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鴨着く島

大隅の風土と歴史を紹介していきます

高隈山の初冠雪(2025.01.10)

2025-01-10 09:29:11 | おおすみの風景
昨夜のニュースでは「この冬第一級の寒波がやってくる」一色で、たしかにきのうの午後3時半頃にウメを散歩に連れ出した際には、冷たい北西の風に交じってみぞれが顔を打った。

今朝はおそらく霜はもちろんのこと、ひょっとしたら雪が積もっているのではと6時過ぎに玄関口のポストの新聞を取りに行った時、庭を見回したが雪らしきは見えず、そのあと明るくなってから向こうの畑地帯を眺めたが、霜さえ降っていなかった。

ちょっと拍子抜けの態だ。だが寒いことは寒く、氷点下だったことは間違いないのだが・・・。

その代わりもしかして高隈山に冠雪はあるのでは、と思い、表通りの歩道のある県道沿いに設置されているゴミステーションに、燃やせるごみを自転車で出しに行ったら、案の定、高隈山の山頂部に白い物がかすかに見える。

車で通り過ぎたら多分確認できないくらいの少しばかりの雪である。

家に取って返し、デジカメを手に今度は車で、県道の向こう(北側)に広がる畑地帯に行ってみた。

すると間違いなく淡い雪らしきものが、高隈山の主峰ではないが鹿屋市内からよく見える御岳(おんたけ=1182m)の山頂部から幾筋かの谷間に見え隠れしている。

高隈山の南側からの全容。中央右寄りのピークが御岳(1182m)、その左手のとがったピークは妻岳といい1152m、そしてさらに左側には二こぶの二子岳、もっと西にあるのが、平岳と横岳で、この二峰は垂水市に属するのだが、いずれのピークも1000mと1100mの間にある。

高隈山は古来修験道の山として知られ、御岳の山麓には「瀬戸山神社」があり、そのすぐ下にはかつて「五代寺」という神宮寺の一種があったが、明治初年の廃仏毀釈で廃れている。

この瀬戸山神社のそばを流れる川は、秡(はらい)川と呼ばれ、修験者が山入りの際にはこの川で水垢離をし、心身を清めたようだ。

また、垂水市に属する横岳の中腹には800mほどの白山というピークがあり、そこに鎮座する白山神社は島津氏以前に垂水郷を治めていた伊地知氏の出身地(福井県の井筒城)からの勧請と言われており、現在も4月に「女男河原祭り」(おんだんこらまつり=御田の河原祭り)が催されるが、これは白山神社に因むという。


一月のうちに平地でも雪になるような日があれば、高隈山も半分以上が雪に覆われる。

手前の広い畑では大根を植えているようだが、果たしてこの寒さで、成長が止まらないものか。

まして雪を被ったらどうなるのか。この時期は秋蒔きのダイコンの収穫が終わり、春4月のサツマイモを植え付ける栽培暦に備えて、トラクターで深く耕し、堆肥などを散布するのが普通なのだが・・・。

初氷(2025.01.05)

2025-01-05 19:11:28 | おおすみの風景
今朝も霜が降りたが、庭に出て池の方に行くと「おや?もしかして」と水面を眺めてつぶやいた。

少し水面が盛り上がって角らしきものが見える。

家の中に戻りデジカメを持参して池を写してみた。
池の手前の淵に近い辺りが、波もないのに乱反射している。

間違いなく薄い氷が水面を閉ざしている。

ただ池の中心の方に氷は見られない。

浅い場所なのでそれだけ空気中の冷え込みがもろに伝わったのだろう。

この冬初めての氷結になるが、「氷結」というほど厚く凍ったわけではないから微妙である。

今朝も辺り一面霜が降りている。

年明けから5日で、もう4回も霜が降りたことになる。おそらくこれまでにない新記録だろう。

先月の9日に初霜があってからこれで11回目だ。

10月まで異常に暑かったのに、2か月余りで真冬の寒さになった。

これも異常である。

この先「異常」が「通常」になるのだろうか?

