仮名日記

ネタと雑感

神聖な場所には何も無い(その4)

2005年09月30日 | 社会
 前回、平和祈念展示資料館について、戦前の歴史に対する総括が不十分なるがゆえに、国家は責任を認めることができず、その事業の目的を明確にすることもできないと書きました。しかし、「総括」などというややこしい言葉を使うべきではなかったと反省しています。ごく簡潔に、15年戦争をやって良かったか悪かったか、成功だったか失敗だったかの問題と言うべきでした。
 いろんな観点・評価の仕方があり、この単純な問いにも対しても答えが一致しないでしょう。侵略戦争だと断じる者もいれば、自存自衛のためだったと主張する者もおり、はたまたアジア解放を目的とした戦いと讃美する者もいます。誰もが納得するようにすべての意見を採り入れれば、自存自衛とアジア解放を目的として侵略をしたということになるでしょうか。また、組織的な残虐行為などの非人道的な戦争犯罪の有無・規模・程度についても、国内の意見は定まりません。
 しかし、明らかで動かし難いことが一つあります。それは、内外に大量の死者を出し、多くの人々の生活が破壊され、おまけに国がいったん滅んだという戦争の結果です。目的や方法についての判断を保留してしまっては「総括」にはなりませんが、この点において見方が一致すれば、議論の出発点にはなるでしょう。
 この悲惨な結果を容認できるか否か。戦争の目的について最大限に肯定的に捉えたとしても、方法がいかに公正だったとしても、その終結にともなって他国が植民地支配から脱したとしても、それらと引き替えにすることが妥当かどうか。国家観や人間観によって答えは違ってくるでしょうが、俺は容認すべきではないと思います。それほどに犠牲は大きく、堪え難いものだった。これを「仕方ないこと」と諦めてしまうのは、人間の価値の軽視あるいは否定、有り体に言えば虚仮にした考えであると同時に、この経験についてそれ以上考えることを放棄する安易な態度と言うべきです。あの結果は、現に侵略を受けたような極限的な緊急事態でないかぎり起こしてはならないものではないだろうか。
 戦争のもたらした結果を許容しない立場を採れば、なぜこれを予見し回避できなかったか、他に選択できる手段は無かったかを考える必要も出てきます。あえてこの結果につながる道が選ばれたなら、その原因は何であり、その責任は誰にあるのか。日本の政治家や軍部だけの意思で戦争が始まったとは言いませんが、主要な役割を果たしたことは疑いが無い。かれらにこの結果に対する故意あるいは過失が認められるならば、責任は確定します。どんな崇高な目的があっても、他にも責任を負うべき者がいようとも、肯定すべき利益があったとしても、結果について責めを免れるわけではありません。
 そして、この結果を予見も回避もできなかったということは、単に能力不足というだけではなく、人間の価値を尊重する意思が薄かった、あるいはまったく欠けていたということを意味します。だとすれば、そうした人々が掲げた目的の実態や、その戦争中のふるまいについても疑ってみるべきではないでしょうか。
 平和祈念展示資料館は、恩給欠格者ら「関係者」の労苦という結果を呈示してはくれます。慰め労るべき痛ましい体験として位置づけ、それらを麗々しい言葉で飾ることはない。しかしその先には踏み込まないために、今後なにをどうしたいのかがはっきりしません。これに共通する問題が、同じく国の施設である昭和館にも存在しています。


昭和館

 ここは戦中・戦後の国民生活上の労苦について知る機会を提供する場所として設けられていますが、やはりその労苦の原因が何であったか、その責任を誰が負うべきかを問おうとはしない。そもそも、展示内容が国民生活に限定されていることも不自然に思えます。戦中・戦後について知らしめるのであれば、政府の採った施策や日本軍の活動などを含めた総合的な内容を示した方が有効であるはずです。「関係者」の慰藉を設立の目的とする平和祈念展示資料館と違い、対象をこれほど限定すべき理由も無いだろうに。それらに触れてしまえば、何らかの評価につながってしまうおそれがあるからなのか、厚生労働省の所管だから戦没者遺族に直接関係することにしか触れないということなのか。
 平和祈念展示資料館も昭和館も、戦争・政策に対する国家の責任について、肯定も否定もしていないし、そうした問題に言及することもありません。それは単なる言葉足らずや認識不足ではなく、「言及しないこと」に政治的な意図・作為が働いていると考えるべきでしょう。おそらく両館を作った人々は、そうした問いが存在することを判っていながら、あえて慎重に回避しているのです。それは、一方の立場を押しつけようとはしていないということではありますが、今後どちらにでも転べる態勢を国が整えているということでもあります。

 これまでに触れた国が運営する2施設の消極的な態度に対して、雄々しくも力強く、積極的に戦前の歴史を肯定している民間の施設があります。戦前の歴史を無条件に称え、戦争の結果についてもむしろ讃美し、「国家の責任」という発想から遙かに遠い立場を示すところ。それは言わずと知れた靖國神社であり、その運営による軍事博物館の遊就館です。

神聖な場所には何も無い(その3)

2005年09月12日 | 社会
 西新宿の新宿住友ビル(三角ビル)50階にある中華料理店に、ランチバイキング目当てに出かけたときのこと。エレベーターから降りたすぐの所に、「平和祈念展示資料館~当建物31階」なる看板が掲げられておりました。電車の中に貼ってある水木しげるの画を使った広告などでその施設の存在は知っていたのですが、看板を見て初めてそこにあることに気付いた間抜けっぷりでございます。

