仮名日記

ネタと雑感

火の無いところに煙は立たぬ

2005年05月31日 | 社会

 5月31日はWHO(世界保健機関)が定めた「世界禁煙デー」です。非喫煙者が安心して生活できる環境を実現するために、この機会に私もささやかな提案をしたいと思います。

 公共の場における喫煙、なかんずく路上における歩行中の喫煙、いわゆる歩きタバコは大きな社会的問題となっています。受動喫煙による不快感・健康被害をもたらしたり、吸い殻のポイ捨ての誘因となって都市の美観を損なうだけではありません。火の点いたタバコを持って町中を歩き回ることは、人混みの中で高熱を発する凶器を振り回す甚だ危険な行動であり、実際に、子供の眼に根性焼きを入れて失明させるという事故が起きたりしています。すなわち、歩きタバコは人倫を踏み外した反社会的行為であり、文明社会を脅かす許し難い暴挙です。これを野放しにしておく訳にはいきません。早急に実効的な対策を講じなければ。
 千代田区などでは、条例により路上喫煙に過料(罰金)を課していますが、行為の危険度に比してあまりにも生ぬるい。まずは屈強の男どもを揃えて歩きタバコ鎮圧部隊を組織することにします。彼らは、歩きタバコをしている違反者を発見すると、対暴徒用のゴム弾を至近距離から警告ナシで撃ち込みます。当たりどころによっては死に至りますが、特に気にしません。悶絶する反社会的分子を取り押さえ、小型のギロチンで指を切り落とします。もちろん麻酔はかけません。鎮圧部隊の面々は切った指を干して糸を通し、首飾りにします。指を多く集めた隊員は、仲間たちからの深い尊敬を集めるのです。
 喫煙者は違反を取り締まられる度に指が減っていき、たばこを吸うのが不便になります。一石二鳥です。
 違反を重ねたあげく最後の指が切り落とされますと、ポイントが溜まった特典として、肺ガン治療の実験台という名誉ある地位についていただきます。彼らに対して医師は、心ゆくまで思いのままに人体実験を施すことが許されます。当然最終的には死に至るわけですが、それまでの悪逆無道のふるまいによって心身共に穢れた人間が、尊い献身によって浄化されるのですから何の問題もありません。彼らの犠牲によって肺ガン治療のための新たな医学的知見が得られたなら、それはまさに次代の幸福を拓く菩薩の大業と言えるでしょう。そのうえ、喫煙者の絶対数を減らすことにもつながるのですから、またもや一石二鳥なのです。
 これらの措置は、無論タバコ税を財源とします。増税によりタバコの値上げが必要にはなるでしょうが、それでもタバコを購入する重度の依存中毒者と取り締まりの対象者とは相当な割合で重なっているはずです。したがって財源は十分に確保できるでしょう。
 いかがですか、良いことずくめのこの施策、どこかの地方公共団体で条例化してもらえないものでしょうか。歩きタバコの無い健全な社会のために、このアイディアを無償で提供します。

検閲の母

2005年05月30日 | 社会
 朝日新聞で連載されている天野祐吉の「CM天気図」(5/26 朝刊)によれば、カップヌードルとキンチョールのテレビCMが、視聴者からの抗議によって放送中止になったとのこと。その理由は、少年が銃を持っているのがけしからんとか、近所同士のいがみ合いのさまが不快だとか、しょうもない難癖にすぎないようだ。
 商業広告である以上、企業側は視聴者の受ける印象に配慮せざるを得ないのだろうが、聴き入れるべき意見・抗議を見極めることも必要なのではないか。愚劣な内容の抗議にまで過剰に反応することは、制作費の無駄であり(それは、商品の価格として結局は消費者に跳ね返ってくるおそれがある)、また、愚かな抗議を助長することにつながる。愚は愚として切り捨てないと、結果としてこの社会の知的レベルを衰えさせることになるだろう。
 もっとも、これまでに抗議を受けて中止された広告のなかには、明らかにどうしようもないものもあった。最近では、テレビCMではないが資生堂のサイトにおける育毛剤アデノゲンのハゲ蔑視広告がその類い。ああいった失敗広告をつくる企業は、組織の、少なくとも一部が確実に病んでいるわけで、その害毒がどこまで及んでいるかが興味深くもある。例えば今後、資生堂が大きな不祥事でも起こせば さもありなんといったところだ。
 
