鴨着く島

大隅の風土と歴史を紹介していきます

伊都国を糸島としちゃあ、お仕舞いよ(続)

2023-04-13 16:17:19 | 邪馬台国関連
昨年の9月8日にブログ「伊都国を糸島としちゃあ、お仕舞いよ」を書いた。

そこでは半島の帯方郡から邪馬台国への行程論では通説の「伊都国は福岡県の糸島市である」が誤りであることを、日本書紀の仲哀紀及び筑前風土記(逸文)を取り上げて示した。

糸島は当時「五十迹手(いそとて)」という豪族が支配しており、仲哀天皇にまめまめしく(いそいそと)仕えたので天皇から国名を伊蘇(いそ)国とせよと言われた。そこで国名を「伊蘇国」としたとあり、後世になって「伊覩(いと)国」と呼ばれるようになったが、それは転訛であり、本来の国名ではない――と書かれているのであった。

日本書紀は西暦720年の編纂で、風土記はそれよりやや後に地方から朝廷に上程されているので、どちらも奈良時代の早い頃に完成を見た歴史書としても地歴書としても日本最古の文献である。

これら二書の間に主従関係、つまり時系列から言えば日本書紀がまず存在し、それを参照して筑前風土記が書かれた(パクった)のかと言えば二書の間にダブっている点は多いが、しかし後者の風土記には独自の「五十迹手(いそとて)は高麗国の意呂山に天降り来し日鉾(ひぼこ)の苗裔である」という情報が盛られている。

いずれにしても両書ともに糸島はもともとイソ国であり、そこを支配していたのは「五十迹手(いそとて)」という豪族だった。したがって糸島市を「伊都国」に比定するのは誤りである、というのが先のブログ「伊都国を糸島としちゃあ、お仕舞いよ」の要点である。

ところがこの「五十迹手(いそとて)」について、日本書紀および筑前風土記では「いとて」と読ませて怪しまないのである。この仲哀天皇にとってまめまめしく仕えたがゆえに「お前の国を伊蘇(いそ)国と呼びなさい」と言われた豪族が「五十迹手(いそとて)」でなくて何の意味があるのだろうか?

「五十」は実は第10代崇神天皇と息子で第11代垂仁天皇の和風諡号にくっきりと使われている。

崇神天皇の和風諡号は「御間城入彦五十瓊殖(みまきいりひこ・いそ・にゑ)」で垂仁天皇の和風諡号は「活目入彦五十狭茅(いくめいりひこ・いそ・さち」で、どちらにも共通なのが「五十」である。

この「五十」を「い」としか読まないのが書紀の語法であるが、これはおかしい。「い」としか読まないのであればなぜ「五十」としているのか、全く理解不能である。「い」とだけなら「伊」でも「意」でも「以」でも漢字はいくらでもある。「十」を取り去った「五」でも「い」とは読める。

それをなぜわざわざ「五十」としたのか? 答えは簡単である。仲哀天皇の名付けた「伊蘇(いそ)」こそが糸島地方の本来の名称だからである。「五十」という漢字は残しておいて、わざと「い」とだけ読ませたのである。

ではなぜ「五十」と書きながら「いそ」と読ませずに「い」なのか?

それは崇神天皇が朝鮮半島南部の三韓(馬韓・辰韓・弁韓)の出自であることをカモフラージュしたかったからである。

古事記も同様に、崇神天皇の和風諡号は「御真木入日子印惠(みまきいりひこ・いにゑ)」とし崇神天皇のそれを「伊久米伊理毘古伊佐知(いくめいりびこ・いさち)」とこちらの方は「五十」すら消去している。

古事記にしろ日本書紀にしろ日本(倭国)が唐新羅連合軍に朝鮮半島の白村江の戦で完膚なきまでに敗れて半島の権益をすべて失い、日本(倭国)が建国の昔から日本列島だけが勢力圏であった、したがって日本(倭国)の天皇は歴代にわたって列島において自生して来た。半島由来の王権は一切ないというスタンスを貫いたのである。

そうしないと大陸の唐から「お前の国には大陸から半島に渡り、その後半島で勢力を得てから列島に渡って王権を築いた天皇がいるだろう。けっして万世一系ではないはずだ」と見透かされかねない。

奈良時代の直前に律令制度を取り入れて列島を統一王権のもとで再編しようとした天武・持統体制にとって、「日本の天皇制は列島の中で自生して確立したものである」というテーゼは動かせないものだったのである。

