俳句日記/高橋正子

俳句雑誌「花冠」代表

5月15日(水)

2024-05-15 06:27:45 | 日記
晴れ
街中の古家にほんのり枇杷熟れる 正子
アゲハ蝶飛翔のときは浅葱色   正子
櫟林の山路は昏し卯の花も    正子

●いつも通り目が覚めたと思ったら、まだ4時半。この時間は日差しを気にする必要がないし、鳥も鳴いているだろうと、5丁目の丘へ出かけた。朝靄で、直観でしか見えない富士山の雪嶺が浮いていた。鳥は四十雀がたまに鳴く程度。鳥たちは山に帰っているのか、どうなのか。

●『人間ゲーテ』(小栗浩著)の小さい本を読んでいるが、250年以上前の文豪ゲーテに我々が学ぶところは何かと言う本。この本自体が30年前の本だが、気づかされることが多い。四章に分けられている。3章「ヴァイマル」、4章「詩人としてのゲーテ」よりも、2章「わが存在のピラミッド」はゲーテの本質的なことのようなので、からっぽの頭では理解が難しいが、おぼろげながらわかる。

ゲーテの人間形成に恋愛は大きく影響している。「少女を見、この少女を愛することによって、美しいもの、すぐれたものの世界が開かれたのであった。」(『詩と真実』)「わが存在」のために「ピラミッド」を築く、高みを求め続ける精神が、「高み」への理想主義的希求が重なる恋愛を体験させたのだと思えた。

それよりもゲーテの詩「五月の歌」は、明るくのびやかで好きな詩であるが、これがフリーデリーケとの恋愛で生まれ、「ゼーゼンハイムの絶唱」と呼ばれていることをはじめて知った。高揚した精神で自然を見ればこのような詩が生まれるのか、興味深い。内面的な俳句は内面が触発されることによってできることはわかっている。精神の高みのある状態で自然を見ればどうなるか。「高み」は、「深み」とは反対でもなさそうだ。

ゲーテはマイン河畔のフランクフルトで生まれているが、ゲーテが最初に学んだライプチッヒ大学のあるライプチッヒに比べて言葉が粗野で悩むこともあったようだ。しかし、ゲーテはフランクルトの言葉を愛していたという。フランクフルト読みの発音で韻を踏む詩を作っている。こういう詩を読んでいると、詩は息でできているとさえ思える。

家族のドイツ旅行の時、フランクフルトのゲーテの生家を訪ねた。ゲーテの部屋にも入ったが、写真で見るのと同じ様子だった。家はマイン川のピンクがかったうすい紫色の砂岩でできていて、階段は観光客が踏むためか、擦りへってくぼんでいた。中庭のある生家を訪ねたことはなにがしかゲーテの理解を助けてくれている。

ゲーテの本と一緒にシラーの本も借りて来た。ベートーベンの第九「歓喜の歌」はシラーの詩の大部分が使われているが、「歓喜の歌」はこれまでドイツ語で聞くのに慣れてしまって、シラーの日本語訳の詩がどうしても痩せて思えた。「メーリケ」の詩の翻訳もシラー同様にどうしても痩せて思える。ゲーテの詩は翻訳でもそれほど痩せた印象がない。これはどういうことか。ゲーテは小説ならトーマス・マンに、詩ならリルケに比べれば、その構成、また言葉にゆるさがあるという。これもまた面白いところ。
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