仮名日記

ネタと雑感

やすいはなし(勝つと思うな)

2008年08月25日 | 文化
 北京オリンピックがようやく終わりました。どうも、会期中よりも始まる前の方が盛り上がっていたような、異様な大会だった気がします。すべての競技にわたって俺はまったく興味がありませんでしたが、日本人選手が不甲斐ない結果に終わることだけは楽しみにしておりました。いや、選手には何ら含むところはないのだが、にわかにスポーツ好きになって訳も判らず日本の選手を応援している輩が、嘆いたり憤ったりの醜態を晒すのを見ると、腹の底から“ザマミロ&スカッとサワヤカ”の笑いが出てしょうがねーぜッ。
「何でそんなにマジなの?
 エッヒャッヒャッヒャッヒャッヒャッァッ!」
 そんな反日根性剥き出しの俺としては、男子柔道のダメさ加減を心から「よくやった」と讃えたい。日本のお家芸であるはずの競技で、史上最低のメダル二個獲得に終わった。まあ、あなた、金とはいえたったの二個。準国技というべき競技でメダル二個とは。期待していた奴らの泣きッ面が目に浮かぶぜ。気に入った!家に来て妹をファックしていい!!
 この凋落ぶりの一因は、国際大会においてこの競技は名実ともに「柔道」ではなく「JUDO」と化しており、タックルで倒したり組み合わずに逃げ回ったりしてポイント数による勝ちを狙うのではなく、あくまでも組み合いのうえ一本を取って勝つことに拘る、日本選手の伝統的なスタイルでは勝てなくなったことにあるという。そんなのは、ずいぶん前から危惧されていたことだろう。今になって「やっぱりそうなったか」では遅すぎる。このままでは近い将来に、日本選手がメダルを一個も取れないという事態になるかも知れない(それはそれで面白いけれど)。
 ことここに至って、国際大会であくまでもメダルという果実を狙うのならば、まず考えられる方策は、「本来の」柔道らしい戦い方で勝てるよう競技全体のルールを改変することだ。しかし、それだけの発言力・政治力が今の日本柔道界になく、国際的な趨勢を押し留めることができないのならば、逆に日本側が「JUDO」に対応するために自らの戦法を改変しなければならない。メダルという目的を果たすために、状況と自己のスタイルとの折り合いをつけるのは合理的な選択だろう。いままでのやり方をまったく変えてしまうか、折衷的に残すかどうかは別として。
 まったく別の選択肢としては、メダルなんて端から諦めてしまうという方向もある。勝とうが負けようが超然として現在のスタイルを貫くのだ。メダルなどをがつがつと欲しがって、そのために汲々とするなど浅ましく見苦しい、見よ、この高雅にして深遠なる精神美を、醜い勝者より美しい敗者たれ、とか何とか唱えちゃったりして、どんなに惨敗しても、試合には負けたが勝負には勝った、と嘯いて高笑いする。武士は食わねど高楊枝。太った豚より痩せたソクラテス。外国にはまったく通用しない価値観かも知れないが、日本の伝統としての柔道を国内で保存することはできるだろう。
 それでは内向きに過ぎる、やはり世界にアピールできる場が欲しいというのならば、新しい競技部門を創ってしまうのはどうか。呼び名は「トラディショナル」でも「ジャパニーズ」でも「クラシック」でも「オーソドックス」でも「コンサヴァティヴ」でもいいが、徹底的に「日本的」な「本来の」柔道としての優劣を競うための競技形態を打ち立てるのだ。
 具体的にどうするかといえば、試合をするところまでは従来と同じだが、その勝敗は、完全に採点制にして「礼節点」「技術点」「精神点」の総合で決める。一本を取っても、礼節を欠いていたり、技によらず力任せだったり、精神性が足りなかったりすると、採点で負けたりするのだ。山下泰裕が賢しげに語るような、相手が怪我をしていてもそこをわざと責めたりせず、あたかも怪我の存在を忘れたかのようにふるまう、なんてことをすると精神点がぐんと跳ね上がる。逆に、ガッツポーズをしたり飛び跳ねて喜んだりとかすると、礼節点・精神点ともに減点されてしまう。もちろん日常の素行も採点の対象になるので、問題発言をしたりスキャンダルを起こしたり犯罪を犯したりした過去があると試合に出場すらできない。一方で家が貧しいとか、両親が幼少期に亡くなっているとか、感動的な浪花節エピソードがあれば加点の対象になるのだ。審査員はこの「日本式」柔道の経験者・指導者でなければならず、必然的に日本人が大部分を占めることになる。
 勝てる。これで勝てなきゃもう言い訳のしようがない。少なくとも、しばらくは日本選手の独擅場になるだろう。何たって日本の選手がもっともなじんできた戦い方(のはず)なんだから。こうして「日本式」柔道の命脈を保っていくうち、あわよくば、この「日本式」の方を本流にすることもできるかも知れない。
 よしんばそれでも勝てなくなったとしても、日本の伝統は守られ、受け継がれていく。外国選手がこの「日本式」で勝ったとしたら、この競技で勝てるということは「名誉日本人」の資格の証明なのだから日本がメダルを取ったのと同じだ、あのメダルは実は日本のものだ、それ行け日本、やれ行け日本、一億国民がついているぞ、ということにして自尊心を保つことだってできるだろうさ。