そのための記紀(国史)編纂である以上、崇神王権が半島由来の王権であったことは隠しておかなければならなかった。それが現れているのが「五十(いそ)」を「い」としか読まない方策であった。

以上から崇神・垂仁王権こそが糸島を支配した「五十(いそ)」王権であり、「五十迹手(いそとて)」はその末裔であったことになる。

さてこの糸島は日本書紀の仲哀紀と筑前風土記逸文に記載された「伊蘇(いそ)国」でこそあれけっして「イト国」ではないし、魏志倭人伝の一国「伊都国」であることはない(私は伊都国をイツ国と読み、佐賀県唐津市から東南の山間の町・厳木に比定している)。

私は糸島がもとは「五十(イソ)国」だったことを示すものとして糸島の東に聳える高祖(たかす)山ふもとに鎮座する「高祖神社」を取り上げてみたい。

高祖神社の祭神は現在はヒコホホデミであるが、『日本三代実録』(790年頃完成)の記述によると祭神は「高礒比咩(タカイソヒメ)」である。

「高礒比咩(タカイソヒメ)」とは直訳すると「高貴なイソの姫」であり、礒(イソ)はまさに「伊蘇(五十)」を表している。

この神社は今でこそ春秋に開催される「高祖神楽」で著名だが、その伝統は戦国時代からと言われ、タカイソヒメの祭られた奈良時代以前のものではない。著名な神楽と現在祭られている皇祖のヒコホホデミの前に見失われてはならないのがタカイソヒメの存在である。

※この神社の祭神が皇祖であるホホデミに取って代わられたのは「高祖」が「コウソ」とも呼ばれることから「皇祖」と転用されたのが真因だと思われる。

リュウイチとユウイチ

2023-04-09 16:18:21 | 日本の時事風景
音楽家の坂本龍一氏が先月の28日に亡くなっていたと新聞で報道されたのは4月3日(月)であった。

7,8年前に癌にかかり、かねてから体調不良を言われていた坂本龍一氏が亡くなったのは71歳とまだ若い点を除いては、致し方ないだろう。人それぞれに寿命というものがある。

それから連日のように新聞や他のメディアで坂本氏を巡る深堀の情報が寄せられ、高名だけを知るばかりの私には今さらながら氏の偉大さに驚く他なかった。

通常の作曲家として知られる前にYMOという電子音楽を駆使したグループを立ち上げ、その楽曲は後世に多大な影響を与えたという。

音楽活動と並行して政治的な活動もまた多彩であった。反戦平和・反原発への取り組みに熱心で、特に自然保護の視点は氏の大きな特徴だった。

そこへ4月6日の夕方近くだったが、テレビを何気なく見ているとニュース速報が飛び込んで来た。

陸上自衛隊のヘリコプターが宮古島周辺海域で行方不明になった――というものだった。

海上自衛隊ではほとんど事故らしい事故は無いのだが、航空自衛隊では何年か前にも航空機の事故がいくつか発生しており、
乗務員が助かったのもあれば亡くなったケースもあった。

今度のは陸上自衛隊だが、事故を起こしたのはヘリコプターであった。ヘリコプターも航空機である以上、事故は皆無とは言えず、記憶に新しいのが沖縄の米軍のヘリが沖縄国際大学の敷地内に墜落した事故だった。

記憶に新しいとはいってもあの事故はもう20年ほど前のことだが、米軍による規制線が張られ、沖縄の警察も事故現場に入れないという安保及びそれに付随する日米地位協定の壁が立ちはだかったことで物議を醸したのでよく覚えている。

8日の新聞記事で宮古島のこの事故の概要が明らかになったが、ヘリコプターの所属は日本本土の熊本にある陸上自衛隊第8師団で、行方不明になった10名のうち操縦士と整備士を除く6名が陸上自衛隊の幹部ばかりで、中でも第8師団の師団長が搭乗していたというのには驚かされた。

報道によると師団長は陸将という陸自ではほぼトップクラスの地位にある人で、先月29日に師団長に抜擢されて赴任したばかりだったという。

そして着任わずか一週間後の6日に、南西諸島防衛のための巡視活動の一環として宮古島の陸自部隊の駐屯地を経由して先島の地勢を観察しようとしていたという。

着任後ほとんど時を置かずして南九州から先島にかけての巡視を遂行したのも驚きだったが、その師団長の名を知って余計に驚いてしまった。

師団長の名は坂本雄一(ゆういち)だったのだ。わずか3日前に亡くなったと報道された坂本龍一(りゅういち)とほぼ同姓同名と言ってもいい名前の響きではないか。

英語のスペルで書けば、ユウイチはyuichiで、リュウイチはryuichi。「r」があるかないかの違いに過ぎない。漢字では「雄」と「龍」は結構大きな違いだが、英語のスペルではほんのわずかで、英語圏のメディアを情報源とする人々は、二人の姓名が似通っていることに驚くことだろう。

