昨日からNHK鹿児島放送では「花粉情報」が報道され始めた。
昨日も今日も「少ない」と出ていた。
「少ない」とは一平方メートルでスギ花粉が数個程度のことを言うそうだ。
そのくらいでは花粉に敏感な鼻腔でもアレルギー反応は起こらないのだが、昨日は気温が日中19℃まで上がり、今日は約17℃とスギにしてみれば、胞子袋を一気に開きたくなる気温に達した。
5日前から病院で処方された抗アレルギー剤を服用し始めたので、今のところ影響は全くないが、今後もし気温が高目かつ前日に雨が降ったような日には花粉が沢山飛び交うようになる。
スギ花粉の多い少ないは前年の夏の気温が大きくかかわるそうだが、今年の予報では関東や中国地方でかなり多いだろうという。
九州地方では少ないという予報だが、それは「平年に比べれば」というだけの話であって、花粉アレルギー症キャリアにとっては大して有難くはない。
先日のニュースで「避紛地」というのがあると紹介されていた。「スギ花粉を避けられる土地」という意味だが、福岡県だったかの離島では「避紛地ツアー」なるものがイベント化されているという。
小さな島でスギの木がほとんどないのが売りで、ツアーに参加して「症状が改善した」という手ごたえを感じた人もいるそうである。
鹿児島でいえば、奄美諸島がその範疇に入り、そんなツアーが普及してもいいかもしれない。
全国的に見てスギ花粉の無いのは何と言っても北海道と沖縄だ。
花粉症歴30年になんなんとする私だが、時間が許せば、北海道はこの時期寒すぎるからご免だが、沖縄に2月から3月一杯長期滞在してみたいものだ。
大好きな沖縄民謡と琉球舞踊に浸ってみたい――という夢が無いことはない。
ボケ防止を兼ねていつか実現できる日が来ることを楽しみにしておこう。
【※花粉症の始まりと対策(追記)】
スギ花粉症は戦後の「拡大造林」の掛け声のもと、大量のスギ材が切られて戦後復興に充てられた経緯を踏まえて「国策」としてスギをどんどん植林した結果、北海道と沖縄を除く全国至る所でスギ林が拡大し、そのスギ材が適宜に切られずに大きくなり、スギ花粉を持つスギ林が極端に増えたことによる、言わば「人災」である。
しかし花粉症はスギ花粉によるばかりではない。例えばユリ(ヤマユリ)が沢山の花を付ける時期になると、それぞれの花の中に大量の花粉を付けた雄蕊が現れ、花に触れたりすると花粉が飛び散り、人に花粉症の症状を起こしたりすることが多い。「ユリは病室に飾るな」と言われるゆえんである。
日本史を紐解くと、奈良時代に生まれた『令義解(りょうぎのげ)』(833年成立。惟宗直本編纂)は朝廷の令式に関して、その由来などを解説している書だが、その中で「神祇令第六」に3月(季春)に行われる「鎮花(はなしずめ)祭」というのがあることを紹介し、その祭りの由来を、次のように簡潔に記している。
<鎮花祭・・・謂ふ、大神・狭井の二つの祭なり。春の花飛散する時に在りて、疫神分散して癘(れい)を行う。その鎮圧のために必ずこの祭りあり。故に鎮花(はなしづめ)といふ。>
(現代語訳)大和の大社・大神神社と狭井神社で行われる祭である。春に様々な花が咲くころ、花粉が飛散し、疫病神がはやり病を起こす。その鎮圧のために行われる祭である。
大和国の一宮と言われる大神神社とその摂社である狭井神社では、旧暦の3月に「鎮花祭」を行うが、そのいわれは春の花のシーズンになると花は美しいが、多くの花から花粉が飛散し、人々がまるで風邪にかかったようになる。そのため、症状が治まるように神に祈る――というのだ。
この祭りは令義解が著された約100年後に纏められた『延喜式』の「神祇一」にも記載されており、奈良時代はもとより、それ以前相当古くからある祭のようである。
春は色々な花が一斉に咲き揃ってそれはそれで美しく人の心を浮き立たせるのだが、その陰で花粉の飛散もただならぬものがあったのだろう。奈良時代すでに花粉症に悩まされる人々がいたかもしれないという事実には親近感を覚えざるを得ない。