やすいはなし(吹けよ風、呼べよ嵐)

2008年08月22日 | 文化
(上掲写真は、東京国立博物館の東洋館に展示されている『眼の偶像』。シリアから出土した紀元前3000年紀後半の遺物。何か好きなので載せてみたが、本文とはあまり関係がない。)

 もう展示は終わってしまいましたが、上野の東京国立博物館で開かれていた「対決-巨匠達の日本美術」(公式サイト)は見応えのある好企画でした。組み合わせられた作家の作品を対比し、そこから立ち上がってくる意味を読みとるには、こちらの教養と審美眼が追い付かなかったが、言わずと知れたビッグネーム達による、これまた名品と謳われる作品群を一度に観られるという滅多にない仕合わせに浸れた。以下、印象に残った「対決」について書いてみます。

[円空vs木喰]
 木彫の仏像対決。ともに民衆のために作られたものだが、アプローチがまったく対照的で、鋭角で峻厳な印象の円空仏に対し、木喰仏は丸っこく親しみやすい。たいそう偏った意見だと自覚しているけれども、俺は木喰に良い印象がない。何だか舐められているような気がするからだ。「お前らはこんなもんで喜ぶんだろう」と言われているような、言い換えれば、俗っぽく迎合した感じだ。作られた当時は、「民衆の仏像」として必要な表現だったのかも知れないが、今となればその判りやすさが鬱陶しい。円空の方が自己に没入した表現をしており、そのために却って観る側が主体的に近づいていける気がする。
 木喰は自分自身の姿を写した仏像を残しており、これにも何様のつもりかと言ってやりたい。自己顕示欲の強いイヤな奴だったんじゃないかと、彼の故事来歴などまったく知らないが勝手に思っている。

[若冲vs蕭白]
 京都画壇の奇想・異端派二人。表現の理知的な追求から、いつの間にか常軌を逸脱してしまった雰囲気の若冲よりも、最初から「ムチャクチャやったんぞ、オラー」という気合いを感じる蕭白の方が好み。彼の『唐獅子図』など、一気呵成に勢いで描いているように見えて、描線は驚くほど的確かつ巧緻で、紙一重で天才の凄みがある。あざとく狙ったようなところもあるが、それも可愛気と思わせるのは、全体に漂うユーモラスさのためだろう。木喰の憎々しさとはえらい違いだ(しつこいね、どうも)。
 必要以上に偏執的に毒々しく描かれた『群仙図屏風』など、そこに描かれた、子供達を引き連れた仙人の姿を見た欧米人が「Scary」「Kidnapping」と評していたほどの異形の作品で、突き抜けたブチ切れぶりが清々しい。

