仮名日記

ネタと雑感

やすいはなし(彼こそが帝王)

2006年12月28日 | 文化
 今年は、各界において赫々たる業績を成した人々が、次々と世を去っていった印象があります。本当にそうだったのか、他の年と比較してどうか、統計的に検証してもらいたいものだけれど。ともあれ、年末も押し迫ったところで、音楽界における極めつけの巨人の逝去が報じられました。本当は11月に亡くなった実相寺昭雄監督の遺作となった『シルバー假面』の初日の様子について書くつもりでしたが、もはや後回しにせざるを得ない。
 その人とは、
「ミスター・ダイナマイト!」
「ソウルブラザー・ナンバー1!」
「ショービジネス界1の働き者!」
「ソウルのゴッドファーザー!」
「ファンキー・プレジデント!」
「オリジナル・ディスコマン!」(苦笑)
その名も
ジェェェェェェムズ・ブラァァァウン!!俺にとって彼に比肩する存在は、存命中のミュージシャンのうちではロバート・フリップとジョージ・クリントンぐらいしかいない。フランク・ザッパは既にこの世の人ではないし。
 大衆音楽において彼が唯一無二・問答無用の存在であることは言を俟ちませんが、その最大の業績は「ファンク」という音楽スタイルを確立したことでしょう。ゴスペル・ジャズ・ブルース・R&B・ソウル・(黒人音楽としての)ロック等々の中に存在した様々な要素を、高水準で統合・結実させたパフォーマンスにより、超弩級の説得力で「これがファンクだ」と人々に提示しました。その才能のみならず、人格・肉体を含む彼の全存在がこの音楽を規定したと言ってもいい。
 60年代後半からのアメリカにおけるブラック・パワーの高まり・うねりを背景として、彼と、その後に続くスライ・ストーンやジョージ・クリントンらはファンクをさらに革新していき、広大かつ深遠かつ豊潤な成果が生み出されました。その影響は全世界、また現在の音楽まで及んでいます。例えば、レッド・ホット・チリ・ペッパーズもヒップ・ホップも、ファンク無しには生まれていなかった。
 彼はこの世を去りましたが、その音楽はこれからも継承されていく。後裔であるミュージシャン本人が意識していなくとも。偉大なミュージシャンは不死の存在だということを、JBは証明しているようです。

 余談。故人を悼むべく上掲のアルバム
『Revolution Of The Mind』(邦題「ソウルの革命」)を聴きつつ、内ジャケット写真を見ていたら、ダウンタウンの浜田雅功にそっくりだといまさらながらに気付いた。そういえばキャラクターも通じるものがあるかも知れない。JBはバンドを専制君主ばりに仕切ったと言われている。メガホンとかハリセンとか持たせたら、きっとよく似合っただろう。

やすいはなし(サヴァイヴ)

2006年12月04日 | 社会
 学校に関わる人々の自殺のニュースが連日報じられています。陰湿で執拗ないじめに苦しんだ子供や、必修科目履修逃れの責任に思い悩んだ校長、校長達からのいやがらせに耐えきれなくなった教師。文部科学省には、いじめを受けた子供からという自殺予告文書が届きました。今のところ、この予告どおりに自殺したという報道は無いようです。もしかしたら、手紙を書いた子供はいまだにつらい思いをしているのかも知れませんが、苦しくとも生き続ける道を選んでくれるよう願わずにはいられません。
 今この時、自らの命を絶とうと考えている人々、特に年若い人々に何としても伝えたい。あなたたちのかけがえのない命を捨ててはいけない。今はつらく苦しいかも知れないけれど、あなたの生が輝く時がいつか必ず来ます。逃げてもいい。立ち向かってもいい。大切なのは、どんな手段をとってでも生き続けること。なぜなら・・・
 貴様らの生命はこの「美しい国」の所有物だからだ。道具として歯車として、国家によって最期まで使い尽くされるべきものなのだ。愚にもつかない理由で捨てることは許されない。
 我らが安倍総理大臣も、大ベストセラー・エッセー集『美しい国へ』でこう言っておられる。
「自らの死を意味あるものにし、自らの生を永遠のものにしようとする意志もあった。それを可能にするのが大義に殉じることではなかったか」
「たしかに自分のいのちは大切なものである。しかし、ときにはそれをなげうっても守るべき価値が存在するのだ、ということを考えたことがあるだろうか」
 どうだ。判ったか。何?長ったらしすぎてよく判らないだと。しょうのないクサレ脳味噌め。では貴様らのようなド低脳にも判るように簡潔にまとめてやろう。
「死ね、お国のために」
 これこそが、安倍首相の教育改革、ひいては来るべき新憲法の根本原理である。生きろ。生きて国のために死ぬまで働け。その時こそ貴様らの生命に永遠の価値が与えられるのだ。
 個人は国家のために存在し、国家無くして個人は存在し得ない。個人の生命は、ただ国家への奉仕によってのみ価値が生ずる。貴様らがどう生きようと、住所不定無職であろうと、高学歴で高収入を得ようと、我欲に囚われている限りはおしなべて無意味だ。まして、取るに足らない苦しみから逃れるために、国家に捧げられるべき生命を無為に捨てるなどということは、即ち国家に損失を与えるものであり、亡国につながる大罪なのである。
 こうして自殺などという犯罪を企てる利己的な輩を大量に生み出したことは、自己の権利を主張することばかり覚え込ませ、公によって課せられた責務の尊さを教えてこなかった戦後教育の悪しき成果だ。生命を自分のものだなどと勘違いし、国家の許可も命令もないままに、好き勝手に放棄できるなどと考えるとは何という思い上がりだろう。かくも唾棄すべき大逆人どもは、三度八つ裂きにしても足りないところだが、卑劣にも既に死んでしまっているのでそれは叶わない。無念の極みなり。