代官山がオサレな街だなどという通念は、雑誌の情報操作から始まったことだと故景山民夫が書いていたような憶えがありますが、その代官山にあるクラブ兼ライブハウス兼その他諸々などという、普段なら近寄る筈もない場所を訪れたのは、ひとえにバーニー・ウォーレルを観たかったからです(8/4 18:00~@代官山UNIT)。
来日と聞いて矢も盾も堪らずチケットを手に入れたけれど、それが夕方6時から翌日の朝6時までなどというアホなスケジュールのイベントであることに後から気付いたのは、真に以て迂闊の極みなり。まあ、あらかじめそのことを知っていたとしても観には行ったでしょうが。それに、結局は意地汚く最後まで居座り続けたので文句を言ってはいけないのかも知れない。
バーニー・ウォーレルとは、Pファンク最盛期の屋台骨を支えた鍵盤奏者であり作曲者。高度の音楽的素養を基盤として自在極まる創造性を発揮し、突拍子もないようでいて整合感のある演奏はまさに唯一無二のものだ。Pファンクから離れた1980年代以降は、トーキング・ヘッズを初めとする数多くのミュージシャンと共演し、その異才を広く知らしめた。
が、その彼が今やアメリカ本国でも忘れられた存在であり、生活にも困窮しているという寂しい現況を『STRANGER Bernie Worrell on Earth』というドキュメンタリー作品が伝えた。もちろんショービジネスの世界では人気・知名度などは常ならざるもので、その荒波を乗り越えるには彼の自己プロデュース能力が十分でなかったということかも知れない。しかし、大衆音楽においてシンセサイザーがまさに活用され始めた時期に、その可能性・領域を切り開いたパイオニアとしての功績に比して、現在の彼への評価はあまりに不十分なものではないだろうか。
ことほどさように景気の悪い事前情報を念頭に置きつつ、当日のライブに臨んだのでした。バーニーは何度か来日していますが、今回はMethod of Defianceという、ベーシスト兼プロデューサーのビル・ラズウェルによるプロジェクトの一員としての公演。バーニーさえいればいいという不届きな心得だったので、「アヴァン・ドラムンベース・ハードコア・ジャズ・ダブ・ファンク」という触れ込みのこのプロジェクトについては事前にまったく情報を仕入れていなかったが、いつものラズウェルらしいジャンル横断型のハードエッジな音楽だろうと当たりをつけていたら、果たしてそのとおり。さすがラズウェル、悪い意味で期待を裏切らない。
開演してまずバーニーが飄々と現れてソロを取り、その後に他のメンバーがそれぞれのポジションに着いて終始轟音で演奏し倒すという構成。キーボードのソロで『ボランティアード・スレイブリー』(ローランド・カーク)が飛び出したり、『コズミック・スロップ』(ファンカデリック)のアレンジ版を披露したりと旧来のファン向けのサービスもあったし、何より録音で聴いたとおりのあの音、時に荘厳なまでに神秘的・魔術的で、時に「ウンコ踏みつぶしたよう」に下世話な音が目前で奏でられるだけでこみ上げるものがあった。
が、グループ全体が走り出すと、音量バランスのせいもあってか、バーニーの音が埋没してほとんど聞こえない。ハードでメタリックで鋭角な音が隙間無く連続し衝突するこのグループの音群と、バーニーの陰影と屈折を帯びた音色との相性はあまり良いとは思えず、はっきり言って彼がそこにいる意味が乏しい。その証拠に、アンコールでのバーニー抜きの演奏も、多少音が薄くなりはしたが、それまでと同じように成立してしまっていた。音数が減ったとき、例えば、曲の終盤に近藤等則のトランペットとバーニーのキーボードだけ残った場面では、両者の照応がスリルを生もうとしているようだったが、それが持続・展開されなかったのがもどかしい。
グループ総体としては間違いなく力演だったけれど、その中でのバーニーの立ち位置の覚束なさが、ビル・ラズウェルによるプロデュースの問題点のみならず、先述のようなバーニーの寄る辺の無い状況を表していたように思われ、少しばかりの苦さが胸中に残ったのでありました。
