映画『神は死んだのか』を観た。傲慢で卑劣で浅薄なキリスト教プロパガンダ映画。これほど倫理・道徳的にも論理的にも間違っていると言い切れる映画は初めて観た。 godsnotdead.jp
映画『神は死んだのか』公式サイトに「無神論者の大学教授vs大学生 果たして、彼は神の存在を証明出来るのか-。」と書かれているが、作中ではただ低級な議論が続くだけで、神の存在を証明していない。最終的に人間には「キリスト教の」神が必要だと主張しているに過ぎない。
映画『神は死んだのか』この映画で、敬虔なキリスト教徒たちは、不運かつ精神的に不安定な上に、さして知的でも賢明でもない人間を心理的に追いつめて晒し者にした挙げ句、脅迫によって改宗させる。作り手がこの下衆なふるまいを心底正しいと信じていることが恐ろしい。
映画『神は死んだのか』作中では、キリスト教を信じない者はおしなべていけ好かない人格に問題のある人物として描かれる。イスラム教は否定し、中国人留学生には本国の父親に向けて「神は死んでいない」と「英語で」メッセージを送らせる。どこまでも自己中心的だ。
映画『神は死んだのか』神の存在証明などまったくできていないにもかかわらず、最終的に大学生たちは次々と立ち上がりつつ「神は生きている」と唱え出す。どうしてそうなるのかまるで理解できず、猛烈に気持ち悪い。この全員一致は「無神論者」の教授がやろうとしたことの裏返しに過ぎない。
映画『神は死んだのか』そもそもこの物語は、大学教授が学生に信仰の自由に関わる強制をすることが誤りだと言うだけで終わるのだ。個人の思想・良心の問題を大学の講義の中で論じようという舞台設定自体が間違っている。
映画『神は死んだのか』常識の面から見ても教授の行為は正しいと思えないので、学生側が勝利するのが妥当のように見えるが、それはキリスト教徒の学生を正しいと思わせるための詐術だ。作中の議論を見る限り、神への懐疑に作り手たちはまともに向き合っていない。その能力がないだけかも知れないが。
映画『神は死んだのか』神の存在を証明するはずのこの映画は、(一部の)キリスト教徒の醜悪さの証明になってしまった。信仰の正しさ云々以前に、人間としてまっとうと思えない。心あるキリスト教徒たちは、この映画を良しとするのだろうか。