四国遍路の旅記録 二巡目 第2回 その7

平成19年4月8日     緑のへんろ道を何処までも


行程:
 金剛頂寺から不動岩、中山峠を経て、奈半利駅まで。

歩行距離: 地図上の距離21.2k、歩数:35157歩

膝の具合も良くない。それにちょっと事情もあって、今回の遍路の旅は、鉄道のある奈半利まで歩いて、そこで区切ることにしました。

金剛頂寺を出て

下りの山道へ、神社の左を下る

金剛頂寺を出て、不動岩に下りる道が、本来の遍路道と思われるのですが、へんろマークは、不動岩に寄らず、直接海岸に出る近道を標示しています。宿坊の女性もそちらの道を行くよう指示していました。
私は、不動岩に寄りたかったので旧来の道を選びます。
曲がりや交差が多く標識もないので、へんろ地図だけでは迷うかもしれません。右手奥に神社が見える所の山道を下ります。
下ると不動岩の目の前に出ます。
この不動岩は空海が修行したところと伝えられ、不動堂は行当西寺ともよばれるようです。明治始めまでは西寺(金剛頂寺)は、女人禁制であったため、ここで納経したので、女人堂としても賑わったといいます。
不動岩より東へ1kも行かぬ場所、岬そして集落に今も残る行当という名。不動岩も含め昔はすべて「行道」の字が当てられていたといいます。行道、即ちここは歩く修行の道。東寺(最御崎寺)の洞窟からこの行道岩までの道を幾度も幾度も廻った修行者の姿を想い浮かべるのです。

(追記)行道修行について
古く鎌倉時代の末の「梁塵秘抄」に能登半島の辺路のこととして
われらが修行に出でし時 珠洲の岬をかひさはり うち廻り 振り捨てて 一人越路の旅に出でて 足打せしこそ あはれなりしか」(「かひさはり」とは、海に突き出た断崖、岩を廻るとき、見えない岸壁の向こう側に指を這わせ、手掛かりを探る行動を言う。)
と語り伝えられるように、当時の日本では各地の海、山での修行が行われてきたと言われます。それは辺地における行動(ぎょうどう)と禅定(瞑想)の苦行の限りない繰り返しとも言いうるでしょう。
同書にも「われらが修行せしやうは、仞忍辱袈裟をば肩に掛け、又笈を負ひ、衣はいつとなくしほたれて、四国の辺地をぞ常に踏む」と記されます。(忍辱(にんにく)とはどんな苦しみにも耐え忍ぶこと、その袈裟を掛けていたらどんな苦しみに耐え忍ばなくてはならない。ぼろぼろの袈裟を肩に掛け、海風の吹く所、山の中、笈を背負ってみすぼらしい姿で歩いたさま・・)
五来重はその行動の四国における一つの場が西寺(金剛頂寺)と東寺(後に最御崎寺)の間にあったと書いています。西寺の方に今に残る地名「行当岬」は「行動岬」、その先端にある「不動岩」は「行動岩」であり、
西寺の方に今に残る地名「行当岬」は「行動岬」、その先端にある「不動岩」は「行動岩」であったと言っています。
金剛頂寺(西寺)で行動し、室戸岬(奥之院)で座禅をした(平安時代には西寺と東寺は金剛定寺という一つの寺であったという)・・また、空海の説くところでは山を巡ることを金剛界、窟に籠ることを胎蔵界に擬え、両方をまわることを金胎両部の修行と呼びます。四国には多くの行動の場がありますが、西寺、東寺の行動は中行動、中行動が繋がって四国全体の大行動(四国辺路)に発展していったと考えることも可能なのかもしれません。

