きょう、お父さんとやすくにじんじゃというところに行きました。出かけるまえにお母さんは、そんなところに子どもをつれて行くなと言いました。お父さんが、おまえのようなたんじゅんなやつにはいみがわからないんだと言ったので、お母さんは「どうせわたしはぱちんこやのむすめよ」と言っておこりだしました。お父さんはたのしそうにわらっていました。
やすくにじんじゃはとても大きいじんじゃでした。きんじょのあきばじんじゃよりも大きくてきれいです。とくにいりぐちのとりいはすごく大きくてかっこいいです。おまいりをするところもとてもりっぱで、おさいせんがたくさんあつまるだろうなあと思いました。
ここにいるかみさまは、せんそうで死んだにほんの兵たいさんたちだそうです。かみさまになれるなんてすごいなあ。きっとてきをたくさんころしたとか、わるいやつをやっつけたとか、とくべつすごいことをした人たちなんだねとお父さんに言ったら、せんそうで死んだらみんなかみさまになれるんだとお父さんは言いました。
いいこともしてないのに、死ぬだけでかみさまになれるなんてかんたんだなあ。せんそうはみさいるとかせんしゃとかがあぶないので、死ぬのはそんなにむずかしくないと思います。きっとこうつうじこよりもかんたんです。かんたんなことをしただけなのにかみさまになれるのはへんです。うんどう会のれんしゅうでも、がんばる子とがんばらない子がいます。がんばる子はほめられるし、がんばらない子はおこられます。せんそうでもがんばった人だけかみさまにしてあげればいいと思います。そうしないとかみさまのなかになまけものでわるい兵たいさんもまざってしまいます。そんなかみさまはちっともえらくありません。
じんじゃでおまいりしている人たちのなかにぼうそうぞくがいました。うるさくてめいわくなぼうそうぞくがどうしてかみさまをすきになるのかよくわからなかったので、お父さんにどうしてかときいたら、あの人たちはぼうそうぞくじゃなくてにほんが大すきな人たちなんだとおしえてくれました。じぶんのくにだけをすきになることで、あのひとたちはきもちよくなれるのだそうです。このじんじゃはそういう人たちににんきがあって、にほんがきらいな人たちにはにんきがないんだとお父さんは言いました。
とくにちゅうごくやかんこくの人はにほんがだいきらいなので、このじんじゃがだいきらいなんだそうです。にほんの兵たいさんがむかしちゅうごくやかんこくの人をいじめたので、わるい兵たいさんをかみさまにしているともんくを言っているそうです。でもかみさまにもんくを言ったらばちがあたるんじゃないかとお父さんに言ったら、むかしはちゅうごくもかんこくもにほんだったから、もんくなんて言えなかったよ、とおしえてくれました。どうしてちゅうごくやかんこくがにほんじゃなくなったのかときいたら、にほんがせんそうにまけたからだ、とお父さんは言いました。
なあんだ、にほんはせんそうにまけたのか。ぼくはがっかりしました。さっかーのしあいとかでもまけたほうはかっこわるくて、かったほうがえらいです。それにまけたせいでもんくを言われるんだから、せんそうにはかたないといけないと思います。
せんそうにまけたのはきっと兵たいさんがよわむしだったからです。よわむしのくせにかみさまになるなんてずうずうしいなあ。そんなよわむしのかみさまにいくらおまいりしても、つぎにせんそうをしたときにはかてないと思います。やすくにじんじゃにおまいりにくる人たちはせんそうにかちたくないのかなあ。せんそうにはかったほうがいいにきまってるのに、そんなこともわからないなんてばかだなあと思いました。
やすくにじんじゃはとても大きいじんじゃでした。きんじょのあきばじんじゃよりも大きくてきれいです。とくにいりぐちのとりいはすごく大きくてかっこいいです。おまいりをするところもとてもりっぱで、おさいせんがたくさんあつまるだろうなあと思いました。
ここにいるかみさまは、せんそうで死んだにほんの兵たいさんたちだそうです。かみさまになれるなんてすごいなあ。きっとてきをたくさんころしたとか、わるいやつをやっつけたとか、とくべつすごいことをした人たちなんだねとお父さんに言ったら、せんそうで死んだらみんなかみさまになれるんだとお父さんは言いました。
いいこともしてないのに、死ぬだけでかみさまになれるなんてかんたんだなあ。せんそうはみさいるとかせんしゃとかがあぶないので、死ぬのはそんなにむずかしくないと思います。きっとこうつうじこよりもかんたんです。かんたんなことをしただけなのにかみさまになれるのはへんです。うんどう会のれんしゅうでも、がんばる子とがんばらない子がいます。がんばる子はほめられるし、がんばらない子はおこられます。せんそうでもがんばった人だけかみさまにしてあげればいいと思います。そうしないとかみさまのなかになまけものでわるい兵たいさんもまざってしまいます。そんなかみさまはちっともえらくありません。
じんじゃでおまいりしている人たちのなかにぼうそうぞくがいました。うるさくてめいわくなぼうそうぞくがどうしてかみさまをすきになるのかよくわからなかったので、お父さんにどうしてかときいたら、あの人たちはぼうそうぞくじゃなくてにほんが大すきな人たちなんだとおしえてくれました。じぶんのくにだけをすきになることで、あのひとたちはきもちよくなれるのだそうです。このじんじゃはそういう人たちににんきがあって、にほんがきらいな人たちにはにんきがないんだとお父さんは言いました。
とくにちゅうごくやかんこくの人はにほんがだいきらいなので、このじんじゃがだいきらいなんだそうです。にほんの兵たいさんがむかしちゅうごくやかんこくの人をいじめたので、わるい兵たいさんをかみさまにしているともんくを言っているそうです。でもかみさまにもんくを言ったらばちがあたるんじゃないかとお父さんに言ったら、むかしはちゅうごくもかんこくもにほんだったから、もんくなんて言えなかったよ、とおしえてくれました。どうしてちゅうごくやかんこくがにほんじゃなくなったのかときいたら、にほんがせんそうにまけたからだ、とお父さんは言いました。
なあんだ、にほんはせんそうにまけたのか。ぼくはがっかりしました。さっかーのしあいとかでもまけたほうはかっこわるくて、かったほうがえらいです。それにまけたせいでもんくを言われるんだから、せんそうにはかたないといけないと思います。
せんそうにまけたのはきっと兵たいさんがよわむしだったからです。よわむしのくせにかみさまになるなんてずうずうしいなあ。そんなよわむしのかみさまにいくらおまいりしても、つぎにせんそうをしたときにはかてないと思います。やすくにじんじゃにおまいりにくる人たちはせんそうにかちたくないのかなあ。せんそうにはかったほうがいいにきまってるのに、そんなこともわからないなんてばかだなあと思いました。