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鴨着く島

大隅の風土と歴史を紹介していきます

安倍派は総崩れ

2023-12-17 19:17:00 | 日本の時事風景

岸田現内閣の中枢を担っていた官房長官以下の安倍派所属議員による内閣の要がすべて交代するという事態に陥ったが、安倍派の「パーティー超過収入のキックバック」はやはり根深い。

安倍元首相が長期政権を担っていたため、慣例となっていたのが、政治資金集めのパーティ券収入でノルマ以上の金を生み出した所属議員に「キャッシュバック」することだった。

この「キャッシュバック」を初めから予定していたのであれば、パーティ券の定員以上の「空売り」が公然と行われていた可能性が高い。

一回500名のパーティ定員に対して1000名分の券を売っていたのであれば、一枚が仮に2万円として差額の1000万円が「浮く」。これを還流していたのだが、パーティの決算書には500名分の収入しか載せなかった。

まさに架空売り上げだが、架空分は無いことにしていたわけだ。要するに「裏ガネ」で、これを最初から予定していたイベントだったのであれば、刑法に触れることになる。

福田赳夫元首相の旗揚げから続いていた「清和政策研究会」の屋台骨がぐらつくことになった。

もともと福田元首相は田中派の金銭至上主義的な政治活動に異を唱えて、清廉な政治を目指していたが、やはり多数決主義の政界ではそうも言っていられなく、結局、派閥政治は今日まで存続している。

政治活動には金がかかるのは周知のことだが、そのために「政党交付金」が各党の議員数に応じて国家予算の中から配分されるようになった。

この配分金と議員歳費で活動すれば問題は起こらないはずだが、民主政治には国民との不断のつながりが必要ということで「時局講演会」なる名目でいわゆるパーティが欠かせず、今回はこれが肥大化してキックバックの温床となった。

このような政治パーティを催すのは自由だが、パーティ券の空売りつまり「裏金作り」を公然と行っていたのは全くの勇み足だ。

明治以降の歴代首相の中でも2番目に長い総理の就任期間をもった安倍元首相の「安倍一強政権」の負の面が露出したのが今回の事案だろう。特捜部の取り調べがどのような形で入るか注目される。

去年の6月に旧統一教会関連で殺害された安倍元首相の死後に鞭打つのは本意ではないが、岸田首相の防衛増税への前のめりが政権不支持を拡大していることと併せて考えると、安倍派の清和政策研究会の屋台骨が揺らぐどころの話ではなく、自民党政権そのものへのカウンターパンチの様相を呈して来たと言っても過言ではあるまい。

 

 


大リーガーと大相撲

2023-11-27 09:46:53 | 日本の時事風景

昨日の大相撲九州場所千秋楽で、大関の霧島が2回目の優勝を果たした。

関脇「霧馬山」だったが、大関になった際に師匠の陸奥(みちのく)親方から、親方が現役時代の大関の時に名乗っていたしこ名の「霧島」を贈られてからは初の優勝だ。

これで師匠への恩返しになった。だが、師匠がなし得なかった横綱への昇進が残っている。これが本人はもとより、陸奥親方と陸奥部屋全体の悲願でもある。

男前で筋骨隆々、和製ヘラクレスと言われたのが陸奥親方(元霧島)だった。たしか賜杯は1度だけ手にはしたが、最高位への昇進はならずに引退しているから、師匠としても部屋としても横綱を出したい思いはとても強いはずだ。

今の大相撲は一人横綱で、その頼みの綱の照ノ富士が2場所連続で休場しており、横綱不在の解消は多くの大相撲ファンの願いでもある。

ところで今場所の優勝力士霧島(元霧馬山)はモンゴル出身だ。今朝の新聞によると、この優勝はモンゴル人力士による優勝としては100回目だ。

2002年の九州場所でモンゴル出身の朝青龍が初めて賜杯を手にしてから、今度の優勝までちょうど21年経過しており、その間のモンゴル人力士による優勝者の割合は、何と驚くなかれ、80%という超高率だそうである。

つまり5場所のうち4場所がモンゴル人力士の優勝ということになる。大リーガーで日本人唯一の2年連続MVPを獲得した大谷選手も真っ青だ。

これほど歴史と伝統のあるスポーツで、継続的に外国人にトップの大部分を奪われ続けている「国技」もそうざらにはあるまい。

北欧の国技とも言われているスキーのジャンプで日本人の高梨沙羅選手は優勝60回という驚異的な記録を持っているが、これとてあくまでも一個人による継続的なトップに過ぎず、日本人選手だけに偏った好記録というわけではない。

