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杉原千畝の通知表

2016年07月21日 | 時事
千畝氏の「通知表」発見 中津川市南小、金庫に保管
正確には学校に残す「学籍簿(指導要録)」ですが、入学した小学校が明らかになったのは初なのだとか。

過去にも宮沢賢治のが発見されたそうですが、旅行先で偉人の記念館などを訪れると、よくこうした学籍簿(の写し?)を見かけます。確かにその土地で暮らしていたという証拠であり、足跡を語る上では貴重な資料なのですね。大抵は甲乙丙の甲なわけで、今で言う優等生であることが多い印象です。まあ、そうでなきゃ展示されたら恥ずかしいですが(笑)
千畝の場合、岐阜県の八百津町が出身とされ、人道の丘公園というところにある記念館に行ったことがありますが、実はその出自に至っては岐阜県説と三重県説があったそうです。今回の発見により、「岐阜県中津川市の学校に入学し、その後三重県に転出した」という記録が明らかになったそうですから、まあどちらの説も正しかったと言えますね。

ちなみにこの学籍簿、一応保存義務は卒業後20年とされており、成績の部分については5年となっています。そうでないと、学校が続く限り金庫が延々と増えていってしまうことになりますからね。最近は電子化が進んでいるところもありますが、うちは一応紙ベースで残していく方針のようです。杉原千畝は戦時中の偉人なわけですから、遺族からの提供を受けたわけでなく、学校に100年も前の記録が残っていたというのはある意味書類整理をサボっていたけがの功名といえるのではないでしょうか(笑)

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