もちろん二人の属性間に共通点はなく、因縁話に仕立てる必要はない。両者はそれぞれの分野で高名であるというだけである。

しかしそれでも立て続けに亡くなったのが坂本姓の人であったことに一種の感慨を抱く。

墜落して海の底に沈んだであろう10名の方々の安否と原因究明がすみやかに行われることを願うばかりだ。

フェイクではない暗殺がロシアで発生!

2023-04-05 16:36:06 | 日記
4月1日の「エイプリルフール」に因んで、このブログで「プーチン暗殺される」というタイトルで書いたのだが、同じ頃、ロシア国内の旧都サンクトペテルブルグで本当に暗殺事件が発生した。

暗殺されたのはプーチン大統領ではないが、プーチンのウクライナ侵攻を支持するブログを発信していた著名なブロガーが、とあるカフェにおいて26歳の女性が置いて行ったという胸像に仕掛けられていた爆発物が爆発し、数十人のけが人が出たが、そのブロガーは即死したというのだ。

明らかに某ブロガーを狙った暗殺だが、ロシア当局は単なる殺害事件ではなく下手人の女性を「テロ行為」容疑に切り替えて捜査しているらしい。「テロ」となると政府及び政府要人を狙った政治的事案になり、その背景を暴くべく国家の総力を挙げての探索が可能になる。

この女性は単なる爆発物の「運び屋」だったとも言われているが、そうなると明らかに背景には黒幕が存在し、それが誰なのかあるいは組織なのかが焦点になる。

ロシア当局はまずはウクライナ筋を言挙げしている。当然そう来るだろうとは誰しもが思うことだ。

もちろんウクライナはそれを否定した。これも当然だろう。ウクライナに対する侵攻に直接関わったわけではない民間人を暗殺する必要は全くない。

もしウクライナが暗殺を仕掛けるとしたら、狙うのはプーチンか国防省長官のショイグだろう。「侵攻の首謀者」だからだ。

ウクライナではないとするとロシア国内の反プーチン派、つまりロシアの反体制派(人権派)の可能性が取り沙汰される。その代表が一時国外に出た折に毒殺を仕掛けられたナワリヌイという人である。

しかしやはり、一民間人を標的にするだろうか――というと首を傾げざるを得ない。

その一方で、実はロシア政府そのものが裏で糸を引いたという説も出ている。

というのはこの事件があったカフェはロシアの軍事会社ワグネルの指揮者プリゴジンの経営する店だったことと、最近のロシアの軍事状況が劣勢であることにやきもきしたプリゴジンや殺害されたブロガーが、ロシア当局に対して非常に批判的になって来ていたことが指摘されているのだ。

ロシア政府としては軍事作戦や遂行に対して余りにもうるさい奴らは排除したい。そこで何も知らない若き女性を使って・・・、というわけだが、真相やいかに。

ロシア国内はきな臭くなって来た。プーチンもそろそろ自分の身の安全を第一に考えなければならなくなるだろう。

(追 記)
4月6日付の朝刊に、ブロガー暗殺事件について「国民共和軍を名乗る反プーチン政権を掲げるパルチザン団体が、4月4日に通信アプリで犯行声明を発表した」と書かれている。

プーチンの起こしたウクライナ侵攻を強く支持していたブロガーは、確かにプーチン政権派であるから、反プーチン派の殺害の対象になっておかしくない。したがってこの犯行声明はかなり信ぴょう性が高いと言える。

また「外国の情報機関等の組織の支援は受けていない」とも言及している。

ただこの犯行声明では、爆発物を仕掛けられた胸像をカフェに持参した実行犯と思しき若い女性については「左派やフェミニズム運動の有名人だ」と指摘しながら、実行犯として利用しただけで彼女に罪はないとまでは言っていないのがいささか腑に落ちない点だ。

