前回、平和祈念展示資料館について、戦前の歴史に対する総括が不十分なるがゆえに、国家は責任を認めることができず、その事業の目的を明確にすることもできないと書きました。しかし、「総括」などというややこしい言葉を使うべきではなかったと反省しています。ごく簡潔に、15年戦争をやって良かったか悪かったか、成功だったか失敗だったかの問題と言うべきでした。
いろんな観点・評価の仕方があり、この単純な問いにも対しても答えが一致しないでしょう。侵略戦争だと断じる者もいれば、自存自衛のためだったと主張する者もおり、はたまたアジア解放を目的とした戦いと讃美する者もいます。誰もが納得するようにすべての意見を採り入れれば、自存自衛とアジア解放を目的として侵略をしたということになるでしょうか。また、組織的な残虐行為などの非人道的な戦争犯罪の有無・規模・程度についても、国内の意見は定まりません。
しかし、明らかで動かし難いことが一つあります。それは、内外に大量の死者を出し、多くの人々の生活が破壊され、おまけに国がいったん滅んだという戦争の結果です。目的や方法についての判断を保留してしまっては「総括」にはなりませんが、この点において見方が一致すれば、議論の出発点にはなるでしょう。
この悲惨な結果を容認できるか否か。戦争の目的について最大限に肯定的に捉えたとしても、方法がいかに公正だったとしても、その終結にともなって他国が植民地支配から脱したとしても、それらと引き替えにすることが妥当かどうか。国家観や人間観によって答えは違ってくるでしょうが、俺は容認すべきではないと思います。それほどに犠牲は大きく、堪え難いものだった。これを「仕方ないこと」と諦めてしまうのは、人間の価値の軽視あるいは否定、有り体に言えば虚仮にした考えであると同時に、この経験についてそれ以上考えることを放棄する安易な態度と言うべきです。あの結果は、現に侵略を受けたような極限的な緊急事態でないかぎり起こしてはならないものではないだろうか。
戦争のもたらした結果を許容しない立場を採れば、なぜこれを予見し回避できなかったか、他に選択できる手段は無かったかを考える必要も出てきます。あえてこの結果につながる道が選ばれたなら、その原因は何であり、その責任は誰にあるのか。日本の政治家や軍部だけの意思で戦争が始まったとは言いませんが、主要な役割を果たしたことは疑いが無い。かれらにこの結果に対する故意あるいは過失が認められるならば、責任は確定します。どんな崇高な目的があっても、他にも責任を負うべき者がいようとも、肯定すべき利益があったとしても、結果について責めを免れるわけではありません。
そして、この結果を予見も回避もできなかったということは、単に能力不足というだけではなく、人間の価値を尊重する意思が薄かった、あるいはまったく欠けていたということを意味します。だとすれば、そうした人々が掲げた目的の実態や、その戦争中のふるまいについても疑ってみるべきではないでしょうか。
平和祈念展示資料館は、恩給欠格者ら「関係者」の労苦という結果を呈示してはくれます。慰め労るべき痛ましい体験として位置づけ、それらを麗々しい言葉で飾ることはない。しかしその先には踏み込まないために、今後なにをどうしたいのかがはっきりしません。これに共通する問題が、同じく国の施設である昭和館にも存在しています。
昭和館
ここは戦中・戦後の国民生活上の労苦について知る機会を提供する場所として設けられていますが、やはりその労苦の原因が何であったか、その責任を誰が負うべきかを問おうとはしない。そもそも、展示内容が国民生活に限定されていることも不自然に思えます。戦中・戦後について知らしめるのであれば、政府の採った施策や日本軍の活動などを含めた総合的な内容を示した方が有効であるはずです。「関係者」の慰藉を設立の目的とする平和祈念展示資料館と違い、対象をこれほど限定すべき理由も無いだろうに。それらに触れてしまえば、何らかの評価につながってしまうおそれがあるからなのか、厚生労働省の所管だから戦没者遺族に直接関係することにしか触れないということなのか。
平和祈念展示資料館も昭和館も、戦争・政策に対する国家の責任について、肯定も否定もしていないし、そうした問題に言及することもありません。それは単なる言葉足らずや認識不足ではなく、「言及しないこと」に政治的な意図・作為が働いていると考えるべきでしょう。おそらく両館を作った人々は、そうした問いが存在することを判っていながら、あえて慎重に回避しているのです。それは、一方の立場を押しつけようとはしていないということではありますが、今後どちらにでも転べる態勢を国が整えているということでもあります。