[宗達vs光琳]
 今回の企画全体の目玉といえるのが、この二人による同じモチーフ、ほぼ同一の構図による『風神雷神図屏風』の並列展示。経年によってさらに増したと思しき重みとともに軽妙な滑稽さを漂わす宗達作品と、発色鮮やかで計算された構成の光琳作品。オリジナルとしての強みを差し引くとしても、俺は前者に軍配を上げる。後者の方が構図の完成度は高いのだが、比べるとどこか軽薄に見える。その細部、例えば風神の右手などに、良くいえば勢いがあり、悪くいえば手癖で流したような感じがするためもあろう。
 光琳は、100年前の宗達の作品を基に自己の表現を試みたという。その結果、洗練され整理された作品にはなったが、絵としては面白みも迫力も乏しくなった。岡本太郎が『今日の芸術』で書いていたように、うまくて、きれいで、ここちよいことが芸術における価値とは限らないということがよく判る。

やすいはなし(フリーク・ショー)

2008年08月16日 | 文化
 63年目の終戦記念日、東京は猛暑となりました。毎年この日の靖國神社には、軍服姿も勇ましいコスプレ集団が、英霊に哀悼と感謝の念を示すために群がり集いて、愉快なパフォーマンスを繰り広げます。そのような奇矯な格好の人々以外にも、あっちでは署名集めに人々が奔走し、こっちでは国会議員が気勢を上げ、そっちでは左翼青年が追いかけ回されるという香ばしい光景を見ることができ、人によっては居心地の悪い異空間を存分に楽しめる。
 総じて、この日、この場所は、15年戦争と戦前の日本をできる限り肯定し讃美しようとする人々による祝祭の場になっているといえるだろう。映画『靖国』(公式サイト)の最大の美点は、このような靖國に集まる人々の言動を丹念に追うことで、靖國神社という場所がまさに政治的な意志の坩堝であることを示したことだ。神社側の言葉はないが、それは遊就館の展示によって語られている。
 この磁場に引き寄せられた人々は、軍服集団に限らず、また右だけでなく左も、熱く激しくむさ苦しくなっていく。作中もっとも激アツな場面は、神社の敷地内で行なわれている式典の、よりにもよって君が代斉唱の途中で、左翼青年が乱入するシーンだ。厳つい人々に袋叩きに遭い、流血しながらつまみ出される青年に、憤激した老人が執拗につきまとう。激昂のあまり思考が短絡してしまったのか、老人は「おまえ中国人か!」「中国に帰れ!」「とんでもない野郎だ!」の三フレーズをひたすら繰り返す。一方の青年は、警察を含む人々に取り囲まれ、自己陶酔気味に自分の主張を叫ぶ。そこに被さるエンドレステープのような老人の怒声。双方ともにどこかで理性の箍が外れてしまっているようだ。この二人はこの国の左右両派(の極端な部分)を代表し、その対立の構図を象徴しているとさえ思える。
 これほど名実ともに政治的な場所に、首相が訪れることは当然ながら政治的な意味を持つし、政治的な事柄である以上は、国内外における議論や批判の対象となって然るべきである。映画には、当時の小泉首相が「靖国参拝を政治的な問題にしない」と語る姿も出てくるが、魔法の呪文ではあるまいし、そう言ったからといって政治性が無くなるはずがない。それですべて済むと主張するのならば、どうしようもない馬鹿か嘘つきか、もしかしたらその両方に違いない。
 以上のように、この映画は、靖國神社の周辺については雄弁に語る。しかし、それがこれまでどんな役割を果たしてきたか、いまなぜこれほど政治的な場所になっているのか、過去・歴史まで掘り下げてその核心にまで迫ろうとはしない。単に、説明が足りないというだけならば、問題は少ない。それはこの映画の任ではない、あれもこれも盛り込むことはできなかった、と開き直れば済むことだ。
 しかしこの映画は、ある作為的な仕掛けによって靖國神社の本質を描いたつもりになっている。その中心になっているのは「靖國刀」最後の刀匠である老人だ。この人物を知ったとき、監督は心中で快哉を叫んだのではないか。美術品であると同時に殺傷のための武器である日本刀によって、政治性と宗教性が混在する靖國神社を、ひいては天皇を象徴させる。そして、この刀匠の映像を軸に据え、その間にさまざまな場面を配することで、靖國神社の何たるかを考えさせようという構成に至ったのだろう。一見して実に収まりがいい、整合性の取れたつくりであるように思える。
 だが、観ているとこれがどうもしっくり来ない。靖國刀が、メタファーとして働いていると実感できないのである。まず、靖國刀と靖國神社とのつながりがよく判らない。また、インタビュアーでもある監督と刀匠との信頼関係が十分に築かれていなかったのか、肝心の刀匠からは言葉を上手く引き出せていない。「野蛮な敵を鏖(みなごろし)」などというきわどい詩を吟じさせることはできたが、あとははぐらかすような沈黙と照れ笑いばかり。その沈黙に意味があるのかも知れないが、もしかしたら、語るべきことがもともと彼の中にはないのかとも思う。この刀匠を映画に登場させる必要が本当にあったのかどうか。彼の映像自体の価値はともかく、映画総体にとっては蛇足だったのではないか。
 結局、日本刀=靖國神社の構図をはっきりさせようとしたのか、日本刀を携えた天皇や軍人の映像をモンタージュにして、映画の終盤に延々と流すという、イメージ先行でごまかすような手法に出て、何となく判ったような判らないような気にさせてしまう。この雰囲気重視の安易なまとめ方は、こと靖國神社を語る際には、もっともそぐわないやり方ではなかったろうか。なぜなら、イメージだけで納得し、思考停止に陥ってその先を考えないあり方こそ、靖國神社が利用してきたものだからだ。例えば、国のために死ぬことは、国のために殺すことと表裏一体であると思い至らないこと、「政治的でない」といえばそうなると決めつけてしまうこと、「死者のため」といえばすべて許されると思い込むこと、そのような曖昧で不徹底な思考に、この映画が取った手法は通じている。
 靖國神社を肯定するにせよ否定するにせよ、イメージに流されて出した答えでは、自らそれに責任を持つことはできない。この映画の姿勢はそのような厳格さに欠けており、それは、単なる無内容なカッコつけというに留まらない、根本的な失策であると思う。