 CM自体が完全に放送中止にならないまでも、繰り返し放送される過程で、内容の一部が変更されることがある。そうした例を以下に思いつく限り挙げてみるが、企業側が自発的に変更の事情を公表・説明することはまず無いので、抗議が原因かどうかははっきりしないものもあるうえ、一部は内容の記憶が曖昧だったりする。それはただの勘違いあるいは邪推だ、という指摘があればお願いします。
 
○ハーバルエッセンスのトリートメント
 夢の中でトリートメントをして恍惚となった白人女性が、寝言で「Yes,Yes,Yes!」と言った後の隣の男の台詞「夢の中の男は誰?」が、「うっとりしすぎやで、トリートメントしたからって」という(なぜか)関西弁に。露骨にセックスを連想させるのがまずかったのか。でもあのCMシリーズは最初から洋モノのポルノをイメージさせるものだったので、今さらの感が強い。関西弁にしたのは、エロをできるだけ排して「これは冗談です」とアピールするためだろうか。
 
○ボーダフォンのテレビ付き携帯
 居酒屋で4人ぐらいの若者がテレビ付き携帯でサッカーの試合を見ながら大騒ぎをするというもの。いくら居酒屋だからってあんな騒ぎ方は非常識だろうと思ってたら、歓声を上げたり、声を揃えて「は・や・く、は・や・く」などと連呼するところなどが編集でカットされた。宣伝している商品の悪い使い方を紹介し、その弊害を知らしめ商品・企業のイメージを低下させるという際だって頭の悪いCM。アデノゲンもそうだけど、こういう失敗広告を作った人はやっぱり干されたりするのかな。

○産経新聞
 産経が夕刊を廃止するにあたり、「PEANUTS(スヌーピー)」のキャラクターが登場し、夕刊なんて無くなっても大したこと無い、とか言っていたのがまったく別の台詞に。夕刊否定・新聞否定につながると日本新聞協会理事会に批判されたため。紙面における主張は勇ましいのに、こういう時の対応が腰砕けなのはどうしたものか。そんなだらしのないことで我が民族の誇り・祖国の尊厳を守り通せるか。靖國の英霊に申し訳が立つか。お前達の父母兄弟は皆泣いておるぞ。

○日本興亜損保
 石原軍団の面々が力を合わせて女性を助けたが、正面から見たら長髪の男だった、という他愛もないオチがカットされ、女性を助けたはいいが子供のおもちゃを踏んでいた、に変更。これは理由がよくわからない(割と違和感なく変更されているので、もしかしたら単なる別バージョンなのかも知れない)。ゲイ差別とか、性同一性障害への偏見を助長するとかいう抗議があったのだろうか。あれでゲイ差別になるんだったらハードゲイネタのレイザーラモン住谷なんてテレビに出られません。あ、でもテレビ朝日では「ハードゲイ」を「HG」に言い換えさせられてたな。
 
○リコー(?)のプリンター(イプシオ?)
 けっこう前に放送されていたもの。椎名桔平が出てたような気がするんだが。プリンターの前で山羊(本物)の上司が紙が出てくるのを待っている。ティッシュペーパーを部下が差し出し「これで我慢してください」という台詞が、「何も泣かなくても」というかなり不自然なものに変更。なぜだろう。子供が真似して山羊が紙ばっかり食わされたらどうするってことか。もしそうなら「やぎさんゆうびん」なんて童謡は放送禁止になってしまう。
 
○警備保障会社(社名は完全に忘れた)の防犯システム
 これまた放送はかなり前。システム導入でその家の番犬が定年扱いになり、余生を過ごすことになるという内容。犬が所在なげに花に水をやる姿だったのが、白々しく「楽しいなー」と言うようになった。定年後のサラリーマンをネガティブに描写するなってこと?
 
○光栄の「真・三國無双」
 もはや憶測を通り越して妄想の域に近いと我ながら思うけれど、これも書いておこう。大量の敵を蹴散らしていくのが特徴のこのゲーム。宣伝コピーが「千人をブッ飛ばす爽快感」だったのが、「豪傑が吠え、美女が舞う」にいつのまにか変っていた(ちょっとうろ覚え)。理由は何だと考えて思い当たったのが放送の時期に起こった9.11テロ。確かにあの事件では大量の人命が「ブッ飛んだ」わけで、爽快とは何事か、不謹慎だ、という抗議があったのではないか、というのが俺の想像。ただし何の根拠もナシ。誰か事情を知っている人はいませんか。