昨日も今日も「少ない」と出ていた。
「少ない」とは一平方メートルでスギ花粉が数個程度のことを言うそうだ。
そのくらいでは花粉に敏感な鼻腔でもアレルギー反応は起こらないのだが、昨日は気温が日中19℃まで上がり、今日は約17℃とスギにしてみれば、胞子袋を一気に開きたくなる気温に達した。
5日前から病院で処方された抗アレルギー剤を服用し始めたので、今のところ影響は全くないが、今後もし気温が高目かつ前日に雨が降ったような日には花粉が沢山飛び交うようになる。
スギ花粉の多い少ないは前年の夏の気温が大きくかかわるそうだが、今年の予報では関東や中国地方でかなり多いだろうという。
九州地方では少ないという予報だが、それは「平年に比べれば」というだけの話であって、花粉アレルギー症キャリアにとっては大して有難くはない。
先日のニュースで「避紛地」というのがあると紹介されていた。「スギ花粉を避けられる土地」という意味だが、福岡県だったかの離島では「避紛地ツアー」なるものがイベント化されているという。
小さな島でスギの木がほとんどないのが売りで、ツアーに参加して「症状が改善した」という手ごたえを感じた人もいるそうである。
鹿児島でいえば、奄美諸島がその範疇に入り、そんなツアーが普及してもいいかもしれない。
全国的に見てスギ花粉の無いのは何と言っても北海道と沖縄だ。
花粉症歴30年になんなんとする私だが、時間が許せば、北海道はこの時期寒すぎるからご免だが、沖縄に2月から3月一杯長期滞在してみたいものだ。
大好きな沖縄民謡と琉球舞踊に浸ってみたい――という夢が無いことはない。
ボケ防止を兼ねていつか実現できる日が来ることを楽しみにしておこう。
【※花粉症の始まりと対策(追記)】
スギ花粉症は戦後の「拡大造林」の掛け声のもと、大量のスギ材が切られて戦後復興に充てられた経緯を踏まえて「国策」としてスギをどんどん植林した結果、北海道と沖縄を除く全国至る所でスギ林が拡大し、そのスギ材が適宜に切られずに大きくなり、スギ花粉を持つスギ林が極端に増えたことによる、言わば「人災」である。
しかし花粉症はスギ花粉によるばかりではない。例えばユリ(ヤマユリ)が沢山の花を付ける時期になると、それぞれの花の中に大量の花粉を付けた雄蕊が現れ、花に触れたりすると花粉が飛び散り、人に花粉症の症状を起こしたりすることが多い。「ユリは病室に飾るな」と言われるゆえんである。
日本史を紐解くと、奈良時代に生まれた『令義解(りょうぎのげ)』(833年成立。惟宗直本編纂)は朝廷の令式に関して、その由来などを解説している書だが、その中で「神祇令第六」に3月(季春)に行われる「鎮花(はなしずめ)祭」というのがあることを紹介し、その祭りの由来を、次のように簡潔に記している。
<鎮花祭・・・謂ふ、大神・狭井の二つの祭なり。春の花飛散する時に在りて、疫神分散して癘(れい)を行う。その鎮圧のために必ずこの祭りあり。故に鎮花(はなしづめ)といふ。>
(現代語訳)大和の大社・大神神社と狭井神社で行われる祭である。春に様々な花が咲くころ、花粉が飛散し、疫病神がはやり病を起こす。その鎮圧のために行われる祭である。
大和国の一宮と言われる大神神社とその摂社である狭井神社では、旧暦の3月に「鎮花祭」を行うが、そのいわれは春の花のシーズンになると花は美しいが、多くの花から花粉が飛散し、人々がまるで風邪にかかったようになる。そのため、症状が治まるように神に祈る――というのだ。
この祭りは令義解が著された約100年後に纏められた『延喜式』の「神祇一」にも記載されており、奈良時代はもとより、それ以前相当古くからある祭のようである。
春は色々な花が一斉に咲き揃ってそれはそれで美しく人の心を浮き立たせるのだが、その陰で花粉の飛散もただならぬものがあったのだろう。奈良時代すでに花粉症に悩まされる人々がいたかもしれないという事実には親近感を覚えざるを得ない。