平和祈念展示資料館

 時間もあるし、入場無料だし、ネタになるかも知れないしというわけで、昼食後、早速突入を試みる。夏休み中だったせいか、盛況とは言わないまでもけっこう見学者が目に付きました。この資料館は平和祈念事業特別基金(以下「基金」)という総務省主管の独立行政法人が運営しており、「戦争体験の労苦を語り継ぐ広場」として、館内には、恩給欠格者・戦後強制抑留者・海外引揚者等に関する実物資料や模型などが展示されています。
 その展示内容は、率直に言って見栄えだけはさほど悪くありません。館内は新しくてきれいだし、展示もコンパクトにまとめられています。スペースの関係上、展示物の量はやや物足りないが、何しろ無料なんだから贅沢は言えないでしょう。いただけないのは、ほぼ等身大のジオラマに置かれた人形ぐらい。電気か何かで動くようになっていますが、手と首がぎこちなく回るばかりで、どうにもやる気が感じられません。それ以外はとくに可もなく不可もなく、興味があるなら一度行ってみてもいいかも知れない、という程度でしょうか。
 この展示のそつのなさ、おさまりのよさが実のところ曲者でありまして、資料館を運営している基金の政治的なきわどさを巧みに覆い隠しているようにも思えます。と言うのはこの基金が、先人の労苦を偲ぼうという純粋な善意のみによって設けられたものではないからです。それはすぐれて政治的なせめぎ合いの産物であって、それゆえ展示館の存在自体もその政治性から逃れられないはずなのです。
 恩給欠格者等、基金のいう「関係者」に対する戦後処理は、国家の補償責任等を巡って長らく未解決の問題でした。結論としては、それらの労苦は国民がそれぞれの立場で受け止めるべき戦争損害の一種とされ、国家の法的な補償責任は否定されました。しかし、戦争に起因する労苦を体験した人々に国家として慰藉の念を表すため、悪く言えば、国家が何もしていない訳ではないという抗弁のため、この基金が設けられて慰労品の贈呈などを行なっているのです。
 資料館によって事実を伝えることもこの慰藉事業の一環であるのに、展示には上記のような経過・事情の説明は無かったように思います。あるいは見落としたのかも知れませんが、それでも見落とすほどにわずかだったということになる。政治的な議論に結びつくような内容を意図的に回避するため、常にも増して客観性・中立性・無色性を保ちつつ、国家の努力のほどをアピールしようとした結果が、あの一見したところまっとうに思える展示なのではないでしょうか。
 わざわざ好きこのんで波風を立てる必要はありませんが、設立の根拠自体を曖昧にしてしまっていることは、説明責任を十分に果たしていないうえ、基金の活動にまつわるなにがしかの後ろめたさを表しているように見えます。この逃げ腰とも思える態度では、いくら表面を飾ろうとも、かえって信頼を損ねることになるでしょう。
 さらには、そもそも法的な補償責任が無いのならば、なぜ国家が慰藉事業を行なわなければならないか、そしてそれが平和を祈念することにどうつながるのか、根本的にはまったく不明確なままです。「関係者」に慰労品を贈り、資料館でその労苦を知らしめるだけで世界が平和になるわけがない。もっと言えば、「平和祈念」という名目自体が、基金の実情を糊塗するための中身の無い飾り物に過ぎないのではないか、と疑わしくなるのです。
 まずはっきりさせておくべきことは、法的な補償責任の有無は、非常に限定された局面についての判断に過ぎないものだということです。それは、法律上の厳格な要件に基づいて、国家が特定人の損害を金銭によって補償すべきか否かの問題であって、それが否定されればすべての責任を免れるというわけではありません。
 したがって、「関係者」への法律上の補償責任が否定されたとしても、彼らの労苦が国事たる戦争に関わるものである以上、国家は何らかの政治上の責任を負うのであり、だからこそ慰藉事業を行なわなければならないのだ、と考えるのが自然でしょう。この「責任」が、国策において過誤があったために生ずるものと考えるか、過誤の有無にかかわらず国家が国民に対して負うべき結果責任であると位置づけるかはともかくとして。
 過去に起きたことに責任があるとすれば、「平和祈念」とは、「関係者」の労苦と同様の事態を再び起こさないように国家(とその主権者である国民)が努めること、万一そうした事態を回避できなかった場合には、責任逃れをすることなく速やかに対処することへの決意であるはずです。そう考えて初めて、資料館の展示によって労苦の事実を知らしめることに積極的な意味が宿るのではないでしょうか。
 にもかかわらず、基金が慰藉事業を行なう根拠を明確にせず、自ら掲げた「平和祈念」の実体についての解釈を放り出しているのは、結局その目的が、「関係者」に対する戦後処理の問題を、責任の自覚もないままに表面的に解決することだけに限られており、事業によっていかなる社会を実現していくかという見通しをまったく欠いているからでしょう(慰藉事業がまったく価値の無いものだとは言いませんが)。
 基金が自らの根拠や目的を明確にできない根本的な原因は、労苦の原因(の一つ)である15年戦争とそれを支えた政策を、国家として総括できていないことにあるのではないでしょうか。戦前の歴史に対する認識・評価が定まらない以上、その中で起こった事柄について国家の責任を論じることなどできなくて当たり前なのです。
 この状況は、国内における政治的な意見対立の反映であり、ある意味では健全なことなのかも知れません。しかし、戦後60年を経た今に至るまで、国家の責務について広く共通の認識を持てず、国家が運営する施設でさえ曖昧なままにせざるを得ないのは、尋常のことではないでしょう。