やすいはなし(死んだら神様か)

2008年08月06日 | 文化
 赤塚不二夫死去の報を聞き、手許にある『赤塚不二夫1000ページ』を読み直してみたりした。そこに収められた作品を評価するからこそ、彼の肉体の死には、いまさらそれほどの感慨が湧かない。もう何年も意識不明の状態が続いていたからではない。生活する個人としてはともかく、かつての天才漫画家 赤塚不二夫は、30年近く前に死んでいるからだ。もう少し表現を和らげるならば、作家としての使命を終えて、長い晩年を過ごしていたのだと思う。
 『レッツラ・ゴン』に我を忘れるほど笑い転げた身としては、「それからの赤塚不二夫」による索漠とした作品を読むのはやりきれないことだったし、呂律の回らない酔っぱらいが管を巻いているような姿をテレビなどで見せられると、何とも居心地の悪い感じがしたものだ。別に彼個人に責任があるわけではなく、偉業を成し遂げてしまった人の宿命なのだろうけれど。
 15年ほど前、「ダウンタウン汁」というダウンタウンらによる関東ローカルの番組にトークゲストとして出たときもそうだった。少し気むずかしげな様子で、若い芸人との丁々発止のやりとりにも、単に楽しくしゃべっているという雰囲気にもならず、ダウンタウンの二人ももてあまし気味だった記憶がある。
 そんな困った有り様の赤塚だったが、いま思い返すと、一瞬の光芒を閃かせてもいた。この番組では、若手の今田耕司・東野幸治・板尾創路・蔵野孝洋・山崎邦正らがゲストに質問することになっており、誰だかが、タモリを見出した赤塚に、この中で将来 売れるのは誰か判るか、と問うた。そのとき、赤塚が真っ先に指したのが今田で、次に指したのが東野だった(ちなみに山崎は、勢いだけの一発ギャグを臆面もなく披露して一蹴されていた)。
 板尾が好きな俺は甚だ不満だったが、15年後の現状を見れば、予言は当たったといえる。衰えたりとはいえさすがは赤塚不二夫、畏るべき炯眼というところだろう。