大相撲は独特の親方(部屋)制度があり、力士の育成や稽古でも部屋独自の運営がなされているから、この意味では世界でも稀な組織体制である。しかもモンゴル人力士はモンゴル部屋というのがあるわけではなく、各部屋に属しながら稽古に励んでいる。

各部屋横断的にモンゴル人力士は優勝を重ねているのだが、結局モンゴル人力士の相撲部屋という組織への順応性と稽古熱心と勝負への熱意が多くの優勝者を生む要因だろう。

モンゴル人力士の金星インタビューや優勝インタビューを聞いていると、この人たちの話す日本語が極めて日本人に近いのに驚くことがある。

おおむね標準語をしゃべるが、単語の発音にしろイントネーションにしろ我々のとほぼ変わらない。余り耳にすることはないが、中国人力士の発音やイントネーションは、顔立ちが日本人並みであるのでかえって目立つ(耳障りになる)。

西欧系の力士も、単語そのものの発音は良いのだが、やはりイントネーションでどこかひっかかることが多い。

そこへ行くとモンゴル出身力士のしゃべりは流暢の一言に尽きる。相撲放送の解説者として呼ばれることの多い元横綱の鶴竜などはピカ一だろう。

現在の大相撲の起源は平安時代初期に確定した宮中相撲で、宮中相撲自体の起源は九州南部から天武天皇時代に上京した日向隼人(大隅隼人)の奉納相撲であることが文献上で解っているが、ではその先はとなると、今のところ高句麗時代の半島壁画に描かれた相撲(格闘技)だろうか。5世紀頃とされている。

朝鮮半島から北へ伝えられると「モンゴル相撲」になり、南へ伝えられると「隼人相撲」になったのだろうか。

それとも逆に隼人相撲が半島へ渡ったのか。もしくはモンゴル相撲が半島北部に伝わったのか。

今度優勝した霧島の風貌を見ていると、何となく彼には南九州か沖縄の血が流れているような気がするのだが、有り得ないことか。

相撲を通してモンゴルと半島と九州のつながりを考えてみるのも面白いかもしれない。

 

 


国策か米国策か

2023-11-03 22:03:42 | 日本の時事風景

よく言われるのが「外交と防衛は国策だ。だから都道府県及び市町村の与り知れるところではない」である。

鹿児島県ではつい最近、県民から提出されていた「川内原発の稼働20年延長は是か否か」をめぐる県民による直接請求(有効署名総数4万6千)を受けて県議会が開かれたが、否決された。

この請求は薩摩川内市にある2基の原発が来年再来年と相次いで40年の節目を迎えるが、岸田政権で法文化された「60年までの稼働延長」に対して疑問を投げかけるものだった。

しかも2年前に鹿児島県知事になった塩田氏が選挙戦でのマニュフェストに掲げていたのが「(原発の稼働延長20年について)必要とあらば県民の直接投票を行う」という文言であったから、県知事の判断を仰ぐ意味もあった。

しかしながら県議会で否決されたことを受けた塩田知事は、先週末に出された原子力規制委員会の「稼働を20年延長することに特段の問題点はない」という見解(お墨付き)に待ってましたとばかり賛意を表明した。

これで九州電力の求めていた20年延長事案にゴーサインが出たわけである。せめて直接請求に基づいて県民投票を実施し、その正否を見てからでも遅くはなかったと思うのだが、岸田政権が決めた「稼働最長60年」の法案を優先した。

ウクライナ戦争による資源の高騰、とくに原油の値上がりという現実を突きつけられ、資源小国日本の舵取りとして脱炭素という名分をも加味し、安全よりもそっちの方を優先した現政権の「国策」の前に、原発を抱えた県の代表者として反対の表明は不可能だったのだ。

外交と国防という2大国策に加えて、食料・エネルギーの保障という第3の国策が改めて浮上したのを端的に示す今度の直接請求の否定であった。

同様なこと(と言うには余りにレベルが違い過ぎる)が、沖縄県の辺野古基地新設に関わる沖縄県知事の提訴の却下に見られた。

玉城知事は辺野古の海に築かれつつある普天間基地の移設代替基地について、海中への土砂埋設は不当であり、それを認めない決定を下したのだが、国が国の専権事項としての防衛施設だとして県知事の埋設不承認を却下するよう訴えた。

