仮名日記

ネタと雑感

やすいはなし(cheerful insanity)

2008年12月26日 | 社会
 うっかり3カ月も更新を怠ってしまいました。前回から今まで何をしていたのかといいますと、主にコレ(音注意)。ちなみに現在は2周目の最終章。
 真正面から倫理・道徳を主題としながら、押しつけがましさや嘘くささを感じないところが非常に気に入った作品でした。またいつか詳しく述べたいと思いますが、とりあえず、牛が怪物にさらわれていく場面は何度みても笑える。ここでこの牛くんに感情移入してしまうので、その後のかれの悲劇的な運命にけっこうショックを受けてしまう。
 そんなこんなで、ちょっとした引きこもり状態を続けながらも、毎年恒例の鳥肌実(公式サイト。音注意)の時局講演会にはちゃんと出向きました(12/22@九段会館)。
 ネタそのものは、良くも悪くも相変わらず。爆発的に面白い妄想世界を繰り広げる一方で、話の落ち着く先が定まらずに尻つぼみに収束したりする。最大の見物は、もうすぐ停止されるアナログ放送を全部買い取って、「出撃!アドマチック帝国」(子連れ狼スタイルの薬丸裕英と山田五郎が、竹島や尖閣諸島を練り歩き、中国人や朝鮮人にシブガキをぶつけて嫌がらせをする)などの番組を垂れ流したい、というネタ。
 前航空幕僚長の田母神氏にも触れていましたが、どうもうまくネタにしきれず、中途半端なことになっていた。そもそも、アパグループの懸賞論文に表された田母神氏の主張が、鳥肌のネタと大差がないのだから、扱いに困るのも当然だろう。
 その田母神氏は、参議院での参考人招致後も、しばらくテレビや雑誌のインタビューに応えてメディアに登場していた。それらを見たところでは、彼の一つのキーワードは「元気」であるようです。「航空自衛隊を元気にする10の提言」と題した論文を著したり、NHKのインタビューで「先輩が侵略行為や残虐行為をしたとか言われていては元気になれない」と語ったりしていた。
 だから、日本が侵略をしたというのは濡れ衣だし、残虐行為はでっちあげだ、ということになるのだが、そのように考えたところで、本当に日本人は「元気」になれるだろうか。
 考えてもみよ。戦前の日本が、陰謀によって他国に攻め込まざるを得なくなったというのなら、そんなに簡単に騙され乗せられて、挙げ句の果て窮地に陥った人々は、とんでもない抜け作ということになるではないか。そのような屈辱的で自虐的な見方を認めることができるはずがない。我らの先達は、もっとタフでクレバーでアグレッシブでなければならないのだ。
 そこで、もっと「元気」になれる考え方がある。それは「侵略しましたが何か?残虐行為をしましたが何か?」である。
 日本はかつて侵略をしたとか、残虐行為を行なったとか、取り憑かれたように非難をする人々がいる。他方で、侵略ではなかった、残虐行為はなかった、と躍起になって否定する人々もいる。両者は一見して正反対のようだが、侵略や残虐行為が悪だと認識している点で、同じ前提に立っている。しかし、そもそもそれらは本当に「悪」だったのか。根本から考え直してみる必要があるのではないか。
 日本を愛する皆さん。皆さんは中国や朝鮮が嫌いでしょう。存在することが許せないでしょう。だったら、それを日本にしてしまうのは正しいことではないのか。同様に、皆さんは中国人や朝鮮人が嫌いでしょう。同じ人間とは思っていないでしょう。だったら、かれらを殲滅することは、日本にとって正しく有益なことではないのか。そう考えたならば、戦前の日本が行なったことは、ありのままで、すべて正しかったということになる。
 本心を偽ると主張は弱くなり、元気は失われる。本心と主張との間にねじれがあるのだから、説得力を持ち得ないのは当然のことだ。自らの偽らざる本心を肯定し、その正しさを堂々と訴えることができるならば、それが向かうべき帰結もまた正当なものであると主張するのに、何らためらうことはない。
 田母神氏は、「日本は良い国だと言ったら解任された」と述べたが、実は戦前の日本の「良さ」「正しさ」を十分に理解していなかった。侵略し、残虐行為を行なった日本は正しかった、そういいきれる者こそが真の愛国者なのだ。やることなすこと、すべてが正しい日本。これほど元気になれるテーゼはない。