いずれにしても、ロシア国内でロシア人同士が反目し合う血生臭い状況が迫ってきたことを象徴する事件であることは間違いないだろう。

「子ども家庭庁」の発足

2023-04-04 13:46:30 | 日本の時事風景
「子ども家庭庁」が今月発足した。

主管は内閣府であり、これまで厚生労働省で所轄されていた子供関連部門を独立の機関として立ち上げられた。

一言で創設目的をいえば「子どもファースト」(子ども第一主義)で、家庭での虐待や半虐待、貧困など、子どもが置かれた劣悪または脆弱な環境を、親からではなく子どもの目線から一元的に捉えて行こうとする行政機関である。

子供関連では「少子化対策」というのが大きな政策課題だが、それは親の世代だったりこれから親になろうとする世代に対する政策が中心で、児童手当の上乗せだったり、医療費や学校給食費の無償化という金銭的な解決(予算)策が主流になっている。

しかし「子ども家庭庁」の場合、金銭的な解決策を見出しがたい部分を多く含んでいる。たしかに「貧困」に関してはそれが大きな役割を果たすだろうが、虐待やそれに類する劣悪な生育環境は予算の手当てだけでは解決には程遠い。

なぜなら、すでに親になった世代は出産から育児・養育を経験しており、その中で自分の子をどう育てるかが親の最大の関心事であり、金(予算)がありさえすればいいというものではないからだ。

どれだけ資産があっても、その資産を注入すれば子どもが思い通りに育つというわけではない。そこに子育て上の難しさがある。

ひとり親で十分な資力がないにもかかわらず子どもが相当の社会的な地位を築いたケースは掃いて捨てるほどある。(※その逆もまたしかり。むしろ後者のケースの方が多いだろう。)

艱難汝を玉にす――ということわざ通り、逆境に耐えて成功した事例は枚挙にいとまないほどだ。

「子ども家庭庁」がそういう意味での子どもの逆境をわざわざ奨励するようなことは100パーセントないだろうが、最低でも憲法第25条の「生存権」を子ども目線で捉え直して欲しいものだ。

(参考)憲法第25条
<第一項 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。>
<第二項 国はすべての生活部面について、社会福祉・社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。>

第一項の「すべて国民」には親も子もすべてが含まれており、第二項の「すべての生活部面」には子どもの居場所である「家庭」が含まれていることを銘記すべきだろう。

この子どもの居場所である「家庭」という言葉は、実は憲法には存在しない。

同24条の婚姻に関する条文の第二項には「配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項」とあり、「家族」は謳われていても「家庭」はない。

今度発足した「子ども家庭庁」は名称を決定する段階で、単に「子ども庁」だったものが「家庭」を加えて「子ども家庭庁」になったといい、自民党の要望でそうなったと言われている。

その背景について巷ではこう言われてもいる。例の旧統一教会が「世界平和統一家庭連合」に名称替えしたまさにその「家庭」を取り入れたのではないか――と。

真相は分からない。「子ども」も「家庭」も普通名詞だから、誰が何に使おうが問題は生じない。個人でも公共でも使うことに何ら禁忌はない名称である。

だが、安倍元首相暗殺事件以来、旧統一神霊教会がやり玉に挙げられ、旧統一神霊教会と自民党との繋がりが次々に見えてくると腹の中を探りたくもなる。

たしかに宗教団体が「家庭連合」というのも不可解と言えば不可解な名称である。あまりに宗教臭がないのだ。この宗教団体のもう一つの顔である「国際勝共連合」の「連合」を借りたかのようでもある。

そう考えると「世界平和統一家庭連合」とは本質的には宗教団体の仮面をかぶった政治団体ではないか。政治団体ではなく宗教団体にしたのは宗教法人であればあらゆる活動による収入に関しては無税だという利点を享受するための隠れ蓑に過ぎなかったのではないか、と思われて来る。

したたかな教祖、したたかな手口、したたかな集金・・・。

(※日本書紀によれば「家庭」は「やには」であり、「家屋敷と庭園(菜園)」のことである。応神天皇が近江国に行幸した道中で、兔道野(宇治)の丘陵に上がって周囲を見はるかした時、次のように歌を詠んでいる。
 <千葉の葛野を見れば 百千足る家庭(やには)も見ゆ 国の穂も見ゆ(=緑豊かな葛野を眺めると 多くの家と菜園が見える まさにここは宇治の中心であるぞ)>
 私見では西暦390年頃の京都南部の宇治地方の平和な風景で、緑に包まれた家々の長閑なたたずまいが想像される。)

