昨日(14日)の午前最後のニューヨーク行きのANA便で、小室圭・眞子夫妻はついに日本から飛び立った。
初めはこのブログのタイトルを「小室夫妻の渡米」とするつもりだった。
しかし「渡米」ではアメリカへ行く目的が、仕事か旅行か、はたまた留学などの期限が決められた比較的短期的なアメリカ行きというイメージである。
ところがこの小室夫妻のアメリカ行きは、「新しいかけがえのない結婚生活をおくるため」(眞子さんの結婚後会見での言葉)ということであり、もしかしたら無期限(永久)に行ったきりになる可能性もあり、思い切って「日本脱出」とした。
実際、この結婚には疑問点が多過ぎ、結婚反対のデモすら起きたほどで、いくら眞子さんが「事実でないことがあたかも事実であるかように飛び交っている」との認識を示しても、どう考えても割り切れない思いが残る。
事の発端は圭氏の母親と元婚約者との間の金銭トラブルが表面化したことで、これについてはかれこれ4年の歳月にわたる情報の集積として明々白々であることは明らかなのである。このことについて眞子さんは残念ながら肯定も否定もしていない。
そのあたりは圭氏と口裏を合わせているのだろうか。圭氏が母親に代わって金銭問題を解決するための「解決金」を支払って和解する意向がある――との長文の見解を4月に示してはいたのだが、半年間、一向にその解決金を支払おうとはしなかった。
そもそも「解決金」という言葉を持ち出したのは、元婚約者から圭氏の大学学費等の支援として、母親の婚約者の立場から援助して「貰った」金だから借金ではないので、それについては返す必要がない。
けれども元婚約者がごたごたいうものだから返すようにするが、その金は「借金への返済」としてではなく、言わば「口封じ」としてのものである。これが小室氏側の肚だろう。
渡米2日前の12日になって、あの長文の主旨に沿う「解決金によるトラブル解消」の動きが起きた。
おそらく仮病だろうが、体調を崩しているという母親に代わって小室氏と元婚約者が、双方の弁護人とともに会って話し合いをした。その結果、解決金支払いによるトラブル解消に元婚約者が応じて双方合意となり、契約書にサインをしたようである。
しかし思うに、この話し合いによる解決はもっと早く、少なくとも結婚する前になされるべきだったのだ。
結局は「眞子さん頼り」があからさまになっただけの話である。圭氏は母親がらみの金銭トラブルの尻拭いを、妻になった眞子さんの貯えから引き出すことに成功したというわけである。
これで元婚約者との縁は完全に切れる。いつまでも何やかやと、まとわりつかれることはない、と、心底ホッとしていることだろう。晴れて元プリンセスだった人との「あたたかなセレブな家庭」を持つことができるのだから。
元婚約者が圭氏の母親並みに「掴んだ相手をとことん利用する」タイプであれば、「婚約破棄無効」などと訴えてもよかった。まかり間違えば元プリンセスの義父になったかもしれなかったのだ。
そこまであくどくなかった元婚約者に、お見事と言いたい。これ以上深入りしない方が良いタイプというのは結構いるものだ。
さて、最初に触れたように「渡米」(渡英でも渡仏でもよいが)という言葉は、期限付きの国外滞在であるのが普通である。この期限付き滞在を実際にされた旧皇族がいる。
それは上皇様の妹の清宮(すがのみや)貴子さんである。
貴子さんは旧佐土原藩主の島津氏の出身である島津久永さんと結婚して、皇室を離れたのだが、久永氏が当時勤めていた日本輸出入銀行での転勤でニューヨーク暮らしを経験している(のちにはオーストラリアにも転勤で滞在している)。
皇室を離れたとはいえ、元皇族が海外に滞在した初めてのケースであった。
おそらく夫の久永氏だけでなく、貴子さん自身も英語は堪能だったのだろう。
皇族の英語と言えば、戦後は皇族にも「英語ブーム」が起きている。その端緒は昭和天皇の弟「高松宮」様であった。
高松宮さまは『高松宮日記』の中で、「天皇も英語を話せるくらいでないと、諸外国(特に戦勝国アメリカ)の大使などとの接見の時に困るだろう」(日記の一部の要旨)というように書いている。
これの実践が時の皇太子明仁(上皇)様に施されることになった。先生役はアメリカから招いたヴァイニング女史である。読み書きよりまずは発音と会話だったはずだ。とにかく欧米人との意思疎通が求められたのだ。
この英語の習熟は戦後の皇室にとって全く新しい取り組みであったが熱心に行われ、その結果、上皇様はじめ美智子様、現天皇、皇后は英語に不自由しなくなった(皇后さまは特に堪能である)。
そしてその「伝統」は次世代にも引き継がれ、眞子さんは英語の授業の多い国際基督教大学に入学し、佳子様も学習院大を中退して同じ大学に学ばれたのである。
運命の人はその大学にいたわけで、子供時代にインターナショナルスクールに通ったという小室圭氏もやはり英語重視の進路をとり続けていた。
母親から持ち越された金銭トラブル(婚約トラブルでもある)は、何とか片付いたが、7月のニューヨーク州弁護士試験が不合格だったことで「男を下げた」圭氏の前途は紆余曲折のようである。
眞子さんは「惚れたらあとは一途」という性格をお持ちのようで、それはそれでいいのだ(多くの女性はそのようだ)が、皇族であっては得られない自由獲得と自己実現のための日本脱出となった。
