仮名日記

ネタと雑感

逝け遙か遠く、銀河系を越えて(その1)

2005年07月27日 | 文化
 今回からしばらく、「戦後60年~あの夏を忘れない」というテーマでお送りするつもりです。太平洋戦争の終結から60年、この節目となる年に、我が祖国・先達が体験した戦争を振り返ることにより、未だ争いの絶えることなく、むしろ新たな戦争の時代のただ中にあるとも見える現在の世界情勢において、我々が今後いかなる道を選び、進むべきなのかを考える手掛かりになればと思います。

 で、その初っ端が「スター・ウォーズ エピソード3 シスの復讐」の感想でございます。何だよ結局流行りモノかと、いくらナチスの台頭をモチーフの一つにしていると言っても、それは「あの夏」じゃないだろう、というもっともなご意見もあるでしょうが、ナチスドイツとは同じ枢軸国側としてともに戦ったんだから、ここは寛い心で受け止めて欲しい。
 娯楽映画としての出来はいまさら喧伝するまでもないでしょう。民主主義の共和国の独裁帝国への変容、ジェダイ騎士団の崩壊、「選ばれし者」だったはずの主人公アナキンの堕落・破滅という3つの悲劇が物語の主軸となっており、そこにこれでもかという質・量・種類の戦闘シーンが組み込まれ(この戦闘がCGを駆使しつつも、泥臭くて小汚いのもリアルで好感が持てる)、結末までまさに怒濤の如く雪崩れ込みます。だれる場面と言えば、機械が軋む音が聞こえそうなほどにぎこちないラブシーンぐらい。この展開の早さのおかげで、心理描写や状況説明はこまやかさに欠けていますが。
 悪に魅入られた主人公が最後には酷たらしい業苦に遭い、善人達を陰謀にかけたシスの暗黒卿が勝利し権力を握るという、暗くて後味の悪い結末ではありますが、それほど救われない気分にならなくても済むようになっているので、娯楽映画として踏み外してはいません。描写が総じて薄味なためもありますが、なにしろ、大概の観客はこの後で(つまりエピソード4以降で)、結局は悪の帝国が滅んで正義が勝つことが判っているのだし、ちゃんとエピソード4につながるシーンを入れて、新たなる希望を判りやすく暗示してくれています。だから、ややこしいことを考えず、長きにわたって続いたシリーズの締めくくりという、お祭りに参加するような気持で楽しめるでしょう。
 が、その「ややこしいこと」、要するに政治的・イデオロギー的な部分について考え出すと、どうにも引っ掛かるものがあるのですね。そんなことは措いておけ、と言われても、作品中の至る所でその類のメッセージが出てくるので、ほっとくわけにはいきません。
 先ほどナチスの台頭がこの映画のモチーフの一つだと書きましたが、それ以上に濃厚なのがブッシュ政権への批判です。そのあたりは、下記のサイトで解説されていますので参照してみてください。


西森マリーのUSA通信「悪の帝国=ブッシュのアメリカ!?」

 付け加えておくなら、議会の承認を受けて銀河帝国の皇帝の地位に就く暗黒卿の姿は、ブッシュ大統領であると同時に、全権委任法の可決によって独裁を手にしたヒトラーとも重なります。つまり、暗黒卿=ヒトラー=ブッシュ大統領と言っているとも取れるわけですね。また、国内の安全のために暗黒卿=ブッシュを支持する議会の人々も、愛する人を守ろうとして暗黒面に堕ちるアナキンも、善意を果たしているつもりで、視野の狭さ・思慮の浅さのために取り返しのつかない過ちを犯すという点では同じと示唆しているのかも知れない。
 このように、あからさまに政治をテーマにするのは娯楽映画にあるまじきこと、と言うつもりはありません。政治的な問いかけも娯楽の一要素と考えれば、それ自体は問題ではないからです。また、反ブッシュの立場を取っていることの是非を問いたいわけでもない。
 引っ掛かったのは、登場人物達、ことに正義の騎士であるジェダイ達がやたらと「デモクラシー=民主主義」という言葉を連発することです。その度に違和感が湧き上がるのを抑えられなかった。それは、「民主主義」という言葉が、未だに日本語として完全に定着していない生硬な翻訳語だからかも知れませんが、何よりも、「おまえらみたいなアホに言われたないわ」と感じずにはいられないからだと思います。
(長くなりそうなのでつづく)

証言を(させてくれ)(補遺)