プーチン暗殺される

2023-04-01 08:42:22 | 日記
「ロシアのプーチン大統領がきょう未明に暗殺された。ウクライナの陸軍特殊部隊が関わったようである。」

こんなニュースが飛び交ったら世界はハチの巣をつついたような大騒ぎとなるだろう。

もちろんフェイク。今日4月1日は「エイプリルフール」だ。

もう50年以上前になるだろうか、我々団塊世代が小学校から中学校に通っているころ、巷では結構流行ったイベントで、新聞・テレビなどでも取り上げることが多かった。

イギリス流のブラック掛かったユーモア(ジョーク)に、子どもながらに感心した覚えがある。

しかし子どもがまねするとたいていダジャレ風味が強くなりすぎて、呆られることの方が多かった。

それよりもバレンタインデーが喧伝されると、エイプリルフールはそっちのけになって行った。

理由は簡単である。バレンタインデーには商行為が伴うからである。便乗商法の最たるものだ。それはそれでいい(現在はこれに大阪発祥の「恵方巻き」が加わった。ハロウィーンもそうだが、韓国の惨劇がどう影響するか、今年の注目点である)。

さて最初のフェイクニュースだが、政治家の暗殺では去年の7月のあの安倍元総理の暗殺が現実にこの日本で起きているので、有りもしないことと一概に否定はできない。

この安倍元首相暗殺に関して、とある雑誌は下手人は他にいるようなことを書いているが、山上容疑者は暗殺当日も数日前にも安倍氏の別の演説会場近くに足を運んでいたことが監視カメラに写っており、彼の犯行を否定することはまず不可能だろう。

ただ、単独の犯行(狙撃)であることは間違いないにしても、彼を操っていた何らかの人物なり組織なりが裏で糸を引いていた可能性までは完全には否定できない。

そこが考慮を要する所だ。

彼の自白によれば、父亡き後の母親の統一神霊教会への入信と多額の献金により子供時代を破壊された恨みがあり、統一教会の文鮮明教祖と昵懇の間柄だったという安倍氏の外祖父・岸信介への処罰感情が孫の安倍氏に向かったわけである。

これと同じ処罰感情を抱いていた山上容疑者よりはるかに高い地位にいた(いる)人物あるいは組織がいたのではないかという可能性は捨てきれない。特に安倍氏の熱列な支持者は、一介の取り柄のなさそうな青年に殺害されてしまった無念さを、そう考えることで穴埋めしたくなるのではないだろうか。

安倍氏とプーチンとのあまりの親密さに快く思っていなかったアメリカCIAが裏幕だとか、「自由で開かれたインド太平洋構想」を掲げることで中国包囲網を築くきっかけを作った安倍氏は中国のその類の機関から狙われてもおかしくないとか、尾ひれが付きそうだ。それだけ安倍氏は国際的にも大物だったということになる。

私は安倍氏暗殺事案は山上容疑者の単独犯行であり、裏無しと思っている。

子どもにとって母親不在の家庭環境は耐え難く、直接的には母親を「連れ去った」神霊教会を襲撃すべきところだが、結果的には間接的な安倍氏を襲撃してしまった。まさに「江戸の仇を長崎で討つ」を地でいったような塩梅だ。安倍氏も撃たれた時には何のことやらさっぱり分からなかったに違いない(合掌)。



さてウクライナ戦争について現在の見解では、ロシア軍の最初の首都キーウ侵攻後、2日くらいで大統領府にいるゼレンスキ―大統領は亡命し、大統領府はロシアの管理下に置かれて事実上ロシアの勝利だったそうだ。

そして2014年の南部クリミア併合時点でそうであったように「選挙」(もちろんロシア軍政下の干渉選挙)が行われ、ロシアの東部4州併合及び親ロシア傀儡政権の成立という筋書きなっていた。

だがどっこい反ロシアのゼレンスキ―政権は生き延びている。

欧米(NATOとアメリカ)によるゼレンスキ―政権援助の戦車ミサイル等の軍需品が続々届いている。大きな軍事的損失を蒙っているロシアがこれ以上戦うことは難しいはずだ。

プーチン大統領はそろそろ国内的な鋭い反抗にも出会うだろう。「暗殺」はエイプリルフールのフェイクではなくなるかもしれない。プーチンが本当にもし暗殺されたとしたら、下手人は誰かでいくつもの解説が出されるだろうが、それはいったい誰が一番喜ぶかにかかっている。