(株)カプロラクタム-blog

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数学は役に立つか

2006年11月13日 | 私見
中学校で良く問われる命題であります。果たして、算数・数学は世の中に役に立っているのでしょうか。私見を述べさせてもらいます。

結論を言うと、「人間は数学なしに生きていけない」ぐらい、ひょっとすると、どの学問より役に立っていると言えるのです。しかし、大学時代の自分はせいぜい「1次方程式や2次関数が社会でどう使われているか」を探すぐらいで、その本意には全く気づいていませんでした。それが最近、養護学校で使われている算数の教科書をじっくり読む機会があり、初めて「算数ってコレほどまで深い世界だったのか」ということを思い知らされました。

例えばミカンが5個あったとします。これは、まず周りの背景(地)からミカンだけを図として取り出し、そのモノを注視せねばなりません。さらに、このモノはミカンという名称であり、隠されてもその存在が消えることはないということが分からなければなりません。その上で、ここにあるミカンが全て同じミカンという集合に分類できることを確認し、その色や形、匂いなど余分な要素を無意識に排除して、初めて数えることができるわけです。しかもその前には当然1から5まで数唱できなければいけないですし、その数字とミカンの個数を一対一対応できて、ようやく「ミカンが5個ある」という認識に至るのです。
突き詰めて言えば、我々はスーパーなどに並んでいるみかんを5個見ただけで、これほどまで多くの数学的思考を張り巡らせているわけですね。「モノを数える」ことは、今時三歳児でもできると思いますが、オギャアと生まれてからそこに至るまで、それこそ矢のようなスピードで数学的思考が発達しているわけです。

しかし、うちの学校のように知的な障害を有する場合は、当然ミカンの個数が数えられる子は一握りです。ここで、「ミカンは5個です」という“言葉”を教えても、(言えるようにはなるかもしれませんが)何の意味もありません。これが分からないと言うことは、上に書いた部分のどこかにつまづきがあるわけです。例えば“注視”ができないのなら、なるべく目の前において徐々に離していったり、「いないいないばぁ遊び」をしたりするなど“注視”の学習を積まなければなりません。そう。いないいないばぁは算数の勉強なのです!しかも、同時に「ものの連続性(隠れたからと言ってそのものの存在がなくなるわけではないこと)」も学ぶことができる、すばらしい教材なのですよ!
・・・ちょっと大げさに書きましたが、こうして見ると、数学が人間の根本にどう関わっているかが分かって大変面白いですね。そうは思いませんか?思いませんか。そうですか。

以上、高校の友人から「エルミート行列の直交化についてなんだけど」というメールをもらい、動揺しているα先生でした。