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朝ドラの「どんどはれ」でときどき登場する遠野。

遠野って、なんだか現実離れしているようで魅惑的だわね
と思いながら、家の本棚にあった「柳田国男:遠野物語」を読んでみました。


「花巻より十余里の路上には町場三箇所あり。その他はただ青き山と原野なり」

簡素で美しい描写に、なにやら桃源郷のような幻想を抱いてしまいますが……



昔々いえいえ、ほんのひと昔前まで、人の手の届かない山や原野は魔物や神の領域でした。
それらを人々がどれほど畏怖しながら生活していたか、一群の物語から垣間見えてきます。

「遠野よりさらに物深きところには、また無数の山神山人の伝説あるべし。
願わくはこれを語りて 平地人を 戦 慄 せ し め よ」


序文のこの一節のとおり、物語には天狗や河童・狐や山姥など、魑魅魍魎との死闘が描かれており、なかなかハードボイルド・タッチの物語です。

「和解」のような曖昧さはありません。
「ヤらなければヤられる」緊迫したバトルです。
これは……(本当は怖い)グリム童話といい勝負かも。



女の子をさらったり村人を惨殺したりと、とんでもない狼藉者の天狗は、その特徴が「背が高く、顔が赤く、目の色が違う」「よく抱き合っている」
………って、あんたそりゃ思いっきり西洋人じゃないの。

天狗の伝説は「それほど昔の話ではない」ってことだけど、19世紀頃には多数のアメリカの捕鯨船がマッコウクジラを追って日本近海までやってきていたらしいから、難破したアメリカ人が三陸沿岸の山の中でこっそり生活していても不思議ではないわね。

そういえば、吉備の「鬼ノ城」を造った温羅(ウラ)も「背が高く、髪が赤く、目が爛々と虎狼のごとく……」と西洋人っぽかったっけ。
遠野では西洋人の天狗は忌み嫌われていたようだけれど、吉備の温羅は神官の娘を奥さんにもらって地元の人々と仲良くやってたみたい。 吉備が大和に征服されたとき、残念ながら「鬼」として処刑されちゃったけどね。





ところで

柳田国男によると「どんどはれ」は、物語の最後に「コレデドンドハレ」とつけて
「めでたしめでたし」という意味になるそうです。

その使用例として挙げられているのが、山姥の物語。
女の子が山姥にさらわれ、あわや食べられかけるのですが、首尾よく潜んで逃げて、最後は逆に山姥を殺しましたとさ、「めでたしめでたし」という物語です。この「めでたしめでたし」の代わりに「コレデドンドハレ」が使われているわけです。

この場合なにが「めでたい」んだか、kamokamoにはサッパリ分からないけど。
「コレデドンドハレ」は、危ういところを助かって「よかったよかった」という意味の他にも、復讐を遂げて「溜飲を下げる」などという意味もあるのかしら? う~~ん

山姥や河童などの物語には、姥捨て子捨てなど、当時の悲しい現実が底流にあるようにみえるけれど、この点もグリム童話と同じだわ。
「コレデドンドハレ」には、なにかもっと複雑な感情が込められているようにも感じられるわね。




そうそうもうひとつ、吉備に伝わる物語では、狐は「お手伝いする健気な狐」だったり「すっかり騙されちゃったよ、マイッタマイッタ」って感じの憎めない「困った奴」だけど、遠野物語では亡者をかたる悪質な動物で、斧で叩き切っても祟りは……

いかんいかん、物語に感化されてだんだん過激になってきてしまった。
これ以上書くと、青少年ナントカ条例違反で告発されそうだから、やめておこうっと




それにしても

kamokamoなど、寂しい山道などで出会って一番怖いのは
悪霊でも山神でも熊でも狐でもなく



人間なんだけど……

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