仮名日記

ネタと雑感

やすいはなし(Fight The Youth)

2007年10月21日 | 社会
 社民党の機関誌「社会新報」には「文化人コラム」という欄がありまして、最近その執筆者が三田誠広から雨宮処凛(ともに作家)に変わりました。雨宮氏は若年層の雇用問題に関わっており、その『雨宮処凛のかりんと直言』というコラムでも、それを主なテーマとしているようだ。
 社会新報10月10日号の同欄で雨宮氏は、
「ユニオンYES! キャンペーン」という労働組合のイメージチェンジを図るための運動を紹介し、その背景に若者による新しい労働組合(彼女のいう「インディーズ系労組」)の盛んな動きがあるとしている。そして、これに対する従来型の労働組合を何と呼ぶべきかについて、以下のように書いている。

 今まで、労働組合のイメージといえば、地味、怖い、暗い、オジサン、説教くさいというロクでもないものが多かった。そんなキーワードから浮かんできたのは「ホッピー」(お酒の)だ。オヤジの心の友・ホッピー。
 そこで勝手に決めた。闘わない労働組合や自分たちの権利しか守らない労働組合、正社員ばかりに目が向いていて非正規との連帯などハナから考えていないような労組は、これから「ホッピー系労組」と呼ぼうと。


 なに勝手に決めてやがる。かつてはホッピーを箱で買って愛飲していた俺は、これを読んでむかついて仕方なかった。雇用問題への取組みは有意義なことだと思うけれど、こういう調子こいた妄言は有害無益な逸脱でしかない。
 まず明らかなのは、ホッピーに対する無理解だ。ホッピーという飲み物に多少なりとも好意があれば、ホッピーにひたすらネガティブなイメージを託すこんな言葉はつくるまい。恐ろしいことに、彼女にとってホッピーを飲む人間は差別の対象なのである。ホッピーそのものにも、ホッピーを置いてあるような酒場にも、彼女はまったく無縁なのかも知れないが、何様のつもりでホッピーに関する全てを否定してみせるのだろうか。ある種のライフスタイル、そしてそれを持った人々をこんな風に切って捨てる傲慢さには虫酸が走る。
 ついでに言えば「ホッピー」は一般名詞ではなく、
ホッピービバレッジ株式会社の登録商標である。商品を理由もなく貶める彼女の行為は、同社の営業を明らかに妨害している。
 そしてこの無理解の根底には、ホッピーを飲んで良い気分になるような、さほど裕福でない中年男性、「オジサン」・「オヤジ」への抜きがたい嫌悪・侮蔑がある。その心理の根拠は、従来の労働組合の中核を成しているのが頭の固い中年男性であり、まさに彼女が戦いを挑む旧体制そのものだから、ではないだろう。それは単に、「自分は若者の側に立っている」という彼女の自意識のあらわれ、もっと端的に言えば「オサレな若者はダサい中年が嫌い」というそれだけのこと。反抗期のこどもに類似した未熟な心性で、合理的な理由があるとは思えない。彼女の「ダサい中年」の究極的なイメージが、小汚い居酒屋でオッサンがホッピー飲んでクダを巻くさまだったということだ。
 この益体もない差別語をつくったことが彼女はよほど得意らしく、「ユニオンYES! キャンペーン」のキックオフ集会で披露したという。さらに、これが流行し定着することを願っているらしい。自分の言葉が否応なく誰かを傷つけるということにはまったく気付いていないようであり、自分の正しさを信じきった人間の、手に負えない自己陶酔ぶりを示している。
 件の一文の締めくくりはこうだ。


 「ホッピー系労組」と呼ばれたくない、その一心から張り切っちゃう組合とかあったら面白い。言葉の持つ力って、意外と大きいのだ。

 そう思うのならば、まずこんな偏見を助長する無神経な言葉を使うのはやめるべきではないか。むしろこの言葉は、従来から存在する労働組合との協働を妨げる一因となるだろう。ホッピーを飲んでいるだけで、中年男であるというだけで、謂われのない蔑視を投げつけるような彼女たちとともに戦おうと思うはずがない。その対象が自分でないとしても、偏見を剥き出しにしているような人間は不快で信用もできないからだ。自分たちの意識の低さ・狭さを自覚せず、こんな言葉を弄んではしゃいでいるような人々の運動は、大きな連帯につながることなく、結局は仲間内のおあそびで終わるに違いない。


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