沖縄地裁は玉城知事の意見陳述を否決し、国の専権にお墨付きを与える判決を下した。強制代執行への道である。

一般的に公益が私権に勝る場合、公益を優先して私権を制限し、公益に基づく事業を強制的に公権力が推し進める――というのが、「(強制)代執行」だ。

辺野古の埋め立ての場合、埋め立てによる公益つまり危険極まりない普天間基地の移設という「公益」が優先されるわけだが、そもそも普天間基地は米軍の基地であり、その代替基地は名称はどうであれ自衛隊基地とは言えまい。

自衛隊基地であるのならば確かに国防という「国策」に適うものなので、代執行は可能だが、実際は米軍が使用するわけだから実質的には「米国策」である。アメリカの世界戦略に基づく普天間基地であり、辺野古の新設基地である。

要するに辺野古の基地新設に反対する地元の意見を抑えて「国策による代執行」が可能になったというより、アメリカの世界戦略という「米国策による代執行」が貫徹されるということだ。

その「代執行」を日本政府がアメリカに代わって強制執行するというのだから、まさに言葉の正しい意味で「代執行」ではないか。

アジアに関してのアメリカの世界戦略はこのところ台湾問題に特化した感がある。

台湾をめぐって米中が火花を散らし始めたが、そのことをもろに受けて始まったのが「離島防衛」で、台湾に侵攻した中国軍は同時に先島諸島への進攻にも着手するに違いない――というアメリカの思惑に乗っかって日本は自衛隊部隊の配属を急いでいる。

しかし私にはこの離島防衛は日本の防衛線ではなく、アメリカ本土の防衛最前線なのではないかという感が拭えない。早い話が、日本は戦略的にはアメリカ・中国間の争いの、良く言えば「仲介役」、悪く言えば「捨て駒」になるのではという気がする。

この「米国策」、吉と出るか凶と出るか、日本政府の自尊・自立を希うばかりだ。

 


原子力発電は国策?!

2023-10-23 18:46:01 | 日本の時事風景

今日の鹿児島県臨時県議会に「川内原発20年延長を問う県民投票の会」が提出した条例制定直接請求の議案が上程された。

現県知事の塩田康一氏は知事選のマニュフェストで「(原発の再稼働については)必要に応じて県民投票を実施する」と謳っていたのだが、この5月に「条例制定後の県民投票は慎重に判断する」という否定的な見解を発表していた。

それにもかかわらず「県民投票の会」が集めた署名の数は、4万6千票という条例制定のための署名数を大幅に超えた。

これを巡り、ようやく臨時議会が開かれ、今日の知事の見解を皮切りに議会の委員会で審議に入り、26日には本議会が開かれて県民の代表者である県議会議員全員による条例制定への賛否の投票が行われる。

巷ではこれまで同様の条例制定請求が行われた宮城・茨城・新潟などではことごとく否決されていることから、鹿児島でも否決されるだろうと言われている。

その理由は原発の存非に関しては、賛成(〇)か反対(×)かという2者選択にはなじまないというもっともらしい意見が多くを占めており、「CO2を出さない原発はとりあえず必要である」という「とりあえず論」が大勢だからだ。

しかしながら原発は高濃度の放射性廃棄物を生み出すし、福島原発事故のような脅威もあるから「とりあえず」というような先送り論は、結局、我が首を絞めることになる。

この際すっぱりと原発は廃止して、持続可能なエネルギー資源開発を積極的に推し進めるべきだ。

1951年に米国で始まった原子力発電はスリーマイル島原発事故、ソ連のチェルノブイリ原発事故、そして福島の原発事故と20年に一回の取り返しのつかない事故を起こしている。

火力発電所や水力発電所の取り返しのつかない事故というのはほぼゼロである。もし起きても数か月か数年で恢復されるものがほとんどだし、ましてや目に見えない核による汚染によってゴ―ストタウンを生むなどという被害は全くない。

