キャンプへ入るまでに2日ほど余裕がある。まず地下鉄に乗って最初の宿泊先であるユースホステルへ向かうことにした。 地下鉄の形状が蒲鉾型なのに興味をもった。それから、日本で言う「つり革」が変わっていて、輪ではなく球がぶら下がっていた。
ユースに到着したのは、もう夜になっていた。荷物を部屋に置き、とりあえずあこがれのパブへ出かけた。「ア パイント オブ ビター プリーズ」 本で読んだことのあるビターと言う飲み物を飲んでみたかった。日本のビールを飲みなれている僕にはなんとも苦い味が強く、飲みにくかった。 その日は疲れていたこともあり、その一杯のみで、あとはユースに戻って寝た。
次の朝、いつも目が醒めるのが早い僕は、早朝にさっそく起きだして近くを散歩してみた。今覚えている印象は、芝生の緑がこれまでに見たことがないくらい鮮やかな色をしていたというふうに覚えている。 散歩から戻り朝食を済ませたあと、床屋に出かけた。何処にでもあるような地元の床屋だ。言葉の壁を身振り手振りで乗り越えて、愛想のいいオヤジさんにカットしてもらった。
ロンドンの町を見てまわった、テムズ河、ビッグベン、これまで写真やテレビでしか見たことのなかった光景をこの目で見た。 「なぜかロンドン、それでもロンドン、やっぱりロンドン、やっぱりロンドン」 と手紙に書いてかつてのバイト先に送った。ロンドンにあこがれていた、そのロンドンに今居る。
さあ、いよいよキャンプへ入る日だ。キャンプはロンドンから電車とバスを乗り継いでいく。(記録によると電車で30分、バスで30分ほど) 途中で同じキャンプに向かうトルコ人(ヤオチュン)と会い、一緒にキャンプまで行くことにした。
キャンプでは髭のおじさんが向かえてくれて、僕にエントリー№1のスタンプを押してくれた。僕が最初のキャンパーらしい。(最終的には250人くらいに膨れ上がる) まず自分の寝る場所を決めに行った。戦時中その場所は捕虜の収容施設だったそうで、風の吹き抜ける蒲鉾状の長屋に2段ベッドがズラッと並んでいた。その一箇所に陣を決め荷物などを整理していると、続々とキャンパーが集まってきた。3人目に現れたのはこれがまた日本人の男。僕とタメ歳で、なかなかおもしろそうな人物であった。ヒロシと言う。イタリアの女性が二人来た。ラファエラとソニア。アメリカから男女のカップル、ナニとライナ。その日のキャンパーは合計で7人。 夕食後、みんなでパブへ行った。
ユースに到着したのは、もう夜になっていた。荷物を部屋に置き、とりあえずあこがれのパブへ出かけた。「ア パイント オブ ビター プリーズ」 本で読んだことのあるビターと言う飲み物を飲んでみたかった。日本のビールを飲みなれている僕にはなんとも苦い味が強く、飲みにくかった。 その日は疲れていたこともあり、その一杯のみで、あとはユースに戻って寝た。
次の朝、いつも目が醒めるのが早い僕は、早朝にさっそく起きだして近くを散歩してみた。今覚えている印象は、芝生の緑がこれまでに見たことがないくらい鮮やかな色をしていたというふうに覚えている。 散歩から戻り朝食を済ませたあと、床屋に出かけた。何処にでもあるような地元の床屋だ。言葉の壁を身振り手振りで乗り越えて、愛想のいいオヤジさんにカットしてもらった。
ロンドンの町を見てまわった、テムズ河、ビッグベン、これまで写真やテレビでしか見たことのなかった光景をこの目で見た。 「なぜかロンドン、それでもロンドン、やっぱりロンドン、やっぱりロンドン」 と手紙に書いてかつてのバイト先に送った。ロンドンにあこがれていた、そのロンドンに今居る。
さあ、いよいよキャンプへ入る日だ。キャンプはロンドンから電車とバスを乗り継いでいく。(記録によると電車で30分、バスで30分ほど) 途中で同じキャンプに向かうトルコ人(ヤオチュン)と会い、一緒にキャンプまで行くことにした。
キャンプでは髭のおじさんが向かえてくれて、僕にエントリー№1のスタンプを押してくれた。僕が最初のキャンパーらしい。(最終的には250人くらいに膨れ上がる) まず自分の寝る場所を決めに行った。戦時中その場所は捕虜の収容施設だったそうで、風の吹き抜ける蒲鉾状の長屋に2段ベッドがズラッと並んでいた。その一箇所に陣を決め荷物などを整理していると、続々とキャンパーが集まってきた。3人目に現れたのはこれがまた日本人の男。僕とタメ歳で、なかなかおもしろそうな人物であった。ヒロシと言う。イタリアの女性が二人来た。ラファエラとソニア。アメリカから男女のカップル、ナニとライナ。その日のキャンパーは合計で7人。 夕食後、みんなでパブへ行った。