少なくとも、ティム・バートン以降のバットマンは、正義に取り憑かれた狂人一歩手前の人で、そんなキャラクターを「日本のここから」に重ね合わせるのは 甚だ不穏当ではないかしら。 >RT
羽生選手を事故直後に本番に出場させてしまったのは、周囲の大人たちの無能さの証ではないか。にもかかわらず「よくやった!感動した!!」が大勢であるところに寒気がする。戦略の失敗を問うことなく、特攻隊を賛美するのと同じだろう。
映画『セデック・バレの真実』を観た。『余生(生き残り)』という原題が示すように、映画『セデック・バレ』で語られた霧社事件の後、生き残ったセデック族の「それから」を、子孫たちの視点から描いたドキュメンタリー。 eiga.com/movie/80601/
映画『セデック・バレの真実』 抗日蜂起の主導者だったモーナ・ルダオの遺体が辿った成り行きに象徴されるように、支配者が変わっても少数民族は国家に翻弄され続ける。モーナ・ルダオのただ一人生き残った娘が、鬱屈を抱えて生きていた様子も胸に迫る。
映画『セデック・バレの真実』 どうにも引っかかるのが、セデック族発祥の聖地を探す親子の旅の描写。これが率直に言ってヤラセ臭い。控え目に言っても演出過剰で、ドキュメンタリー映画としてアウトだと思う。この親子のくだりから映画が始まるため、終始疑問を感じながら見続ける羽目になる。
映画『セデック・バレの真実』 親子のわざとらしい会話は、長々と映される自然の風景(これがまた少々退屈)ともども、「これはイメージ映像なのだ」と自分を納得させて観るしかなく、けっこうなストレスだった。
映画『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』を観た。空から特攻してくる巨大戦艦を、兵士たちが団結して受け止める場面に、どうしても9.11テロを連想し泣けてしまう。「あの時、こんな風に防ぐことができたなら」という思いが背後にあるような気がしてならないのだ。