水力・火力に加えて太陽光・風力といった新技術もラインナップしている。その他にも様々な安全な技術が生まれている。

原子力は核戦力と共に人類の手に余る技術であり、人類を脅かす存在である。

まして日本は火山列島と呼ばれるほど火山が多く、また地殻プレートの集積場所でもある。第二の東日本大震災がいつ起きてもおかしくない場所だ。

40年を超えた20年の期限延長という「国策」は間違っている。ましてや「停止期間を除外しての20年延長を可能とする」という「奇策」は狂気に近い発想だ。

「それほど原発を危険視するならあんたは電気を使うな」と言われそうだが、ご心配無用、そのために太陽光パネルを屋根に載せてある。

東京都では新築の建物の上には必ず太陽光パネルを乗せるという条例を作ったそうだが、都知事の英断を支持したい。


超高齢化社会、日本(2023.9.17)

2023-09-19 14:11:11 | 日本の時事風景

今年の9月17日は敬老の日。高齢化の波はますます高くなっている。

新聞によると、日本国民の10人に1人は80歳以上だそうだ。正確に言うとその割合は10.1%で、1259万人である。

また、65歳以上の高齢者は3623万人で総人口に占める割合は29.1%、ほぼ3割が高齢者ということになる。

世界でもこの割合は突出しており、2番目のイタリアが24.5%、次のフィンランドは23.6%だから、断トツの世界一だ。

喜ぶべきか、喜ばざるべきか、それが問題だ。

誰しも長生きを喜ぶだろうが、そこそこに健康であっての喜びだろう。

日本は国民健康保険制度によって「皆保険国」であり、介護保険によって「皆被介護国」であるから、長生きへの保障はおさおさ怠りないが、保険制度の利用者が多くなるほど財政は圧迫される。

今、厚生労働省では「フレイル予防」がキーワードになっている。要するに足腰が衰えないように「○○体操」と銘打って各地の公民館などで地元住民への啓発活動を行っている。

これはある意味結構な話で、家に引きこもりがちな高齢者を外へ誘導し、他者との交流を活発にして心身の衰えを防ごうというものだ。

その一方で「認知症予防」もこれからは重要な課題で、一説によると団塊世代が後期高齢者に入った時点で、認知症患者の数が後期高齢者の5人に1人、つまり600万人以上になるだろうという。

認知症はもちろん介護保険適用の範疇だが、数が余りに多過ぎ、通常の心身の衰えによる介護対象者を脅かす存在になる可能性も見えて来た。

特に問題なのが認知症による「徘徊」だそうだ。施設に入った認知症の高齢者が引き起こすてんやわんやはよく話題になる。

いずれにしても超長寿社会を経験しつつある日本の動向は世界の注目の的になっている。

 

ところで一昨日は自分の所属する町内会の敬老会に役員として参加したのだが、式典の冒頭に講話をした鹿屋市の社会福祉協議会の会長の話の中で印象に残っていたのが「女性はなぜ長生きなのか」というテーマであった。

会長自身の説は披歴されなかったが、奥さんにそれを問いかけたら奥さんは「そりゃあ、女は執念深いからよ」だったそうである。

聴いた会長はぎゃふんだったろうが、この「執念」を「夫を含む人との関わりや子どもに対する想いの一本の道」と敷衍したら分かる気がする。

そのような「執念」はおおむね見返りを求めず、ただやるべきことをやっているだけという感覚だろう。そこには「自己への執着」は無いように見える。

それに比べると男の「執念」は「勝つか負けるか」「得するか損するか」「あいつを見返してやる」など執念というより「妄執」に近い。

勝つにしても得するにしても相手を見返すにしても、それを達成するためには膨大なエネルギーが必要だ。達成出来たらそれはそれでよいのだが、達成できずに挫折したら「身を焦がすような」事態に陥りかねない。

女が男より長生きなわけは、多分そういうことだろう。男は人生の上で毀誉褒貶が多過ぎるのである。

生命科学的に見ても女の遺伝子を形成する性染色体は「XX」で、男は「XY」である。男は女より「一本足りない」のである。男は「失われた一本」を求めてあがきまわるようになっているのだ。

新聞報道によると、全国で100歳以上の高齢者は去年に引き続き9万人台で、うち女性の占める割合は88.5%と男をはるかに上回っている。

鹿児島県は全国で第4位の長寿県だが、1964人の100歳高齢者のうち女性は1740人、男性は220人で、女性の割合は90パーセントを超えている。

「○○サロン」というような高齢者向けのフレイル予防講習や体操クラブ、お茶飲み会、各種同好会などに集まるのはほとんどが女性だという。そういう機会に友や見知らぬ人と世間話をしたり、笑いあったりすることが「健康長寿」の最良の秘訣かもしれない。