■本殿■
(29th April 2008)
★醍醐寺鎭守瀧宮★ 京都府京都市伏見区醍醐東大路町22 醍醐寺内
世界遺產、國史蹟
・祭不明。
・醍醐寺總鎭守瀧權現を祀る鎭守社。
・永長二年(1097)に、最初に建立された上醍醐より分身を遷した。
・現在の社殿は永正十四年(1517)に再建されたもの。
・慶長四年(1599)、座主義演僧正により拜殿の整備が施された。
■拜殿■
(29th April 2008)
■本殿■
(29th April 2008)
國重要文化財
((コメント))
2008年4月29日
個人的には、この醍醐寺というところは、平治元年(1159)の平治の亂で破れた源義朝の妾であった絕世の美女で名い常磐御前が連れていた三人の子供の一番上に當たる今若丸が平盛によって入れられたところなので思い入れがある。彼は多分、父が敗死していなければ、長兄義平や弟義經にも劣らなかった人物であったに違いない、と思わせるくらいの人であるのだが、兄朝の擧兵時に驅けつけ、淚の對面を果たし、北條政子の妹を娶ることになったが、出家した身として、戰場には行くことがなかった人である。醍醐の惡禪師と呼ばれた彼もこの境内を走り囘ったに違いない。
美しい建物である。
(29th April 2008)
★醍醐寺鎭守瀧宮★ 京都府京都市伏見区醍醐東大路町22 醍醐寺内
世界遺產、國史蹟
・祭不明。
・醍醐寺總鎭守瀧權現を祀る鎭守社。
・永長二年(1097)に、最初に建立された上醍醐より分身を遷した。
・現在の社殿は永正十四年(1517)に再建されたもの。
・慶長四年(1599)、座主義演僧正により拜殿の整備が施された。
■拜殿■
(29th April 2008)
■本殿■
(29th April 2008)
國重要文化財
((コメント))
2008年4月29日
個人的には、この醍醐寺というところは、平治元年(1159)の平治の亂で破れた源義朝の妾であった絕世の美女で名い常磐御前が連れていた三人の子供の一番上に當たる今若丸が平盛によって入れられたところなので思い入れがある。彼は多分、父が敗死していなければ、長兄義平や弟義經にも劣らなかった人物であったに違いない、と思わせるくらいの人であるのだが、兄朝の擧兵時に驅けつけ、淚の對面を果たし、北條政子の妹を娶ることになったが、出家した身として、戰場には行くことがなかった人である。醍醐の惡禪師と呼ばれた彼もこの境内を走り囘ったに違いない。
美しい建物である。