鴨着く島

大隅の風土と歴史を紹介していきます

三田佳子と次男

2018-10-25 14:44:30 | 母性

女優の三田佳子が最近記者会見し、息子二人のうち次男が三度目の覚せい剤所持違反して検挙されたが、「もう手に負えません。私は私の道(女優)を行く」という趣旨の発言をしていた。

おい、ちょっと待てよ、母親放棄ということか、それとも息子を勘当するのか。

勘当はもうできないだろう。なにしろ次男は39歳。結婚もして独立している。いまさら勘当はない。過去にさかのぼって勘当、つまり「縁を切る」ことは不可能だ。

母親放棄。こっちの方がこの際ふさわしい言葉だ。

もし三田が心底から縁を切りたいのであれば、もっとも着実な方法は「夫と協議離婚して旧姓に復し、親権を夫に託す」ことである。その上でなお次男に養育費ならぬ「お小遣い」をやりたいのであれば、協議書にその旨を書き加えればよい。

こうすれば仮にまた次男が覚せい剤騒ぎを起こそうが、人殺しをしようが、何をしようが、もう「そんなの関係ねー」で知らん顔をすればよい。法的には何の問題もない。

きれいさっぱりリセットして、元の三田佳子に戻り、女優業に専念すればよい。

だが、道徳的に見てというよりかは今日的に非常に関心がもたれるのが「養育環境の是非」だ。

最初の覚せい剤違反の時は未成年でもあり、週刊誌的な報道ではかなり突っ込まれたにせよ、「超人気でドラマやCМの女王だったんだから、忙しいのよね。三田佳子がかわいそう」くらいな反応だった。

だが、同時に次男への当時の小遣いが月に50万円だったことが知れると、「うっそー、これじゃあ、息子(1979年生まれ)も問題起こすわ」と風向きが変わった。

子供に50万もの小遣いをやってしまうそんな稼ぎをもたらしたのがちょうど1980年代に入った直後で、大河ドラマや民放のドラマの主演に出まくり、それとともにコマーシャルに引っ張りだこで、次男の幼児期の一番大事な時期を祖父母や家政婦に任せきりだった頃だ。

幼児には母親の承認(肌の触れ合いによる本能的なつながり)が必要で、そのためには傍にいてやらなければならない。

4歳上の長男の場合は大女優への道を歩んではいたものの、その幼児期には多分次男ほどスキンシップが少なくはなかったのだろう。

三田としては長男がスキンシップが少なくても十分に(問題を起こさずに)育ったのだから、次男も同じように育ってくれるだろうと思ったに違いない。

しかし、多分兄の方もスキンシップの少なさには困惑していたのだろうが、長子というのは往々にして心の内に抱え込んでしまうもので、三田には「長男は聞き分けのいい子だ」くらいな評価で女優業を優先していたのだろうが、二人目となるとそうはいかなくなるのが常だ。

それをカバーしようとして取った行動が「多額の小遣い」となって表れた。これは多かれ少なかれ三田のように母親が外働きで共稼ぎしている家庭では起きてしまう現象で、この飴が子供を蝕んでしまう場合が多い。三田の場合は金額の桁が違う分、次男は(多分長男も)自立心を阻害されたであろうことおびただしい。

三田はもっと早く女優業を捨てて子供に「尽くす」べきだった。母親に「尽くされた子供」は立派な子供になって「大きくなったらお母さんを楽にさせてあげたい。喜ばせたい」と自立へ(大人への)の道を邁進するはずだ。

三田でなくとも代わりの女優は掃いて捨てるほどいる。しかし次男(長男も)にとっての母親は三田一人しかいない。