れ、つい通ってしまう。
平坦な道で、崩壊の危険は無いように思えるが、最後、市街に下りる所が、「危険区域」に入っており、天候状況により注意したい。

この高山、阿蔵を通る道、へんろ地図の標示にように、実際の遍路道標識も「44番大宝寺へ」と下りを前提とした設置で、上る場合には、遍路道標識はないと思った方がよい。

やがて桜満開の大洲城が見えてきます。
出石寺から大洲市街の宿まで、約11k、3時間30分でした。

出石寺へのルート選択は、良かったと思っています。上りは、やはり瀬田道を通ってこそ、価値がある・・とまで感じています。



     本日の歩行: 42314歩   地図上の距離: 19.8k

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