2005年07月17日 | 文化
http://book.asahi.com/news/TKY200507150282.html

 クロマティーによる「魁!!クロマティ高校THE☆MOVIE」公開差し止め申請の件、映画の冒頭で実在の人物とは無関係だとのテロップを流すことでとりあえずは合意し、クロマティー側が申請を取り下げたそうです。裁判所の手続き上 公開日までに結論が出ないおそれもあったため、ここは双方が現実的な判断をしたというところだろうか。
 しかし今後、クロマティー側は損害賠償請求と連載差し止めの訴訟を起こすという。記事ではその根拠をどこに置くつもりか書かれていないが、これまでのズレっぷりから考えれば、まだまだネタを提供してくれそうな予感がします。ただ笑かしてくれるだけじゃなくて、今後、重要裁判例として残るような先鋭な議論をしてもらいたいところだけれど、これまでのクロマティー側の言動からしてどうにも期待する気になれません。

証言を(させてくれ)(その2)

2005年07月13日 | 文化
 映画「クロ高」の公開差し止め申請の件につき、ひきつづきクソ真面目路線で考えてみます。いったい誰が得をするというのでしょうか。

 報道を見る限りクロマティー側は、名前を無許可で使われたことよりも、「クロ高」の内容を強く批判しているようだ。「クロマティ高校の生徒達は素行の悪い学生として描かれている」「青少年の健全な育成に努力しているのに、そのような作品に名前が使用されていることに憤りを感じた」「本人のイメージから著しく乖離する、極めて劣悪なイメージを植えつける」と仮処分の申立書でも述べているらしい。
 しかし、そもそもパブリシティー権の侵害と、名前等の情報が利用されている表現内容の反社会性とは直接の関係は無い。パブリシティー権はあくまでも経済的な利益を保護するために認められるものである。問題は、集客力のある情報を許可無く不当に利用しているか否か、言い換えれば「クロ高」がクロマティーの名前で勝手に稼いだと言えるかどうかであって、それがクロマティーのイメージを害していることをいくら主張しても無意味だ(せいぜい裁判所に対する「クロ高」の心証が悪くなる程度だろう)。「クロ高」の「劣悪な」内容がクロマティーの名誉・信用を害すると言うのなら、本来は名誉毀損を理由にして公開を差し止めるべきなのである。
 クロマティー側が単に、公開差し止めの仮処分申請に至った動機、笑って見逃すことのできない事情を説明しているだけではなく、名誉を害すればパブリシティー権が侵害されたことになると考えているのなら、大きな誤解をしていると言わなければならない。同様に、配給会社側の「映画はクロマティ氏の名誉を傷つけるものではない」とのコメントにも、訴えられている理由を理解しきれていないのではないかという疑念が生じる。
 さらに、クロマティーは「クロ高」の内容をインターネットなどで確認したというが、それはどの程度の「確認」だったのだろうか。彼の見方は、一面的という言葉を使うのも憚られるほどに作品のわずかな一部分だけしか捉えておらず、甚だしい偏りと悪意に満ちている。
 クロマティー側の言葉だけを見ると、「クロ高」がまるで暴力と犯罪を謳い上げ賛美し肯定する、殺伐とした反社会的・反道徳的な漫画のようだ。しかし実際は、あらためて指摘するのも気が抜けるが、あくまでもナンセンスなギャグ漫画であり、そこから反社会的なメッセージを読みとることは難しい。「クロ高」には、確かに素行はよろしくないけれども、多くは愛すべき、どこか常識からずれた高校生達の、くだらなくてばかばかしい、時には荒唐無稽な日々が描かれているだけだ。それを読んで非行に走ることはまずあり得ないだろう。登場人物達を客観的・批判的に見ることができるようになるという点では、むしろ「健全」な漫画なのかも知れない。
 そのようなギャグ漫画を、日本人の弁護士が付いていながら、単に不良学生が登場するというだけで短絡的に、上記のような激しい言葉で批判するのは相当に滑稽だということにクロマティー側が気付かない様子なのは不可解だ。だからこそ、宣伝のための狂言であるとか、金のために本人を焚きつけている人間がいるという穿った見方も出てくるのだろう。
 クロマティー側が「クロ高」の内容を批判する理由は、本当に気分を害していることを率直に伝えているだけかも知れないし、今後の、裁判所の判断等の法的手続きにおいて有利に働くと考えているためかも知れない。いずれにせよ彼は、「クロ高」について不当な評価をし、一方的な悪罵を投げつけ、作品の「イメージから著しく乖離する、極めて劣悪なイメージを植えつけ」ようとしている。仮にパブリシティー権の侵害が成り立つとしても(先述のとおりそれは作品による名誉侵害とは無関係だ)、この言動が不適切であることに変わりはない。もっとも、あまりにもばかばかしい主張なので「クロ高」の宣伝になりこそすれ、たいしたダメージにはつながらないだろうが。
 むしろ、クロマティー側がこれ以上「クロ高」の内容批判を続ければ、「大人げない」とか「度量が狭い」とかの情緒的な批判を越えて、彼ら自身の社会的な信用を失わせることになるだろう。パブリシティー権の法律的な解釈はともかく、裁判所の仮処分という重大な局面において愚かしい勘違いを訴え続けることは、もはや度し難い困り者という印象だけを強めるに違いない。