来日と聞いて矢も盾も堪らずチケットを手に入れたけれど、それが夕方6時から翌日の朝6時までなどというアホなスケジュールのイベントであることに後から気付いたのは、真に以て迂闊の極みなり。まあ、あらかじめそのことを知っていたとしても観には行ったでしょうが。それに、結局は意地汚く最後まで居座り続けたので文句を言ってはいけないのかも知れない。
バーニー・ウォーレルとは、Pファンク最盛期の屋台骨を支えた鍵盤奏者であり作曲者。高度の音楽的素養を基盤として自在極まる創造性を発揮し、突拍子もないようでいて整合感のある演奏はまさに唯一無二のものだ。Pファンクから離れた1980年代以降は、トーキング・ヘッズを初めとする数多くのミュージシャンと共演し、その異才を広く知らしめた。
が、その彼が今やアメリカ本国でも忘れられた存在であり、生活にも困窮しているという寂しい現況を『STRANGER Bernie Worrell on Earth』というドキュメンタリー作品が伝えた。もちろんショービジネスの世界では人気・知名度などは常ならざるもので、その荒波を乗り越えるには彼の自己プロデュース能力が十分でなかったということかも知れない。しかし、大衆音楽においてシンセサイザーがまさに活用され始めた時期に、その可能性・領域を切り開いたパイオニアとしての功績に比して、現在の彼への評価はあまりに不十分なものではないだろうか。
ことほどさように景気の悪い事前情報を念頭に置きつつ、当日のライブに臨んだのでした。バーニーは何度か来日していますが、今回はMethod of Defianceという、ベーシスト兼プロデューサーのビル・ラズウェルによるプロジェクトの一員としての公演。バーニーさえいればいいという不届きな心得だったので、「アヴァン・ドラムンベース・ハードコア・ジャズ・ダブ・ファンク」という触れ込みのこのプロジェクトについては事前にまったく情報を仕入れていなかったが、いつものラズウェルらしいジャンル横断型のハードエッジな音楽だろうと当たりをつけていたら、果たしてそのとおり。さすがラズウェル、悪い意味で期待を裏切らない。
開演してまずバーニーが飄々と現れてソロを取り、その後に他のメンバーがそれぞれのポジションに着いて終始轟音で演奏し倒すという構成。キーボードのソロで『ボランティアード・スレイブリー』(ローランド・カーク)が飛び出したり、『コズミック・スロップ』(ファンカデリック)のアレンジ版を披露したりと旧来のファン向けのサービスもあったし、何より録音で聴いたとおりのあの音、時に荘厳なまでに神秘的・魔術的で、時に「ウンコ踏みつぶしたよう」に下世話な音が目前で奏でられるだけでこみ上げるものがあった。
が、グループ全体が走り出すと、音量バランスのせいもあってか、バーニーの音が埋没してほとんど聞こえない。ハードでメタリックで鋭角な音が隙間無く連続し衝突するこのグループの音群と、バーニーの陰影と屈折を帯びた音色との相性はあまり良いとは思えず、はっきり言って彼がそこにいる意味が乏しい。その証拠に、アンコールでのバーニー抜きの演奏も、多少音が薄くなりはしたが、それまでと同じように成立してしまっていた。音数が減ったとき、例えば、曲の終盤に近藤等則のトランペットとバーニーのキーボードだけ残った場面では、両者の照応がスリルを生もうとしているようだったが、それが持続・展開されなかったのがもどかしい。
グループ総体としては間違いなく力演だったけれど、その中でのバーニーの立ち位置の覚束なさが、ビル・ラズウェルによるプロデュースの問題点のみならず、先述のようなバーニーの寄る辺の無い状況を表していたように思われ、少しばかりの苦さが胸中に残ったのでありました。
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