気温のこんな上振れ下振れは想定内になったと言っていいかもしれないが、とんでもない突発的な異常がなければよいと思うばかりだ。

謹賀新年(令和7年元旦)

2025-01-01 11:14:56 | おおすみの風景
謹 賀 新 年

本年もどうぞよろしく

昨日の夕方は良く晴れて夕日の沈むのを見送ることができたので、元旦の朝は初日の出が見られるだろうと、今朝早く、我が家の東約20キロにある肝属川河口の波見(はみ:肝付町)と波見大橋を渡った東串良町の柏原港まで行って来た。

家を6時25分に出て、波見大橋に着いたのが6時50分。橋を通過しながら肝属川を見るとたゆたう雲のような朝霧が権現山(標高320m)の山裾を流れる肝属川の河口に向かってゆっくりと動いていた。

大橋を渡り終えてすぐに車を路肩に停めて、歩いて橋の途中まで行き、写真を撮った。


日の出の予想時刻の7時15分にはまだ間があるが、東の空は太陽の明るさが浮き出て来ている。

川面に映る光の中をまるでスポットライトを浴びたかのように、10羽ほどの鴨の群れが、光の方に向かって泳いでいる。寒くはないのだろうか。

川霧は右手の権現山の山裾を纏いながら海の方へと流れて行く。

波見大橋を渡り切って信号を直進し、松原の中を300mくらい進むと柏原港だ。

到着した6時50分台ではまだ日の出時間に間があるので、港湾関係者用の広い駐車場はガラガラであったが、7時10分くらいになると満車の状態になった。

人々もにぎわい始める。みんなスマホやカメラを手に車から降り、今か今かと初日の出を待つ。

自分もデジカメといスマホの両方で写そうと、素手でスタンバイするのが、何しろ寒い。デジカメとスマホを持つ手が痛くなって来た。

やがて待望の初日の出だ。


権現山から向かって左側に流れ下る稜線が海(志布志湾)に落ち込む間際に少しの隆起があり、その頂点に近い辺りから太陽の輪郭がほんの少し現れたのでシャッターを押す。

太陽が出てしまうと安物のデジカメの機能では、完全な逆光にあらがうことができず、明瞭な写真とならないのが残念なところだ。


それにしても今朝の寒さよ。

ここには15年くらい前に一度日の出を拝みに来ており、その時も晴れていたと思うが、今朝のように川霧(肝属川おろし)が発生したという記憶はない。

柏原港の突堤の向こう側が肝属川の河口で、太陽が昇った辺りで志布志湾に注いでいる。そこに向かって絶え間なく流れて行く「肝属川おろし」の姿は、あたかも巨大な龍のようだ。

去年なら辰年だったから、縁起でもかつぎたくなるところだが、今年は巳年。それになぞらえれば「巨大な蛇」なのだが、それはちょっと不気味だ。

このブログも今年で19年目に入った。地に這うようにねちねちとまだ続けて行こうと思っている。

本年の皆さんのご清祥を祈ります。



霜と灰と(2024.12.23)

2024-12-23 10:21:08 | おおすみの風景
今朝の7時に玄関先の寒暖計はちょうど0℃。

庭に出ると案の定、霜が降りていた。今年4回目の降霜だ。多分、最低気温はマイナス2℃にはなっていたろう。
(※夕方の地元のテレビ番組で発表されたところによると、鹿屋市の最低気温は-3.8℃だった。我が家からかなり北のやや標高の高い所に観測所はある。)

オタフク南天の色づいた葉の頂上辺りは真っ白である。

自動車のフロントガラスも凍っていたが庭の蛇口からホースを伸ばして水を掛けてやると難なく落ちたから、そうガチガチの結氷ではなかった。

庭先から東の方向を眺めると、上がったばかりの日にうっすらと照らされて、畑の野菜に霜が降りているのが分かる。

この野菜は何というのか、たぶん家畜用の飼料になるのだろう。

菜園の野菜にも霜は降っているが、もう寒さに強いアブラナ科のダイコン・ハクサイ・ブロッコリー・チンゲン菜などにとっては「カエルの面に小便」のようなものだ。

ただ、9時少し前に、大通りに面した場所にあるゴミステーションにゴミ出し(月曜日は資源物)と思って外へ出てみると、何と桜島の灰が降っていた。

車の上にも満遍なく降っており、1時間前に氷を解かすためにやった水かけをもう一度やる羽目になった。

ネットで調べると、この桜島の降灰は今朝7時10分と約20分後の2回の爆発的噴火によるもので、このところ卓越しているやや強い北西の風に乗って大隅地方に向かったものと判明。