ただし、くれぐれも抜け目のない義母にはご用心あれと「杞憂の勝ったエール」を贈るしかない。
初めはこのブログのタイトルを「小室夫妻の渡米」とするつもりだった。
しかし「渡米」ではアメリカへ行く目的が、仕事か旅行か、はたまた留学などの期限が決められた比較的短期的なアメリカ行きというイメージである。
ところがこの小室夫妻のアメリカ行きは、「新しいかけがえのない結婚生活をおくるため」(眞子さんの結婚後会見での言葉)ということであり、もしかしたら無期限(永久)に行ったきりになる可能性もあり、思い切って「日本脱出」とした。
実際、この結婚には疑問点が多過ぎ、結婚反対のデモすら起きたほどで、いくら眞子さんが「事実でないことがあたかも事実であるかように飛び交っている」との認識を示しても、どう考えても割り切れない思いが残る。
事の発端は圭氏の母親と元婚約者との間の金銭トラブルが表面化したことで、これについてはかれこれ4年の歳月にわたる情報の集積として明々白々であることは明らかなのである。このことについて眞子さんは残念ながら肯定も否定もしていない。
そのあたりは圭氏と口裏を合わせているのだろうか。圭氏が母親に代わって金銭問題を解決するための「解決金」を支払って和解する意向がある――との長文の見解を4月に示してはいたのだが、半年間、一向にその解決金を支払おうとはしなかった。
そもそも「解決金」という言葉を持ち出したのは、元婚約者から圭氏の大学学費等の支援として、母親の婚約者の立場から援助して「貰った」金だから借金ではないので、それについては返す必要がない。
けれども元婚約者がごたごたいうものだから返すようにするが、その金は「借金への返済」としてではなく、言わば「口封じ」としてのものである。これが小室氏側の肚だろう。
渡米2日前の12日になって、あの長文の主旨に沿う「解決金によるトラブル解消」の動きが起きた。
おそらく仮病だろうが、体調を崩しているという母親に代わって小室氏と元婚約者が、双方の弁護人とともに会って話し合いをした。その結果、解決金支払いによるトラブル解消に元婚約者が応じて双方合意となり、契約書にサインをしたようである。
しかし思うに、この話し合いによる解決はもっと早く、少なくとも結婚する前になされるべきだったのだ。
結局は「眞子さん頼り」があからさまになっただけの話である。圭氏は母親がらみの金銭トラブルの尻拭いを、妻になった眞子さんの貯えから引き出すことに成功したというわけである。
これで元婚約者との縁は完全に切れる。いつまでも何やかやと、まとわりつかれることはない、と、心底ホッとしていることだろう。晴れて元プリンセスだった人との「あたたかなセレブな家庭」を持つことができるのだから。
元婚約者が圭氏の母親並みに「掴んだ相手をとことん利用する」タイプであれば、「婚約破棄無効」などと訴えてもよかった。まかり間違えば元プリンセスの義父になったかもしれなかったのだ。
そこまであくどくなかった元婚約者に、お見事と言いたい。これ以上深入りしない方が良いタイプというのは結構いるものだ。
さて、最初に触れたように「渡米」(渡英でも渡仏でもよいが)という言葉は、期限付きの国外滞在であるのが普通である。この期限付き滞在を実際にされた旧皇族がいる。
それは上皇様の妹の清宮(すがのみや)貴子さんである。
貴子さんは旧佐土原藩主の島津氏の出身である島津久永さんと結婚して、皇室を離れたのだが、久永氏が当時勤めていた日本輸出入銀行での転勤でニューヨーク暮らしを経験している(のちにはオーストラリアにも転勤で滞在している)。
皇室を離れたとはいえ、元皇族が海外に滞在した初めてのケースであった。
おそらく夫の久永氏だけでなく、貴子さん自身も英語は堪能だったのだろう。
皇族の英語と言えば、戦後は皇族にも「英語ブーム」が起きている。その端緒は昭和天皇の弟「高松宮」様であった。
高松宮さまは『高松宮日記』の中で、「天皇も英語を話せるくらいでないと、諸外国(特に戦勝国アメリカ)の大使などとの接見の時に困るだろう」(日記の一部の要旨)というように書いている。
これの実践が時の皇太子明仁(上皇)様に施されることになった。先生役はアメリカから招いたヴァイニング女史である。読み書きよりまずは発音と会話だったはずだ。とにかく欧米人との意思疎通が求められたのだ。
この英語の習熟は戦後の皇室にとって全く新しい取り組みであったが熱心に行われ、その結果、上皇様はじめ美智子様、現天皇、皇后は英語に不自由しなくなった(皇后さまは特に堪能である)。
そしてその「伝統」は次世代にも引き継がれ、眞子さんは英語の授業の多い国際基督教大学に入学し、佳子様も学習院大を中退して同じ大学に学ばれたのである。
運命の人はその大学にいたわけで、子供時代にインターナショナルスクールに通ったという小室圭氏もやはり英語重視の進路をとり続けていた。
母親から持ち越された金銭トラブル(婚約トラブルでもある)は、何とか片付いたが、7月のニューヨーク州弁護士試験が不合格だったことで「男を下げた」圭氏の前途は紆余曲折のようである。
眞子さんは「惚れたらあとは一途」という性格をお持ちのようで、それはそれでいいのだ(多くの女性はそのようだ)が、皇族であっては得られない自由獲得と自己実現のための日本脱出となった。
ただし、くれぐれも抜け目のない義母にはご用心あれと「杞憂の勝ったエール」を贈るしかない。