これまでに触れた国が運営する2施設の消極的な態度に対して、雄々しくも力強く、積極的に戦前の歴史を肯定している民間の施設があります。戦前の歴史を無条件に称え、戦争の結果についてもむしろ讃美し、「国家の責任」という発想から遙かに遠い立場を示すところ。それは言わずと知れた靖國神社であり、その運営による軍事博物館の遊就館です。
いろんな観点・評価の仕方があり、この単純な問いにも対しても答えが一致しないでしょう。侵略戦争だと断じる者もいれば、自存自衛のためだったと主張する者もおり、はたまたアジア解放を目的とした戦いと讃美する者もいます。誰もが納得するようにすべての意見を採り入れれば、自存自衛とアジア解放を目的として侵略をしたということになるでしょうか。また、組織的な残虐行為などの非人道的な戦争犯罪の有無・規模・程度についても、国内の意見は定まりません。
しかし、明らかで動かし難いことが一つあります。それは、内外に大量の死者を出し、多くの人々の生活が破壊され、おまけに国がいったん滅んだという戦争の結果です。目的や方法についての判断を保留してしまっては「総括」にはなりませんが、この点において見方が一致すれば、議論の出発点にはなるでしょう。
この悲惨な結果を容認できるか否か。戦争の目的について最大限に肯定的に捉えたとしても、方法がいかに公正だったとしても、その終結にともなって他国が植民地支配から脱したとしても、それらと引き替えにすることが妥当かどうか。国家観や人間観によって答えは違ってくるでしょうが、俺は容認すべきではないと思います。それほどに犠牲は大きく、堪え難いものだった。これを「仕方ないこと」と諦めてしまうのは、人間の価値の軽視あるいは否定、有り体に言えば虚仮にした考えであると同時に、この経験についてそれ以上考えることを放棄する安易な態度と言うべきです。あの結果は、現に侵略を受けたような極限的な緊急事態でないかぎり起こしてはならないものではないだろうか。
戦争のもたらした結果を許容しない立場を採れば、なぜこれを予見し回避できなかったか、他に選択できる手段は無かったかを考える必要も出てきます。あえてこの結果につながる道が選ばれたなら、その原因は何であり、その責任は誰にあるのか。日本の政治家や軍部だけの意思で戦争が始まったとは言いませんが、主要な役割を果たしたことは疑いが無い。かれらにこの結果に対する故意あるいは過失が認められるならば、責任は確定します。どんな崇高な目的があっても、他にも責任を負うべき者がいようとも、肯定すべき利益があったとしても、結果について責めを免れるわけではありません。
そして、この結果を予見も回避もできなかったということは、単に能力不足というだけではなく、人間の価値を尊重する意思が薄かった、あるいはまったく欠けていたということを意味します。だとすれば、そうした人々が掲げた目的の実態や、その戦争中のふるまいについても疑ってみるべきではないでしょうか。
平和祈念展示資料館は、恩給欠格者ら「関係者」の労苦という結果を呈示してはくれます。慰め労るべき痛ましい体験として位置づけ、それらを麗々しい言葉で飾ることはない。しかしその先には踏み込まないために、今後なにをどうしたいのかがはっきりしません。これに共通する問題が、同じく国の施設である昭和館にも存在しています。
昭和館
ここは戦中・戦後の国民生活上の労苦について知る機会を提供する場所として設けられていますが、やはりその労苦の原因が何であったか、その責任を誰が負うべきかを問おうとはしない。そもそも、展示内容が国民生活に限定されていることも不自然に思えます。戦中・戦後について知らしめるのであれば、政府の採った施策や日本軍の活動などを含めた総合的な内容を示した方が有効であるはずです。「関係者」の慰藉を設立の目的とする平和祈念展示資料館と違い、対象をこれほど限定すべき理由も無いだろうに。それらに触れてしまえば、何らかの評価につながってしまうおそれがあるからなのか、厚生労働省の所管だから戦没者遺族に直接関係することにしか触れないということなのか。
平和祈念展示資料館も昭和館も、戦争・政策に対する国家の責任について、肯定も否定もしていないし、そうした問題に言及することもありません。それは単なる言葉足らずや認識不足ではなく、「言及しないこと」に政治的な意図・作為が働いていると考えるべきでしょう。おそらく両館を作った人々は、そうした問いが存在することを判っていながら、あえて慎重に回避しているのです。それは、一方の立場を押しつけようとはしていないということではありますが、今後どちらにでも転べる態勢を国が整えているということでもあります。
これまでに触れた国が運営する2施設の消極的な態度に対して、雄々しくも力強く、積極的に戦前の歴史を肯定している民間の施設があります。戦前の歴史を無条件に称え、戦争の結果についてもむしろ讃美し、「国家の責任」という発想から遙かに遠い立場を示すところ。それは言わずと知れた靖國神社であり、その運営による軍事博物館の遊就館です。