仮名日記

ネタと雑感

やすいはなし(STOP!_その1)

2008年03月12日 | 社会
 さーて、今回も「典型的な『どっちもどっち』論」を展開いたしますよ。

 日本教職員組合(日教組)の教育研究全国集会のための会場使用を、プリンスホテル新高輪が予約を受けた後で一方的に解約した問題について、2月26日、ホテル側が会見を開きました。基本的にこれまでの主張(2008/2/5付「今回の日本教職員組合様に対する対応について当社の考え方」(PDF))の繰り返しで、会場使用拒否は宿泊客の安全・安心確保や周辺住民・施設への被害防止を目的とした正当なものと述べ、責任を認める言葉や謝罪はいっさい無かったようである。かえって、予約の段階でウヨクの妨害行為について十分に説明しなかったのは「異常」であると日教組側を非難し、会場使用を認める裁判所決定も「正しいとは思っていない」と言い切った(2008/2/26付「日本教職員組合様に対する対応についての記者会見におけるご説明文」(PDF))。この頑なな態度を見るに、ホテル側の日教組に対する特別な悪意・反感・嫌悪は明らかであると思う。
 会場使用の契約をした以上、ホテル側は日教組側に対してそれを果たす義務がある。契約を一方的に解約したホテル側の行為を正当というには、教研集会を開催した場合に起こると予想される被害が甚大で、しかもその発生の蓋然性が相当に高いこと、ホテルには被害発生を防ぐ義務があるが、それを果たす手だてが無かったこと、簡単にいえば、ホテル側として今回の事態は不可抗力であったことが立証されなければならない。そのためには、日教組側の落ち度を言い立てるだけでは根拠薄弱で、被害をもたらす張本人すなわちウヨクの責任と、その被害(のおそれ)に対応するホテル側の責任を論じる必要がある。
 前回も書いたけれども、この問題における諸悪の根元はウヨクの街宣活動と称する迷惑行為である。ホテル側が種々様々並べ上げた、宿泊客への危険・不安も、ホテル周辺の地域への多大な迷惑・被害も、日教組の集会自体ではなく、呼ばれもしないのにやってくるウヨクがもたらすものだ。ウヨクが来るおそれさえなければ、集会は何事もなく開けたはずである。にもかかわらず、ホテル側は日教組とその主張を容れた裁判所の責任は追及しても、彼らが守ろうとしている宿泊客や周辺住民・施設を脅かすウヨクに対しては、どういうわけか一言も批判をしていない。街宣活動は誰の責任も問えないような天変地異ではなく、まさしくウヨクによる人災なのだから、事態の根本的な原因がどこにあるのかは容易に言い当てられるし、ホテル側の責任の範囲を明確にするためにも必要な作業であるはずなのに。
 このような偏り・欠落を抱えているために、彼らの主張は支離滅裂なものになっている。
 「教職員の組合の集会として、学校や病院、住宅が集まる高輪での開催の現実性や入試に甚大な被害を及ぼす可能性を考慮していただきたかった」というが、くどいようだが迷惑行為をするのはウヨクであって、日教組にその影響を考慮する責任を負わせるのは順序が間違っている。そのような責任を日教組側に期待するのであれば、逆に、集会を開催した場合のホテル側の負担を日教組は期待してもよいのではないか。この言い分には、契約をした自己の責任をできるだけ軽く見積もろうとするホテル側の無責任で甘ったれた態度が透けて見える。
 宿泊客のみならず、周辺住民・施設の安全・安心を守ることを自己の責任と位置付け、直接契約した相手方への責任より重視するのも不可解だ。周辺住民・施設の利益を強調することにより、宿泊客の安全・安心との合わせ技で日教組側への契約責任を覆せると考えているようだが、その前に、両者の利益を調整するために、日教組に会場を使用させつつ、ウヨクの妨害行為を回避し宿泊客らの安全・安心も守ることができないかを検討すべきだろう。その結果、日教組・警察等との連携をもってしても、ホテル側の努力によっては危険を回避できないという結論に至ったならば、「苦渋の選択」として使用拒否もやむを得ないということになる。ところが、ホテル側が日教組や警察と必要な警備についての協議を自発的に行なった形跡はなく(日教組と警察に対しては、打ち合わせを事前に申し入れて欲しかったといっているのに)、むしろ、ウヨクが来ると聞いて安易に使用拒否という結論に跳びついたように見える。
 また、憲法で保障される集会の自由は守られねばならないが、人々が平穏な生活を営む権利も基本的人権として憲法上守られなくてはならないとする一方で、会見では「憲法論議をするつもりはない」と詳しく説明しなかったことも論旨が一貫しておらず、憲法の都合の良い部分だけをつまみ食いした印象が強い。ここで憲法の「基本的人権」を持ち出すのは、2月5日の文書で、「『集会の自由』は基本的には国家、公的機関との関係において保障されたものであり、民間にその会場提供を強制するものではございません」としている(これ自体は「憲法論議」の上で原則として間違っていない)こととも矛盾する。いったい憲法上の人権を彼らはどうしたいのか。この案件において考慮したいのか、したくないのか。
(続く)


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