2回目のは桜島の上空3000mの高さにまで噴煙を上げており、この灰交じりの噴煙がこっちにまで飛んで来たようだ。

降灰で困るのが、ハクサイの芯に入り込むやつだが、ハクサイはもう芯を包み込む形になっているから、内部に入り込むことはまずないので良かった。


ただ、あと5,6日で初収穫となりそうなブロッコリーのボール状の花芯の上にも少し積もっていた。

大きな葉にも点々と灰が見える。まるで害虫のアブラムシが付いたかのようだが、これは桜島の灰の粒々だから心配はいらない。

灰で傷むことはないと思うが、念のため今日早取りしてみよう。

例年、秋から冬にかけて北西の風に乗って桜島の灰が何度かは降るのだが、去年今年と少なくて助かったと思っていた矢先の降灰。

110年前(1914年)の1月12日に起きた桜島大噴火では流れ出た溶岩で大隅半島と桜島が地続きになったが、その時も大隅半島側には多量の火山灰が降り、鹿屋市輝北町(旧曽於郡市成村・百引村)では屋根に降り積もった火山灰の重みで家がつぶれたり、傾いたほどだったという。

同じような大噴火が今後起きないという保証はないが、現在の活火山観測体制の充実ぶりを考えると、早め早めの対策が可能だろうとは思う。しかし現実に起きてしまったらライフラインへの影響は目を覆いたくなるほど甚大になるに違いない。

高千穂の峰を遠望(2024.12.19)

2024-12-19 14:51:22 | おおすみの風景
12月9日の初霜以来、ちょうど10日続く朝の氷点下圏(零度前後)のために空気がぐんと冷やされ、土から立ち上がる湿気も乾燥した北西の風によって吹き払われて来た。

だから乾燥注意報が発令されて久しい。

こんな時に見られるのが、我が家のほぼ真北に位置する「高千穂の峰」のシルエットだ。

よく晴れて冷え込んだ早朝なら見えることのある高千穂の峰だが、そういう日に限って日中は気温が上昇して地面から陽炎のような蒸気が立つので見えなくなる。

ところが最近は空気が乾燥している上、日中の気温も10℃位しか上がらないので、地面から立ちの昇る陽炎のような蒸気がごく少なくなり、昼過ぎでもくっきりと高千穂の峰が見える。

そう急傾斜ではないが、中心のとんがり屋根ですぐそれと分かる高千穂の峰。我が家から直線距離にしてちょうど60キロだ。

霧島連山の東の最高峰で1594mもあり、言わずと知れた天孫降臨の山。

ただ同じ宮崎県の北部にある高千穂町の山に降臨したという説もある。

だが、明治維新政府で初代の内務卿だった大久保利通が鹿児島県出身だったため、天孫初代のニニギノ尊が下ったという高千穂の峰を、鹿児島県に近い霧島に比定したと言われる。

天孫の墓所についても、ニニギは薩摩川内の可愛山上に、次のホホデミは溝辺町の高屋山上に、その次のウガヤフキアエズは吾平町の鵜戸野の吾平山上に、という風にすべて旧薩摩藩領内に決定している。

政治的な偏向と言われても仕方がないだろうが、そもそも皇孫とはいえ「天から」降りてくるものだろうか?

倭語で漢語の「天(テン)」は「あめ」とも「あま」とも言うが、「あめ」は「雨」として最も普通に使われている。雨は気象用語であり、降雨にメカニズムから考えれば科学用語でもある。

天孫はもちろん雨ではないから、倭語としては「あま」のほうを重視すべきだ。

「天照大神」は「あまてらすおおみかみ」であり、「高天原」は「たか(あ)まがはら」、「天津日継」は「あまつひつぎ」というように天孫関係の用語ではすべて「あま」と読まれている。

ところが「あま」は海を舞台とした用語にも使われているから厄介だ。

「海士」「海女」はどちらも「あま」と読むし、中古の用語「海部」は「あまべ」である。尼僧も「あま・あまさん」だ。

薩摩半島の西南の方では「ニニギノミコトは海からやって来た」と言う所があるくらいだ。

「天地剖半説」では「澄んだものは天となり、濁ったものは地となる」(古事記)というが、では海はどうなんだろう?