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ブラック校則と歴史

2017年12月17日 | 時事
「ブラック校則」調査実施へ 頭髪黒染め問題受け
確かに全国の学校にはそれぞれ独自に決められた謎の校則があるようですね。

「黒髪でなければならない」「スカート丈は○cm」など、自分が中学校の頃にもこの程度の決まりは存在していた気がします。小学校に勤めているとこういう決まりは基本存在しませんし、児童の自由意思というよりは親の価値観によって(笑)身なりは比較的自由になっています。中には茶髪であったり剃り込みが入っていたり(笑)気合の入った子や過激な服装の子もいますが、学校側としてはそういう子がトラブルに巻き込まれないよう親に諭したり見守ったりすることしかできません。そして、比較的自由な小学校を卒業し、中学校へ入って初めて様々な校則があることを知り、窮屈に感じる経験は誰でも辿った道なわけです。しかし、ここで学校側の言い分をはっきりさせておくと、まず大事なのは「校則を破ると不良になる」のではなく、「校則を破ると不良に目をつけられる」という大前提です。校則は個人を縛る目的ではなく、守るための決まりであるわけですね。
日本社会は、集団から突出し目立っている人間をよってたかって攻撃する悪しき風習があるので、昔は身なりの汚い子や頭の悪い子がいじめなどのターゲットにされていましたが、極端な格差が感じられなくなった自分達の世代くらいからは、「とにかく目立つこと」が既にアウトのような風潮がありました。そこで、せめて身なりを画一化することで悪目立ちを未然に防止し、いじめや学校外のトラブルから身を守り学業に専念できるように、そういった校則が必要だったのだと思います。これらは教師のトップダウンで決められたものばかりでなく、生徒会などの運動によって作られた決まりもあるでしょう。つまり、ブラックであるかはともかくそれぞれの学校に独自に存在する「謎の校則」は、その成り立ちを探っていけば必ず何らかの「歴史」と「必要性」に辿り着くということですな。これは単にその存在を非難するだけ、あるいは強いるだけでは見えてこないものでしょう。

現代は、犯罪発生率も時代錯誤のような不良グループ(笑)も少なくなりましたし、外国人も普通にいる地域も多くなりました。変えるのが面倒だから、あるいは考えたくないから「守るために守る」になってしまうのであれば、最早伝統ではなく悪習です。時代にそぐわない、過去のような荒れた環境でないなどの変化を生徒や教師も認める所であれば、それこそ民主主義のルールに則って話し合い、納得がいくように校則を変化させていくべきです。それでも守る必要があることであれば、教師側も杓子定規に当てはめて守らせるだけでなく、前述のように何故このような決まりがあるのかの意味や歴史をしっかり諭していく義務もあるでしょう。海外では、荒れた学校に日本を習って制服を導入したことで治まったという事例もありますし、もしも校則を緩め、髪型・服装を自由にした結果、風紀が乱れて問題行動が増えるのであれば、結局「やはりこういう校則は必要だったね」という議論になるはずです。いずれにしても、学校は民主主義の縮図であり練習の場でもあるわけなので、この調査が火付け役となって皆が守るべき正しいルールとは何かを考えるきっかけになると良いと思います。

で、この議論って実は憲法改正問題とも性質が全く一緒なのですよね(笑)校則は生徒の立場に立って「時代似合わせて変えるべき!」と叫ぶ一方で、憲法は「問答無用で変えるべきでない!」と主張する朝日新聞のダブルスタンダードさが滑稽に見えるのは自分だけでしょうか?

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