(参考文献:五来重 「四国遍路の寺」、他)
                                           (令和5年8月改記)
(追記)「金剛頂寺、空海修行の道」
寂本の「四国遍礼霊場記」の金剛頂寺の項には、江戸初期の金剛頂寺の様子とともに、空海の修行について次のような伝承が納められています。(伝承部分は私なりに口語訳風に改めます。)
「本堂の右の社は若一王子即当山の地主神(鎮守)也、左は十八所宮、是は王城(京)の上社十八神を勧請せり。山上清泉あり相そへて弁財天祠を立。大師加持の閼伽井あり、堂を立て覆へり。・・」
(以下口語訳風)「空海が始めてこの地域を訪ねたとき大きな楠があった。木のうつろの中に多くの天狗(魔縁)が集まっていた。空海を見て、羽を叩き嘴を鳴らしとがめ罵った。空海は暫く呪文を唱えて佇んでいた。誦じた呪文は不動明王火界咒であったので、忽ち火焔が放出された。神通力も及ばず天狗たちは退散した。その後、固く結界して寺を建て、自らの像を彫って楠のうつろに置いた。・・」
「当寺もむかしより女人のぼる事を制す。若女人の参詣はふもとに行道所といひ岩屋あり。本尊不動にて楠木に大師作りつけ給い霊尊あり、女人は此にて拝して去。・・」
上記「霊場記」中段の伝承は何を言わんとしているのであろうか・・
前追記に記した如く、空海当時の山林修行とは、まず「窟籠り」、そして「行道」し「禅定(瞑想)」することでありました。空海は室戸岬の近くで寺の適地を見つけ(後の金剛頂寺)修行のベースとします。そして毎日、行当岬の窟、室戸岬の窟を行動して修行していたと思われます。(中行道)
それでは、空海の修行中現れた天狗とは何か・・
空海の行法を妨げようとする様々なものを差してしるように思われます。(それは既存の宗教者であったかも・・また、自らの心の中にあるものであったかも・・)空海は呪語を唱え、唾を吐き出してそれらを撃退したというのです。何とも不可思議な修行の道ではあります。(参考文献:五来重 「四国遍路の寺」、他)


四国経遍礼霊場記 金剛頂寺

追記「南路志に記される金剛頂寺」
「南路志」には金剛頂寺について極めて詳細な記述があります。「霊場記」と重複する部分もありますが、ここに敢えて略意訳しておきます。

龍頭山光明院金剛頂寺、古くは三角山と号したが、後「龍頭山」と改める。開基は弘法大師、大同元年大師唐より帰朝の時、行当崎硯之浦に着岸し、日本最初に開いた寺という。
嵯峨・淳和両帝の勅願所。本堂本尊薬師、秘仏である。脇士日光・月光、十二神将立像(秘仏)、弁財天ともに大師作。大師杖と伝わる鉄杖有。古くより御影堂に於て3月1日より21日迄夜勤行が行われる。この間、佛法僧という鳥が鳴くという。当山の不思議の一つである。
 仁王門は宝永七年に大風で倒れ再建されていない。鐘楼の鐘は忠義公の寄進。 若一王子権現が本堂右脇に有る。その法要の際、天等栱という鳥(𪆐(シュ)とも云う。人の手を持ち不吉な鳥とされる。何となく大師が退治したとされる魔障を思わせる)に関わる不思議有り。
十八所大権現本堂左脇に有り。神道の極意と伝わる、大不思議の社なり。 本堂の下方に八間四方の池がある。池の中嶋があり弁財天像がある。蛙が多く居るが、大師が修法の障りとて加持し鳴くことがない。これもまた不思議の一つなり。
当山三池のうち、容見池のこと、閼伽井堂のこと(略) 
弥勒堂が東坂に有る。女人堂とも云う。結界の限りなり。護摩堂、半鐘、大坊、鎮守法海大権現、大師所縁の名石(硯石)のこと・・(略) 更には行当崎岩崫の不動堂、舟霊観音にまで及ぶ。


 不動岩と不動堂

不動岩の行場

不動岩の前で

海岸の道で前を歩くひとりの遍路に追いつきます。昨夜同宿であった石川の男性のようです。二人で歩いていると、スポーツドリンクとお菓子のお接待。今日はもうお参りする寺はないので、リュックに仕舞った納札を出して受け取っていただく。
南無大師遍照金剛・・。
石川の男性は、今日は27番を打って、麓の宿に泊まる予定という。私と同行するペースじゃちょっと厳しいのじゃないかなー。

 吉良川の街

 中山峠道より羽根の街を望む 

中山峠を越えて、緑の遍路道

吉良川の古い街並みを眺めながら歩きました。
その先の中山峠への山道はけっこうな坂道で汗をかきます。峠には籠に吊るしたミニトマトの無人お接待。甘くうまかったこと。

さて、今回の巡礼の旅も終りが近づいてきました。分ったような、生意気なことを、一言書かせていただきましょう。
長い歩きの時間の中で、何かを考えていたとも思うのですが、後から振り返ると、何も考えていなっかたのでは・・ということに気付かされるのです。
自然や風土や、その中で生活する人の姿と言葉を、ひたすら感じていただけというのが、一番近い気持ちなのです。
霊場へのお参りの度に唱える「般若心経」の一節が、ふと口をついて出てきます。
「無無明 亦無無明尽 乃至無老死 亦無老死尽 」(無明もなく、また無明が尽きることもなく、そして老死も無く、また老死の尽きることも無く)
無明から老死という、人の一生の因果や目的を持った事象の繋がりではなく、ただただ、何かとてつもなく大きなものの全体の中の一部を感覚できること。
そういうことがあるとすれば、これこそが、巡礼の旅ではないだろうかと・・
ふと思ったりしたのでした。 