【追記】
 上の文章をあらかた書き終わった後「週刊ポスト」の「クロマティが独占告白『俺がケンカを売った本当の理由』」を読んでみました。
 取材の仕方もあるだろうけれど、やはりクロマティーは、経済的なことよりも「クロ高」の内容が不愉快で、そんな漫画に断りも無く名前を使われプライドが傷ついた、ほっとくわけにはいかない、という程度の認識しかないようだ。名誉感情を害されたことが仮処分申請の根底にある理由であり、パブリシティー権侵害云々は、名前を使わせないための方便に過ぎないのだろう。

証言を(させてくれ)(その1)

2005年07月05日 | 文化
 前回書いた「天羽の梅」をようやく飲みきりました。おかげで連続飲酒状態になって頭が回らないので、目先のネタに跳び付いてみます。
 元ジャイアンツ選手のウォーレン・クロマティー氏が、映画「魁!!クロマティ高校THE☆MOVIE」の公開差し止めを申請したそうです。サダハルっていうハードコアのバンドがアメリカにいるんだけど、これを王 貞治氏が訴えるみたいなものだろうか。

http://www.sponichi.co.jp/society/news/2005/06/30/01.html

 ものがものだけに何ともシュールな感じです。「通称『クロ高』となっていることも人種差別にあたる」なんて発言には失笑せざるを得ないけれど、現実に仮処分の申請があったとなると、笑ってばかりもいられない。渡邉恒雄氏を心から敬愛する俺としては、「無礼な、たかが元選手が」とか口走ってしまいそうになりますが、ここは冷静に、かつ読む人が引くほどにクソ真面目に考えてみたい。ただし、クロ高側を弁護する立場から。公正中立な議論などするつもりはこれっぱかりもありません。

 公開差し止めの理由は、パブリシティー権を侵害されたためとされている。あわてて調べたところでは、パブリシティー権とは「集客力という経済的価値のある情報を権利者がコントロールする権利」である。もう少し平たく言えば、有名人が名前や顔などで客を集めて金を稼げる場合に、本人だけがそれを使うことができ、他人に勝手に使わせないことができるということ(人だけではなく物にも認められるという考え方もありますが、ここでは立ち入らないことにします)。
 クロ高がクロマティーの名前を使用しているのは事実なので(作品中ではほかにバースやデストラーデの名前が出てくるので、この点は言い逃れできないだろう)、この仮処分申請がまったく根拠の無いものとは言い切れない。
 けれどもまず第一に、クロマティーという名前にパブリシティー権が認められるほどの集客力があるのだろうか。彼は10年以上前に帰国しており、日本ではほとんど活動をしていない。仮にパブリシティー権を認めるとしても、その経済的価値はすでに相当弱まっていると言うべきだろう。
 さらに、「クロマティ高校」という作品名は主として、ひとむかし前の外国人野球選手の名前を冠することによるナンセンスな効果を生み出すために用いられていると考えられ、作者側にその集客力を利用しようという意図は薄い。
 その作品にとって重要な要素である作品名に名前が用いられていることは、作品の商品的価値がその集客力に依存しているかのように見えるが、上記のようにクロマティ高校という作品名の持つ効果は作者側の独創による部分が大きい。作品中にもクロマティー本人、または本人を想起させる人物は登場しないし、元野球選手であるクロマティーという名前の集客力は野球と結びついた場合に大きな効果を持つと考えられるところ、作品の内容と野球との関係は甚だしく乏しい。したがって、パブリシティー権の目的となる情報は、作品の表現中にわずかしか含まれておらず、クロマティーの名前の集客力が、クロ高の商品的価値にもたらす寄与は著しく低いのである。
 以上からこの場合は、もともと経済的価値の少ない情報を一部に利用して、作者側がその創作力によって商品的価値を有する作品を生み出したものであり、パブリシティー権の侵害は成立しない、と思うんだが、東京地裁がどんな判断をするかは判りません。

【追記】
 本稿を書くにあたって、下記のサイトを参考にしました。「業績一覧」からパブリシティー権に関する論文を見ることができます。


http://www.sekidou.com/