中山峠を越えると、目の前に、どこまでも続くような、緑の遍路道が開けました。
こういう道を、いつまでも、いつまでも歩いていたい。
やがて、奈半利の駅。今回の私の遍路の旅のおわりです。

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コメント
 
 
 
こんばんは (自転車親父)
2007-04-19 20:44:22
こんばんは。
お疲れ様でした!
その昔若い頃、一週間以上も山歩きしていて、何を考えて歩いていたか?
きっと何も考えずにひたすら歩いていたような。
なのに終わったあとの感動は素晴らしかった。
そんなことを思い出してしまいました。
枯雑草さんの文章と写真から、枯雑草さんのお人柄が滲み出てきております。
本当にご苦労様でした。
 
 
 
nanbuyaさん (karekusa_2005)
2007-04-19 21:55:23
こんばんは。
そうですね。分り難いと思います。
できれば、地図を作ってその中に示したいのですが、
私の技術では、ちょっと無理。申し訳ありませんが
例えば次のHPなど参考にしてください。
http://gnl.cplaza.ne.jp/walking/sikoku.html
 
 
 
お疲れ様でした! (kikuri-n)
2007-04-19 23:02:11
続きで拝見させて頂きました。
何も考えず無心で歩かれる事が無我の境地に
近いのでしょうか?
「何かの大きな全体の中の一部を感覚できること」
・・・凄い体感ですね。 
何処までも続くような緑の遍路道のような道を
何処までも歩いてみたいお気持ちが解るような
気がしてきました。
遍路の旅お疲れ様でした。ゆっくり養生されて下さいね。楽しませて頂きました。
 
 
 
自転車親父さん (karekusa_2005)
2007-04-20 06:08:40
こんにちは。
おもしろくない遍路日記に、お付き合い
いただき、ありがとうございました。
そうですね。何も考えずに、裸の心と肌で
感じることが、感動に繋がるのでしょうね。
 
 
 
きくりーん さん (karekusa_2005)
2007-04-20 06:15:35
こんにちは。
おもしろくない遍路日記にお付き合いいただき
ありがとうございました。
「何かの大きな全体・・」って、おそらく宇宙
であったり、地球であったり、我々生き物が棲む
世界であったり・・という気がします。
これからも、体が許せば、般若心経を口に、緑の
遍路道を歩き続けたいと思っています。
 
 
 
Unknown (ピンピンシニア)
2007-04-20 06:23:39
たま~に、小田原まで歩くとき、何も考えていませんねえ。考えることも出来ません。歩くことに精一杯なので。でも、到着したあと、あんなこと、こんなことが重なった想い出となっていきます。
明日、途中の回をじっくり読もうと思います。
 
 
 
これは厳しそう (eos44)
2007-04-20 16:44:32
こんにちは。
これだけの道を歩いて移動するのは本当にきつそうですね。
足の具合は如何ですか?
万全の状態でも大変だと思います。
お大事になさってくださいね。
 
 
 
ピンピンシニアさん (karekusa_2005)
2007-04-20 20:01:24
こんにちは。
歩いているときは、歩くことに専念し、回りの
いろいろなものを受けとめることに専念し、
余計なことは、考えない・・。これが、いいん
ですね。心が真っ白になってるようです。
 
 
 
eos44 さん (karekusa_2005)
2007-04-20 20:03:59
こんにちは。
私は、もともと足が強くなく、その上、体調不良
膝が悪いときてますから、けっこうきつかった
ですよ。でも、四国だから歩けたのですね。
不思議なものです。
 
 
 
こんばんは (さんしろう)
2007-04-20 23:56:47
 心を真っ白にすることがあるのかと自問しています。機会をつくって編路道を歩いてみたいですね。味わいのある文章と写真、奥深いですね。繰り返し読んで、見ています。
 それにしても1日の歩く距離がすごいですね。
 
 
 
さんしろう さん (karekusa_2005)
2007-04-21 06:11:55
こんにちは。
おもしろくない遍路日記にお付き合いいただき
恐縮です。
発信することがない、受けるだけの心で歩ける
のが、四国の道だとも思いました。
四国の道だから、足弱の私でも、このくらいの
距離、歩けるのですね。
 
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